2007年03月 ノイズの音楽化 - プリペアド・ピアノの場合

ノイズの音楽化 - プリペアド・ピアノの場合

中川克志

中川克志 2007 「ノイズの音楽化-プリペアド・ピアノの場合」 京都美学美術史学(編)『京都美学美術史学』第6号(2007年):67-93。

(ここで公開している論文たちには校正での訂正が反映されていない部分があり、実際の掲載稿とは若干相違があります。引用などの場合、必ず、公開された原文をご参照ください。)

1.はじめに

1940年1にジョン・ケージ(John Cage)に よって「発明」されたプリペアド・ピアノは、西洋芸術音楽の歴史の中でどのような「ノイズ」として機能したか?本論はこの問いに答えることにより、西洋芸 術音楽の中で、(音楽様式が、ではなく)「音楽」が複数化していることを主張し、ひいては「音楽」と区別される「音を用いる芸術」が登場してきているのではなかろうか、という仮説を提示することを目的とする。事例として注目するのは、プリペアド・ピアノをめぐる1979年の議論と、フルクサスの楽器破壊パフォーマンスである。

前者に関しては、1979年に雑誌Clavierにのせられたトマス・M・ブレイディ (Thomas M. Brady)によるプリペアド・ピアノ批判と、それに対する、ジム・ロメオ (Jim Romeo)、リチャード・バンガー (Richard Bunger)らによるプリペアド・ピアノ擁護の議論を検討する。この議論は「対話」が成立していないのだから西洋芸術音楽が複数化している事態を示唆する事例として解釈できるだろう。プリペアド・ピアノを否定するものにとって、ピアノをプリペアすることはピアノという正統的な楽器を破壊する危険性を持つものであり、プリペアド・ピアノは単なる「ノイズ」を発する器具に過ぎない。対して、擁護するものにとっては、プリペアド・ピアノは新たに「音楽化」された「楽音」をもたらす新しい楽器である。プリペアド・ピアノを否定するにせよ肯定するにせよ、両陣営共にプリペアド・ピアノを固定された音を(再)生産する汎用性のある道具として位置づける。両陣営が問題とするのは、プリペアド・ピアノが固定された音を産出する道具としての「楽器」としての正当性を持つか否かということである。両陣営にとって、プリペアド・ピアノは、それを「ノイズ」として見なすか否かによって各々にとっての「音楽」という領域の内部と外部を確定するための尺度として機能していると言えよう。

後者に関しては、楽器の破壊音が登場してきた意味について考察する。1979年にプリペアド・ピアノについて議論したブレイディやバンガーとは異なり、ケージがプリペアド・ピアノから学んだことは、(プリペアド・ピアノが生み出す)音とはそもそも反復不可能なものだという理解である。ケージにとってプリペアド・ピアノは過去のものであり、1979年の議論にはほとんど介入しない。破壊することにより楽器が同じ音を(再)生産できなくする楽器破壊のパフォーマンスは、二度と生産されない「最後の音」を「音楽」として提出するという点で、ケージがプリペアド・ピアノから学んだものを受け継ぎ、ケージ以降の「音楽の拡大」に 終止符を打とうとする試みとして解釈することができる。私は、音楽の拡大に終止符を打とうとする楽器の破壊音を、西洋芸術音楽の領域を限定することによ り、自らの存立基盤の外部、すなわち音楽ではない音を用いる芸術が登場する素地を準備するのではないかという仮説を提出しておきたい。

プリペアド・ピアノは「外部」、すなわち「ノイズ」として機能する。それは「ノイズ」を「音楽化」することにより「音楽」を複数化させると同時に、「音楽」が、音楽ではない音を用いる芸術を「外部」、すなわち「ノイズ」としてみなし、「他者」として区別するためにも機能するのではないだろうか?

2.プリペアド・ピアノとは何か?

さて、プリペアド・ピアノとは何か?プリペアド・ピアノとはピアノに様々な物体を挿入してピアノの音色を変化させたものである。予め様々な物体を挿入する準備が必要なので「プリペアド(prepared)」 という形容詞がつけられる。『グローブ楽器事典』によれば、それは「ボルト、スクリュー、ミュート、消しゴム、そして/あるいはその他のものを弦の間の特 定の箇所に挿入することにより、音高、音色、ダイナミクスを変化させるピアノ。」である。簡潔な記述ながらも、ケージが(最初ではないが)集中的に使用し 始めたこと、ケージ以降、ケージ以外にもこの技法を用いる作曲家(ルー・ハリソン(Lou Harrison)、黛敏郎、クリスチャン・ウルフ(Christian Wolff)など)がいること、様々な物体を挿入する箇所はスコアで指示されること等々が記されている。また「prepared piano」の項目ではなく「modification and new techniques」の項目にはもう少し詳しい記述があり、プリペアド・ピアノは楽器を改造する潮流の一部として位置づけられ、音色を変化させるためにピアノを改造しようとした作曲家たちの名前も多数挙げられている。プリペアド・ピアノ以前の試みとして、シェーンベルグ(Arnold Schönberg)、チャールズ・アイヴス(Charles Ives)、サティ(Erik Satie)、ラヴェル(Maurice Ravel)などが2、またピアノの内部に直接手を入れて弦を演奏するいわゆる内部奏法や、ある音名から別の音名まで全ての鍵を同時に演奏する「クラスター奏法」を行ったヘンリー・カウエル(Henry Cowell)、そしてピアノのハンマーに画鋲をつけて金属的な音色を得ようとした ルー・ハリソンの名前が挙げられている。ケージと同時代、もしくはケージ以降の作曲家でプリペアド・ピアノの技法を使用した作曲家の名前も多数挙げられている。『グローブ楽器事典』ではプリペアド・ピアノはある程度認知されていると考えるべきだろう。

ケージ自身がプリペアド・ピアノに至った経緯はリチャード・バンガーがピアノをプリペアする手引書として書いた『ウェル・プリペアド・ピアノ』の序文に書いた文章に書かれている(バンガー 4-8; Cage, Empty Words 7-9)。それによれば、ケージがプリペアド・ピアノを「発明」したのは1930年代後半にシアトルのコーニッシュ・スクールでモダン・ダンスのクラスのために伴奏の仕事をしていたことがきっかけである。当時のケージの作曲技法は12音音列を使用するか打楽器アンサンブルを使用するかの二通りだった。シヴィラ・フォート(Syvilla Fort)のダンス作品「バッカスの祭 (Bacchanal)」(1940年)のための作曲を依頼された時、ケージは、舞台に打楽器アンサンブルを配置するスペースがなかったのでピアノ作品を作ることにした。しかしケージは一日かけて「アフリカ的な響きのする12音音列」(Cage, Empty Words 7)を探したが見つけられなかったので「間違えているのは私ではなくピアノだと決めた。私はピアノを変えることにした。」(ibid 7)

