サウンド・スカルプチュア試論

――歴史的展開の素描と仮説の提言――

(ここで公開している論文たちには校正での訂正が反映されていない部分があり、実際の掲載稿とは若干相違があります。また図版は掲載していません。引用などの場合、必ず、公開された原文をご参照ください。)

1. はじめに

 「音響彫刻」とは何か。

 音がふわふわと生まれては消えていく存在であるのに対して、彫刻はずっしりと重く実体のある硬い物であるように感じる。音が放射して伝播していくのに対して、彫刻は中心に向かって求心的に存在しているかのような。そう考えると、音響彫刻とは、正反対の性質のものが同居する名称である。温かいアイスクリームとか地盤の液状化とかそういった言葉に通じる不安定さがある。こうした言葉は既存の枠組みを揺さぶる。〈そもそも視覚に訴える物として制作されてきた彫刻や絵画〉に音響生産機能を取り付けたものを「音響彫刻」あるいは「サウンド・スカルプチュア」あるいは「sound sculpture」と呼ぶようになったのは、おそらく20世紀後半のことである――本論ではこの三つの表記を区別せずに用いる――。一般的な定義にしたがえば、音響彫刻とは20世紀後半に出現した「音響生産機能を持つ視覚的造形物」(Licht 2019: 6)である。こう考えてみれば、音響彫刻とは、主として視覚的な存在だった彫刻の在り方を再考するものといえる。

 具体的な事例を考えてみよう。近年、日本で音響彫刻という言葉が使われる場合、多くの場合、バシェという固有名詞とともに使われる。バシェの音響彫刻を修復するプロジェクトが進行中だからだし[1]、音を発する彫刻というものは実際のところ今やさして珍しいものではないのでかつてなら音響彫刻と称されただろうものに対して今やわざわざ「音響彫刻」という言葉を用いないから、バシェの事例が目立つのかもしれない。つまり、(今の)日本では、「音響彫刻」という言葉は、過去にその言葉と共に輸入されたバシェという固有名詞と強く結びついている。

 とはいえ、バシェだけが音響彫刻ではない。ニューグローヴ楽器事典の「sound sculpture」という項目にはより多くの固有名詞が掲載されており、その歴史も古代から書き起こされている。音響彫刻とは必ずしもひとつの固有名詞と結びついたジャンルではなく、より広く、芸術作品が展示される場所について再考を促す事例だったり、音楽と美術が交錯するジャンルであるがゆえに音楽や美術といった一見自明なディシプリンの自明性を捉え直す可能性のある事例だったりするように思われる。

 であればこそ、音響彫刻とは何か。これはどのようなものを指示する言葉、ジャンル、概念なのか。本論ではそうした問いに答えるために、まずはその歴史的展開を素描する。まずは20世紀初頭から1970年代頃までの展開について、ニューグローヴ楽器事典やLicht 2019などサウンドアートの概説書を参考に、整理する。次に、1980年代以降の「サウンド・スカルプチュア」の動向について考えるために、1984年の「Sound/Art」展に注目することで、〈「サウンド・スカルプチュア」は「サウンド・アート」の下位分類になった〉という仮説を提案してみたい。本論でできることはそこまでであり今後の課題は多いが、サウンド・スカルプチュアの歴史的展開を整理する本論の作業は今後の課題のための準備作業として必要な作業である。

2. 歴史:1970年代までの展開

2.1. 記述の方針

 Google Scolarで「sound sculpture」と検索してみても、ジャンルとしての音響彫刻の定義や歴史を論じたものはなく、個別事例をsound sculptureと呼びその個別の作品を論じたものしか見つからない。ここから、sound sculptureとはその定義の内包や外包をめぐって議論するような対象ではなく、厳密なジャンル名としてではなく曖昧で歴史的なジャンル名として機能してきたことが推察されよう。しかし、曖昧であろうともすでに50年以上使われてきた言葉なので、事典には項目が記載され、それなりに説明されている。まず、1985年発行のニューグローヴ楽器事典におけるHugh Daviesの説明(Davies 1985)を参照し、概要を把握しておこう。

 Davies 1985によれば、音響彫刻とは「音を作り出す彫刻あるいは構造物。内的なメカニズムを用いて、あるいは、風や水や日光といった環境的な要因によって、あるいは人が操作することで音を作り出す。必ずしも音楽的な性質であるとは限らない。あるいは、屋内あるいは屋外で展示したり設置したりするために新たに作られた楽器」である。要するに、音を発する彫刻あるいは展示される創作楽器である。

 音響彫刻の起源として、Davies 1985は古代、中世、近代の事例をいくつか挙げている。アメンホテプ3世像であるメムノンの巨像や、中世の天文時計、近代の「蒸気オルガン」などである[2]。彼は19世紀までの多くの自動演奏楽器や創作楽器に言及しているが、それらをいわば孤立事例として扱っているし、また、その言及も網羅的でも体系的でもない。音響彫刻は自動演奏楽器やオートマタとは異なる文脈に属すると考えているのだと思われる。彼によれば、音響彫刻という領域が活発化するのは20世紀以降である。以下、Davies 1985を基軸にその流れを整理していく。ただし、Davies 1985はそもそも歴史的動向を詳述する項目ではなく、1950年代までの先駆的事例について代表的な固有名詞を挙げ、60年代には多様化して70年代には最初の音響彫刻の展覧会が開催されたと述べた後は、音響彫刻のメカニズム――風力か電力かといった動力の区別や振動体の種類など――に基づく分類記述に移行し、そちらの記述量のほうが多い。なので、必要に応じてDavies 1985以外の典拠も参照する。

2.2. 20世紀初頭:起源

 20世紀初頭の起源に置かれるのは、ルイジ・ルッソロ[Lugi Russolo, 1885-1947]のイントナルモーリである[★★★画像1★★★][3]。「騒音の音楽」(1913)というマニフェスト(ルッソロ1985,ルッソロ2021)で、オーケストラの楽器という既存の楽音だけではなく、工場や戦争の音というノイズ、騒音、雑音を使った音楽を提唱した20世紀初頭の未来派の芸術家は、ここでも起源にまつりあげられる。彼の制作したノイズ生産装置「イントナルモーリ」、Davies 1985によれば「ハーディ・ガーディのシステムに基づく」楽器の持つ、後の家庭用スピーカーのようなその外観が視覚的に興味深い対象だからだろうか。この楽器が制作されヨーロッパ中をツアーしていた第二次世界大戦以前に、この楽器がその視覚的な面白さゆえに展示されたという記録はないが、後に制作復元されたもののいくつかは展覧会で展示された[4]

2.3. 20世紀前半:ハリー・パーチ、デュシャンなど

 Daviesによれば、1930年代以降、音楽家や作曲家による新しい楽器や音響生成機器が増えた[5]

 20世紀前半の音響彫刻の事例として言及しておくべきは、アメリカ実験音楽のパイオニアともされるハリー・パーチ[Harry Partch, 1901-1974]の創作楽器[★★★画像2★★★]である。43微分音階の自作を演奏するために作られたクロメロデオン、キタラ、ダイアモンド・マリンバ、ハーモニックカノンといった楽器は、その演奏方法も音響も独特で、『眼と耳のために』展(1980)などの展覧会で美術作品として展示された耳目を奪う外見でもある[6]

