2008年02月 博士論文主論文要旨-聴くこととしての音楽―ジョン・ケージ以降のアメリカ実験音楽研究

聴くこととしての音楽―ジョン・ケージ以降のアメリカ実験音楽研究

中川克志

2007年度に京都大学より博士号を認定された学位論文要旨(『聴くこととしての音楽―ジョン・ケージ以降のアメリカ実験音楽研究』)

(ここで公開している論文たちには校正での訂正が反映されていない部分があり、実際の掲載稿とは若干相違があります。引用などの場合、必ず、公開された原文をご参照ください。)

主論文要旨

序論の「0.1.概要:問い、目的、方法、結論」と「0.3.1.各章要旨」と同内容である。

1.概要:問い、目的、方法、結論

アメリカの音楽家ジョン・ケージ(John Cage 1912-1992)の音楽実践は、音を用いる音響芸術全般に何をもたらしたか?これが本博士論文の出発点となる問いであった。この問いには二つの方向から答えることができるだろう。ジョン・ケージは、西洋芸術音楽(私が念頭に置いているものは、18世紀後半からせいぜい20世 紀初頭あたりまでのいわゆる「クラシック音楽」である。)をどのように変革したか?そして、ケージ以降「音楽」はどのように変化していったか?西洋芸術音 楽からジョン・ケージへ、そしてケージからケージ以降の音を用いる音響芸術全般へ、という二つの変化のうち、本博士論文は、特に後者の考察に重点が置かれ たものである。それゆえこの博士論文の目的は、ケージとケージ以降の実験音楽が辿った道を見極めること、そしてケージ的な実験音楽が「サウンド・アート」へと変質していくプロセスを素描することである。

この目的に答えるために私は、ケージとケージ以降の音楽家たちの音響理解1の変遷と、実験音楽の(音楽的素材の拡大という)戦略と(音をあるがままにすべしという)倫理(詳細は第一章)の関係の変遷に注目することにした。それらは、ケージ的な実験音楽と、ケージ以降の実験音楽やケージを批判する音響芸術との適当な比較軸として機能してくれるからである。

ケージとケージ以降の実験音楽との比較(第二章から第四 章)においては、ケージ的な音響理解とケージ以降の実験音楽における音響理解を比較し、実験音楽の戦略と倫理がどのように形を変えて受け継がれているかを 明らかにしようとした。ケージとケージを批判する音響芸術との比較(第五章と第六章)に重点を置く時には、ケージ的な音響理解が批判される論理と、実験音 楽の戦略と倫理の限界(戦略と倫理の齟齬)が指摘される論理を明らかにしようとした。

また私は、特に第一章と第五・六章では、音楽家たちの「環境音」理解の相違を検討することに重きを置いた。というのも、「環 境音」について考察することは実験音楽の戦略と倫理と私が呼ぶものを明らかにしてくれるからである(第一章)。また、ケージを相対化する論理はケージの 「環境音」理解に対する違和感を出発点としているように思われる(第六章)。作曲家たちの「環境音」理解に注目することは、実験音楽の変質を見極めるため に有効なのだ。

以上のような目的と方針で、私は、第一章では、本博士論文全体の視点を確保するために、ケージが「環境音」を音楽的素材として用いるために展開するロジックについて考察した。ケージの提唱する実験音楽の理念とその戦略と倫理について考察し、50年 代以降のケージの実験音楽が、音楽が「聴くこと」として規定されるパラダイム転換の起点に位置していることを指摘した。ケージが西洋芸術音楽にもたらした 最大の貢献は、音楽制作論理の中に聴くことを取り込んだこと、(作曲することではなく)聴くことの上に音楽を基礎付けたことだろう。ケージ以降、全ての西 洋芸術音楽が変化したと言うのは言い過ぎだろう。しかし、確かに、聴くことの上に音楽制作を基礎付けるというケージが果たしたパラダイム転換を受け入れた 音楽家たちはいた。本博士論文の目的は、ケージが果たした西洋芸術音楽のパラダイム転換を受け入れた音楽たちが辿った道を見極めることである。

次に第 二章から第四章では、特に音楽家たちの音響理解に注目することで、実験音楽の戦略と倫理がフルクサスの音楽とミニマル・ミュージックにおいて継承・発展さ せられている様子を確認した。フルクサスの音楽をケージ的な戦略と倫理をかなりストレートに継承した事例として、ミニマル・ミュージック(ライヒの初期作 品)をケージ以降の実験音楽における一つの転回点として解釈した。ケージとケージ以降の実験音楽とを比較するための一つの視座を提示することで、実験音楽 の戦略と倫理の展開を多少なりとも明らかにできたのではないかと思う。