そこでケージは台所からパイのプ レートを持ってきてピアノの内部に置いてみた。しかしそのままでは弦が振動するたびにプレートの位置がずれていくため、スクリューやボルトでプレートを固 定することにした。そして、ピアノをプリペアするために何を弦のどこに挿入するか等を指示する表を楽譜に組み込むプリペアド・ピアノが誕生したのである。 プリペアド・ピアノの着想にヒントを与えたのはピアノの内部に直接を手を入れて弦を演奏したヘンリー・カウエルだった。しかしプリペアド・ピアノに最も集 中的に取り組み、他の作曲家も使用できるようなあり方で「一つの技法、楽器」として普及させたのはケージである。その後、すぐにではないが、1940年代に集中的にプリペアド・ピアノ作品の取り組んだケージは、「ソナタとインタールード(Sonata and Interlude)」(1946-48年)でプリペアド・ピアノの様々な技法を集大成することになる。その後も、数ある技法の一つという位置づけではあるが 、1954年までに20以上のプリペアド・ピアノ作品を作曲している。

しかしケージの作曲技法の変遷に関心を置くなら、ケージの1950年 前後の変化(沈黙の再定義、偶然性の導入等々)以降、プリペアド・ピアノが前面に出てくることはほとんどない。ケージにとってのプリペアド・ピアノの存在 意義は後で整理する。本論の目的は、ケージ個人の制作史におけるプリペアド・ピアノの位置測定ではなく、プリペアド・ピアノをめぐるスタンスの違いは、 「音楽」が複数化し、「音楽」と区別される「音を用いる芸術」が登場してきた状況を示唆してくれるのではなかろうかという仮説を提示することである。そのためにまずは1979年のプリペアド・ピアノをめぐる議論を参照することから始めたい。

3.1979年のプリペアド・ピアノ

3.1.ピアノ調律師の批判

1979年3月1日、ジム・ロメオなる人物からジョン・ケージのもとに手紙(c.170.4-7)が届いた。内容は、雑誌Clavierの3月号にトマス・M・ブレイディなる人物が「Are you prepared for the “prepared” piano?」 と題されたプリペアド・ピアノに関する偏見に満ちた記事を書いているので、これまでプリペアド・ピアノ作品を演奏してきた自分のために、そして自分がピア ノを教えている生徒たちに悪影響を与えないために、反論を書きたいので何かコメントを貰えないだろうかというものである(c.170.6)。

ケージはすぐに返信を出している(c.170.4)。しかしその内容は、プリペアド・ピアノに関する事柄なら『ウェル・プリペアド・ピアノ』の著者のリチャード・バンガーに手紙を出すべきであり、「プリペアド・ピアノが楽器を傷めることはない。これが私の40年間の経験です。」と述べるに留まるものであり、その後この議論に参加した様子はない。

この手紙にも同封されているブレイディの記事でプリペアド・ピアノが批判される論拠は三点である(c.170.6; Brady, “Are you prepared for the “prepared” piano?”)。 まず、ピアノをプリペアすることは潜在的にピアノを痛めるということ。次に、従ってピアノ調律師や技師の中には本来の目的とは異なる音色を出すことを拒否 するものもいるということ(ブレイディは、プリペアド・ピアノのためにピアノを使用するなら調律を拒否するというヴァンクーヴァーのピアノ調律師組合の事 例を紹介している。)。そして、プリペアされたピアノは保険の対象外となるということである。三ヵ月後に別雑誌に掲載されたブレイディの記事でもほぼ同内 容のことが述べられている(Brady, "Prepared pianos as viewed by the piano industry.")。ブレイディがあげるプリペアすることによりピアノを痛める潜在的な危険性は具体的には次の6つである。1.ダンパーの取り付け不良をもたらしダンパー・フェルトを痛める危険性 2.弦に何か鋭利なものを取り付けることにより弦を破損する危険性 3.手で触ることにより弦を錆びさせる危険性 4.弦の張力を増大させ弦を痛める危険性 5.何かで弦を持ち上げることによりブリッジの位置を破損する危険性 6.弦の高さが不均等になることによりハンマーが不均等になりピアノの音色を損なう危険性

ブレイディはこの6つの危険性を列挙した後、NAMIT(the National Association of Musical Instrument Technicians)という団体が最近行ったアンケートを元に、8つのピアノ製造会社(Aeolian American, Baldwin, Kawai, Kimball, Kohler & Campbell, Sohmer, Steinway, Wurlitzer)の見解-各社共に、プリペアされたピアノは保険の対象外となるという見解-を紹介している。

3.2.プリペアド・ピアノを擁護する人々

ロメオはこのブレイディの記事に対して反論記事を作成するためにケージにコメントを求めた。ロメオの手紙には彼が予定していた内容の記事が同封されていた(c170.7)。それによれば、プリペアド・ピアノはそれぞれ次のような事由から音楽に関連する四つの階層に既に認知されている。

専門的な聴衆:1960年代後半以降、ピューリッツァー賞の音楽部門の受賞者の半数以上はしばしばプリペアド・ピアノやピアノの内部奏法を使用している。

作曲家たち:ブレイディが「プリペアド・ピアノを使用したいという作曲家の意図とは別に、ピアノ調律師とピアノ技師たちは、グランド・ピアノを『プリペアする』ことは賢明かどうかということについてますます不安を抱き始めている。」 (c.170.6; Brady, “Are you prepared for the “prepared” piano?”)と、簡単に作曲家の意図を斥けてしまうにはあまりにも多くの国際的な作曲家たちがプリペアド・ピアノやピアノの内部奏法を使用している。

全てのレベルの演奏家たち:プリペアド・ピアノを使う作品の録音もプリペアド・ピアノという技法に対する関心も増大している。

一般的な聴衆:1970年にグラミー賞を受賞したジョージ・クラム(George Crumb)の「子供たちの古代の声(Ancient Voices of Children)」(1970年)にはピアノの内部奏法が使用されている。

実際にロメオが書いた記事はClavier誌5月号の「Prepared pianos in perspective」と題された「the sounding board 」という欄に掲載された(Romeo et al. 4-7)。ロメオ以外に、バンガーともう一人の人物がプリペアド・ピアノを擁護する記事を書いている。ロメオの文章にあるケージのコメントは「プリペアド・ピアノが楽器を傷めることはない。これが私の40年間の経験です。」(4)だけであり、ロメオへのケージの返信(c.170.4)にあったケージのコメントと同じものである。やはりケージからのコメントはこれだけだったようだ。