 また、Davies 1985では、エオリアンハープを改造して1934年以降に53個もの管楽器を制作したIchabod Angus Mackenzieなる人物にも言及しているが、この人物に関する詳細は不明である。この人物には、Licht 2019や、Cox and Werner 2004所収のデヴィッド・トゥープ[David Toop]の文章(Toop 2004: 332)も言及しているが、Davies 1985と同じくその情報源は1975年にマックス・イーストレイ[Max Eastley]が、『Musics』(Musics1975-79)というデレク・ベイリー[Derek Bailey]らフリー・インプロヴィゼーションの音楽家たちが発刊していた週刊誌(1975-1979)に書いた記事である(Eastley1975: 22)。それによれば、マッケンジーは1930年代に多くの管楽器を制作したが、それらは創作楽器というよりもジャン・ティンゲリーの彫刻を想起させる音響彫刻だったらしい。また、Davies 1985は、1938年頃にジャン・ティンゲリー(1925-1991)が13才の時に音を自身の彫刻に含めようとしていたとも言及している。そういうこともあったのかもしれないが、彼が作品を発表し始めるのは50年代後半以降であり、ここでの言及には歴史の脚注としての意味しかあるまい。ティンゲリーについては後述する。

 また、Davies 1985では言及されていないが、20世紀前半の音響彫刻の事例として言及しておかねばならない事例がある[7]。マルセル・デュシャン[Marcel Ducmhap, 1887-1969]による「音楽的彫刻[sonore musicale]」に関するメモと《秘めたる音に[A bruit secret]》(1916/1963)である[★★★画像3★★★]。ルネ・ブロックはフルクサスの音楽に対するデュシャンの貢献について説明するために、音楽的彫刻というアイデアに言及している(ブロック2001)。ブロックによれば、デュシャンは《グリーン・ボックス》という1911年から1920年の間のスケッチと考察を集めた創作メモのなかで、次のようなメモを残していた。

「音楽的彫刻

持続しながら、そしてさまざまな点から出発しながら、

そして持続する音の出る彫刻をつくる音」

である(27-28)。こうした曖昧な言葉を導き手として制作やパフォーマンスを誘発するという点に、ブロックは、フルクサス(のワードピース)との共通点を見出している[8]。また、《秘めたる音に》(1916/1963)は、ウォルター・アレンスバーグに頼んで、荷物を包むための紐の球の中に何かものを入れてもらい――それが何かを決してデュシャンには言わないようにも依頼し―ー、その紐の球の両端を銅板で封じ込めてしまった作品である。このレディメイドのオブジェは、振れば何か音がするがその中に何が入っているかは作者にも分からない、というものだ(Art or Sound 2014: 164-165)。これが「音のある芸術」として後世の視覚美術や音響彫刻に直接的な影響を与えたかどうかは不明だが、明確に音をその構成要素として持つ視覚美術作品の早い事例であり、先駆的事例として位置づけられてきたものである[9]

2.4. 20世紀後半の先駆者たち:バシェ、ベルトイア、ティンゲリー、モリス

 20世紀後半に音響彫刻は多様化した[10]。Daviesは、1950年代に出現した事例としてバシェ兄弟の音響彫刻に言及し、それ以降の年代についてはあまり具体的な記述をしていない。ただし、バシェらが活動を始めたのは50年代後半だが、世に知られるようになるのは60年代である[11]。Licht 2019では、バシェ以外に1960年代の先駆例として、H.ベルトイアの音響彫刻とジャン・ティンゲリー《ニューヨーク賛歌》(1960)について記述している(66)。また、ロバート・モリス《自分が作られている音を発する箱》(1961)にも――デュシャンやマン・レイの作例と同じく、音響彫刻として作られたわけではない先駆例として――言及している(63)。

 パリを拠点に彫刻家として活動していたフランソワ・バシェ[François Baschet, 1920-2014]は、音響工学を学んだ兄のベルナール・バシェ[Bernard Baschet, 1917-2015]とともに、1952年に彼らの「音の出る彫刻」あるいは創作楽器を作り始めた。「20世紀の音楽は18世紀の楽器で作られている」ことに不満を感じたことをきっかけに、彼らは、既存の楽器メカニズム(の発音体、振動体、変調器、増幅器などの構成)を分析したうえで、金属とガラス棒などを組み合わせた独自の創作楽器あるいは音響彫刻を制作した。彼らは1955年には作曲家ジャック・ラズリー[Jacques Lasry, 1918-2014]と演奏グループ「ラズリー・バシェ音響グループ[Structures Sonores Lasry-Baschet]」を結成し、ヨーロッパや米国でコンサートを行ない、「エド・サリヴァン・ショー」にも出演した。1965年には、NYのMoMAが「sound」という言葉を初めて冠した展覧会「Structures for Sound - Musical Instruments by Francois & Bernard Baschet」も開催した[★★★画像4★★★]。1969年にはフランソワ・バシェが来日して17作品を制作し、1970年の大阪万博の鉄鋼館で展示し、来場者は作品を体験し、コンサートも開催された。黒澤明『どですかでん』(1970)にもその音は使われている。この時に作られた音響彫刻を修復展示するプロジェクトが、近年、東京芸術大学や京都市立芸術大学関連の有志の手により行われており(川崎2012)、その集大成的な催事として、2020年6月から川崎市岡本太郎美術館で「音と造形のレゾナンス-バシェ音響彫刻と岡本太郎の共振」展が開催された――新型コロナウィルスの影響で当初4月開催だった予定は繰り延べられた――。バシェ兄弟は1952年から2015年のあいだに約500作品制作しており、その多くはガラス棒や鉄板を用いた体鳴楽器あるいは弦鳴楽器で電鳴楽器はなく、子ども用楽器なども制作されたが、その全体像はまだ十分に整理されてはいない(Basche 1963、Licht 2019など)[12]

 ハリー・ベルトイア[Harry Bertoia, 1915-1978]は活動初期には宝石デザイナーとして、その後も工業デザイナーとして活躍した。世界的にはこちらの活動の方が有名で、1952年から製造されているスティール・メッシュの椅子はよく知られている。彼は1960年に、「tonal sculpture」あるいは「sonambient」と彼が呼ぶ音響彫刻を作り始めた[★★★画像5★★★]。人の背の高さほどの針金数十本ほどを両腕で抱えられる程度の密度の広さに立て、それを触ると、針金同士が揺れて接触してサワサワとした音を発する。私はいつも〈大きな剣山のようだ〉と説明している。彼はこうした音響彫刻を50個以上作り、それらを様々なパブリックな場所――シカゴのスタンフォード・オイル・プラザ、オハイオのアクロン大学、コロラド・ナショナル・バンクなど――に設置した。1968年にはペンシルヴァニア州の自宅に自分の音響彫刻を収容する録音スタジオを設置し、息子とともにさらに100個以上の音響彫刻を制作し、さらに1970年代以降には「sonambient」という名称のレコードも制作した(Licht 2019, Harry Bertoia Foundation website)[13]

 ジャン・ティンゲリー[Jean Tinguely, 1925-1991]はスイスの現代美術家、画家、彫刻家で、50年代末より、廃物を利用して機械のように動く(が何の役に立つのかは一見、あるいは何度見ても、分からない、というよりも何の役にも立たない)動く彫刻、いわゆる「キネティック・アート」を作るようになったことで世界的に有名である。1960年にNYのMoMAで「機械時代の終わりに[The Machine as Seen at the End of the Mechanical Age]」展に関連して展示された、作動すると音を立てて最後には炎上して崩壊する《ニューヨーク賛歌[Homage to New York]》(1960)[★★★画像6★★★]が有名である[14]。日本には1963年に東京の南画廊が招聘し、一ヶ月ほど作業した後に展覧会を行った[15]。その展覧会図録には7インチの「Sounds of Sculpture」というタイトルのレコードが付属し、レコードには一柳慧《アピアランス》などが収録されていた――後に一柳慧「ミュージック・フォー・ティンゲリー」に収録――。また、1984年には高輪美術館――後のセゾン現代美術館――に《地獄の首都No.1》制作のために来日した。同作は今でも軽井沢のセゾン現代美術館に展示されている。

