2010年09月 1950年代のケージを相対化するロジック―ケージ的な実験音楽の問題点の考察

1950年代のケージを相対化するロジック―ケージ的な実験音楽の問題点の考察

The Logic to Relativize John Cage in the 1950s : On the Problems of Cagean “Experimental Music”中川克志

NAKAGAWA, Katsushi

中川克志 2010 「[査読論文] 実験音楽の成立と変質-ケージを相対化するロジック」 『京都精華大学紀要』37(2010年9月):3-22。

(ここで公開している論文たちには校正での訂正が反映されていない部分があり、実際の掲載稿とは若干相違があります。引用などの場合、必ず、公開された原文をご参照ください。)

はじめに

1950年代に、ジョン・ケージ(John Cage 1912-1992)は自らの音楽を「実験音楽」1と称し始めた。本論の目的は、主として50年代のケージと70年代の音響芸術を考察することで、この「実験音楽」という音楽ジャンルを相対化するロジックを素描することである2。第一章で検討するが、ケージが創出した「実験音楽」は、音楽的素材の拡大という欲望あるいは戦略に駆動されて、沈黙―非意図的な音あるいは環境音―をも音楽的素材として用いるという目的のために、あるいは用いるがゆえに、「音をあるがままにすべし」という原則を維持して、演奏されて現実に音響化された音響結果に対する作曲家によるコントロールを否定しようとする音楽、として規定できよう。マイケル・ナイマンが『実験音楽』(Nyman 1974)で行ったように、この系譜をフルクサスの音楽やミニマル・ミュージックに辿ることは可能だろう。そこでも、音楽的素材を拡大しようとする傾向、そして、程度の差はあれ音響結果に対するコントロールを否定して「音をあるがままにすべし」とする実験音楽の原則を守ろうとする傾向は認められるように思う(Nyman1974;中川2008)。本論の枠組みでは、実験音楽とは、1950年前後に成立し、その戦略と原則を継承するフルクサスの音楽やミニマル・ミュージックを経た後、1970年代に、その戦略と原則の齟齬を見出してケージを相対化する音響芸術が登場することで変質していったものである。本論の目的は、その「50年代のケージ」を相対化するロジックの検討である。本論ではケージの作品を、基本的には「枠と出来事」解釈を利用して考察する(1.2.参照)。議論を図式化して単純化することで、ケージ以降の状況を明快に考察できるだろう。

本論は、ケージの音楽制作理念の美的分析や、90年代以降に増加した、ケージ作品の楽譜や草稿研究に基づく「作曲家」としてのケージ研究ではなく3、ケージや「実験音楽」というジャンルの歴史的な役割や位置づけの考察に貢献することを目指す。本論では特に、ケージを相対化する実践を図式化し、実験音楽の変質プロセスを整理することに重点を置く。

以下、実験音楽の成立と変質について論述する。まず第一章でケージの実験音楽の成立について概観する。非意図的な音あるいは環境音を、音楽的素材として音楽に導入しようとするケージの作曲家としての欲望が、実験音楽の原則を要請し、実験音楽の理念を形成したこと、そして、実験音楽の成立は、音響の意味作用や音楽の「社会性」の喪失を伴うものであったことを指摘しておきたい。第二章では、ケージ的な実験音楽は70年代には変質して相対化されたと主張したい。遅くとも1974年までには、実験音楽のジャンルとしての規制力は脆弱化し、ケージ的な実験音楽に対する幾つかの内在的な批判―ケージを相対化することから活動を開始した70年代のサウンド・アーティストたち―が登場してきたのではないか。第二章では、ケージを相対化する事例としてビル・フォンタナの事例をとりあげ、そのロジックを検討する。フォンタナが批判するのは、ケージ的な実験音楽が音響の意味作用を抑圧するという点である。最後に私は、ダグラス・カーンの指摘を参照しつつ、ケージ的な実験音楽が批判されるのは音楽的素材の拡大という戦略の虚偽性が告発されるからであることを指摘しておきたい。そうすることで私は、実験音楽というジャンルは、その戦略と原則が齟齬をきたすことで内側から自壊する運命にあったのだ、と主張するつもりである。

1."実験音楽"の登場

1.1.実験音楽の戦略と原則:非意図的な音

1950年代以降のジョン・ケージの音楽について考える時、彼の無響室での経験は象徴的に重要である。無響室の経験を経て、ケージは沈黙を再定義し、再定義された沈黙を音楽的素材として自らの音楽に取り込むために、新しい音楽制作手段を考案し、実験音楽の理念を形成していくことになるからだ。

1951年にケージは、ハーヴァード大学の無響室を訪れ、自分が意図せずに発している二つの音―「神経系統の作動音、血液の循環音」―に気づいた(Cage 1955: 13-14)。この経験からケージは、完全な無音状態など存在せず「音楽的な意図の一部を担っていないというだけの理由で沈黙と呼ばれる」(Cage 1958a: 23 )音があるだけだと考え、沈黙を再定義することになった。沈黙は、単なる無音状態ではなく、また作曲家から聴き手に対する表現意図のための媒体でもない、非意図的な音として再定義されたのだ。そもそもケージは作曲家としての活動の初期段階から、音楽を「音の組織化」(Cage 1937: 3)として、 作曲家を「音の全領域に向かい合う」(Cage 1937: 4)存在として規定していた。ケージの音楽活動はこの自己規定に駆動されて展開したものだ。そしてこの「音の全領域」を音楽的素材として用いたいとする欲望は、音楽の「外部」の「ノイズ」を音楽の中に取り込むことで音楽に新しい革新をもたらす、というある種の「戦略」4として機能するようになった。ケージの「実験音楽」とは、この自己規定と戦略に基づき、「再定義された沈黙」という新しい音楽的素材を音楽の中に取り込むために形成された理念として解釈できる。そう解釈するならば、ケージの代名詞ともいえる偶然性の技法―チャンス・オペレーション―は、非意図的な音(という再定義された沈黙)を実現するためにケージが考案した作曲技法として解釈できるだろう。

偶然性の技法は何を実現したか? ケージは、初めて全面的に偶然性の技法を用いた《易の音楽 Music of Changes》(1951)を作曲する際、予め8×8の64個の桝目を持つ表を5種類用意した。それぞれの表は積み重ね(いくつの出来事が同時に起こるか)、テンポ、持続、音高、強弱等を決定するために用いられる。一つの表の桝目には、予め選ばれた素材や数字が記されており、コインを投げることで64個の桝目から一つが選択された。楽譜に書かれる音符の組み合わせはコインの裏表で偶然的に決定されたのだ5。つまり偶然性の技法こそが、作曲家の自己表現を担わないだけでなく、音と音との関係性も作曲家に設定されるのではない、非意図的な音を組み込むことを可能にしたのだ。50年代以降も、ケージは様々な種類の偶然性の作曲技法や、演奏の段階に偶然性を導入する不確定性の技法を発展させていくことになった(ケージの作曲技法の発展についてはPritchett 1993; 庄野1991を参照)。