しかしロメオはケージ以外にも、調律の歴史の専門家としてオーウェン・ヨルゲンセン (Owen Jorgensen )から、そして有名なピアニストとしてデヴィッド・バージ (David Burge)からもコメントをもらっていた。ヨルゲンセンからは、ピアノを普通に使用する場合とプリペアする場合にピアノが被るダメージの違いは程度問題だとするコメントをもらっている(4)。また、プリペアド・ピアノを演奏した経験はないがピアノの内部奏法を必要とする作品(ジョージ・クラム「マクロコスモス(Macrocosmos)」(1972-73年))を演奏した経験があるバージからは、プリペアド・ピアノよりも内部奏法のほうがピアノを痛める場合もあるとするコメントをもらっている(4)。 ロメオの文章の力点が最初に予定していたものから変化しているのはこの二人の意見を組み込んだからかもしれない。プリペアド・ピアノは様々な階層に既に認 知されているという主張は最後に軽く触れられるに留まり、代わりに前面に押し出されたのはピアノ技師たちからの情報提供を歓迎するという姿勢である。ロメ オは文章をこう結んでいる。「ピアノの内部奏法やピアノのプレパレーションに関する指示は作曲家やピアニストによって書かれてきたが、両者共にピアノ技師 たちからの更なる情報を歓迎するだろう。」「今や問題は『誰が』私たちのためにプリペアド・ピアノをプリペアするのかということになったのだ。」(Romeo et al. 7)つまりロメオはプリペアド・ピアノの是非ではなくピアノを扱う技術の質を問題にしようとするのである。

音楽家だけでなくピアノの調律師や技師たちにもプリペアド・ピアノを認知させようとする姿勢はリチャード・バンガーの反応により明確に現れている。鍵となる対立軸は、ピアノをプリペアする技術が適切か否かということである。バンガーはClavier誌に二度手紙を書いている。一通目(C.170.9)はバンガーがブレイディの記事を読んだその日(1979年 3月8 日)に書いたもので、後で、感情的に書いたものだし音楽家と技術者との溝を深めるかもしれないと危惧するので取り下げたいとClavier誌編集部に書いたものであり (C.170.27)、二通目 (C.170.26; Romeo et al. 6)が前述のロメオの文章と共にClavier誌5月号に掲載されたものである。

一通目(C.170.9)で、まずバンガーは「不適切なプレパレーション」はピアノを傷つけるとプリペアド・ピアノの潜在的な危険性を認めつつ、「不適切(improper)」 という語を出すことにより適切なプレパレーションと不適切なプレパレーションという対立軸を提出する。次に、不適切なプレパレーションに対してピアノ製造 会社が保険を適応しないことは当然だとブレイディの主張を認める。そして「なので、ブレイディ氏、もし準備のできていない(unprepared)技術者でもピアノを決して傷つけないというのなら、私たち音楽家は安全で思慮のある(sensible)テクニックだけを使うことにしましょう。」と述べている。準備のできていない(unprepared) 技術者は普通に扱ってもピアノを痛めるのだから、音楽家はピアノをプリペアする時は安全で思慮のある技術を持つ技術者の助けを借りることにしようというわ けである。バンガーは議論の対立軸をプリペアするか否かではなくピアノを適切に取り扱うか否かということに置き換えようとしている。最後にバンガーは、 ハープシコードからピアノにいたる楽器の進化に少しだけ触れ、ブレイディがプリペアド・ピアノの音を形容した「もともと意図されていなかった音」という言 葉を使い、「もしクリストフォリが『もともと意図されていなかった音を生み出すために』楽器を変形させようとしたのでなければ、あなたはまだハープシコー ドを調律していたことでしょう。」と述べる。「適切さ」の観点を技術者にだけ求めているように読めるので、バンガーはこの一通目は音楽家と技術者との溝を 深めるかもしれないと危惧したのかもしれない。

二通目(C.170.26; Romeo et al. 6)は一通目と比べればより技術者たちを取り込もうとする文章だと言える。

プリペアド・ピアノには潜在的な危険性があるとするブレイディの結語には同意し、しかしバンガーは次の三つの点でプリペアド・ピアノを擁護する。まず、プリペアド・ピアノの良い演奏が生み出す音色は「音楽的に魅力的で(musically appealing)素晴らしく肯定的」である。次に「不適切な保 管、移動、設置」と同じように「不適切なプレパレーション」に対してピアノ製造会社が保険を適応しないことは当然である。最後に、ブレイディが列挙した危 険性はピアノをプリペアする人間が訓練されていない場合にもたらされるものである。バンガーは、だからこそ自分はピアノをプリペアするためのガイドライン (『ウェル・プリペアド・ピアノ』)を書いたと述べ、だからこそ「…共に楽器にとって安全なプレパレーションの方法を見つけて共有しよう。」と呼びかけて いる。最後の言葉は「ピアノをプリペアする人間全てが、同じようにきちんと準備されるべく(well-prepared)、共に働こう。」というものである。

ロメオ、バンガーとともに記事を書いているレズリー・G・カーソーン (Leslie G. Cawthorne)なる人物は、ピアノ技師そしてアマチュアのピアニストとして意見を述べている。カーソーンによれば、ピアニストはピアノの技術的な側面に関して普通の人が車について知っているほども知らない。カーソーンによれば、ブレイディがあげたプリペアすることによりピアノが被る(かもしれない)6つのダメージはたいしたダメージではなく容易に修復できるものである。カーソーンは最後に「…ピアニストは、技術者が少し指示してやれば安全な範囲でジョン・ケージや現代の作曲家たちの音楽を楽しむことができるだろう。このピアノのために働くことを拒否する技術者たちはただ自分たちの仕事の幅を狭めるに過ぎない。」(Romeo et al. 7)と述べている。

プリペアド・ピアノを擁護する人々は、プリペアすることがピアノに与えるダメージは決定的なものではなく通常の使用においてピアノが被るダメージと大差のないものだと主張し、それよりも「適切な」プレパレーションの方法を探るべきだと主張する。ピアノをプリペアすることの是非を論じるのではなく、ピアノのプレパレーションが適切か否かということに対立軸をずらし、技術者たちとの協働を誘っていると言えよう。しかしブレイディがこの誘いにのった形跡は見つからなかったし、他誌の6月号に掲載されたブレイディの記事(Brady, "Prepared pianos as viewed by the piano industry.")はClavier誌の3月号の主張を反復したものに過ぎない。

乱暴な解釈をしてお きたい。両者の対話が成立しなかったのだから、私たちはここに「(西洋芸術)音楽」という領域の中でプリペアド・ピアノを含める人々と含めない人々との領 域が明確に分化している事例を見出せるのではないだろうか?プリペアド・ピアノを認知する人々としない人々との分化がいつどこでどのようにはじまったのか は分からない3。私が関心があるのは、プリペアド・ピアノの受容状況ではなく、「音楽」の「内側」と「外側」という領域の創造プロセスである。私は、この1979年のプリペアド・ピアノをめぐる事例には、プリペアド・ピアノを認知する陣営としない陣営との分化を見出しておくに留めたいと思う。次にプリペアド・ピアノをめぐる議論の両陣営が前提とする思考を検討しておく。