 ロバート・モリス[Robert Morris, 1931-2018]はアメリカの現代美術家、画家、彫刻家で、1959年に(フルクサスやミニマル・ミュージックに関連するアーティストとして有名なラ・モンテ・ヤングと相前後して)ニューヨークに転居し、妻のシモーヌ・フォーティ[Simone Forti, 1935-]とともに後にジャドソン・ダンス・シアター[Jadson Dance Theater]として知られるようになる前衛ダンス集団に参加し、ミニマル・アート、プロセス・アート、アース・ワーク、コンセプチュアル・アートなどに関わった(Labelle 2015)。批評家としても影響力が強く、ダンス、ミニマル・アート、プロセス・アート、アース・ワークに関する彼の批評は基礎文献のひとつである(Morris1968など)。彼の《自分が作られている音を発する箱[Box with the Sound of Its Own Making]》(1961)は木製の立方体の箱で、中に入れられたスピーカーが、その箱が作られているときの音――のこぎりで板を切る音、トンカチで釘を打つ音など三時間ほどの録音――を再生し続ける[★★★画像7★★★]。当時の現代美術の文脈にこの作品を位置づけ、いわゆる芸術におけるミニマリズム(における鑑賞者中心のアート理念)を実現する作品として解釈したり(Labelle 2015)、「演劇的状況」(フリード1995)の事例として、あるいは客体としての音を提示するという点でのケージとの比較例として考察したり(金子2014)、デュシャン《秘めたる音に》(1916/1963)との関連を示唆したり(Applin 2014)といった作業は重要だが、ここでは(あえて議論を単純化し)この作品を、ティンゲリーと同じく、美術館に音響を導入した先駆的事例であり、とはいえ音が主要な関心事項ではない作品、という解釈だけを提示しておきたい。

2.5. 1970年代:音響彫刻の展覧会

 1970年代には音響彫刻を主題とする展覧会が開催されるようになった。アラン・リクトによれば、最初の音響彫刻の展覧会は、1970年にトム・マリオーニ[Tom Marioni, 1937-]が運営していたMOCA (Museum of Conceptual Art)(1970-1984)で行われたイベント「Sound Sculpture As」である。そこには複数の彫刻家が参加してパフォーマンスを行った――トム・マリオーニはバケツに小便をしたり、ポール・コス[Paul Kos, 1942-]は氷の周囲に8個のマイクを設定し(たが音は聞こえなかっ)たり、メル・ヘンダーソン[Mel Henderson, 1922-2013]は投影された虎のイメージにショットガンを撃ったりした――(Licht 2019: 79)。リクトが参照するハイディ・グルンドマン[Heidi Grundmann, 1938-]によれば、トム・マリオーニは「音は彫刻素材として使うことができるし、それは、時間のなかに存在する静的なものではない」し、また「音は自分が起こす行為の結果である」と考えていたようだ[16]

 1975年には、ヴァンクーヴァーで活動していたジョン・グレイソン[John Grayson]という楽器製作者あるいは音響彫刻家が、音響彫刻を制作した多くの作家の文章と録音を集めて、本とレコードを制作した(Grayson 1975)。書籍の副題は「この技術[音響彫刻のこと]を追究するアーティストによるエッセイのコレクション」で、バシェ兄弟、ハリー・ベルトイア、ステファン・フォン・ヒューンなどによるエッセイが、音響彫刻の起源としてハリー・パーチやルー・ハリソンによる文章が収録されていた。LPにはバシェ、ベルトイア、ヒューンらの音響彫刻の音源が記録されていた(Licht 2019: 112)。グレイソンは翌年も音響彫刻に関わる書籍(Grayson 1976)を刊行しているが、こちらは副題が「あなたが作る音楽的彫刻の環境[Environments of musical sculpture you can build]」とあり、その内容は、日常生活の中にある事物を用いた楽器制作を指南する教育的な本である。日本では繁下和雄『紙でつくる楽器(シリーズ 親と子でつくる)』(繁下1987)や『実験音楽室――音・楽器の仕組みを楽しく学ぶ総合学習』(繁下2002)といった書籍が類書になろう。Graysonの仕事がどの程度まで後の音響彫刻理解に影響を与えたかは簡単には断言できないが、1970年代に音響彫刻というジャンルがある程度の存在感を獲得していたことを示す事例である、とは言えるだろう。Davies 1985の辞書項目における歴史記述はGraysonに言及するところで終わっている。

3. 歴史:1980年代の展覧会の場合

3.1. 1980年前後の音を主題とする展覧会の状況

 では、1980年代以降の「音響彫刻」はどうなったのか。ここで私は、〈1980年代に増加していった音を主題とする展覧会〉におけるサウンド・スカルプチュアの位置づけを探ることで、1980年代以降のサウンド・スカルプチュアのあり方を探ってみようと思う。1950年代から2000年代までの音を主題とする展覧会の年表を参照資料として作成したCluett 2013やMaes 2013など、サウンド・アートの展覧会の歴史研究によれば、音を主題とする展覧会の数は80年代以降明確に増え、90年代以降に急増する。

 筆者の私見では、そのなかで、「サウンド・スカルプチュア」は「サウンド・アート」という総称の中に包含されていった。あるいは、サウンド・アートという総称の下位分類の一つとして〈音と視覚的造形物とが結びついた作品群というある特定の志向を持つ作品群〉を指す言葉として使われるようになったのではないか。私の仮説は正確には以下の通りである。〈1980年代以降、音を主題とする展覧会が増加する中で、サウンド・アートの下位分類としてサウンド・スカルプチュアを位置づける語りも★★★傍点:「も」に傍点★★★出現してきたのではないだろうか〉。このことを「Sound/Art」展(1984)という事例について検討する。今後、80年前後の音のある芸術をめぐるパースペクティヴを考察する際の一助となれば幸いである。

3.2. 「Sound/Art」展(1984)について

3.2.1.概要

 ウィリアム・ヘラーマン[William Hellermann, 1939-2017]という作曲家がいる。彼は1982年にThe SoundArt Foundationという団体を設立し、1983年にはThe DownTown Ensembleというアンサンブルを設立した。本人によれば、83年当時は「downtown」という言葉には〈オルタナティヴな現代音楽〉というニュアンスがあったらしい。また彼は80年代前半から90年代まで「The Calendar for New Music」を発行していた[★★★画像8★★★]。これは現代音楽のコンサートの開催情報を集めた情報誌のようなものだった。つまり彼は基本的には現代音楽の作曲家だったといえよう。

 しかし彼は、1983年から84年にかけて「Sound/Art」というタイトルの展覧会をキュレーションした[★★★画像9★★★]。この展覧会はアラン・リクト『サウンド・アート』(2007年、邦訳2010年)や2015年頃までのWikipediaの「sound art」の項目では、名称に初めて「サウンド・アート」という言葉を冠した展覧会として記載されていた。ただし、近年のサウンド・アート研究の進捗は、「sound art」という言葉の初出が70年代にまで遡ることなどを発掘してきた(Dunaway 2020など)。それでも、この展覧会に注目することで、研究が進捗したとはいえ未だ明らかにされたとは言い難いこの時期のサウンド・アートをめぐるパースペクティヴのひとつを析出できるのではないだろうか。