偶然性の技法を導入してから、ケージは自らの音楽を「実験的 experimental」なものと呼ぶようになる。その音楽が「実験的」なのは、それが、最終的に何かを決定するために行われる試行錯誤の一環だからではなく、それが「結果が知られていない行為 an act the outcome of which is unknown 」(Cage 1955:13)だからである。ケージによれば、実験音楽が「実験的」なのは、偶然性の技法を用いるので作曲家にも最終的な音響結果が予想できないからである。

また、非意図的な音響結果を音楽的素材として用いるために、実験音楽にはある種の原則が求められることになった。実験音楽では、作曲家は「音をコントロールしようという望みを捨て」(Cage 1957: 10)る必要があった。というのも、音が非意図的であるためには、作曲家が音響結果をコントロールして、音を何らかの意図を表現するための媒体として扱ってはいけないからだ。それゆえ実験音楽は「音をあるがままにしておく」(Cage 1957: 10)という原則を持つことになった。そこでは聴き手には「ただ音の営みに注意を向けること」(Cage 1957: 10)が求められた6

50年代初頭の実験音楽の成立に関する以上の簡単な整理から、次のことを強調しておきたい。「音の全領域に向かい合う」 (Cage 1937: 4)というケージの作曲家としての欲望が、非意図的な音という新しい音楽的素材に対応するために、「音をあるがままにすべし」という実験音楽の原則を要請し、「結果が予知できない行為」としての実験音楽の理念を形成することになった。欲望が原則を要請し、実験音楽の理念を形成したのだ。この欲望と原則は、フルクサス以降のケージ的な実験音楽に継承されていったと言えよう7

1.2.実験音楽の戦略と原則:環境音

また、無響室で再定義された沈黙、意図を担わずに発せられていた音は、作曲家や演奏家が意図的に「非意図的な音」として生成させる音と、既に常にそこに存在していた「環境音」の二つに分けることができる(Cage 1955: 13; Cage 1958a: 22-23など)。「非意図的な音」は偶然性の技法によって意図的に生成できるが、「環境音」は生成できない音響として規定できるだろう。そして、この「環境音」を音楽的素材として組み込む必要があったので、実験音楽は、「聴くこと」という「行為」として規定されることになったと解釈できるだろう。

環境音という音楽的素材の導入がケージに与えた帰結について考察するために、50年代以降のケージの音楽作品と音楽的素材の関係を「枠と出来事」という関係で理解しておきたい(庄野1991;近藤1985参照)。「枠と出来事」というケージ解釈は、音楽的素材の拡大という戦略がケージに与えた影響―「環境音」使用が、「聴くこと」という手段の採用を必要としたこと―を理解するために必要十分に明快な枠組みを与えてくれる8。この解釈に従えば、ケージは、ある音楽作品が演奏されている時間枠の中で発生した音響を全てその音楽作品を構成する音楽的素材として命名することで、環境音を音楽的素材として取り込もうとした、と考えることができる。こうした環境音に対する態度を最も明瞭に示すのは、沈黙の作品として有名な《4'33''》(1952)だ。この作品では演奏者は全く音を発さない。観衆は舞台上に演奏家が登場し、何も演奏しない様子を見守ることになる。しかしこの作品には、コンサート会場で意図されずに発せられている音響、つまり演奏者が一音も演奏しないことに対して戸惑っている観客たちのざわめきや、会話や靴音や服の布ズレの音響などがある。この作品は実は無音ではなく、(環境)音に満ち溢れている、というわけだ。環境音は、生成されるのではなく、既に常にそこで生成されていた音響が聴き出されることで、音楽的素材として取り込まれるのである。実験音楽では、聴き手に「ただ音の営みに注意を向けること」(Cage 1957: 10)が求められるのは、第一に、そこで生成される音響が作曲家や誰かの人間的な意図を担わない非意図的な音だからだし、第二に、作曲家としてのケージが生成することはできない環境音を音楽的素材として組み込むためには「聴く行為」が必要だからである。「聴く行為」こそが、音楽的素材としての環境音の使用を保証するのだ。だからこそケージは、次のように自らを「聴き手」として言及し始めたのではないだろうか。

「何が起こったのかといえば私は聴き手になったのであり、音楽は聴くべきなにものかになったのだ。」(Cage 1957: 7)

本節では、音楽的素材を拡大するために、実験音楽は「聴くこと」として規定されなければならなかったことを強調しておきたい。音楽的素材の拡大という欲望が、実験音楽の理念を形成したのだ。

1.3.実験音楽の理念:社会性の喪失

本節では、実験音楽では、音響の意味作用が抑圧され、音響あるいは音楽作品が持っていた社会性が剥奪されていったことを指摘しておきたい。1970年代以降、この点でケージ的な実験音楽は批判されるようになる9

音響の意味作用が抑圧されていったことを《4'33''》(1952)とその前身作品として構想されていた《サイレント・プレイヤー Silent Prayer》を比較することで確認しておこう(以下の比較はKahn 1996-6: 158-199に基づく)。

ケージは、《4'33''》以前に1948年に「無音の音楽」を構想していた。それは一般的なポップ・ミュージックと同じ三分半から四分程度の《サイレント・プレイヤー Silent Prayer》という作品で、ケージは「中断されない沈黙からなる作品をつくり、それをミューザック社に売る」ことを構想したことがあったのだ(Cage 1948: 43)。ミューザック社は、20世紀初頭に設立され、レストラン、ショッピングモール、空港、ロビー、工場等にBGMを供給することで、第二次世界大戦の前後にかなりの大成長を示して会社だった(ランザ1997)。ケージは、カフェやレストランという現実の社会的状況の中に、ミューザック社が流すBGMの代わりに数分間の「無音状態としての沈黙」を挿入する作品を構想したわけだ。この作品は結局実現しなかったが、ケージの無音の音楽が、初めは、社会的な関係性の中で構想されていたことが確認できるだろう。というのもこの作品は、音楽作品と無音状態としての沈黙が、現実の社会的状況の中で何らかの役割を果たすこと―例えば、何らかの商業的な目的に資するためのBGMという音楽について、音楽の実用性に対するケージの批判的見解を表明することなど―を目論んで構想されたと解釈できるからだ(ただしこの作品の着想に至った背景をケージは明確に説明していない10)。

