2010年02月 音響記録複製テクノロジーの起源 -帰結としてのフォノトグラフ、起源としてのフォノトグラフ

中川克志 2010a 「音響記録複製テクノロジーの起源―帰結としてのフォノトグラフ、起源としてのフォノトグラフ」 『京都精華大学紀要』第36号:1-20。

(ここで公開している論文たちには校正での訂正が反映されていない部分があり、実際の掲載稿とは若干相違があります。引用などの場合、必ず、公開された原文をご参照ください。)

音響記録複製テクノロジーの起源

-帰結としてのフォノトグラフ、起源としてのフォノトグラフ

1.はじめに~1860年に記録された声

記録された人間の声が世界で初めて音声として復元されたのは1877年12月6日である。音声を記録して音声として復元する装置に取り組んでいたエジソンが、助手に製作させた何代目かの円筒型蓄音機(フォノグラフ)に、「メリーさんの羊」を吹き込んだのが最初とされる。この時制作されたのは、錫箔を取り付けることができる金属の円筒と、振動膜と針が組み合わさった機械だった。手回しハンドルを回すとスクリューに取り付けられた円筒が回転しながら左右に動く。送話口から送られてくる音の空気振動が振動膜を振動させ、振動膜に取り付けた針が、円筒を覆っている錫箔に縦振動を記録する。こうして振動が記録された溝を針で辿り直すと、振動が音として再現された(ジェラット1981:12 ;Welch and Burt 1994: 16など)。こうして人間の声は、出現したその時だけその場に存在するだけだったはかない存在から、記録されることで様々な場所で何度も繰り返される不死性を得ることになった。人々は、過去の、あるいはとても遠く離れた音声を聴くことが出来るようになったのだ。

これは音響録音複製テクノロジーにまつわるクリシェである。音声を音声として記録し、音声として復元するという、今では普通の聴覚的な美的体験の源泉は、19世紀末にあるとする物語だ。

ところが、である。2008年3月27日のNew York Timesの記事(Rosen 2008)によれば、1860年に記録された歌声が音として復元された。つまり1877年以前に記録された声が音声として復元されたのだ[1]。復元されたのは、1860年4月9日に記録されたフランス民謡《Au Clair de la Lune 月明りに》の一節である。復元された10秒間ほどの音声ファイルは、お世辞にも明瞭とは言えない、何かが歌われていることが分かる程度の音質だが、それでも紛れもなく、エジソンがフォノグラフを発明する10年以上前に記録された歌声である。この世にも奇妙な歌声を記録したのは、レオン・スコット(Édouard-Léon Scott de Martinville 1817-1879)という人物が1850年代[2]に発明したフォノトグラフという機械である。フォノトグラフは、(直接的な影響関係はなかったが)エジソンのフォノグラフの先駆的存在として、そして、初めて音声の空気振動を視覚的な波形に記録したがそれを音声としては復元できない機械として、知られてきた。このフォノトグラフの残した音声記録が、2008年になって初めて、現在の科学技術のおかげで、実際に音声として復元されたのだ。復元された音声(もしくはフォノトグラフによる音声記録)は、確かに「世界最古の音の記録=recording」ではあるが、それは、記録時には音としての復元を想定してはいなかったにも関わらず音声として復元され(てしまっ)た「世界最古の音の記録=recording」なのだ。New York Timesの記事は次のように述べている。「今やリスナーたちは、音響を再生するというアイデアが想像さえされていなかった時に行われた音の記録を聴く、という奇妙さについて思索しなければいけないのです。」(Rosen 2008)。

この奇妙さの原因は、過去の事物が今の常識で解釈されることで、出現当時の姿とは違う形で出現したことだろう。つまり、「音響を再生するというアイデアが想像さえされていなかった時に行われた音の記録」が音声化されたものが、作成された時とは異なるあり方で(音として)出現したことだろう。要するに時代が違うのだ。では具体的に、フォノトグラフ以前と以後では、音響を記録して複製するテクノロジーを取り巻く状況はどのように異なるのか?これが本論の問いである。既に述べたように、そして次章で簡単に参照するように、フォノトグラフは、基本的には、まだ再生機能を持っていなかったフォノグラフの先駆的存在としてのみ理解されてきた。しかしフォノトグラフは、音の視覚化というコンテクストからすれば、ある種の帰結でもある。本論では、フォノトグラフ以前と以後の音響録音複製技術を取り巻く状況の違いを明確に示すことで、現在の音響録音複製技術の起源と本質に関する幾ばくかの知見を得ることを目的とする。そうするで、音響を記録することと音声として復元することとの間にある「奇妙さ」をめぐる考察にも貢献するだろう。