 では、この展覧会はいかなるものだったのか。これは84年に三箇所を巡回した。三回ともほぼ同じで細部は異なっていたとのことだが、その詳細は不明である[17]。以下この展覧会に言及する際は、展覧会に先立ち1983年に出版された展覧会図録に基づいている。展覧会図録によれば、この展覧会への出品作品は全21作品、今でもある程度名前の知られているのは、ヴィト・アコンチ[Vito Acconci]、コニー・ベックリー[Connie Beckley]、ニコラス・コリンズ[Nicolas Collins]、サリ・ディーンズとポーリーン・オリヴェロス[Sari Dienes and Pauline Oliveros]、テリー・フォックス[Terry Fox]、トム・マリオーニ[Tom Marioni]、キャロリー・シュニーマン[Carolee Schneemann]、ジム・ポメロイ[Jim Pomeroy]あたりか[18]。この展覧会で展示された作品は、Licht 2019の便宜的な分類に従えば[19]、サウンド・インスタレーション2作品、サウンド・スカルプチュア13作品、不明4作品、パフォーマンス2作品、という内訳になろう。これは便宜的な分類に過ぎず、詳細の不明な作品も多いので、あくまでも展覧会に出品された傾向を示すものでしかない。この展覧会では、「サウンド・スカルプチュア」――正確には、音を発するメカニズムを組み込んだ視覚的な造形作品――が多く展示されていたことを確認しておきたい[★★★画像10★★★]。次に、この展覧会の関連文書として、プレス・リリースと展覧会図録収録文章と同時代の展覧会レビューとを検討しておきたい。

3.2.2.関連文書の検討

 まずプレス・リリース(1834_001: SEM: Press Release)である。この展覧会のプレス・リリースは「Sound SculptureとAudio Artにおける最近の重要な作品を概観する大規模展覧会がスカルプチュア・センターで5月1日木曜日から開かれます…」という文言から始まる。そして、出品作家の紹介やオープニング・セレモニーの告知をした後に、次のように述べる。

「Sound Sculptureと/あるいはAudio Art…は近年NYのメトロポリタン地域で注目を浴びてきた。…(中略)…。視覚美術の要素を音楽と/あるいは生の音[raw sound]と組み合わせた芸術を作り出そうとする衝動は、20世紀を通じてずっと存在する芸術家(と作曲家)の関心事だったが、大々的に取り扱われることはなかった。芸術家が表現媒体としての音に魅せられるというのはよく分かる。理解するのがしばしば難しいのは、芸術家が音に魅せられた結果として作られた作品に対して人々はどう反応するか、そして、芸術の未来の発展においてこの作品がどのような役割を果たすか、ということである。」

ここから二点指摘しておきたい。まず、この展覧会では、次の三つの展覧会が先行事例として意識されていた。「Sound」展(Sep 30 – Nov 18, 1979)と「The Musical Manuscript Show」展(Nov 11, 1979 - Jan 26, 1980)と「Soundings」展(Sep 20 - Dec 23, 1981)である。このことは、この三つの展覧会のパースペクティヴを一連の動向としてまとめて検証することで、研究が進捗したとはいえ未だ明らかにされたとは言い難い80年前後のサウンド・アートをめぐるパースペクティヴ[20]のひとつを析出する可能性を示していると私は思う[21]。また、この展覧会は、「Sound Sculptureと/あるいはAudio Art」とのある種の総合としての「Sound/Art」の展覧会として構想されていた[22]。Sound SculptureやAudio Artがどのようなもので何を意味するか、ということはここでは語られていない(し、ヘラーマンもその他のアーティストらもそうした名前の問題に関心があるようには思われない)が、このように詳細を定義せずに「サウンド・アート」と「サウンド・スカルプチュア」とを併置するような語り方を、私は、〈サウンド・アートの下位分類としてサウンド・スカルプチュアを位置づける語り〉と解釈できるのではないかと考えている。

 次に展覧会図録に収録されたドン・ゴダード[Don Goddard]なる人物の文章を検討しておきたい[23]。この文章の中でゴダードは、現代美術史をめぐる進歩史観の最先端に、音を使うこの展覧会を位置付けている。彼の歴史観は、基本的には、かつては一体のものとして存在していた芸術は19世紀に専門分化し、しかし20世紀初頭以降、ふたたび統合への道を歩みつつある、というものである。展覧会図録に寄せた5ページほどの文章の中でこの歴史観について述べているのはほんの2ページ弱でしかないので十分な説明がなされているわけではないが、もう少し詳しく要約すれば、以下のようになる。

(1)近代以前の画家や彫刻家や作曲家は同じ主題を表現していたし同じパトロンに庇護されていたので、過去の西洋文化では諸芸術は統合されていた。

(2)しかし19世紀以後、音楽はコンサート・ホールのために作られるようになったし、アカデミックではない絵画はどんどん私的で過激になり、諸芸術は分岐し分化していった。

(3)そして20世紀はじめには様々な美的冒険が出現し、とりわけエリック・サティの《家具の音楽》とイタリア未来派が「機械化時代の音とノイズ」を導入し、「芸術家[美術家]たちも同じように、自分たちの作品――コラージュ――の中に日常の素材を取り込みノイズを発させるようにな」り、「諸芸術の再統合、再結合が生じた」。

(4)20世紀後半にはケージ、ハプニング、パフォーマンス・アートが出現し、「ハプニングとパフォーマンスとビデオ・アートはあれこれ迷うほど多様な人間的かつ非人間的な表現を組み合わせた。…(中略)…芸術は「絵の具以外にもたくさんのものがある世界」のなかで動いているのだった」。ゴダードは、音と視覚的イメージを結合させたり、諸芸術を拡大融合する流れとして、20世紀の現代美術の流れを素描する。

(5)70年代以降に新しい世代の作家――ヴィト・アコンチ、テリー・フォックス、キャロリー・シュニーマン、ハンナ・ウィルケら――が登場し、「人とアートの間にはより完全な同一性が見られるようになり、それぞれの作品の中心にある生き生きとした存在[a living presence]をより強く主張するようになった」。

この語りをめぐっていくつか指摘しておきたい。

1.諸芸術の分離から統合に至る現代美術史という物語の最先端に、音を用いる芸術を位置づける語りであること

2.この語りを支えるために、ゴダードは、デュシャン(《秘めたる音に》)とクルト・シュヴィッタース(の音声詩の試み)とサティ(の《家具の音楽》)を20世紀初頭における「諸芸術の再統合、再結合」の先駆けとして位置づけること。それぞれ「音を立てる美術作品、詠唱する芸術家、環境に溶解していく音楽作品」を制作した作家であり、これらの作品はすべて「それまでの芸術作品とは別のレベルの存在であることを主張し、それゆえ、美的行為だけではなくあらゆる行為の領域のなかに自分たちのための特別な場所を作り出す」と述べる[24]

3.この起源の再措定の帰結として、抽象表現主義美術ではなく、1960年代以降のジョン・ケージの存在がクローズアップされること。ゴダードは、〈音と視覚的イメージを結合させたり、諸芸術を拡大融合する流れ〉として20世紀後半の現代美術を記述するが、その〈諸芸術の統合を目指す動き〉に直接的につながる起爆地点としてケージを位置づけている。

4.「現代音楽」の文脈に対する意識が低いこと。諸芸術の統合について語っているが、ここで語られているのはあくまでも視覚美術の話であり、同時代の現代音楽の状況についてはまったく触れられていない。