そして第五章と第六章では、私は、実験音楽の「終焉」を明らかにしようと試みた。そのために私は、実験音楽の戦略と倫理の限界を批判する論理と実践について考察し、実験音楽は「サウンド・アート」へと変質していったという仮説を提唱しようとした。ケージ的な実験音楽が相対化され、批判される論理を浮き彫りにすることで、ケージ的な実験音楽が変質していく必然性を明らかにすることができたのではないかと思う。

詳細は第六章で論じるが、最終的に私が提唱しようとした仮説は次のようなものである。

実験音楽とは、その(音楽的素材の拡大という)戦略と、そ の戦略が要請した(音をあるがままにすべしという)倫理との間の齟齬(実験音楽の戦略と倫理の限界)によって必然的に変質してしまうものだった。ケージ的 な実験音楽は、変質した実験音楽によって「外部」から批判対象として受容されるというあり方で、音楽の「外部」を準備した。すなわち、ケージ的な実験音楽 は自らを「限定」するものとして受容されることにより、ケージ的な実験音楽と相対的なものとして規定される、音楽の「外部」で音を用いる音響芸術としての 「サウンド・アート」なるジャンルを生み出すことになった。この時、「サウンド・アート」とは、変質した実験音楽が用いる名称として、もしくはケージ的な 実験音楽を批判する実験音楽が用いる名称として規定される。「サウンド・アート」とはケージ的な実験音楽と相対的なものとして規定されるものである。言い 換えれば、ジョン・ケージは「サウンド・アート」を準備したのだ。

こうしてケージ的な実験音楽の変質事例を検討し、その限界と可能性を考察することは、ケージの音楽実践を適切な歴史的コンテクストの中に位置付けると共に、二十世紀後半に展開した「現代音楽」が持っていた歴史的可能性についての考察に貢献するだろう。

とはいえ、本論の限界についても述べておかねばならない。三点述べておきたい。

まず第一に、私は、実験音楽の変質プロセスを明確にするために音楽家たちの音響理解と実験音楽の戦略と倫理の変遷に注目しているが、第二章から第四章で取り上げている比較対象は決して網羅的なものではない。

「実験音楽」に対して全体的な視野を持とうとするのであれ ば、ケージ以前の「実験的」なアメリカ音楽の作曲家たち、あるいはいわゆる「ニュー・ヨーク・スクール」の作曲家たち、あるいはフルクサスの音楽家として も小杉武久とラ・モンテ・ヤング以外の多くの「音楽家」たち、そしてライヒ以外のミニマル・ミュージックの音楽家たち、あるいは集団即興演奏グループ、も しくはONCEグループやソニック・アーツ・ユニオンなど、フルクサスではないがケージの影響を受けた50-60年代の音楽家たちについても考察せねばなるまい。「実験音楽」と理念的に対立するものとして規定されるヨーロッパとアメリカの「前衛音楽」の作曲家たちとの比較考察なども必要だろう。

しかしそれらは今後の課題とするしかない。本博士論文で は、ケージの次世代の音楽家としてフルクサスの音楽家を、その次の(そしておそらくは実験音楽の最後の)世代の代表としてライヒを取り上げることができた に過ぎない。望むべくは、この博士論文が、詳細は不明ながらも実験音楽の変質プロセスの概略を考察するために最低限必要な事例を取り上げ、今後比較考察の 事例を増やしていく際に基盤となる考察にはなったことを期待している。