それに対して、50年代以降のケージの無音の音楽つまり《4'33''》(1952)では、重点が変化している。ここで「(再定義された)沈黙」が挿入される場所は「コンサート会場」である。つまり「非意図的に発せられていた環境音としての沈黙」が挿入される場所が、現実の社会的状況から、音楽芸術にとってニュートラルな場所とされるだろう「コンサート会場」へと変化しているのだ。そこでは沈黙は、現実の社会的状況の中で何らかの役割を果すことが期待されるのではなく、新しい音楽的素材―再定義された沈黙、つまり環境音―として提示されるのだ。一概には言えないが、《サイレント・プレイヤー》(1948)から《4'33''》(1952)への変化に代表されるように、50年代のケージの音楽からは、現実社会のコンテクストとの直接的な関連性は失われていったと言えよう(Kahn 1999-6: 188)。

以下は私の解釈である。以上の比較から、音響が社会性を喪失しなければならなかったのは音楽的素材の拡大という欲望を追及する必要があったからだと考えられるのではないだろうか。というのも、社会性を担った音響は、もはや非意図的な音や環境音としての沈黙ではなかったからだ。つまり例えば《サイレント・プレイヤー》(1948)における無音状態としての沈黙のように、何らかの役割を果たす媒体として社会的に(あるいは実用的に)「機能」する音響は、再定義された沈黙―あるいは意図を担わずに発せられた、非意図的な音―ではなかったのだ。

確かにケージは「音の世界」を深く探求する音楽家となったと言えるだろう。しかしカーンも述べるように、ケージは、音響を通じて世界を聴き取るのではなく、音響の世界を聴き取ろうとする音楽家になったとも言えよう(Kahn 1999-6: 199)。次章では、この点で50年代のケージは批判されることになったという解釈を提示し、その批判のロジックを考察したい。

2."実験音楽"の相対化

2.1.指標としての1974年

本章では、50年代のケージ的な実験音楽を相対化しようとした70年代の傾向を検討したい。70年代以降の「実験音楽」というジャンルの動向について、私は次のように考えている。

おそらくは70年代に、実験音楽は、音楽的革命の遂行という自らの歴史的な役割をそれなりに完遂し、その内実や成否はともかく、その存在がある程度広範な文脈の中に認知されると共に、積極的な存在理由を失い、その性格を変化させて拡散していったのではないか。「実験音楽の変質プロセス」に関する詳細な検討は今後の課題だが、現段階で私は、ケージ的な実験音楽が相対化され始める起点は、遅くとも1974年頃に求められるのではないかという仮説を提出しておきたい。1974年という年代を出す理由は二つある。

まず一つは、1974年に、ケージが「音楽の未来」(Cage 1937)の新しいヴァージョン(Cage 1974)を発表したことである。1937年の「音楽の未来:クレド」は、ケージが作曲家を「音の全領域に向かい合う」 (Cage 1937: 4)存在と規定した、50年以降のケージをも規定していたテクストだった。しかし1974年ヴァージョンの「音楽の未来」では、ケージは、自らの革命は十分な成果をあげたと考えているようだ。この中でケージは、40年代以降の音楽的状況の変化を総括し、これまで取り組んできた、微分音、ノイズ、沈黙、プロセスとしての音響といった試みは十分認知されるようになったので、今や「どんなことでも許されている。全てが試みられたというわけではないが」(Cage 1974: 178)と述べている。そしてこの後、ケージは、「楽音」や通常の五線譜を再び用い始めたり、詩や造形美術の分野で活動し始めたりするのだ。

またもう一つは、1974年に、マイケル・ナイマンの『実験音楽』(Nyman 1974)が出版されたことである。これはケージからミニマル・ミュージックにまで至る様々な「実験的」な音楽実践を、「実験音楽」として総括した最初のモノグラフである。ナイマンは1999年に再版された『実験音楽』第二版への前書きの中で、70年代を実験音楽の隆盛が始まった時期として回想している(Nyman 1974: xv-xviii)。ナイマンによれば、『実験音楽』の出版以降、70年代後半には、主にミニマル・ミュージックによる実験音楽の商業的な成功、オペラ・ハウスや音楽祭やラジオ局やコンサート・ホールや大学への進出といった事態が生じた。

つまり、70年代には、実験音楽はある程度認知され、急進的で革新的なアヴァンギャルドではなくなっていったと考えられるだろう。1974年、あるいは漠然と70年代を、実験音楽が終焉した年代として考える所以である。

また70年代には、実験音楽の戦略と原則を継承する系譜の中から、ケージ的な実験音楽を相対化する音響芸術が登場してきたように思われる11。私が念頭に置いているのは、70年代以降に活動を開始した新しいタイプのサウンド・アーティストたち、例えば、自らの音響芸術を「音響彫刻sond sculpture」と称するビル・フォンタナ(Bill Fontana 1947-)(次節で検討する)や、ハリー・パーチ・アンサンブルにヴィオラ奏者として参加したことから音楽活動を開始し、グランド・キャニオンの生態系とトランペット演奏とのコミュニケーションを記録する音響作品などを制作するデヴィッド・ダン(David Dunn 1953-)といった芸術家たちである。

彼らの音響実践は、同じく70年代に世界的に有名になったR.M.シェーファーのサウンドスケープ論12と同じ地平から(環境)音にアプローチするものである。詳細は次節で論じるが、フォンタナは、環境音が意味作用を持つこと―聴き手は環境音に何らかの意味を聞き出すこと―を重視するがゆえに、ケージ的な実験音楽を相対化するロジックを構築する。環境音の意味作用の重要性を重視した活動が、ケージ以降に、学際的な学問分野と音響芸術として登場したことについては何らかの関連性―直接的な影響関係はないようなので、時代背景の共通性など―が考察されて然るべきだが、本論では、ケージを相対化するロジックをまとめることに集中したい。それゆえ次節では、フォンタナ作品を検討することにする。

2.2.ビル・フォンタナのサウンド・スカルプチュア

アメリカの音響芸術家、ビル・フォンタナは、はじめは録音した環境音を用いるテープ・コラージュ作品を制作していたが、70年代半ばに制作した《キリビリ埠頭 Kirribili Wharf》(1976)以降、自らの音響芸術を「音楽」ではなく「音響彫刻 sound sculpture」と称し始めた13(フォンタナについては、フォンタナ自身の文章並びに中川真1992;庄野1989を参照)。それらは、例えば、様々な場所の音をマイクで拾い、それらを電話線、ラジオ、あるいは衛星放送などを用いて通信し、リアルタイムで重ね合わせてスピーカーから放送するものである。視覚的な鑑賞対象を制作するわけではないこの音響作品が「彫刻」と呼ばれるのは、それが、録音採集される音響の空間的特性を含みこむため彫刻作品と同じく空間的特性を持っているように感じられるからだし、それゆえ、彫刻のように、空間知覚や視覚的経験にも影響を与えるものとして位置づけられるからだろう14