4.固定される音

プリペアド・ピアノを擁護する人 々の目的はプリペアド・ピアノをピアノと同様に独立した一つの楽器として認知させることだと言えよう。それはバンガーがピアノをプリペアするための手引書 として書いた『ウェル・プリペアド・ピアノ』からも明らかである。プリペアド・ピアノを擁護しようとする人々はどのようなロジックでプリペアド・ピアノを 「楽器」として認知させようとするのか?また同書に寄せられたケージの序文からも分かるように、当時のケージの関心は既にプリペアド・ピアノにはなかっ た。ケージにとってプリペアド・ピアノとはどのような存在だったのか?本章ではこの二点を考察しその相違を確認しておきたい。

4.1.楽器としてのプリペアド・ピアノ

バンガーの『ウェル・プリペアド・ピアノ』はピアノをプレパレーションすることの是非について論じるのではなく、プリペアド・ピアノを「正統な楽器」(10)として認知させ適切なプレパレーションを技術的に解説することに主眼が置かれた手引書である。

バンガーは、本書の最初の「ピアノを痛めないために」という章で、ピアノをプリペアしても「正しい方法で行われさえすれば、楽器を傷めてしまうようなことはない。」(16)ことを主張し、「プリペアド・ピアノは不幸にもその名前が暗示するような単なる改造されたピアノではない。それはまったく独特なひとつの楽器である。おそらくこの楽器を呼ぶためには新しい名前が必要だろう。<クラヴィアガムラン (Klaviergamelan)>というのはどうだろうか。」(18) と述べている。バンガーはその後の章でピアノの構造と一般的なプレパレーションの技術を解説した後、プレパレーションのために使う材料(金属、木、布、ゴ ムとプラスティック、それらの複合、その他)ごとにピアノをプリペアするために必要な技術的な詳細を解説している。そして即興演奏のためにプリペアド・ピ アノを用いるための注意、プレパレーションのための材料入手のための注意などを述べた後、さらにプリペアド・ピアノ独自の記譜法を提案している。バンガー はピアノとは異なる独立した楽器としてプリペアド・ピアノについて記述しているのだ。

本書をプリペアド・ピアノを「正 統な楽器」として確立するための書物として見た時、バンガーのとる手続きで注目しておきたいのは、バンガーが「プリペアド・ピアノ」から「ケージ」という 固有名詞を取り除こうとしている点、演奏家の役割を強調する点、プリペアド・ピアノの音色の独自性を強調している点などである。

バンガーはプリペアド・ピアノについて説明する時ケージ以外の作曲家の作品も使うし(42; 53: クリスチャン・ウルフの指示を使用して説明している。)、著者と訳者が相談して制作したプリペアド・ピアノ作品のリスト(100-128)には4(やはりケージの作品が最も多いが)数十人の作曲家によるプリペアド・ピアノのための作品が含まれている。また、ラヴェルが「子供と魔法」(1920-24年)でピアノの弦の上に紙片を置いたことを指摘しつつ、しかしケージこそが弦の間に挟みこむプリパレイションを発明したとケージのプレパレーションに関する功績を「限定」するのも(65-67)、「プリペアド・ピアノ」から「ケージ」という固有名詞を取り除きプリペアド・ピアノとケージの結びつきを相対化させるための手続きと考えられないだろうか。

また、バンガーはしばしば作曲家 の指示を変更すべき場合について解説している。これは演奏家の役割を強調することにより、プリペアド・ピアノを一人の作曲家の発明品ではなく演奏家を介し て(潜在的には)あらゆる人間が使用できる汎用性を持つツールとしてとして位置づけるための手続きだと考えられないだろうか。例えばバンガーは、ケージが 弦に挟み込む物体として1セント硬貨を指定している場合、隣の弦に触れて余計な音が出るのを防ぐために10セント硬貨を使用しても構わないと提案する(39)。あるいは、ケージがピアノ弦のミュートとして「隙間ふさぎ(窓などの隙間につめるもの)」を指定している場合、細かい毛がピアノ内部に落ちてピアノを痛めないように布製のフェルトで代用すべきだと述べる(47)。

演奏家の役割の強調は、マーガレット・レン・タン(Margaret Leng Tan)がケージのプリペアド・ピアノの準備を詳細に解説するCage, Volume 34でも確認できる。このDVDの「John Cage's Prepared Piano」というチャプターはマーガレット・レン・タンがケージの幾つかの作品を実際にプリペアしながらその詳細を具体的に説明するものである。その中でマーガレット・レン・タンは、ケージがプレパレーションするための物体としてある特定の会社の消しゴム(An American Pencil Company eraser, #346)を指定している箇所で、今や入手できないこの製品ではなく別の消しゴムを使うべきだと述べる(22分30秒から24分30秒)。 これは作曲家(ケージ)の指示を演奏家の解釈に基づき変更するものであり、演奏家の役割を強調する行為だと考えることができるだろう(この場合ケージが指 定する消しゴムはもはや製造中止になっているのだから他に選択肢はなかろう。念のために述べておくが、この場合に限らず、私はこうした演奏家の役割の強調 を非難するつもりはないしその判断の是非を問うつもりもない。)。

さらに、バンガーはプリペアド・ ピアノの音色の独自性を記述する記号と独自の記譜法も提案している。バンガーは、大雑把に言えば打楽器アンサンブルのような(ガムランのような)多彩な音 色を持つプリペアド・ピアノの音色をその余韻と音色変化の程度によって記述するための記号と(51)、プリペアド・ピアノのための記譜法を提案している(79-89)5。この記譜法が実際に使い易いものなのかどうかは私には分からない。ただ、バンガーがプリペアド・ピアノのために独自の記譜法を提案していることはプリペアド・ピアノを一個の独立した楽器として確立しようとする姿勢の表れとして解釈できるのではないだろうか。

バンガーを初めとするプリペア ド・ピアノを擁護する人々は、プリペアド・ピアノを、適切なプレパレーションを施すことにより(ピアノのように)「音楽的に魅力的な」音色を(再)生産す ることができる一個の独立した楽器として認知させようとする、とまとめられるだろう。そのためにプリペアド・ピアノと「ジョン・ケージ」という固有名詞と の結びつきを切り離して相対化し、演奏家が介入する余地を強調し、独特な音色のための記号や固有の楽譜を提案することにより、万人が使用できる汎用性を持 つツールとして位置づけようとするのではなかろうか。