また第二に、私は第五章と第六章で、実験音楽は「サウン ド・アート」へと変質したという仮説を提唱しようとしたが、この私の「サウンド・アート」なる対象設定はかなり恣意的で偏狭なものである。詳細は第六章に 譲るが、私が「サウンド・アート」なる言葉で念頭に置いているものは、ケー ジ以降の実験音楽が変質したもの、もしくはケージ的な実験音楽を批判する音響芸術が、ケージ的な実験音楽との差異化のために用いる名称として採用する「サ ウンド・アート」でしかない。サウンド・アートをまとめて取り扱った先駆的な展覧会として言及される『眼と耳のために』展(Block 1980) をはじめ、その後、徐々に増加してきたサウンド・アートのための展覧会のほとんどは美術館で開催されたものである。つまり、そうした文脈では「サウンド・ アート」という言葉は、それまで眼のためだけのものだった視覚美術作品に「音」という要素を新たに加えたもの(もしくは、それまで耳のためだけのものだっ た音楽作品に視覚的要素を新たに付加したもの)として理解されるだろう。しかし私が「サウンド・アート」という言葉で念頭に置いているのは、必ずしも視覚 的要素を要件としない、「音楽」ではない音を用いる音響芸術のことである。このような「サウンド・アート」を想定できると思うのは、「サウンド・アート」 なるものの外延は未だ未確定なので、必ずしも視覚的要素が「サウンド・アート」であるための必要条件ではないと考えるからだし、それ以上に、ケージ的な実 験音楽との差異化を図る音響芸術が「音楽」という名称から距離をとろうとし、そのために、サウンド・アート、サウンド・スカルプチュア、オーディオ・アー ト等々の名称を採用するように思われるからである。繰り返すが、私が本博士論文で言及する「サウンド・アート」とは、「音楽」と差異化をはかる音響芸術の ための名称でしかない。

この「サウンド・アート」の規定は、「サウンド・アート」を「(ケージ的な)実験音楽」が発展的に解消したものとして規定しつつ、「(ケージ的な)実験音 楽」が発展的に解消したものを「サウンド・アート」として規定するという、いわば同語反復的な規定である。しかし私の目的は、「サウンド・アート」なる ジャンルの概観ではなく、「(ケージ的な)実験音楽」の変質プロセスの解明である。「(ケージ的な)実験音楽」が必然的に「何か」に発展的に解消するもの であったことを示すことと、その変質プロセスの分析が目的であり、その「何か(『サウンド・アート』)」の考察は今後の課題とするしかない。近年、「サウ ンド・アート」なる言葉が発せられる機会はますます増大しているように思うが、望むべくは、この博士論文が、今後「(その内実はおそらくまだ不明だが、よ り一般的な意味での)サウンド・アート」についての考察に寄与するようなものとなったことを期待している。

また最後に、ケージと、ケージ以降の実験音楽や「サウンド・アート」との比較考察における私のアプローチは、音楽家たちの制作論理の分析だけに基づく、い わばナイーヴなものである。ナイーヴというのは、ケージやケージ以降の音楽家たちの音響理解について考察するならば、当然、20世紀の音文化に大きな影響を与えた「マス・メディア」(電話、レコード、映画、ラジオ、テレビ等々)と音楽家たちの音響理解との関係について考察すべきなのに、本博士論文ではそれがほとんどできていないからである。その理由は二つある。

一つは、内在論理的な分析だけに集中したほうが、より説得的に、実験音楽には限界があることを指摘し、その領域を確定できるように思われたからである。そ して、わざわざ何らかの「外部」要因を持ち出さずとも内在論理的に考察するだけで、ケージの限界を指摘できることを示したほうが、盲目的なケージ崇拝やい たずらなケージ神話を打ち破るのに役立つと思われたからである。

私が、内在論理的にケージの限界を指摘できることを示したい対象として(本博士論文の理想的な読者として)想定しているのは、(過去の自分も含めた)ケージの内在的な音楽制作論理にミスティックな魅力を感じるケージ受容者たちである。「音をあるがままにせよ」や「ただ音の営みに注意せよ」(Cage 1957a: 10)など、ケー ジはたくさんのミスティックで魅力的な言葉を残している。しかしもちろん、音を「あるがまま」にすることなぞ不可能だろうし、「ただの音」とはある種の虚 構に過ぎまい(第五章)。ケージ「の」音楽作品は何らかのレベルで人為的な操作が施されたものでしかないだろうし、「文化と社会の外側で」「純粋な知覚を 通じて聞かれる音響などない。」(Kahn 1993: 103)。 ケージの本質主義的な(そしてある種の新興宗教のようにいかがわしい)言葉たちの魅力の理由の全ては分からない。しかし、ケージの制作論理に内在的に注目 する時にこそその魅力は最大限に発揮され、盲目的なケージ崇拝にまで至ってしまうのではないだろうか。内在論理に基づく盲目的なケージ崇拝を打破してケー ジを相対化するには、内在論理的にケージの矛盾を指摘することが有効ではないだろうかと私は考えた。