例えば《キリビリ埠頭》は、シドニーのキリビリという埠頭の桟橋に設置した8本のマイクで録音した音響を用いて制作したものだ。8チャンネルのテープレコーダーに録音された音響は、シドニーのギャラリーの屋根に設置した8つのラウドスピーカーから再生され、ラジオでも放送された。聴き手には、初めは、時折パーカッシヴな音を立てる水音やその後ろで小さな音量で聴こえる波や風の音しか聴こえまい。しかし聴き続けるにつれ、水音の多様性―水がぶつかり合う音、板に当たって砕ける音、遠くで海面に落ちる音など―に気付き、さらに、シリンダーに吹き込んで来る風の音、桟橋の板が擦りあわされる音、話し声や咳を判別できるようになるのではないだろうか。フォンタナは「キリビリ埠頭は永続的に自動的に演奏し続ける状態にある桟橋なのだ」(Fontana res)と述べている。桟橋が奏でるこの音響作品はフォンタナや他の人間がコントロールして生成するものではないのだから、「結果が知られてない行為」としての「実験音楽」の継承者たる資格を備えていると言えるだろう。

とはいえ、フォンタナの音響作品は、(環境)音の意味作用を作品の中で重視するという点で、ケージ的な実験音楽と決定的に異なる。フォンタナは、音楽作品に「環境音」を持ち込んだ存在としてケージを評価すると同時に、そこでは「環境音の潜在的な意味」が知覚されないことを批判する。フォンタナによれば、環境音を用いるケージ的な実験音楽作品の問題は、それが聴かれる環境―コンサート・ホールなど―が「環境音が発生する実際のコンテクストから切り離されている」ことにある。しかしフォンタナによれば、「環境音の潜在的な意味」が知覚されるためには、環境音は「環境音が発生する実際のコンテクスト」で提示されなければならない(以上、Fontana emr)。フォンタナによるケージへの批判を理解するために、《キリビリ埠頭》(1976)以降のフォンタナの集大成、《サテライト・サウンド・ブリッジ ケルン―サン・フランシスコSatellite Sound Bridge Cologne-San Francisco》(1987)を例に説明しておこう。

これは、ケルンとサン・フランシスコという二つの都市から18個ずつの音響を採集してリアルタイムで重ね合わせる作品である。二つの都市を特色付けるだろう音響が選ばれており、ケルン大聖堂の鐘の音やケルン中央駅やライン川で採集される音、あるいはゴールデン・ゲート・ブリッジで聴こえる音―霧笛や波の音など―やサン・フランシスコの鳥獣保護区の鳥の声などが用いられた。これらが衛星通信を通じて重ねあわされ、ケルンのルードヴィッヒ美術館とサン・フランシスコのコンテンポラリー美術館に設置されたラウドスピーカーから再生されると共に、北米とヨーロッパの50以上のラジオ放送局から放送された。この音響作品を、ある種のクライマックスを持つ音楽として聴くことは可能である。例えば、CD(Fontana1994)15の14分頃から続く霧笛と列車の到着音と教会の鐘の音の混合部分は、例えば教会の鐘の音は複数録音されているし複数のマイクで録音されているのでディレイ効果が付加されており、それまでの「退屈」な音響テクスチュアと比べてある種のクライマックスであるかのようにも聴こえ、大変「美しい」部分である。

またこの作品の他の魅力は音響的側面に関わるものだ。つまり、普段は同時に聞かない環境音が併置されることで、普段は気付かない音響的性格―音響同士の意外な類似性―が開示されることだ。例えば、霧笛と教会の鐘の音、鳥の鳴き声とマンホールの裏で録音された足音やゴールデン・ゲート・ブリッジがきしむ音、あるいは波音と雑踏。こうした、普段は気付かない環境音同士の音響的性格の意外な類似性が開示されることで、この作品は、聴き手がそれらを注意深く聴き直すきっかけとなるだろう。

とはいえこの作品の最大の魅力は、音響的側面に留まらず、音響の意味作用の知覚に関わるものだろう。この点でフォンタナとケージは決定的に異なる。

フォンタナ作品には、音を元のコンテクストから別のコンテクストに置くことで「音の意味が揺さぶられる異化的な驚き」(中川真1992:353)がある。この異化作用は具体的には一般化できまいが、一つの事例を想像してみよう。例えば、教会の鐘の音と霧笛の音響的性格の類似性―強めのアタック音に続く、深いリヴァーヴのかかった持続音―は、それが普段馴染んでいる音響だからこそ逆に、ケルン市民をその意外な類似性で驚かせ、普段聞き流す鐘の音を、再び注意深く、それまで聴いていたものとは異なるように聴き直す契機となるかもしれない。そしてそれは、音響的性格の理解の仕方を変えてしまうだけではなく、鐘の音が連想させるものをも変えてしまうかもしれない。つまり、記憶を連想させるという音の意味作用を駆動するかもしれない。どのように聴き直されるかは一般化できまいが、例えば、鐘の音と霧笛の重ね合わせを聴いた後は、鐘の音とともに、自分の霧笛に関連する記憶を思い出すことになる人もいるかもしれない―例えば港のすぐ側に住んでいた頃の思い出など―。霧笛を海や港(という元のコンテクスト)ではなく教会の近く(という別のコンテクスト)に置くことで、聴き手は、ふだん鐘の音には喚起されない記憶を連想することになるかもしれないわけだ。フォンタナ作品には、(鐘の)音が駆動する意味作用を揺さぶる異化的な驚きがあるのだ。

「環境音が発生する実際のコンテクスト」において提示されることで知覚される、とフォンタナが述べる「環境音の潜在的な意味」が、具体的に何かは一概には言えない。とはいえその一例は、鐘の音が連想させる「霧笛に関連する記憶」といった、環境音が持つ意味作用だと言えよう。そして、記憶を連想させるというこの環境音の意味作用は、フォンタナの音響作品においては、「環境音が発生する実際のコンテクスト」すなわち「実際に普段、教会の鐘の音が聴かれる場所」(以上、Fontana emr)で聴かれることによって駆動されるものだ。

フォンタナの方法が「環境音の潜在的な意味」を提示する唯一の方法か否かはここでは問わない。ただ、フォンタナによるケージ批判の要点を強調しておきたい。フォンタナは、環境音の意味作用―環境音が連想させる意味、あるいは聴き手が環境音に聞き出す意味―がケージ的な実験音楽においては抑圧されていることを、批判しているのだ。つまりおそらくフォンタナは、例えば《4’33’’》における「聴衆のざわめき」の意味作用が抑圧されていること(後述する)を批判するのだ。音響の意味作用を抑圧するか否かという点で、フォンタナがケージと自らを差異化しようとしていることは、次のような言葉からも明らかではないだろうか。

「あらゆる瞬間に聴くべき何か意味のあるものがある。」(Fontana emr)

