合唱通信 No.9 ◇◇ ステップアップ◇◇
先日の「ふれあいコンサート」では、一段とステップアップしたすばらしい演奏による発表がなされ、会場の皆さんから思いがけない手拍子の応援をいただけるほどの楽しいステージになり、私からも改めて皆さんに拍手をお送りしたいと思います。
何よりも声量が豊かになり、同時にフレーズの出だしや終止にまとまりが出て、息の合った合唱表現が随所に見られたことは、これからのさらに確かな合唱活動への大きな期待を抱かせてくれるものになったということが大きな収穫でした。
ところで、合唱に限らず音楽を表現する際に私たちは意識する、しないにかかわらず、音楽上のさまざまなことがらに配慮し、自分の表現を「見直し・確かめ」ながら歌ったり演奏したりするのが通常でしょう。
「見直し・確かめる」手がかりとなるのは何よりも耳(聴き取る力)です。
伴奏や他の楽器(あるいはパート)、自らの表現、そして全体の響きなど、音楽表現にかかわる諸々のことがらを聴き取り、瞬時に表現に生かし対応するという行動を一挙同時にしているはずなのです。
そうした事情からでしょう、アメリカの音楽学者マーセルは『美術の教育は見ることの教育であり、音楽の教育は聴くことの教育である』と指摘しているほどです。
私たちは、音楽的な力というと、いきおい楽器の演奏能力とか歌唱力といったことが頭に思い浮かびますが、そうした力を大元で支える最も大切な力は「聴く力」「聴き分ける力」であるというのがその指摘の内容です。
その聴き取る活動を「無意識に」ではなく、ことさらに強く意識して行い、自らの表現に生かすことは、何年か演奏活動を経験した人であれば「当然のこと」とお考えでしょうし、いつの間にか無理なく自然に行えるようになることも実感しておいででしょう。
しかし、聴くことをなおざりにしていては、いくら歌っても(演奏しても)その構えが身につかないのも事実です。
とりわけ繊細なニュアンスや緻密なバランスで表現するために「合わせる」「とけ合わせる」ことを主眼とする合唱やアンサンブルでは、「聴く力」「聴き分ける力」はなおさら大切な表現活動を支える構えや力であることは言うまでもありません。
フロイデの合唱は、この度の「ふれあいコンサート」でまた新しいステップに飛躍的とも言えるほどの跳躍を遂げ、突入した感があります。
さらに「聴くこと」「聴き分けること」に意を用いて、互いに響きを醸し出す「合わせる」「とけ合わせる」ことができれば、次のステップへ大きく前進できるはずです。
「聞こえてくる」から「聞く」のではなく、心と耳をとぎすませ、傾注して「聴く」こと、そして「よいかどうか」を判断しながら「聴き分ける」ことでもっと豊かな響きや表現の創出が可能になるはずです。鋭い耳をお持ちの皆さんですから、「聴きとること」にほんの少し心を傾ければ、そのことがこれまで以上に可能になるだろうと思っています。
いっそう豊かな響きとメリハリのある表現で魅力ある合唱を創り上げるためにも、そして「歌ごころ」に満ちたフロイデだからこその合唱世界を築くためにも、「聴くこと」を大切にしていきたいと思うのです。