以下、まず二章でフォノトグラフについて概観し、三章で、 音を視覚化しようとするパラダイムの帰結としてフォノトグラフを位置づける。次に四章で、今日的な音響録音複製テクノロジーの起点の一つとしてフォノトグラフを位置づけておきたい。

本論では、音響を記録して復元する行為の歴史性が指摘される。そうすることで、「原音と複製音」あるいは「オリジナルとコピー」という二項対立に依拠せずに、現在の音響録音複製技術を取り巻く状況やそこでの私たちの聴覚的な美的体験について語るための語彙の獲得に貢献できるだろう[3]。複製技術や複製技術に基づく美的体験について語る時、私たちは、未だにベンヤミン的な「原音と劣化した複製音」あるいは「オリジナルとそこからアウラが喪失したコピー」という二項対立に基づく傾向がある。なぜなら、記録される音声と復元される音声との一対一対応を前提とする二項対立は直感的に正しく思われるからだし、また、音響録音複製テクノロジーとそれらの美的体験について語る語彙は未だ貧弱だからだ。しかしそうしたアプローチでは、例えば、現在の私たちの聴覚的な美的体験の根底に「音を視覚化するパラダイム」と「口モデルから耳モデルへの転換」という契機があることは見逃されてしまうだろう。今や、「原音と劣化した複製音」という単純な二項対立モデルではないやり方で、音響複製記録技術と私たちの聴覚的な美的体験について語る語彙を手に入れる必要があるのではないだろうか?本論は、そうした試みに貢献すべく、理論的な整備作業を試みるものである。

2.フォノトグラフとは何か

2.1.フォノグラフの源流としてのフォノトグラフ

さて、フォノトグラフとはどのような機械なのか?これは、送話口(フォノグラフにおける送話口かつ再生口)に取り付けられた振動膜が空気振動としての音を捉え、膜に取り付けられた針(豚の剛毛)が、その振動膜の振動を、油煙紙(あるいは円筒に塗られた油煙)に波形として記録する機械だった。スコットが特許申請したのは「音響を用いて書いたり描いたり、あるいは、得られた図形を複製して工業的に利用する手法のためのプロセス」(WP2:4)である。要するに、音声を波形として油煙紙に記録する、地震計のような装置である。

このフォノトグラフは、ほとんどの音響メディア史では、1877年のエジソンのフォノグラフ以前に音響を記録できた、しかし音響再生メカニズムは持っていなかった「音の記録装置の源流」(岡1986:14)として位置づけられる(他にChanan 1995: 23: 早坂1989;Welch and Burt 1994: 6など)[4]。これは一面では正しいが一面では不十分だ。フォノトグラフ以降の音響テクノロジーの系譜だけを念頭に置けば、確かにフォノトグラフはフォノグラフの源流だが、フォノトグラフは、フォノトグラフ以前の音響テクノロジーの帰結の一つでもあるし、その系譜は今日の音響テクノロジーの根底にも残存しているからだ。

2.2.音響テクノロジー:口モデルと耳モデル

ここで、本論の後の考察のためにも、音響テクノロジーを「口モデル」と「耳モデル」に分類しておきたい[5]。スターンは、19世紀中頃までに音響録音複製テクノロジーのモデルが「口」から「耳」へと変化したことを指摘している(Sterne2003: 70-71)。音響を複製するために、音響を生産するシステム(「口」)を複製するのではなく、効果としての音響を再現することで音響を複製しようとするテクノロジーが登場したのだ。前者を口モデル、後者を耳モデルの音響テクノロジーと呼んでおきたい。口モデルの音響テクノロジーとは、古代から今まで続くオートマタや自動演奏楽器(自動ピアノやオルゴールなど)といった機械的な音響テクノロジーのことで、耳モデルの音響テクノロジーとは、19世紀半ばに登場した、フォノトグラフ以降の近代的な音響テクノロジーのことである。

「口モデル」の音響テクノロジーは、音響だけを複製するのではなく、音響を生産するシステムを複製し、その場でその都度毎回ゼロから振動を生産する音響録音複製テクノロジーである。つまり例えば、ピアノの演奏を記録して複製するために、ピアノの音だけを複製するのではなく、自動ピアノのように、本物のピアノを複製するのだ。これを「口モデル」と呼ぶのは、音響だけを再生産するのではなく、音響生産システムを再構築する音響テクノロジーだからだ。つまり「声」を複製するのではなく、「口」を再構築しようとするのだ。