これは、フォンタナが自作について語る時ほとんど常に、自分の制作理念の基本的な信念として述べる言葉である。またフォンタナは、引用部の後で、「私は、意味のある音響パターン(meaningful sound paters)という意味での音楽は、自然のプロセスで、常に存在していると考えている」(Fontana emr)とも言い換えている。ここで語られている音楽とはフォンタナの音響彫刻のことだ。つまりここでは、フォンタナが自分の音響彫刻を、環境音を併置するだけのものではなく、何らかの意味のある音響パターンとして構想していることが確認できるだろう。先程あげた「鐘の音」の例で言えば、フォンタナは、ただ音響的性格が似ているから「霧笛」と「鐘の音」を併置するのではなく、「霧笛に関連する記憶」という意味を喚起することを重視して「鐘の音」を用いているだろうことが確認できるだろう。フォンタナにとって、環境音は、聴き手に何らかの意味を喚起するがゆえに―意味があるものとして聴かれ得るものであるがゆえに―重要なのだ。ここでいう「意味」とは、フォンタナが明示的に規定できるものではないし、聴き手によってそれぞれ異なるものとして聞き出される、いわば曖昧なで不明瞭なものだ。しかしそれでも、フォンタナは、環境音が持つ意味作用―様々な記憶を喚起する機能など―を重視して作品制作に向かうことを宣言するものだと言えよう。

これを、ケージの

「私が死ぬまで音は鳴っている。そして、死んでからも音は鳴りつづけるだろう。音楽の未来について恐れる必要はない。」(Cage 1957: 9)

とする信念と比較しておきたい。これはケージが無響室の経験の後に自分にとっての音響世界を定義し直した言葉で、ケージが自分の制作理念の基本的前提として、音楽的素材としての環境音は常に存在することを宣言した言葉である。一章で確認したとおり、無響室での経験の後、ケージは、沈黙とは気づかれないままに音が存在していた状態であるという信念を形成し、そうして再定義された沈黙―非意図的な音響、環境音―をも自らの音楽実践の中に取り込むべく実験音楽の理念を形成していくことになった。つまり50年代のケージにとって、世界には人間主体とは無関係に常にすでに環境音が存在しているのだ。そして実験音楽とは、そのような環境音さえも音楽的素材として用いようとする音楽だった16

フォンタナの言葉もケージの言葉も、いずれもあらゆる瞬間に環境音が存在していることを自分の音楽理念の基盤に据えることを宣言している。しかし次節で確認するように、ケージにとって環境音とは、人間主体とは無関係に存在するがゆえに、いかなる意味作用も担わないという設定を持つ音響である。しかしながらフォンタナの音響彫刻にとっては、環境音が「意味のある meaningful」音として聞き出されることこそが重要である。それゆえ、自分の音楽制作理念の基盤に環境音があると宣言する点でほとんど同じ内容の言葉に、フォンタナが「意味のある meaningful」という形容詞を付加したことに、ケージに対するフォンタナの異議申し立てを読み取れるのではないだろうか。フォンタナは、ケージとは異なり自分は環境音の意味作用を活用することを主張しているのだ。本人は明言しないが、自らの音響芸術を「音楽」ではなく「音響彫刻」と呼ぶのも、フォンタナがケージと自らを差異化しようとするからだと解釈できるのではないだろうか。

2.3.ケージを相対化するロジック

ケージ的な実験音楽を相対化するロジックを図式的にまとめておこう。それはケージ的な実験音楽が音響の意味作用を抑圧する点を批判し、同時に、音楽的素材の拡大という実験音楽の基本的な戦略の虚偽性を告発することで、ケージ的な実験音楽を相対化するのである。

音楽的素材の拡大という戦略の虚偽性は、例えば、ケージが実際にあらゆる音を音楽的素材としては利用しないことを考えると、了解されよう。例えば《ウィリアムズ・ミックス Williams Mix》(1952)や後の《ロアラトリオRoaratorio》(1979)といった、テープ録音の断片を偶然性に基づいて重ね合わせる作品では、テープ断片の配列はチャンス・オペレーションに従って決定されるので、ある音響は突然他の音響にとって代わられたり突然切断されたりする。またそれらは何重かに重ね合わされているので、元々のテープ断片が持っていただろう意味作用―例えば断片的な発話の意味―を聞きとることは、まず不可能である。つまりここでは音響の意味作用全般が意図的に抑圧されている。ということは、ケージは、二十世紀の聴覚文化の変容が可能とした種類の音を、そのままでは―例えば、電話やラジオが発する「情報伝達を目的とする声」を「情報伝達を目的とする声」としては―「音楽」に取り込めないのだと言えるだろう。

音楽的素材の拡大という戦略の虚偽性について考察するために、ダグラス・カーンの指摘を参照しておきたい。カーンは、ケージ的な実験音楽について考察する中で、そこでは非意図的な音を用いるために音響の意味作用を抑圧する必要があったこと、そしてそれは音楽的素材の拡大という戦略の帰結であること、つまり、ケージのあらゆる音を用いる音楽には「限界」があることを指摘してきた。

カーンの指摘を整理しておく(以下、カーンの発言はKahn 1993: 103を参照)。カーンによれば、ケージ的な実験音楽は様々な音響を音楽的素材として利用する(カーンは「音の音楽化」と形容する)。そうして日常の様々な音を「音楽化」することで、「非意図的な音」という音楽的素材を手に入れるわけだ。しかしカーンは、それは「音楽芸術」の立場からすれば、素材の領域が拡大するのだから素晴らしいことかもしれないが、「音響の意味作用も含め、音響の属性を全て素材と考える音を扱う芸術実践の立場」からすれば「素材が持つ潜在的な可能性に対する偏狭な反応」で、「音響固有の性質を斥けて経験を否定して記憶を抑圧」することだ、と指摘する。カーンがここで指摘するのは、ケージの場合、日常世界の音響はそのままでは使用されず、 偶然性の技法などを用いることで「音響から意味連関を奪う」必要がある、ということである。でなければ、ほとんど全ての日常世界の音響は、「音をあるがままにすべし」という実験音楽の原則に反する音だからだ―例えば電話やラジオの声は、「情報伝達」といった意味連関を剥奪される必要がある―。つまりカーンは、音楽的素材の拡大―音の音楽化―という戦略は、あらゆる音を利用するという建前を掲げているが、音響のある側面―音響が持つ意味連関―を抑圧するものなので、それゆえ実は、音素材が持つあらゆる可能性に応えるものではないことを指摘する。カーンは、実験音楽の基本的な戦略である、音楽的素材の拡大という戦略の虚偽性を告発するのだ。