もう一 つの理由は単に私の能力不足である。今後、この博士論文の考察をもっと大きな文脈の中に位置づけていく作業が必要だろう。今後の大きな課題である。望むべ くは、この博士論文が、今後、ケージやケージ以降の実験音楽や「サウンド・アート」を、それらが属する文脈の中で考察していく際に基盤となる考察にはなっ たことを期待している。

2.各章要旨

第一章:聴くこととしての音楽―ジョン・ケージの実験音楽における音楽的素材としての環境音

本章の目的は本博士論文全体の視点を確保することである。そのために1950年代以降、ケージが「環境音」を音楽的素材として用いるためにケージが展開したロジックとその影響について考察する。

まず1.1で、1950年代以降のケージの実験音楽の(音楽的素材の拡大という)戦略と(音をあるがままにすべしという)倫理を整理する。次に1.2で、ケージが環境音を音楽化するためのロジックを考察する。1.2では、エリック・サティ(Erik Satie 1886-1925)の《家具の音楽 Musique d'ameublement》(1920)と 比較することでケージも「退屈の戦略」を採用していることを確認し、次に素材と構造の分離という問題を手がかりにケージが「枠と出来事」として音楽作品と 音響を理解していることを指摘し、最後に「相互浸透」の理念がケージの環境音の音楽化を確保していることを指摘したい。最後に1.3.では、相互浸透の理念が環境音の音楽化を確保するからこそ、ケージの実験音楽は「聴くこと」として規定されたと主張し、実験音楽を西洋芸術音楽におけるパラダイム転換を達成したものとして位置づけたい。

第二章:目には見えず耳には聞こえない波としての沈黙―小杉武久のキャッチ・ウェーヴをめぐって

第二章では小杉武久(1938-)の「キャッチ・ウェーヴ」なるコンセプトに注目し、小杉の波動概念とそれを現象化させるとする小杉のロジックと、ケージの環境音と環境音を音楽化するロジックとを比較したい。

まず2.1で、小杉の初期の活動を概観してから、彼の「キャッチ・ウェーヴ」なるコンセプトを整理し、このコンセプトが小杉の音響理解に与えた影響について考察する。次に2.2で、2.1で検討した環境音を音楽化するケージのロジックと「ウェーヴ」を「キャッチ」する小杉のロジックとを比較検討する。その際、音楽における視覚的契機と、聴取行為の変質と、ラジオ・テクノロジーの重要性という三点に注目して比較する。最後に2.3.で、小 杉の音楽実践において実験音楽の戦略と倫理が継承されていることを確認し、小杉の音楽実践をケージ以降の沈黙理解が多様化・複数化したものとして位置づ け、本章を終える。結論を先取りすれば、ケージと小杉は、遍在的存在の顕在可能性が「沈黙」の知覚可能性を確保するというロジックを共有していることが明らかになろう。

第三章:音響生成手段としての聴取―ラ・モンテ・ヤングのワード・ピースにおける「聴こえない音」

第三章ではアメリカの音楽家ラ・モンテ・ヤング(La Monte Young 1935-)の1960年代初頭の活動をとりあげる。

第三章の概要を先取りすれば、ケージによって、意図されずに発されていた環境音など、聴覚的に知覚可能とされるあらゆる音響全てに拡大された音楽的素材の領域に、ヤングは更に、「聴こえない音」という新しい音響素材を付け加えようとする。そして、この新しい音響素材を音楽的素材として導入するために、ヤングは音響理解と聴取行為が持つ創造的機能をケージとは異なるものとして設定し、ケージ以降の実験音楽における新しい展開を示しているように思われる。本章では「聴こえない音」を知覚可能なものとして設定するためにヤングが作動させることになった制作論理を検討したい。ケージとは異なるヤングの音響理解と、ヤングのロジックにおける聴取の創造的機能を明らかにすることが目的である。

第四章:音響心理的副産物としての音響―スティーヴ・ライヒのミニマル・ミュージックをめぐって

本章の目的は、「ミニマル・ミュージック」としてのスティーヴ・ライヒ(Steve Reich 1936-)の初期作品を取り上げ、ライヒの「非個人的でありかつ一種の完全なコントロール」(Reich 2002: 35)と音響心理的な副産物としての音響理解を、ケージ以降の実験音楽における一つの転回点として位置づけることである。