対して、フォノトグラフ以降、ピアノではなく「耳にピアノの音として聴こえる」音だけを複製しようとする、「耳モデル」の音響テクノロジーが発明されるようになった。この近代的な音響テクノロジーは「音を何か別のものにしてその何かを音に戻す」(Sterne 2003: 22)テクノロジーとして規定される。これは、振動をいったん何か(視覚的な記号など)に変換し、それをもう一度音響振動に変換することで音を再生産するものだ。この音響テクノロジーは、「振動変換メカニズムとしての耳理解」に基づく「鼓膜的メカニズム」を持つ「鼓膜的な器具」(Sterne 2003: 34)として規定されよう。この音響テクノロジーが「耳モデル」なのは、まず第一に、次章で述べるように、近代的な音響テクノロジーは「聞く機械」として理解できるからである。また第二に、(音響生理学や音響学の成立と変化に伴って音響や聴覚に対する理解が変化したことで)近代的な音響テクノロジーは「人間の耳と聴覚のメカニズム」に基づいて構想されるようになったからである。本論で詳細に検討する余裕はないが、一つの事実だけを指摘しておきたい。スコットは、フォノトグラフが実際の人間の耳をモデルに構想されたものであることを繰り返し強調していたことである(WP1: 8-9; WP3: 8-9; WP4: 6-8)。スコットは、耳の鼓膜からフォノトグラフの振動膜を、耳の導管や耳小骨のメカニズムからフォノトグラフの針と振動膜のメカニズムを構想した。「耳モデル」の音響テクノロジーは、空気振動としての音響を変換して聴覚知覚に刺激を伝達するメカニズムとして耳を理解し、そのメカニズムを組み込んで制作された音響テクノロジーなのである。

2..口モデルの帰結:音を視覚化するパラダイムの帰結

フォノトグラフが構想されたコンテクストで目指されていたことは、音を視覚的記号として記録することだった。この音の視覚化というコンテクストの中では、フォノトグラフはある種の帰結である。実際にどの程度用いられたかは不明だが、スコットは、フォノトグラフを、音の空気振動を視覚的に記録して科学的な研究に役立つ調査器具として構想した(WP2: 10)。フォノトグラフは、(現状では不可能だが将来的には)「自然という書物」(WP3:18)を書き記す「自然の速記者une sténographie naturelle, a natural stenography」(WP3:16)となるものとして構想された。スコットによれば、フォノトグラフが画期的なのは、彼以前の科学者たちが行ってきたように固体振動を記録するだけではなく、空気振動をも視覚的に記録できたからだ(WP1:8)。1857年にフランス科学アカデミーに送付した文書の中で、スコットは次のように自らの発明を誇っている。

「実際のところ、空気振動に関する十分な知識を得るのに成功すること、それらを視覚的に研究したり正確な器具で計測したりするのに役立つよう提供すること、あるいは、空気振動を計算したりしばしばそれらを見ることさえ適わない我々人間の感覚器官の不十分さの代わりになること、これは、偉大な一歩ではないだろうか?」(WP1:6)

19世紀半ばには既に、音が空気振動で伝わり、音の高低が空気振動の時間の長短、音の大小が空気振動の振幅によることは解明されていた。フォノトグラフはこの空気振動としての音を初めて視覚的に記録した機械なのだ。フォノトグラフ(phon + auto + graph)という、音声(phon)を自動的に(auto)書き記す(graph)装置にとって重要だったのは、音を視覚的に記録することで、音声記録を音声として復元することではなかった。キットラーが言うように、フォノトグラフとは「それまでは、どこにもけっして書き込むことができないということが最大の特徴となっていたデータの流れを自動的に筆記してしまう装置」(キットラー2006上:71)だった。フォノトグラフとは、それまで人間が知覚できなかった空気振動(としての音)を、初めて視覚的に、しかも自動的に、記録する機械なのだ。三章で詳細に検討するように、フォノトグラフは音を視覚化しようとするパラダイムの帰結の一つなのだ。

2..耳モデルの起源:近代的な音響テクノロジーの起源

また、フォノトグラフは近代的な音響テクノロジーの起源にも位置する。後述するように、フォノトグラフこそが音響振動を視覚的な記号に変換した最初の近代的な音響テクノロジー機器だからだ。

近代的な音響テクノロジーは、「振動をそのまま伝達してしまうのではなく、いったん図形記号に置換し、ふたたびこれを機械振動に還元するという、情報モードの変換方式」(吉見1995:76)を達成したものとして、あるいは、「音を別の表現媒体に書き写す」こと(細川1990:26)をその本質として、あるいは「音を何か別のものにしてその何かを音に戻す」(Sterne 2003: 22)テクノロジーとして、定義される。例えば、フォノグラフは、音響を視覚的記号に変換し、その視覚的記号をもう一度音響として復元する。電話は声を電気に変えて目的地で声として復元する。デジタル録音機器は、音響を0と1の連続に変換し、それを音響として復元する機器である。スターンが言うように、これは便宜的だが有用な定義である(Sterne 2003: 22)。この定義は、19世紀後半まで長らく続いてきた(そして今もある)、音響を機械的に複製しようとする口モデルの音響テクノロジーの系譜-拡声器やスピーキング・チューブ、オートマタ、自動演奏楽器、といった機械的な音響複製メディア-が、その場でゼロから振動を生産して音を複製するという特徴を持つことと、近代的な音響テクノロジーが持つ特徴との違いを際立たせてくれるからだ。近代的な音響テクノロジーでは、音響振動がいったん視覚的な記号に変換され、その視覚的記号がもう一度音響振動に変換されることで、音が複製されるようになったのだ。