である。

 こうした特徴を、80年代前半のNYにおける〈音のある芸術〉をめぐるパースペクティヴのひとつとして抽出しておきたい[25]。このパースペクティヴが同時代においてどの程度流通していたかといったことを明言するのは難しいが、本論では、少なくとも〈音のある芸術を現代芸術における総合的な志向の最先端に位置づけるパースペクティヴ〉があったことを確認しておきたい。

 最後に同時代のレビューを確認しておきたい。参照するのは「1834_004: Judy K. Collischan Van Wagner, “[Review] Sound Art.” in: Art Magazine September 1984: 19 (SEM: news clipping).」という記事である。

 Judy K. Collischan Van Wagnerという人物によるこの記事によれば、視覚芸術の文脈における言葉と音の使用は、それぞれ、1910年頃のキュビズムのコラージュにおける言葉の使用と未来派におけるノイズの使用にまで遡る。コラージュがデュシャンやクルト・シュヴィッタース、ラウシェンバーグなどに継承されたように、キュビズムこそが視覚芸術における形式主義的な傾向に拍車をかけた。また、未来派こそが視覚芸術における政治的参加という可能性を開拓した。1ページしかないレビューなので詳細を語るわけではないが、この記事は、キュビズムにおける形式主義的な変革と未来派における政治的参加を目指す変革というふたつの方向性が「Sound/Art」展にはある、と位置づける。つまり、形式的観点からも政治的な関心事項の表明という観点からも興味深いと位置づけることで、キュビズムと未来派以降の現代美術の文脈の最先端の動向としてこの展覧会を位置づけようとするわけである。この短かなレビューからも、「サウンド・アート」が現代美術における総合的な方向性を最先端の位置で担うジャンルとして位置付けられていること、が確認できる。

3.2.3.仮説の提言

 以上、「Sound/Art」展(1984)の関連文書を検討した。この検討から〈音のある芸術を現代芸術における総合的な志向の最先端に位置づけるパースペクティヴ〉の存在を確認できる。このパースペクティヴの同時代における通用性を知るためには、音のある芸術をめぐる同時代のパースペクティヴの事例をもっと検討する必要があるが、今はその作業は今後の課題とする。ここではさらに、一つの仮説を提言しておきたい。それは、〈音のある美術が進歩史観的な芸術史の最先端に位置づけられるとともに、「サウンド・アート」の下位分類として「サウンド・スカルプチュア」を位置づける語りが出現した〉というものである。1984年の展覧会の関連文書のどこかで〈サウンド・スカルプチュアはサウンド・アートの下位分類である〉と記述されているわけではない。しかし、プレス・リリースの最初の一文や、作家紹介でしばしば「サウンド・スカルプチュア」という言葉が用いられているのに、ゴダードの展覧会全体のための文章や同時代の新聞記事などのレビューでは、この展覧会の作品が「サウンド・スカルプチュア」として論じられることはほとんどなく――ゴダードの文章は「サウンド・スカルプチュア」という言葉を用いてさえいない――、「サウンド・アート」という言葉で概括的に論じられていること、をその証拠と考えておきたい。これは仮説の提言であり、さらなる検証が必要であるが、それは今後の課題とする。

4.今後の課題

 以上、サウンド・スカルプチュアの歴史を概観し、「Sound/Art」展(1984年)を検討することで、「サウンド・スカルプチュア」は「サウンド・アート」の下位分類となった、という仮説を提出した。今後の課題は多いが、本論はここで終える。

 今後の課題について整理しておく。

 まず、3.2.の分析を補強するために、音のある芸術をめぐる1980年前後のパースペクティヴの事例をよりたくさん検討する必要がある。まずはLAICAとNY MoMA PS1で行われた「Sound」展(1979)と、NYのDrawing Centerで行われた「The Musical Manuscript Show」展(1980)と、NYのNeuberger Museumで行われた「Soundings」展(1981)を分析対象として、そこにおいて、「彫刻」、「楽器」、「実験音楽」、「美術」といった概念がどのように扱われているかを確認せねばなるまい。現時点では、そこでもおそらく〈サウンド・アートの下位分類としてサウンド・スカルプチュアを位置づける語り〉の出現が確認できること、さらには、他にも何らかの典型的な言説事例を確認できること、を期待している[26]

 次に、「彫刻」というジャンルあるいはディシプリンの展開について現代美術を対象とする批評理論(クラウス「展開された場における彫刻」(1979)など)が語っていたことは、この「音響彫刻」とどのような関係性があるかを考察したい。「音響彫刻」の発展に関する理論的分析として参照できそうなのはKim-Cohen 2009だが、この議論の射程を丁寧に見極めたいと私は考えている。

 最後に、私は、〈音楽と美術の交錯〉という事態あるいは可能性について考察したい。私は、サウンド・スカルプチュアというジャンルの研究が〈音楽と美術との混交は具体的にはどのようなものでありえるか、どのようなものでしかないか〉とか〈音楽としてのサウンド・アート、サウンド・アートとしての音楽という存在〉といった事項を考察させてくれるだろう、と予測している。

 本論は以上の課題を残す不十分なものではあるが、今後の考察のための準備作業として役立つはずだ。今はここで稿を終える。

参考文献

(URLの最終確認日はすべて2021年8月31日である。)

足立智美 2012 「ベルリンのいろいろ ー足立智美 2012年9月15日」 メインプロジェクト「ジョン・ケージ 「ミュージサーカス」芸術監督:足立智美」ウェブサイト内の記事 http://aaa-senju.com/2012/165/?fbclid=IwAR0XMCtCfVnYo4qmc3WUgmA9js76Vc2loNuYZ6OwnO-cOkBeMIB8Xgq64qY

Applin, Jo. 2014. Optical Noise: The Sound of Sculpture in the 1960s. In: Art or Sound 2014: 207-214.

Art or Sound 2014 = Celant, Germano, et al. 2014. Art or Sound: Exposition Préentée À La Fondation Prada, Ca' Corner Della Regina, Venise Du 07 Juin Au 03 Novembre 2014. Milano: Fondazione Prada.

Baschet, François. 1963. “New musical instruments.” New Scientist 337: 266-268 (May, 2. 1963).

―-. 1999. Les Sculptures Sonores: The Sound Sculptures of Bernard and François Baschet. Chelmsford, UK: Soundworld Publishers.

ルネ・ブロック 2001 「フルクサスの音楽:日常的な出来事 講演」 中川克志(訳) 国立国際美術館(編) 2001 『ドイツにおけるフルクサス 1962-1994』 大阪:国立国際美術館: 24-33。

Cluett, Seth Allen. 2013. “Appendix A: Sound as Curatorial Theme 1954-­‐present.” In: Loud Speaker: Towards a Component Theory of Media Sound. Ph.D diss. Princeton University: 110-124.

---. 2013. “Ephemeral, Immersive, Invasive: Sound as Curatorial Theme 1966-2013.” in: Multisensory Museum: Cross- disciplinary Perspectives on Touch, Sound, Smell, Memory, and Space, edited by Nina Levant and Alvaro Pascual- Leone (New York: AltaMira, 2013)

Cobussen, Marcel, Vincent Meelberg, and Barry Truax, eds. 2017. The Routledge Companion to Sounding Art. Oxford: Routledge.

Cox, Christoph, and Daniel Warner, eds. 2004. Audio Culture: Readings in Modern Music. New York: Continuum International Publishing Group.

—-, eds. 2017. Audio Culture: Readings in Modern Music. Revised Edition. New York: Bloomsbury.