ライヒは、戦後アヴァンギャルド第一世代に対して反発を感 じて「一種の完全なコントロール」を保持し、楽譜に音響を固定する。しかしライヒは、そうすることで、音響心理的な副産物としてではあっても、非個人的な 音響を音楽的素材として用いることができると宣言する。この「一種の完全なコントロール」は同時に「非個人的」なものなのだし、結果的に聞きだされる音響 も「非個人的な」ものなのだから、ライヒのロジックは、音をあるがままにすべしという実験音楽の倫理を保持しつつも、音楽的素材の拡大という実験音楽の戦 略を独特の方法で完遂しようとしたものとして位置づけることができるだろう。

第五章:ケージの不確定性の音楽作品の受容構造と「ただの音」という表象

本章で試みられることは、ケージの演奏に関して不確定な音楽作品(the composition which is indeterminate with respect to its performance)の受容構造を分類することにより、「ただの音でしかない音 sounds which are just sounds」(Cage 1957a: 10:11行目)という表象が成立するための条件を抽出し、実験音楽の倫理の限界を指摘することである。

まず5.1でケージの不確定性の音楽作品について概観する。次に5.2で、音楽作品の同一性の問題にまつわる議論を参照し、この不確定性の音楽作品の受容形態を分類―否定、抑圧、肯定―する。ケージの不確定性の作品の受容形態は、受容する側の音楽作品概念に対する理解と相関関係を示している。最後に5.3で、ケージの不確定性の音楽作品を「肯定」的に評価する根拠を考察して「ただの音」という表象の存在条件を抽出することにより、実験音楽の倫理の限界を指摘しておきたい。

第六章:ケージの効果―「音楽の外側」におけるケージ受容の可能性

本章の目的は、ケージが(少なくとも部分的には)「サウンド・アート」を準備したという仮説を提唱することである。

まず6.1で、 前章の考察を参照しつつ、ケージの音楽実践が結果的に音楽に与えた影響(ケージの「効果」)を三つの形態に分類―音楽の変質、解体、限定―し、それが音楽 の「外部」で受容される可能性を持つことを指摘することで、ケージ的な実験音楽が(自らへの批判として)音楽の「外部」を準備したことを示しておきたい。

次に6.2で、音楽の「外部」で音を用いる芸術について検討する。特にビル・フォンタナ(Bill Fontana 1947-)というサウンド・アーティストがケージを相対化する論理と実践を検討することで、実験音楽の戦略と倫理の限界を批判する音を用いる芸術について概観する。

最後に6.3で、ケージ的な実験音楽の戦略と倫理の限界を整理し、ケージ的な実験音楽は必然的に変質せざるを得ないものであったことを指摘しておきたい。そしてケージ的な実験音楽の帰結の一端を「サウンド・アート」の登場に見出すことで、ケージがサウンド・アートを準備したという仮説を提出する。

1私 が作曲家たちの音響理解の変遷に注目するにはもう一つ理由がある。それは、作曲家たちの音響理解に注目することこそが実験音楽の面白さを最も明らかにして くれると思うからである。ほとんどの実験音楽では、作曲家たちは音と音との関係性を設定するのではなく、音が生成されるプロセスを設計する。この点で19世紀までの西洋芸術音楽とは全く異なる。実験音楽の面白さは音と音との関係性の妙味にあるのではない。音と音とを組み合わせることによって作られるものが「音楽作品」であるとする尺度を実験音楽に当てはめれば、ほとんどの実験音楽はただの安易な「音楽作品」でしかない。と いうよりも、ただの音の垂れ流しに過ぎない。私は、新しい音をもたらすこと、そのように新しい音に気付くことこそが面白いことであると聴き手に教えるこ と、そうした些細なことこそが実験音楽の生命線だと思う。本論文では、私はケージ以降の実験音楽を盲目的に崇拝して神話化する傾向からは距離をとりたいと 考えた。しかしケージ以降の実験音楽でしか聴くことができない音があることも事実である。(少なくともその音が発せられて聴き取られ、何らかの手段で固定 され分節化され言説化され理論化されるまでの少しの時間は)どのようなものとも規定できないような音響、離散的な音響関係にあるのではなく離散的な音響の 隙間に存在するような音響が、生成して動き回る様を現実のものとして私たちの耳に届けてくれるのは実験音楽しかないのだから。そうした、いわば「実験音楽の魅力」とでも言うべきものを理解するためにも、作曲家たちの音響理解の変遷に注目することは役立つように思われる。