例えば《4'33''》(1952)の「聴衆のざわめき」は、実際は、コンサート・ホールに通う習慣を持つある程度上品な社会層に属する聴衆が出せる程度のざわめきの大きさを教えるものだろうし―盛り上がったロック・コンサートなら生じるかもしれない、会場を焼き尽くすような騒乱が生じるとは考えにくい―、あるいは、予め《4'33''》(1952)に対する知識を持っている人間がどの程度いるかを示すものでもあるはずだ―多ければ多いほどざわめきは少なくなるのではないだろうか―。しかし「聴衆のざわめき」を「非意図的な音、環境音」として成立させるためには、そうした音響の意味作用は抑圧されなければいけない。これがケージ的な実験音楽の立場だ。とはいえカーンが言うように、現実にはそんな「非意図的な音」は、その背後にある意味作用を隠蔽した、ある種の虚偽性をはらんだ虚構としてでなければ、成立しない。「文化と社会の外側で聞かれる音響などないからだ」(Kahn 1993: 103)。音楽的素材の拡大という戦略は「非意図的な音」をも音楽的素材の領域に導入するに至ったが、それは、意味作用が抑圧されたある種の虚偽性をはらんだ虚構でしかないのだ(「非意図的な音」という表象における虚偽性と虚構性については中川2008a参照17)。

ケージの非意図的な音においては意味作用が抑圧されているというカーンの指摘を参照することで、私は次のように主張しておきたい。つまり、音楽的素材の拡大という戦略に依存する限り、実験音楽というジャンルはそもそも内側から自壊する運命にあったのだ、と。

ケージ的な実験音楽は、「音の全領域に向かい合う」(Cage 1937: 4)という欲望に牽引されて、音楽的素材の拡大という戦略を採用し、またそれゆえ「音をあるがままにすべし」という原則を要請することで、「実験音楽」という理念を形成した。しかしやがて、この戦略と原則を同居させることは困難なことが明らかになってきた。実験音楽では「音の全領域」が志向され「非意図的な音」や「環境音」までも取り込まれようとしたが、そこにはある種の虚偽性が潜んでおり、そこで取り込まれる音とは、その意味作用が抑圧され、社会性を喪失した、ある種の虚偽性をはらんだ虚構でしかなかったのだ18。この虚偽性が70年代に実践において、あるいは90年代以降に理論的において告発されることで、ケージ的な実験音楽は相対化されることになったと考えられるだろう。作曲家の欲望は戦略と原則を打ち立てることで実験音楽というジャンルを形成したが、戦略と原則の矛盾は、実験音楽というジャンルを内側から自壊させるものだったのだ。

おわりにかえて

以上、実験音楽の成立と変質について検討してきた。音楽的素材の拡大という作曲家ケージの欲望が、非意図的な音と環境音を音楽的素材として用いることを求めた。その結果「音をあるがままにすべし」という原則が要請され、実験音楽の理念が形成された。しかし70年代に、この欲望と原則を継承するケージ的な実験音楽の中から、実験音楽においては音響の意味作用が抑圧されていることを批判する実践が登場した。これは、音楽的素材の拡大という欲望が、それまで抑圧してきた「音響の意味作用」をも音響芸術の中に取り込もうとした結果、「音をあるがままにすべし」という原則と齟齬をきたすことになったからだと解釈できるかもしれない。だとすれば、あらゆる音を用いたいとする作曲家の欲望は、実験音楽という理念を形成すると同時に変質させる原因にもなったと解釈することもできるだろう。

変質した実験音楽はどうなったか? あるいは、ケージを相対化する音響芸術はどう展開したか? 私は、アヴァンギャルド音楽ではない音響芸術―あるいは「サウンド・アート19―)の系譜との関連を考察することは一つの可能性ではないかと考えている(Lander and Lexier 1990、あるいは中川2010など)。とはいえそれは今後の課題として、本論は、ケージを相対化するロジックを確認したことで終えておきたい。

本稿は、2007年度に京都大学より博士号を認定された学位論文(『聴くこととしての音楽―ジョン・ケージ以降のアメリカ実験音楽研究』)(中川2008)の第一章と第六章に基づき、新たに書き下ろしたものである。

参照文献

外国語文献

Bandt, Ros. 2001. Sound sculpture, intersections in sound and sculpture in Australian artworks. Sydney: Craftsman House.

Bernstein, David W. 2001. "Introduction." Bernstein and Hatch 2001: 1-6.

Bernstein, David W. and Christopher Hatch, eds. 2001. Writings through John Cage's music, poetry, and art. Chicago: The University of Chicago Press.

Cage, John. 1937. "The future of music: Credo." Cage 1961: 3-6.

---. 1948. “A composer's confessions (1948).” Cage 2000: 27-44.

---. 1952-1958. "Composition to describe the process of composition used in Music of Changes and Imaginary Landscape No.4." Cage 1961: 57-59

---. 1955. "Experimental music: doctrine." Cage 1961: 13-17.

---. 1957. "Experimental music." Cage 1961: 7-12.

---. 1958a. "Composition as process I..changes / II. indeterminacy / III. communication." Cage 1961: 18-56

---. 1958b. "Erik Satie." Cage 1961: 76-82.

---. 1961. Silence. Middletown, CT: Wesleyan University Press.(ジョン・ケージ 1996 『サイレンス』 柿沼敏江(訳) 東京:水声社。)

---. 1974. "The future of music." Cage 1979: 177-184.

---. 1979. Empty words. Middletown, CT: Wesleyan University Press.

---. 2000. John Cage, writer. Edited and introduced by Richard Kostelanetz. New York: Cooper Square Press.

Fontana, Bill. 1987. "The Relocation of ambient sound." Leonardo. 20.2: 143-147.

---. 1994. Satellite sound bridge Cologne-San Francisco (Ohrbruecke / Soundbridge Koeln - San Francisco). CD.WER 6302-2. Mainz: Wergo.

---. emr. "The Environment as a Musical Resource." (http://www.resoundings.org/)

---. res. "Resoundings."(http://www.resoundings.org/)

Kahn, Douglas. 1990. "Track Organology." October 55 (1990): 67-78.

---. 1993. "The Latest: Fluxus and Music." Armstrong, Elizabeth, and Joan Rothfuss, eds. 1993. In the spirit of Fluxus. Minneapolis: the Walker Art Center: 102-120.

---. 1999. Noise, water, meat: a history of sound in the arts. Cambridge, Massachusetts, and London: MIT Press.

---. 1999-6. "Chapter 6 John Cage: silence and silencing." Kahn 1999: 161-199.

Labelle, Brandon. 2006. Background noise: perspectives on sound art. New York: Continuum.

Lander, Dan. 1990. "Introduction." Lander and Lexier 1990: 10-14

Lander, Dan, and Micah Lexier, eds. 1990. Sound by artists. Banff, Toronto: Art Metropole and Walter Phillips Gallery.

Licht, Alan. 2007. Sound art: beyond music, between categories. Book & CD. New York: Rizzoli.

Nyman, Michael. 1973. "Cage and Satie." Kostelanetz, Richard, ed. 1993. Writings about John Cage. Ann Arrbor, MI: The University Press of Michigan: 66-72.