Davies, Hugh. 1985 “Sound sculpture.” In: The New Grove Dictionary of Musical Instruments. London, 1985

Dunaway, Judy. 2020. “The Forgotten 1979 MoMA Sound Art Exhibition.” Resonance 1 (1): 25–46. doi:10.1525/res.2020.1.1.25.

Eastley, Max. 1975. “Aeolian Instruments.” Musics, no.5 (December 1975 - January 1976): 21-23.

Fontana, Bill. 1987. “The Relocation of Ambient Sound: Urban Sound Sculpture.” Leonardo. 20.2: 143

マイケル・フリード 1995 「芸術と客体性」 川田都樹子・藤枝晃雄(訳) 『批評空間 モダニズムのハードコア』 臨時増刊号 太田出版。(Fried, Michael. 1967. “Art and objecthood.” In: Minimal Art: a critical anthology. Edited by Gregory Battcock. Originally published in 1968. CA: California University Press: 116-147.)

Goddard, Don. 1983. "Sound/Art: Living Presences” in: Hellerman, William, and Don Goddard. 1983. Catalogue for "Sound/Art" at The Sculpture Center, New York City, May 1–30, 1983 and BACA/DCC Gallery June 1–30, 1983: unpaged.

Grayson, John. 1975. Sound sculpture : a collection of essays by artists surveying the techniques, applications, and future directions of sound sculpture. Vancouver: A.R.C. Publications. (http://www.ubu.com/historical/sound_sculpture/index.html)

---. 1976. Environments of musical sculpture you can build : phase 1. Vancouver: Aesthetic Research Centre of Canada.

Harry Bertoia Foundation: https://harrybertoia.org/

Hellerman, William, and Don Goddard. 1983. Catalogue for "Sound/Art" at The Sculpture Center, New York City, May 1–30, 1983 and BACA/DCC Gallery June 1–30, 1983.

金子智太郎 2014 「秘められた録音──ロバート・モリス《作られたときの音がする箱》」 『東京芸術大学美術学部紀要』52:85-101。

川崎義博 2012 「ベルナール&フランソワ・バシェ(音響彫刻作品修復)」  Artscape制作の「Artwords(現代美術用語辞典ver.2.0)」の事典項目。 https://artscape.jp/artword/index.php/ベルナール&フランソワ・バシェ(音響彫刻作品修復)

Kim-Cohen, Seth. 2009. “Unhearing Cage: Rosalind Krauss, John Cage, Robert Rauschenberg, George Brecht.” In: In the Blink of an Ear. A&C Black: 149-169.

Labelle, Brandon. 2015. “Chapter5 Minimalist Treatments: La Monte Young and Robert Morris.” In: Background Noise: Perspectives on Sound Art. Second edition. New York: Bloomsbury: 68-86.

Licht, Alan. 2007. Sound Art: Beyond Music, Between Categories. Book & CD. Foreword by Jim O'Rourke. New York: Rizzoli.(アラン・リクト 2010 『SOUND ART ──音楽の向こう側、耳と目の間』 ジム・オルーク(序文)、恩田晃(日本語版特別寄稿) 荏開津広、西原尚(訳) 木幡和枝(監訳) 東京:フィルムアート社。)

—-. 2019. Sound Art Revisited. New York: Bloomsbury Publishing.

Maes, Laura. 2013. Sounding sound art: a study of its definition, origin, context and techniques. Ph.D diss. Ghent, Belgium: Ghent University. (https://biblio.ugent.be/publication/4183502)

Maes, Laura and Marc Leman. 2017. “Defining Sound Art.” In: Cobussen, Marcel, Vincent Meelberg, and Barry Truax, eds. 2017. The Routledge Companion to Sounding Art. Oxford: Routledge: 27-39.

Musics 1975-79 = Toop, David, Steve Beresford, Thurston Moore, and et al. 2016. Musics: a British Magazine of Improvised Music & Art: 1975-79. London: Ecstatic Peace Library.

Morris, Robert. 1968. “Notes on Sculpture.” In: Battocock 1968: 222-235.(中井悠(訳と解題)「ダンスについてのノート」近畿大学国際人文科学研究所紀要『述 特集 舞台/芸術』3号(2009年6月):107-117。)

中川2017=東京藝術大学バシェ音響彫刻修復プロジェクトチームによるクラウドファンディング「未知の音を奏でるバシェの音響彫刻。 40年の時を超え、復元へ。」へのコメント「関東でも音響彫刻が演奏される機会を」(横浜国立大学 中川克志)」(2017年5月11日掲載) https://readyfor.jp/projects/geidai2017baschet/announcements/55985

ルイジ・ルッソロ 1985 「雑音の芸術・未来派宣言」 細川周平(訳) 『ユリイカ 特集 未来派』1985年12月号:112-119ページ(原文1913年)。

ルイジ・ルッソロ 2021 「騒音芸術」 多木陽介(訳) 多木浩二『未来派:百年後を羨望した芸術家たち』(コトニ社、2021年):282-293ページ(原文1913年)。

繁下和雄 1987 『紙でつくる楽器(シリーズ 親と子でつくる)』 東京:創和出版。

―. 2002 『実験音楽室――音・楽器の仕組みを楽しく学ぶ総合学習』 東京:音楽之友社。

Smirnov, Andrei. 2013. Sound in Z: Experiments in Sound and Electronic Music in Early 20th Century Russia. London: Koenig Books.

Toop, David. 2004. “Chapter 39. The Generation Game: Experimental Music and Digital Culture.” Cox and Warner 2004: 331-339.

Weibel, Peter. 2019. “Sound as a medium of Art.” in ZKM2019: 12-147.

ZKM2019 = Weibel, Peter, ed. 2019. Sound Art: Sound as a Medium of Art. Karlsruhe, Germany, Cambridge, MA, and London, England: ZKM/Center for Art and Media The MIT Press.

『音のある美術』1989 = 栃木県立美術館 1989 『音のある美術 moments sonores』 展覧会図録。

◯「Sound/Art」展(1984)のアーカイヴ資料

本論で参照したプレスリリースや新聞記事は、2014年11月にSculptureCenterにアーカイヴ調査を申請したところ工事などの理由で同館ではその時期アーカイヴ調査を受け入れられなかったため、同館のOperations ManagerであるYoseff Ben-Yehuda氏が、同館の記録にある文書をスキャンして送付してくれたものである。Yahuda氏からは他にも8点の資料を提供していただいた。数字は頂いたスキャン画像に付けられていたものである。プレス・リリース以外のいくつかの作品画像は、SculptureCenterが運営するSculptureNotebookというウェブサイトに掲載されている(https://sculpture-center.tumblr.com/tagged/Sound%2FArt)が、このプレス・リリースや以下で参照する新聞記事などは掲載されていない。

1834_001: SEM: Press Release.

1834_004: Judy K. Collischan Van Wagner, “[Review] Sound Art.” in: Art Magazine September 1984: 19 (SEM: news clipping).

1834_005: E.H., “SOUND ART at Sculpture Center.” in: ART NEWS November 1984: 175 (SEM: news clipping).