ある程度予め生産できる音色が予 想できて作曲家や演奏家がそれらを操作できるのなら、プリペアド・ピアノは反復可能な音の新しいレパートリーを「音楽」に付加する楽器として「音楽」の世 界に新規参入する存在として位置づけることができるだろう。バンガーたちの視線は、あくまでも固定され同定可能な音の新しいレパートリーを付加する楽器と してプリペアド・ピアノを眺める視線である。対してケージはプリペアド・ピアノから全く異なったことを学んでいた。

4.2.「プリペアド・ピアノ」の発明家としてのケージ

バンガーがケージと知り合ったのは1967年、『ウェル・プリペアド・ピアノ』の初版は1973年である(バンガー 10)。バンガーとケージの親交はプリペアド・ピアノを通じてのみ保たれていたようだが6、50年代初頭からケージの中心的な関心はプリペアド・ピアノにはなかった。

ケージの創作史の中では、プリペアド・ピアノは、シェーンベルグとヘンリー・カウエルというケージが「師事」した二人からの影響を総合発展させたものであり、偶然性、不確定性につながるものとして位置づけられる(Charles 46-47; Salzman 56)7。作曲家として活動をはじめる最初の段階から音楽を「音の組織化」(Cage, Silence 3)として規定するケージにとって、シェーンベルグの12音音楽は「音高」しか考慮に入れないが、打楽器音楽は「音高」以外の音のあらゆるパラメーターを考慮に入れるより好ましい音楽だった。ケージにとって打楽器音楽とは音高原理が優先される鍵盤音楽からあらゆる音を用いる音楽への移行途上のものであり(Cage, Silence 5; Charles 53)、「プリペアド・ピアノは、鍵盤楽器が持つ不均衡な固有パターンへの固執を全て覆し汎調性(pantonality)というユートピアを実現する道を切り開く。」(Charles 53)ものであった。打楽器の代替手段としてのプリペアド・ピアノとは、ケージにとってはあらゆる音を用いる音楽に至る途上で遭遇し(そして通過し)た存在なのである。

そもそも作曲家として活動をはじめた初期段階から作曲家を「音の全領域に向かい合う」(Cage, Silence 4)存在として規定するケージは、1950年前後に重大な転機を迎えた。なかでも1951年の無響室での経験は象徴的に重要である。彼は「1951年の技術で可能な限り静かな無響室」(13)に入った時、それでも「二つの意図せずに人が発している音響(神経系統の作用、血液の循環)」(13-14) を発見し、完全な無音状態は存在しないと考えることにより、無音状態ではなく意図されずに発せられていた音として沈黙を再定義した。そしてこの意図されず に発せられていた音としての沈黙(再定義された沈黙)さえも音楽的素材として音楽に導入するために、ケージは作曲家による音と音との関係性の設定を忌避 し、偶然性の技法という作曲技法を取り入れた。そうして作曲家と音響結果の結び付きは徹底的に排除され、音は、作曲家の自己表現を担わないというだけでは なく、音と音との関係性さえも作曲家によって設定されるのではない、という二重の意味で非意図的なものとなる。「結果が予知できない行為」(13)として規定される狭義の(ケージの)「実験音楽」とは、あらゆる音を音楽的素材として使用するという戦略の結果もたらされたものだと考えることができる。特に50年代以降のケージの音楽実践の変化はこの50年代前後のケージの変化を考慮に入れないわけにはいかない。

以上を考慮に入れた上でケージが『ウェル・プリペアド・ピアノ』のために書いた序文を読むと、ケージとバンガーのプリペアド・ピアノに対する視線の違いが明確にうかがえる。例えば次の箇所はそれをよく示していよう。

「私が初めてピアノの弦の間にもの を入れた時、(それらを再現できるように)音を所有したいという欲望を持っていた。しかし、音楽が私の手元を離れてピアノからピアノへ、ピアニストからピ アニストへ移動して行くにつれてはっきり分かったことは、二人のピアニストは本質的に違う存在だということだけではなく、ピアノ自体も一台として同じもの はないということだった。生(life)において私たちは、再現可能性ではなく個々の状態の独自性と特異性に直面しているのだ。」(Cage, Empty Words 8)

ケージがプリペアド・ピアノから学 んだことは、「ピアノ」という楽器は一台一台が異なるものであり同じようにプリペアされたプリペアド・ピアノも同じ固定された音を再生産することはないと いうことであった。バンガーが様々な技術的詳細を解説したり独自の記譜法を確立したりして「楽器」としてのプリペアド・ピアノに反復可能性や再現可能性を 求めるのに対して、ケージはプリペアド・ピアノから発せられる音は常に固有の一回性を持つものでありそもそも反復され得るものではないということを学んだ のだ。バンガーたちとケージのプリペアド・ピアノ観の最大の違いは、プリペアド・ピアノという「楽器」が生産する音が「再現可能性」を持つか否かというこ とである。ケージはプリペアド・ピアノから音とはそもそも再現可能なものではないということを学んだのだ。

当時、既にケージの関心はプリペ アド・ピアノにはなく、プリペアド・ピアノはいわば過去のものだったのかもしれない。しかしケージはプリペアド・ピアノの手引書が執筆されたことは喜んで いる。憶測の域は出ないが、ケージはプリペアド・ピアノは既に「楽器」として確立されたと考えていたのかもしれない。

5.楽器を破壊する音

プリペアド・ピアノ を肯定する二つの立場(バンガーとケージ)の相違を確認したうえで、再現可能性を持たない音を使用するケージの「音楽」-演奏ごとに音響結果が異なり、発 生しては消失していくという音の一回性こそが聴取の焦点となるようなケージの不確定性の音楽等-より「後」の、ポスト・ケージ・アーチストたちによる事例 を取り上げ考察を加えることにより、「音楽」と区別される「音を用いる芸術」が登場したのではなかろうかという仮説を提示しておきたい。

事例として取り上げるのはフルクサスのアーチストたちによる楽器の破壊音である8。本 論で楽器とは何かという問いに十全に答えることはできない。さしあたり、「音楽」の素材として利用可能な再現可能な音を(再)生産する道具、と規定してお きたい。全員ではないが、多くのフルクサスのアーチストたちが、音楽的素材を(再)生産する道具としての楽器を暴力的に扱ったり破壊する作品を制作したり パフォーマンスを行っている。