---. 1974. Experimental music : Cage and beyond. New York: Schirmer Books. Rept. with new introduction by Brian Eno. New York: Cambridge University Press, 1999. Page references are to this 2nd edition.

Patterson, David W., ed. 2002. John Cage : music, philosophy, and intention, 1933-1950. New York and London: Routledge Publishing, Inc.

Perloff, Marjorie, and Charles Junkerman, eds. 1994. John Cage: Composed in America. Chicago: The University of Chicago Press.

Pritchett, James. 1993. The music of John Cage. New York: Cambridge University Press.

日本語文献

近藤譲 1985 「器としての世界―ケージの音楽における時空間の様態」 『現代詩手帳 特集 ジョン・ケージ』1985年4月臨時増刊号:60-69。

ジョセフ・ランザ(Joseph Lanza) 1997 『エレベーター・ミュージック BGMの歴史』 岩本正恵(訳) 東京:白水社(原著1994年)。

庄野進 1989 「眼と耳が交差する時」 栃木県立美術館 『音のある美術』 カタログ:7-10。

---. 1991 『聴取の詩学 J・ケージから そしてJ・ケージへ』 東京:勁草書房。

中川克志 2007 「ノイズの音楽化―プリペアド・ピアノの場合」 京都美学美術史学(編)『京都美学美術史学』第6号:67-93。

---. 2008 「聴くこととしての音楽―ジョン・ケージ以降のアメリカ実験音楽研究」 博士論文 京都大学博士。

---. 2008a 「『ただの音』とは何か?―ジョン・ケージの不確定性の音楽作品の受容構造をめぐって」 京都市立芸術大学美術学部(編)『研究紀要』第52号:1-11。

---. 2010 「クリスチャン・マークレイ試論―見ることによって聴く」 『京都国立近代美術館研究論集 CROSS SECTIONS』Vol. 3 (2010) 2010年10月刊行予定。

中川真 1992 『平安京 音の宇宙』 東京:平凡社。

中井悠 2007 「沈黙の媒介 ジョン・ケージにおける作品の作動方式」 水声社(編)『水声通信 特集 ジョン・ケージ』No.16(2007年3月号):68-79。

マリー・シェーファー 1986 『世界の調律―サウンドスケープとは何か』 鳥越けい子ほか(訳) 東京:平凡社(原著1977)。

庄野進 1996 「音環境・都市・メディア 「開口部」をめぐって」 武藤三千夫(研究代表者)『都市環境と藝術―環境美学の可能性』 平成6-7年度科学研究費補助金[総合研究(A)]研究成果報告書:74-82。

鳥越けい子 1997 『サウンドスケープ:その思想と実践』 SD選書229 東京:鹿島出版会。

1 私はNyman 1974に従い、音響結果に対するコントロールを否定して音響をプロセスとして理解するケージ的な「実験音楽」と、あくまでも音響結果に対する作曲家のコントロールを保持し、音響をオブジェ(固定されて何度でも再現し得る対象)として理解するブーレーズ(Pierre Boulez 1925-)やシュトックハウゼン(Karlheinz Stockhausen 1928-2007)らの「前衛音楽」に二分されるものとして「現代音楽」を理解している。もちろんナイマンが指摘するように、この二分法はあくまでも理念的で作曲家の制作態度を区別するものに過ぎないかもしれないが、同時に「音楽が秘めている、美的・概念的・哲学的・倫理的な考え方から、音響を分離しようと試みることは馬鹿げたことであろう」(Nyman 1974: 2)とも言えよう。それゆえ本論では、「現代音楽」の一翼としての「実験音楽」の美的・概念的・哲学的・倫理的な考え方を問題とする。

2 本論で検討する、1970年代以降に批判されるケージは、基本的には、50年代の、遅くとも60年代初頭までのケージである。Pritchett 1993はケージの音楽活動を大まかに六期に区分しているが、それに従えば、本論で検討するケージは、主として、1950年代以降に、偶然性の技法を考案して「実験音楽」を始めた時期(1951-56)と、不確定性の音楽に取り組んだ時期(1957-61)のケージである(ケージの活動時代の区分については庄野1991:25も参照)。おそらく、ケージ以降の世代の音響芸術家たちが念頭に置いていたのは、基本的にはこの時期の「音楽家」ケージだと思われる。60年代以降のケージ―その成否はともかく何らかの社会との接点を求めて行われた「シアター」や「サーカス」といったパフォーマンスやハプニングに取り組んだ時期(1962-69)や、ナンバー・ピースなどある種の復古的傾向を見せていると誤解される程度には実験的な傾向を弱めたように見えるそれ以降(1969-92)―には、本論で言及するケージを相対化するロジックは、直接的には当てはまらないと思われる。

3 前者としては、ケージ自身の著作やケージと個人的に面識があった「インサイダー」(Perloff and Junkerman 1994: 2)たちの伝記的で逸話的な文章を、後者としては、90年代以降に登場してきた、Pritchett 1993や、Bernstein and Hatch 2001、Patterson 2002を念頭においている。後者の多くは、ケージの作品や制作理念を主題に音楽学の領域で80年代から90年代に博士論文を書いた研究者の著作で、作曲家としてのケージに焦点を置くものである。これらに代表される90年代以降のケージ研究に加え、ケージの死後整備され始めたケージ・アーカイヴに基づく新しい研究や、ここ数年で驚くほど充実してきた、ケージ研究者たちが公開しているウェブ・リソース―ケージ作品に関するデータベース等はこれらのウェブ・リソースを通じて得られるものが最も詳細である―は、まさに「ケージ研究史の転換点」(Bernstein 2001: 2)と呼ぶにふさわしいもので、今後の研究成果を大いに期待させる。

4 本論では「音楽的素材の拡大」を実験音楽の「戦略」と解釈している。この観点はKahn1990に学んだ。

5 実際の手順は非常に複雑である。詳細はCage 1952-1958: 57-59、ケージ1996の訳注(柿沼1996:439)を参照。

6 実験音楽における聴取について。

言い換えれば実験音楽とは、聴き手の能動的(で好意的)な参加を必要とする音楽ジャンルである。聴き手に求められる「音の営み」(Cage 1957: 10)とは、例えば次のように形容される。

「音は自らを、思考、あるべきもの、自らの解明のために他の音を必要とするものなどとは考えない。音には考えている時間はない_音は自分の特性を実現することにかかりっきりになっている。音は自らが消えてしまう前に、その周波数、音量、長さ、倍音構造、そしてそうした特性や自らの正確な形態を、完全に厳密なものにしなくてはならないのだ。」(Cage 1955:14)

実験音楽では、聴き手は、音と音との関係性にこめられた作曲家の表現やメッセージを解読したり「言われていることを理解すること」(Cage 1957: 10)ではなく、ここで描写されるような、音響が生起しては消えていくプロセスを観察することが求められるわけだ。