欧文要旨:欧文著者名、欧文論文名、欧文要旨

著者名

NAKAGAWA Katsushi

Title

The historical development of sound sculpture: the suggestion of a hypothesis about the usage of the term ‘sound sculpture’ and ‘sound art’

Abstract

This article has two objectives: to trace the historical development of sound sculpture and to suggest a hypothesis about using the term 'sound sculpture' and 'sound art.' For the first objective, this paper refers to some resources to describe the sound sculpture's developmental history. This part will contribute to the future discussion about the History of Sound in the Arts. For the second objective, this paper explores the exhibition Sound/Art (1984). Moreover, this part examines the related documents such as a press release, the statement in the exhibition catalog, and some news-clippings. By doing so, this part suggests the hypothesis about the usage of the term 'sound sculpture' and 'sound art,' which argues that 'sound sculpture' has become a sub-category of 'Sound Art.'

This article is part of my research on the situation around Sound in the Arts, mainly in New York City during the 1980s. I have done another research around that topic and made an oral presentation at The annual meeting of The Japanese Society for Aesthetics (online) on October 3rd, 2020, which I plan to publish as an academic article shortly.



[1] 参考:ベルナール&フランソワ・バシェ(音響彫刻作品修復) | 現代美術用語辞典ver.2.0 (https://artscape.jp/artword/index.php/ベルナール&フランソワ・バシェ(音響彫刻作品修復)

 フランソワ・バシェ生誕100年、1970年の日本万国博覧会から50年を記念して「音と造形のレゾナンス-バシェ音響彫刻と岡本太郎の共振」という展覧会が2020年6月から川崎市岡本太郎美術館にて開催された。

[2] 言及されている名前は、アメンホテプ3世像であるメムノンの巨像――紀元前27年の地震で頭部にヒビが入った後からローマ帝国が修繕するまで、夜明け前になるとおそらく温度差や露の蒸発のせいでうめき声や口笛のような音を発して「歌っている」のが聞かれたことで、古代世界では有名だった。同様の歌う彫像の伝説は多くの国にある――、クテシビオス[Ctesibiusu]による水時計――を改良して作られた「水力オルガン」であるヒュドラウリス[Hydraulis]、紀元前3世紀――、10世紀の蘇頌[Su-SungあるいはChang Ssu-Hsün]が制作した世界初の天文時計「水運儀象台」、13世紀メソポタミアのアル=ジャザリー[Al-Jazari]の制作した機械装置、ルネサンス庭園の音楽噴水――プラハ宮殿の歌う噴水、1564年など――、アタナシウス・キルヒャー[Athanasius Kircher]らの著作で描写されるような珍奇な仕掛け、エオリアン・ハープ、19世紀の科学者チャールズ・ホイートストン[Charles Wheatstone]によるDiaphonicon――詳細不明だが、おそらく元の振動を共鳴板に伝導する音響伝達装置、1822――、19世紀アメリカの発明家ジョシュア・C・ストッダード[Joshua C. Stoddard]の制作したカリオペ[Calliope](1855)――別名「蒸気オルガン」、蒸気を動力として用いるオルガン――、G.F.E. Kastner が1869年に制作した瓦斯の炎を動力とするオルガン「Pyrophone」である。

[3] Daviesは他に、イントナルモーリと同じく産業革命以後の環境音を考慮に入れる事例として、WWIの直後の1918-1923年にソ連の作曲家アルセイニー・アヴラーモフ[Arseny Avraamov]が制作した工場のサイレンと蒸気のホイッスルを用いた《サイレンのコンサート》にも言及している。ただしその記述は不十分で、作曲家と作品の固有名詞にさえ言及していない。アルセイニー・アヴラーモフは、近年Smirnov 2013を通じて広く知られるようになった作曲家で、1920年代に早くもシンセサイザーの原理を用いた音響合成を行ったり、オプティカル・サウンド・フィルムを用いた音の実験を行ったりした作曲家である。

私見では、《サイレンのコンサート》は音響彫刻の文脈ではなく、(後のケージのミュージサーカスにまでつながるような)屋外における音楽演奏という文脈のなかで考えるべき作品である。日本では足立智美がアヴラーモフから大きな影響を受けたと述べている(足立2012)。それが後年に足立が東京都中央卸売市場(足立市場)で何度か主催した、屋外で集団で行うパフォーマンス――《ぬぉ》(2011)、ジョン・ケージ《ミュージサーカス》(2012)、《ぬぇ》(2016)など――につながったのだろうか。

[4] イントナルモーリの構造は複雑なものではないので、その制作復元も特殊な技法を要するわけではなく、つまり、イントナルモーリの制作復元はさほど特殊な事例ではないこともあり、制作復元されたこの楽器の完璧なリストはない。が、例えば、1989年栃木県立美術館で開催された『音のある美術』に出展されたイントナルモーリは、1986年に多摩美術大学で秋山邦晴の指導のもとで再制作されたもので(『音のある美術』1989)、その後もしばしば展示されてきた。

[5] 彼はその原因に言及しないが、1920年代の音響文化の様々な変革――電気録音(と電気再生)、ラジオ放送の出現、トーキーの一般化――が音響文化の布置を変えることで音響彫刻の在り方にも何らかの影響を与えたからだ、と考えられるかもしれない。これは〈19世紀後半以降の音響文化の変化が音をめぐるパラダイムに影響を与え、20世紀に新しい芸術を生み出した〉という枠組みを語るCox2018に倣った推測である。ただし、直接的な影響関係を立証できるような事例はすぐには思い当たらない。音響再生産技術の変革と音響彫刻とが直接的な関係性を持ち始めるのは、世紀後半以降、磁気テープを用いた音響再生産技術が一般的になった後、である。

[6] 参照:Harry Partch Information Center (https://www.harrypartch.com/)

[7] メトロノームに眼の写真が取り付けられたマン・レイ《不滅のオブジェ[Indestructible Object]》(1923 / 1965)も起源に設置できる作例といえるかもしれない。

[8] また、この言葉は、70年代に自らの活動をsound sculptureとも呼ぶことになる音響芸術家(ビル・フォンタナ[Bill Fontana])にとっても大きなきっかけだったようだ(Fontana 1987)。2015年5月23日に東京ICCで行われたビル・フォンタナの40年に渡る活動に関するアーティスト・トークにおいて、彼は、自分はデュシャンの「音楽的彫刻」というメモに触発されて自分の音響作品を「sound sculpture」として作り始めたのだ、と語っていた(参照:ICC ONLINE | アーカイヴ | 2015年 | オープン・サロン 「オープン・スペース 2015」出品作家によるイヴェント アーティスト・トーク ビル・フォンタナhttps://www.ntticc.or.jp/ja/feature/2015/Opensalon76/index_j.html)。

[9] 音響彫刻の起源としてケージはあまり言及されない。20世紀後半以降のアヴァンギャルドな音響芸術の動向の起源にケージが祭り上げられないことは、何かを示唆しているのかもしれない。ただし、現段階ではまだ私はこのことについてどう考えるべきか態度を決めかねている。

[10] その理由は様々だろう。モダニズム芸術が自己批判のプロセスを終えて多様化に反転したからかもしれないし、拡張された彫刻の場が音響をも取り込むようになったからかもしれないし、固定されて不変の物体であるという通念から彫刻が変化してキネティック・アートの変種が出現したからかもしれないし、ケージ以降の実験音楽が視覚的要素を含みこもうとしたからかもしれない。歴史的動向の原因を探求することは本論完成後の私の課題だが、ここでは深入りできない。

[11] また、DaviesはDavid Jacobという作家も、バシェに少し遅れて50年代に活動を開始したと言及している。しかしこの作家も世に知られるようになったのは60年代以降である(参考:“SOUND SCULPTURE 1967-1973”: http://www.davidjacobssculpture.com/work/sound-sculpture-1967-1973/)。Licht 2019では1967年の作品に言及があるのみである(Licht 2019: 67)。