例えばフィリップ・コーナー(Philip Corner)の「ピアノ・アクティヴィティズ(Piano Activities)」(1962年)は、パフォーマーが手で直接もしくは何かを使って弦を操作したりピアノの様々な部位で様々な活動を行うものだが、ウィースバーデンのイベントではパフォーマーたちはピアノをパール、のこぎり、ハンマーを使用して解体するに到った。また、ジョージ・マチューナス(George Maciunas)の「シルヴァーノ・ブッソッティのためのヴァイオリン・ソロ(Solo for Violin, for Sylvano Bussotti)」(1962年) には二十個の指示があるが、それらは「弓を肩にかけてバイオリンで弾く」ことや「弦を緩めて引き抜く」といった無邪気なものから「バイオリンに噛み付く」 「バイオリンに穴をあける」「バイオリンあるいはその一部を聴衆に放り投げる」といった破壊的なものまである。ナム・ジュン・パイク(Nam June Paik)の「ワン・フォー・ヴァイオリン・ソロ(One for Violin Solo)」(1962年)は、パフォーマーが頭上に持ち上げたバイオリンを全力で下に振り下ろすものである(当然ヴァイオリンは破壊される。)。そしてジョージ・マチューナスの「ナム・ジュン・パイクのためのピアノ作品第13番(カーペーンターズ・ピース(Piano Piece No.13 for Nam June Paik (Carpenter's piece))」(1964年)は、ピアノの鍵盤全てを釘で打ちつけるというもので、発音メカニズムに(鍵盤に連動して弦を叩くための)ハンマーを持つピアノに「もう一つハンマーの効果を付加する」(Kahn, The Latest 114)ものである。

カーンが言及するように、こうした楽器に対する暴力は、(ルイス・ブニュエル(Luis Buñuel)の「黄金時代(L'age d'or)」(1930年)においてバイオリンが側道にけり落とされるシーンにまで遡ることができる、アヴァンギャルド美術が抱いてきた)「音楽に対する侮辱」(Kahn, The Latest 114)として、もしくは(過去に生み出されて失われていった音楽に対して、音楽における聖なるものを捧げる儀式における)「供物」(115)として、もしくは(特に二十世紀の、楽器演奏の様々な技巧の拡大に終止符を打つものなのだから)超絶技巧の追求が最高点に達したことを示すものとして、解釈することもできるかもしれない(115)。

しかしケージ以降の音楽にまつわ る実践としてフルクサスの楽器破壊パフォーマンスを解釈するなら、楽器を破壊することにより生み出される楽器の破壊音-「最後の音」-は、何よりもまず、 音の唯一性、一回性を想起させる反復不可能な音響として解釈されるべきだろう。カーンによれば、こうした音の瞬間性の提示は、フルクサスのポスト・ケー ジ・アーチストたちによる「ケージ的な音楽の規則を乗り越えようとする欲求不満の募る試み」であると同時に「ケージの音響素材拡大ゲームを終結させるも の」であった(Kahn, The Latest 115)。

ケージは、あらゆる音を音楽的素 材として使用するために音高原理を優先する鍵盤音楽よりも打楽器音楽を重視してプリペアド・ピアノに向かい、プリペアド・ピアノに取り組むことにより音の 反復不可能性を学んだ。そして沈黙を再定義した後、偶然性の音楽、不確定性の音楽へと向かい、生じては消えていき二度と同じものは再生され得ない音の瞬間 性、一回性をも音楽的素材として使用しようとした。ケージが到達した地点からさらに何か新しいものを生み出さねばならなかったフルクサスのポスト・ケー ジ・アーチストたちが直面していたのは「多くのことが許されているがゆえに解放するための何ものも残されていない」という「爽快であると同時に苛立たし い」状況であった(Kahn, The Latest 104)。その中で生み出されたものの一つが「最後の音」だと言えよう。破壊された楽器はもはや音 を生産できない。楽器を破壊する音は、楽器が生産できる最後の音であると同時に、音楽的素材の拡大というケージの戦略を字義通りに推進して楽器が生産でき る音を隅々まで追求した時、(楽器が破壊されれば他の音は生産できないのだから)最後のカテゴリーに属する音である。それは音楽的素材の拡大というケージ の戦略に終止符を打つための「最後の音」だというのがカーンの解釈だろう。

とすれば、楽器の破壊音の登場は 何を意味しているのだろうか?私はこれを、「音楽」の領域を限定し、音楽ならざる音を用いる芸術の登場を示唆するものだと解釈したい。楽器破壊のパフォー マンスが音楽的素材の拡大という戦略を終結させようとするパフォーマンスだとすれば、それはケージが拡大しようとした「音楽」の領域を限定し、「音楽」の 領域の拡大に終止符を打つためのパフォーマンスだとも解釈できるのではないか?そして西洋芸術音楽の基盤を相対化しその領域を限定しようとする実践は、自 らの存立基盤の「外部」、すなわち音楽ではない音を用いる芸術が登場する素地を準備するのではないだろうか?

6.おわりにかえて - ノイズの音楽化 - プリペアド・ピアノの場合

プリペアド・ピアノは西洋芸術音楽の歴史の中でどのような「ノイズ」として機能したか?二通りの答え方をしておきたい。

まず、「対話」が成立していないのだから、私たちは1979年のプリペアド・ピアノをめぐる議論を西洋芸術音楽が複数化している事態-プリペアド・ピアノを認知する「音楽」としない「音楽」の分化-を示唆する事例として解釈できるだろう。プリペアド・ピアノを否定するものにとってプリペアド・ピアノは、ピアノという正統的な楽器を破壊する、単なる「ノイズ」を発する道具である。対して、擁護するものにとってはプリペアド・ピアノは、新たに「音楽化」された「楽音」をもたらすものである。両陣営の対立軸はプリペアド・ピアノが固定された音を産出する道具としての「楽器」としての正当性を持 つか否かということにある。言い換えれば、両陣営の対立軸はプリペアド・ピアノ(が発する音)を自らの陣営の内部には属さない「ノイズ」と見なすか否かと いうことにある。つまりプリペアド・ピアノは、西洋芸術音楽の内部に、プリペアド・ピアノを外部に属する「ノイズ」として見なす否定派と内部に属すると見 なす肯定派を生み出すことにより、「音楽」の領域を分化させる要因の一つとして機能したのではないだろうか?

また、フルクサスの楽器破壊パフォーマンスからは何が言えるか?楽器の破壊音はケージがプリペアド・ピアノから学んだ音の唯一性、一回性を提示するものであると同時に「ケージの音響素材拡大ゲームを終結させる」「最後の音」であった(Kahn, The Latest 115)。プリペアド・ピアノは、自らが属する「西洋芸術音楽」という領域の拡大に終止符を打ち、自らの基盤を相対化する視線を準備することにより、「音楽」が、音楽ならざる音を用いる芸術を、外部の「ノイズ」すなわち「他者」として区別する視線を準備したのではないだろうか?