以下は私見である。このように聴取に依拠するがゆえに、実験音楽の成否の大半は、聴き手の聴取スタンス―聴き手が作品に対して好意的・能動的な解釈的聴取を発動するか否か―に依拠している。つまり聴き手が関心を持たなければ、実験音楽は容易く失敗する音楽なのだろう。とはいえしかし、私は、実験音楽の魅力として、偶然性の技法が実現する、既存のいかなる基準からも予想できない音響の振る舞い―「音の営み」―に驚くこと、をあげておきたい。

7フルクサス以降の実験音楽の継承については中川2008を参照。

8 中井2007は、「枠と出来事」というケージ解釈が美的枠組みとしては問題があることを指摘している。中井の指摘は―「枠と出来事」解釈が名指しされて批判されているわけではないが、その批判は「枠と出来事」解釈を念頭においてなされていると考えるべきだろう―、「枠」に「出来事」が生じるだけで「出来事」が聴き取れるわけではなく、そこには必ず「耳という不確定な媒介」(76)が関与しており、50年代以降のケージの目的はその「媒介の不確定性」を作品の中に取り込むことにあった、という指摘である。中井2007は、ケージの音楽制作理念の美的分析に新しい可能性を示したものとして評価できる。

本論は、ケージの音楽制作理念の美的分析ではなく、音楽的素材の拡大という戦略の展開を考察することで、ケージ以降の音響芸術の展開を考察することに貢献しようとするものである。それゆえ、ケージの音楽制作理念の美的分析としては問題があるかもしれないが、歴史的展開の考察のために単純で明快な枠組みを与えてくれるので、本論では「枠と出来事」解釈を利用する。

9 ただし、そうして批判されるケージは、おそらく基本的には50年代のケージだ。少なくとも60年代以降のケージは、「サーカス」作品等を試みており、音の意味作用や音楽の社会的含意について完全に否定的だったわけではないからだ。

10 ケージは、Cage1948の講演のなかで《サイレント・プレイヤー 》(1948)の構想に言及しているが、そこでは、その目的や意図についての明確な説明はない(Cage 1948: 43)。本論では、《サイレント・プレイヤー》(1948)が、現実の社会的状況の中で機能するものとして構想されたことを重視し、具体的にどのような機能を期待されたかは不明ながらも、この作品に《4'33''》(1952)への移行の中で失われていった「社会性―ここでは、沈黙が提示される場所の社会性、現実社会のコンテクストの直接的な関連性―」を見出すことにする。

11 とはいえ繰返すが、私は「70年代」を一つの指標として提示するに過ぎない。というのも、ケージ的な実験音楽に対する批判やケージを相対化しようとする動向を70年代以前に遡って探し出すことは可能だからだ。例えばダグラス・カーンによれば、60年代からアルヴィン・ルシエ(Alvin Lucier 1931-)は自作を「サウンド・アート」と呼んでいたし、60年代には既に多くの芸術家が自作を「サウンド・アート」や「サウンド・インスタレーション」と呼んで「音楽」とは区別していたらしい(2006年1月21日、University of California, Davisでのダグラス・カーンとの会話より)。これもまたケージ的な実験音楽を相対化しようとする音響芸術として解釈できるかもしれない。

12 私は、音の風景を意味する「サウンドスケープ」を、庄野進が端的に形容したように「記号化して捉えた聴覚世界」として理解している(庄野1996)。これは非常に端的で明快な要約である。シェーファーの活動については、シェーファー1986、鳥越1997、庄野1996、中川真1992を参照。

13 フォンタナが自作を音響彫刻と呼び始めたのは、Fonatana1987: 143によれば1974年、Fontana 1994: 21によれば1976年である。フォンタナ自身の言葉からは、何年なのかは確定できなかった。

14 フォンタナの音響作品がもたらす視覚的経験への影響については、例えば、中川真は「視覚と聴覚の聴覚の共感覚的な協働といった心理・生理的な相乗作用」と形容するだけでは留まらない程の「視野そのものの変容」を経験したことを報告している(中川真1992:352)。また、庄野進は、フォンタナの音響作品ではスピーカー・システムが隠されることを指摘し、それは、意外な場所から音響が聴こえてくるため「我々の空間感覚を攪乱し、今までにない空間体験を可能にする」と指摘し、そうした空間体験を狙うからこそ、フォンタナは自身の音響作品を彫刻と形容するのだと述べている(庄野1989: 9-10)。

15 私が参照したのは、1994年にWergoから発売されたCD(Fontana 1994)である。1987年5月31日の午後6時から7時にかけて、北米とヨーロッパの50以上のラジオ局で放送されたされた内容が収録されている。

16 これはケージらしいプティミスティックな見解だが、音楽的素材の存在が音楽の未来を保障するわけではないだろうから、この言明は論理的には間違いである。音楽的素材と音楽との同一視という過誤は、「音楽」概念の取り扱いに関する実験音楽のスタンスを示すものではあろうが、本論では、本論の論旨には影響はないと判断し、言及しない。今後の「実験音楽研究」における課題である。

17 中川2008aでは、「非意図的な音」という表象が成立する条件を考察した。私は、ある音響は、偶然性の技法を用いることでその意味作用が抑圧され、「あらゆる意味を拒絶する」という機能を担わせられることで、他に形容の仕様がないがゆえに「非意図的な音」として表象されるのではないか、と考えた。

18 フォンタナと同じく70年代以降に環境音を用いる音響芸術を制作し始めたデヴィッド・ダンもまた、明確にケージ的な実験音楽における音響の意味作用の抑圧を批判するわけではないが、音楽的素材の拡大という戦略の虚偽性を告発している(Dunn 1997: 3)。

ダンの指摘は次のように整理できる。1)音楽的素材の拡大とは、「音楽」という文化的な枠組みの中に、まだその枠組みの中に含まれていない新しい音を「徴用する加算プロセス」である。2)しかし「音楽」とは一連の文化的なコードに過ぎないのだから、そこには常に(文化的な枠組みの外部に)組み尽くせない残余が存在する。3)それゆえ、音楽的素材の拡大とは、未だ音楽的素材としては組み込まれていない「外部」の音響を音楽的素材として名指し続ける「トートロジカルなゲーム」に過ぎず、「外部」を音楽的素材(という「物資」)として名指し(「徴用」し)続けるという同語反復的で自閉したゲームに過ぎない。

ケージを相対化するロジック、「音楽的素材の拡大という戦略」に対する批判の一例として挙げておく。

19 サウンド・アートというジャンルは、未だその外延は未確定で、十分概観されていないと思われる。近年のBandt 2001; Labelle 2006; Licht 2007は、まだ、ジャンルの全体像を概観するには脆弱な基盤と言わざるを得ないように思う。

11/16