[12] 〈日本におけるバシェの受容〉については、バシェ修復プロジェクトのクラウンドファンディングに寄せた小文に過ぎないが中川2017を参照。概要は以下の通り。日本では、とりわけ、当時の代表的な現代美術に関する雑誌『美術手帖』においては、1960年代後半に何度かバシェに関する記事が登場したことがその雑誌における「音響彫刻」という言葉の初出だった。ただし、バシェに対する言及は「楽器彫刻」や「彫刻楽器」などもあり一定していなかった。とはいえ、70年以降、この雑誌におけるバシェと音響彫刻という言葉への言及はぱったりなくなる。この言葉が再登場するのは1990年に美音子グリマーの作品への言及において、である。

 以上のさらなる詳細は、〈日本における音響彫刻の歴史〉というテーマとともに別稿でまとめたい。

[13] このドイツ語は直訳すれば「環境音[ambient sound]」である。アヴァンギャルドな音響芸術における「環境音」という語が持つニュアンスの機微を示す興味深い事例といえよう。

[14] スイスのバーゼルにあるティンゲリー美術館がこの時の記録映像を公開している。Jean Tinguely, Homage to New York, 1960 on Vimeo https://vimeo.com/218619751

[15] ここでトリヴィアルな脚注をつけておく。1963年のティンゲリー来日は、日本の電子音楽史や当時のギャラリーの活動形態など様々な点で大きな影響を与えた。耳の彫刻(だけ)で有名な三木富雄は、このときティンゲリーに激賞されたことをきっかけに耳の彫刻を作り続けるようになった。三木富雄がサウンド・アートとあまり関係がないように、ジャン・ティンゲリーもサウンド・アートとは関係ないと言えるかもしれない。

[16] Licht 2019: 79。参照元の情報は、Heidi Grundmann, Re-Play exhibition catalogue text, 2000, accessed at http://www.kunstradio.at/REPLAY/cat-text-eng.html

ちなみに、このイベント当時に放送されたラジオ放送が、公開されている(https://archive.org/details/MFM_1970_04_30_c1)。

[17] 順番にThe Sculpture Center in Manhattan, New York と DCC Gallery (BACA: The Brooklyn Arts and Cultural Association) in Brooklyn, NY と Real Art Ways (Hartford Art School) in Hartford, Connecticutである。William Hellerman本人が2015年8月16日にFacebook経由で教えてくれた。またCluett 2013にも記載がある。

[18] 出品作家と作品名は以下の通り。年代が記載されていない作品はおそらく本展覧会のために制作された作品と推定される。

Vito Acconci, Three Columns for America (1976); Connie Beckley, She Said/He Said; Bill and Mary Buchen, Sonic Maze; Nicolas Collins, Under the Sun; Sari Dienes and Pauline Oliveros, Talking Botttles and Bones; Richard Dunlop, Circular Chimes; Terry Fox, No Objects/Questions; Wiiliam Hellermann, El Ropo (1983); Jim Hobart, Buick (Hubcap harp) (1980); Richard Lerman, Amplified Money; Les Levine, Take 2; Joe Lewis, Change = Music; Tom Marioni, Ohara Shrine, Kyoto, Japan (1982); Jim Pomeroy, Mantra of the Corporate Tautologies; Alan Scarritt, Readout Re Doubt (For A.R.) (1984); Carolee Schneemann, War Mop; Bonnie Sherk, (unknown); Keith Sonnier, Triped; Norman Tuck, There Will Be Time; Hannah Wilke, Stand Up (1981); Yom Gagatzi, How Third World Nations Run The U.N.

[19] リクトは次のように便宜的な定義を提案している。

[サウンド・アートを概観するという]本書の目的のために、2つの(サブ)カテゴリーを持つものとして、サウンド・アートの非常に基本的な定義を決めておこう。

1.その作品が占める物理的そして/あるいは聴覚的な[acoustic]な空間に規定され、視覚作品のように展示可能な、音を設置した環境

2.音響彫刻など、音生産機能を持つ視覚的な芸術作品(Licht 2019: 5-6)

である。これは要するに、いわゆる「サウンド・インスタレーション」と「サウンド・スカルプチュア」のことだ。リクトは便宜的にこう定義することで、音を用いる芸術作品全体を広く概観している。

[20] 1980年前後には音を主題とする展覧会が世界各地で開催されるようになっており、1979年にNY, MoMAで初めて「sound art」という名称を冠して開催された「Sound Art」展や、1980年にベルリンで開催された「眼と耳のために[Fuer Augen und Ohren Von der Spieluhr zum Akustischen Environment]」展という大規模な展覧会のように、音を主題とする芸術にとって重要な展覧会は他にもある。私の仮説は〈1984年の展覧会がそのプレスリリースで先行する3つに言及しており、それらをひとつの流れとして捉えることで、この時期のサウンド・アートをめぐるパースペクティヴのひとつを析出できる〉というものである。

1980年代前後の〈音を主題とする展覧会〉の全貌はまだよく分からない。現在の視点から見れば、1979年のMoMAの「Sound Art」展は、「サウンド・アート」という言葉を冠した最初の展覧会だが、そのことは長く無視されてきた(Dunaway 2020)し、「Sound/Art」展(1984)も言及していない。また、1980年の「眼と耳のため」展という大規模な展覧会は同時代では無視し得なかったのではないかと思うのだが、「Sound/Art」展(1984)はこちらについても言及していない。これはなぜか、といったいくつもの謎があるが、それらは別稿に譲る。

[21] この仮説に基づく考察を私は2020年10月3日の美学会全国大会(オンライン開催)での研究発表において展開した。

[22] このスラッシュの含意を繊細に理解すべきかどうかは断定できない。というのも、いくつかの展覧会評ではこのスラッシュは省かれて「sound art」と記述されるからである(1834_005: E.H., “SOUND ART at Sculpture Center.”など)。繊細に理解するならば、このスラッシュは「sound art」という言葉を〈音と視覚芸術との併置〉と〈音と視覚芸術との融合〉と両方の意味で理解することを求める記号なのだろう。

[23] 彼が誰かは不明である。おそらくは、1974-78年にArtNewsという雑誌で働いていて、70年代後半に本展覧会出品作家の一人であるHannah Wilkeと結婚した人物だと思われる。参考:DONALD GODDARD “ON BEHALF OF HANNAH WILKE” (http://franklinfurnace.org/artists/funded_projects/the_franklin_furnace_fund/fundwinners05_06/wilke.htm#:~:text=Donald%20Goddard%20was%20born%20in,Society%20from%201982%20until%201996)。

[24] おそらくはこのように起源を再措定するがゆえに、彼は、絵画におけるコラージュを、サティや未来派が導入したノイズと並行的に存在する文化的要素として記述する。「絵画と彫刻は常に無音だったというまさにその事実こそが、おそらくは、描かれた音ではなく実際の音を導入する理由だった」とのことである。つまり、絵画にコラージュを導入することと音楽にノイズ(という「実際の音」)を導入することが並列的に理解されるわけである。

[25] ちなみに、この文章の最後の段落は、「サウンド・アート」の定義としてしばしば参照されてきた文章である。いわく「サウンド・アートは、この展覧会をキュレーションしたヘラーマンの考える通りなのかもしれない。つまり、「聴覚は視覚の別のもうひとつの形式である」のかもしれないし、音は視覚的イメージとの関連性が理解されて初めて意味を持つのかもしれない」。

[26] この作業については、2020年10月に行った美学会全国大会(オンライン開催)で、その調査成果の一端を発表した。