そもそも「音楽」の外部に属する「ノイズ」を「音楽化」することは二十世紀のアヴァンギャルド音楽の戦略であった(Kahn, Track Organology 68)。音楽外の音を音楽的素材として取り込み「音楽」を「回春」(68)させることが、ルッソロ、ヴァレーズ、シュトックハウゼン、シェフェール、ケージたちの主戦略であった。しかしアヴァンギャルド音楽の営為は、音楽の内側と外側を弁別する境界をひき直すプロセスの反復に過ぎないと考えることもできる(70)。音楽の領域をいくら拡大しても常に未だ音楽化されない外部の「ノイズ」は残されてきたからである。アヴァンギャルド音楽は「音楽」が歴史的に排除してきたものを全て取り込んだわけではない。

これはあらゆる音を音楽化しよう としたケージの場合も同じである。あらゆる音は音楽であると述べつつも、ケージは実際にあらゆる音を音楽的素材として利用できたわけではない。音は人間的 な意図を担ってはならないとするケージの(そして狭義の実験音楽の)倫理は、作曲家を「音の全領域に向かい合う」(Cage, Silence 4)存在として規定しつつあらゆる音を用いる音楽を目指すケージの方向性と、いつか齟齬をきたすものであった。例えばケージは、「ウィリアムズ・ミックス(Williams Mix)」(1952年)や「ロアラトリオ(Roaratorio)」(1979年)などのテープ録音断片を重ね合わせる作品で、あるいは「想像上の風景第四番(Imaginary Landscape No.4)」(1951年) を初めとするラジオを音源として用いる作品で、人の声が録音されたテープ断片やラジオ放送を、その声がそもそも発せられた目的である意味伝達を目的とする 音としてそのまま用いるわけにはいかない。というのも、ケージの倫理は人間的な意図が担わされている音をそのまま音楽的素材として使用することを禁じるか らである。これは換言すれば、ケージは二十世紀の聴覚文化の変化がもたらした音文化(例えば、二十世紀以降に増大した、電子メディアによって運搬される 声)のほとんどを(「情報伝達を目的とする声」という音素材としては)「音楽」に取り込むことはできないということでもある。ケージのあらゆる音を用いる 音楽には「限界」があるのだ。

プリペアド・ピアノは「ノイズ」 として機能する。それは「ノイズ」を「音楽化」する陣営としない陣営を生み出すことにより「音楽」を複数化させると同時に、自らの存立基盤を相対化し、そ の領域を限定する視線をもたらすことにより、自らの限界を意識し、「音楽」の外部を眺める視線を準備したのではないだろうか?そして自らの存立基盤の外部 を「ノイズ」と見る視線こそが、音楽ではない音を用いる芸術としての「サウンド・アート」を準備したのではないだろうか?9

文献リスト

日本語訳があるものは参照し、適宜訳し直した。

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リチャード・バンガー『ウェル・プリペアド・ピアノ』(近藤譲、ホアキン・M・ベニデス(訳)、東京:全音楽譜出版社、1978年)

Cage, John. Silence. Middletown, CT: Wesleyan University Press, 1961.(柿沼敏江(訳)『サイレンス』東京:水声社、1996年)

---. For the Birds: John Cage in Conversation with Daniel Charles. Boston: Marion Boyars, 1981.(ジョン・ケージ『小鳥たちのために』(青山マミ(訳)、東京:青土社、1982年):ただし邦訳はフランス語版に基づいている。)

---. "How the piano came to be prepared." (1972) in Cage, John. Empty Words. CT: Middletown: Wesleyan University Press, 1979: 7-9.

---. Volume 34: The Piano Works 7 - Chess Pieces, Sonatas and Interludes,and Rieti - Chess Serenade Mode 158. DVD. Mode, 2006.

Charles, Daniel. "About John Cage's "Prepared Piano". Bonito Oliva, Achille, Gabriella De Mila, and Claudio Cerritelli, eds. Ubi fluxus ibi motus 1990-1962. Milano: Mazzotti, 1990: 453-457. Rpt. in Kostelanetz 46-54.

Friedman, Ken, Owen Smith, and Lauren Sawchen, eds. Fluxus Performance Workbooak. published with Performance Research - On Fluxus, 7.3 (2002)(2007年1月1日現在、このPDFヴァージョンがhttp://www.performance-research.net/の「e-publications」の項からダウンロードできる。)

ダグラス・カーン「未聞の器官学」(鈴木圭介(訳)『Intercommunication No.9 特集 音=楽テクノロジー』東京:NTT出版、1994年7月: 122-126)

Kahn, Douglas. "Track Organology." October 55 (1990): 67-78.

---. "The Latest: Fluxus and Music." in: Armstrong and Rothfuss 102-120.

Kahn, Douglas, and Gregory Whitehead, eds. Wireless Imagination. Sound, Radio, Avant-Garde. Cambridge: Massachusetts, MIT Press, 1992.

Kostelanetz, Richard, ed. Writings about John Cage. Ann Arbor: the University of Michigan Press, 1993.

西原稔『ピアノの誕生―楽器の向こうに「近代」が見える』(東京:講談社選書メチエ、1995年)

Romeo, J, Richard Bunger, and Leslie G. Cawthorne. "Prepared pianos in perspective. (the sounding board)" Clavier 18.5 (1979): 4-7.

Sadie, Stanley, ed. The new Grove dictionary of musical instruments. London: Macmillan Press, 1984.

Salzman, Eric. "Cage's Well-Tampered Clavier.” Rpt. in Kostelanetz 55-57. Rpt. of “John Cage: Sonatas and Interludes for Prepared Piano. A Book of Music for Two Prepared Pianos.” Musical Quarterly. 64.2 (1978): 261-263.

Northwestern University Music Library, John Cage Collection

出典は全て「c170.4」のように略した。一番目がフォルダ番号、二番目がフォルダ内番号である。

このアーカイヴにはケージが保存していたほぼ全ての書簡が保存されているが、残念ながら、年代順に整理されているだけで内容の整理は行われていない。この論文に使用したC.170 - 189は全て1979年の分である。

Cage's mother's scrap bookはこのアーカイヴに保存されているもので、ケージに関する新聞記事をケージの母親がスクラップしたものだが残念ながら未整理である。50年代のスクラップは5-7である。

11938年とされてきたのは誤りである(Cage, Volume 34; バンガー 9)。

2以下は事典の記述による。

シェーンベルグ:「3つのピアノ曲(3 Klavierstücke, op.11)」(1909年)でダンパーが音を消さないように音を出さずにある鍵を押しっぱなしにした。

チャールズ・アイヴス:「コンコード・ソナタ(Piano Sonata No.2, Concord, Mass., 1840-60)」(1911年)の第二楽章で14.75インチの板で鍵盤を同時に押した。

サティ:「メデューサの罠(Le Piege de Meduse)」(1914年)でピアノの弦の上に紙片を置き音色を変化させようとした。

ラヴェル:「ツィガーヌ(Tzigane)」(1924年)と「子供と魔法(L'enfant et les sortilèges)」(1920-24年)でピアノの弦の上に紙片を置いた。

