合唱通信 N0.10 ◇◇野口雨情生家に行ってきました◇◇ 2011/11/30
先週の水曜日(23日、勤労感謝の日)に、北茨城市の野口雨情の生家に行ってきました。
シビックコンサートで皆さんが歌った「野口雨情メドレー」を収めたCDとDVD、それに団からお預かりした震災見舞いをお届けするためです。
久しぶりに訪ねた故郷の海岸線は、瓦礫が数カ所にまとめられて片付いているとはいえ、荒れ果ててしまって手つかずの砂浜ばかりで、かつての白砂がまぶしく美しいそれではなくなってしまっており、呆然とする思いでした。
たまたまその日しか空いていないという雨情のお孫さん(不二子さん)は、お届けしたCDを早速聴いて下さり、『雨情の歌を大切に歌って下さってありがたい、しかもこんなすてきな合唱で心をこめて歌って下さって、これからの再建に大きな励みになる』と大変喜んで受け取って下さいました。その上で、当日の様子を詳細に語って下さいました。
3月11日は仕事の関係で他出しなければならなかったこと、しかし何やら胸騒ぎがして外出ができずにいたこと、そうこうするうちにあの大震災に見舞われ、ほどなく6メートルを越す水の壁が数度にわたって押し寄せてきたこと、自分の命をかえりみることなど念頭から消え、資料館に展示してあった数々の数百点の資料をリュックやカバンにつめて裏山に駆け上って資料を救ったこと、波がひいた後で自分が生を受けたのは、こうしたことも含めて雨情に関する貴重な資料を後世に継承していくためだと改めて納得できたこと、等々熱心に話して下さいました。
貴重な資料を救い出すことができたとはいえ大部分は水没してしまい、これから専門家がその修復作業にかかってくれることになっているとのことでした。雨情の書簡、原稿、書物など多くの貴重な資料は雨情が私たちに遺してくれた文化遺産ですが、泥水に埋もれたり浸かったりしてしまったそれら1枚1枚を修復するには、優秀な修復家の手に委ねる必要があり、その費用だけでも1千万円を越す出費が見込まれるとのこと。
団からのお見舞いは、「その費用に生かさせていただきます、感謝いたします。団の皆さんにくれぐれもよろしくお伝え下さい」と言付かってきました。
雨情の生家は海岸に近いとはいえ、ほんの少し高い場所に位置していたおかげで建物が流されるなどの甚大な被害にはあっていませんでしたが、建屋を高みにおくための石垣や建物の床下などがいまでも危うげで、当日の地震と津波の激しさがしのばれる様子でしたが、来年からようやく修復工事の手が入ることになったとのことでした。聞けば、地震後に雨情の生家付近の被災の様子を撮影し、YouTubeに投稿したのは雨情生家の東隣で歯科医を開業している不二子さんのご子息だったということです。東隣とはいえほんの雨情の生家よりほんの少し低い位置にあるその歯科は津波の影響をまとも受け、いまだに再開できずにいるとのことでした。
復興の道のりは決して平坦なものではないかも知れませんが、一日も早くかつての生活が取り戻せるように祈るばかりです。以上、ご報告いたします。