3残念ながら私はプリペアド・ピアノ受容に関する網羅的な調査はできていない。Northwestern大学ジョン・ケージ・コレクションが所蔵するケージ寄贈の1979年の書簡類には全て目を通したが、それ以後のものは調査できていないし、ジム・ロメオやトマス・M・ブレイディが執筆した(かもしれない)本論で言及する以外の記事も発見できていない。

例えばケージの母親が新聞記事をスクラップしたものを見ると、50年代のケージは「プリペアド・ピアノの作曲家」として認知されていたことが分かるが(Cage's mother's scrap book 5)、後述するように、この時期のケージの主な関心はプリペアド・ピアノではなく偶然性、不確定性にあった。50年 代にはまだアヴァンギャルド音楽家としてのケージを認める新聞でさえ音楽家としてのケージを「偶然性のケージ」としては認知していなかったのではないかと 推測できるが、当然、ケージを「偶然性のケージ」として認知していた人々(例えばポスト・ケージ・アーチストたち、あるいは今日の私たちが参照する多くの 同時代の批評家たち等々)は存在していた。ここにケージに対する認知の分化を見出すことは許されるだろう。とすれば(推測でしかないが)、遅くとも1950年代には、プリペアド・ピアノを認知する人々としない人々との分化ははじまっていたと考えるべきだろう。

4「弦 上のプリパレイション」や「内部奏法」だけを含む作品は含まれず、「<弦の間に何かを挟むことによってプリペアされたピアノ>のための作品と、<手による ミュート>などの簡単な内部奏法だけが使われるものの中で、そうした音が作品の中でほとんどプリペアド音の概念に近い形で扱われている作品だけ」(100)が含まれている。

5例えばR/TC=1は音色変化の著しい余韻の短い音を示す。R (Resonance)は余韻、TC (Timbral change)は 音色の変化である。

ま た、記譜法はケージのプリペアド・ピアノのための記譜法を基本に考案したもので、プリペアする音高を示す記号、プリペアする弦を示す記号、プレパレーショ ンする材料を示す記号、弦上のどの位置にプリペアがなされるかを示す記号、プリペアされる物体をつける/はずすを指示する記号、の五つの記号から成立する ものである。

6C.180.1-18, C.182.3, C 189.25, C.188.35, C.188.36などから、バンガーはケージのプリペアド・ピアノ作品の校正を行っていたが当時のケージの作品制作にはほとんど関わっていなかったことがわかる。

7さらに言えば、ケージのプリペアド・ピアノは、

1.音高以外のパラメーターに注目するという意味で、シェーンベルグ以降のセリエリズムの別のあり方の発展

2.チャールズ・シーガー、ヴァレーズ、ヘンリー・カウエルらと同じく、打楽器音楽としての「非西洋の音楽」に対する関心の表れ

として解釈することもできる(Salzman 56)。

8フルクサスのアーチストたちによる「楽器の破壊」をケージの戦略に終止符を打とうとするものだったとする解釈は、Kahn, The Latestに基づく。また、各作品に関してはFriedman et al.を参照した。

9もちろんこれは仮説に過ぎない。私は、そうして「音楽」の領域を限定する形で音楽ならざる音を用いる芸術(いわゆる「サウンド・アート」)が登場してきたのではないかという仮説を持っているが、詳細は別稿に譲るしかない。概略だけ述べておく。

19世紀以降理念的には「耳のための芸術」として位置づけられてきた「音楽」とは異なるものとして、20世紀以降、耳以外の感官を用いる音を用いた芸術が登場し(記録され)てきた。いまだ外延は未確定だと思うので、そうした「サウンド・アート」に関する明確な規定は時機尚早だろう。しかしその登場の概略を探ることは可能だろう。

「サウンド・アート・ヒストリー」の構築がなされてこなかった理由は幾つかある。まず、それらは記録することが困難だった(状況が変化したのは音テクノロジーが発展流通した20世 紀以降のことである。)ので、散発的で非発展的な歴史しか持てなかった。また、「サウンド・アート=音楽」という図式が特権化されてきた。それゆえ、「音 楽」以外の領域での音文化に関わる芸術実践(デュシャンの「音響彫刻」、アルトーのテープ実験、モンドリアンの絵画の音楽的側面、ルッソロのアート・オ ブ・ノイズ、バロウズのテープ実験等々)は「周縁的なもの」として軽視されてきた(のでサウンド・アート・ヒストリーとして整理されてこなかった。)。そ して西洋芸術音楽は、音にまつわる様々な変化(マス・メディアが登場して変化した社会における音の状況)に対応してこなかったので、ルッソロ、ヴァレー ズ、ケージなどの「西洋芸術音楽に対する過激な攻撃」(Kahn and Whitehead 3)でさえ攻撃対象は「西洋芸術音楽」でしかなかった(ので、アヴァンギャルド音楽の歴史は、サウンド・アート・ヒストリーではなく、芸術音楽史の中に自閉することになった)。

音楽的アヴァンギャルドの戦略は、「音楽」の外側にあるノイズや世俗的な音を「音楽」の内側に取り込むことにより「音楽」を活性化させることだった。しかしこの戦略では「音が『音楽化』される」(Kahn and Whitehead 3) 必要がある。音が「音楽的な素材」として使用されるためには、音響的な属性が前面に押し出され「純粋な」知覚に対応するために、「音楽外的な連関」が軽視 される必要がある。つまり、そもそも「音楽」の外側の「ノイズ」を「音楽化」するという音楽的アヴァンギャルドの戦略は、二十世紀以降の聴覚文化の変化を 「音楽」の中に取り込むことが困難なものなのだ。結果的に彼らは音楽史の中で自閉することになった(「サウンド・アート」についてはKahn and Whitehead 1-29を参照)。

そうした音楽的アヴァンギャルドを相対化し、自覚的に聴覚文化の社会性をテーマに作品を制作し始める芸術家たち(「サウンド・アーティスト」たち)が登場するのは、60-70年 代だと思われる。彼らがどのようにケージを相対化しているかに注目することは彼らを識別するために役立つ。ケージ的な音響が社会性を欠いたものであり、 「あらゆる音」というケージ的な理念に音の「音楽外的な連関」が欠けていることを自覚して自らの音を用いた音響芸術を制作しているものたち、ケージ以降の 「実験音楽」というレッテルを嫌い、自らの音を用いる芸術を呼ぶ名前としてサウンド・スカルプチュア、サウンド・アート等々のレッテルを使うものたち(例 えばビル・フォンタナ(Bill Fontana)、デヴィッド・ダン(David Dunn)、クリスチャン・マークレイ(Christian Marclay)など)、彼らに関する論考は別稿に譲るしかない。

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