四章で詳細に検討するように、フォノトグラフは「耳モデル」の近代的な音響テクノロジーの起源に位置する。フォノトグラフがフォノグラフの先駆的存在なのは、まだ再生機能を持っていなかったからというよりも、音響振動を初めて視覚的な記号に変換した機器だったからである。音を視覚化するテクノロジーが革新的なのは、それが耳モデルの近代的な音響テクノロジーの起点に位置するからなのだ。

フォノトグラフは19世紀以前と以後の音響録音複製技術のパラダイムの相違を際立たせる音響テクノロジーとして位置づけられるだろう。以下、順に整理しておきたい。

3.音を視覚化するパラダイムの帰結

音の視覚化(空気振動を視覚的表象として自動的に記録すること)は、近代的な音響テクノロジーが成立する前提だと言えよう。そして音を視覚的に表象しようとする伝統は、音楽のための音響テクノロジーの発展の伝統よりもむしろ、音の科学的な探求(音響学)の伝統の中で展開してきたものだ。また、フォノトグラフは、発明されてすぐに近代的な音響テクノロジーに接続されたのではなく、当初は、聾教育の分野での利用が目論まれていた。音響学の中から誕生したこと、そして聾教育の分野での利用を目論まれたこと、それらが示しているのは、近代的な音響テクノロジーの本質には「書くこと」を志向する基本的な欲求があること、そして「聴くこと」が「見ること」によって補完されるシナステジアがあること、である。以下、音響テクノロジーと聾教育並びに音響学の領域との関連について概観し、音響テクノロジーの本質にある書記性とシナステジアについて指摘しておく。

3.1.聾教育:聾者のために聴く機械[6]

フォノトグラフという機械は、19世紀後半に幾つか作られたが、それらは必ずしも全てが近代的な音響テクノロジーに関連するものではなかった。例えば、1874年に電話の発明家ベル(Alexander Graham Bell 1847-1922)が作ったフォノトグラフは、近代的な音響テクノロジーとは無関係に、聾教育の領域で用いられることを念頭に作られたものだ。

ベルは、ベルの父と共に聾教育に尽力した人物でもあった。ベルの父のメルヴィル・ベル(Alexander Melville Bell 1819-1905)は1860年頃に視話法(visible speech)というものを考案した。視話法とは、音声を通じてではなく、視覚的に発声法を学ぶ方法である。発声時の唇、舌、喉等々の形を図示し、唇、舌、喉等々をその図の通りに発声できるよう訓練し、聾者が健常者のように発声できるようになることが目的だった。

ベルがフォノトグラフに関心を持ったのは、それが、父の視話法を発展させた形で聾者教育に役立つと考えたからだ。ベルにとってフォノトグラフとは、次のようなプロセスの中で機能する機械だった。

1.聾者が発声した声の視覚的記録を、フォノトグラフが自動的に作成する。

2.聾者は、自分の声の視覚的記録と健常者のそれを見比べる。

3.聾者は、自分の声の視覚的記録が健常者のそれに近づくように発声法を矯正していく。

つまり、聾者が自分の声の視覚的記録を、健常者のそれと比較することで、自分の発声方法を矯正していくための自動音声視覚化装置として理解されていたのだ。

近代的な音響テクノロジーが登場した直後(1880年前後)にもまだ、このようなフォノトグラフ観は並存していた。フォノグラフはしばしば「話す機械」と形容された。しかしむしろ、フォノグラフとは、音を発したり音の記録を音声として復元するのではなく、「(聾者のために)聞く機械」だったのだ(Sterne 2003: 38)。近代的な音響テクノロジーの源泉には「聾」的なものがあるのだ[7]。

3.2.音響学:音を視覚化する必要性[8]

また、フォノトグラフは、音を視覚的に表象しようとする伝統の中から登場したものでもある。この伝統は18世紀後半から19世紀前半の近代音響学の成立とともに明確化した。近代音響学は、人間の感覚器官ではアプローチできない音響のある側面を、周波数あるいは振動として、視覚的に(しかも自動的に)書き留めて記録することを求めた。フォノトグラフはそのための実験器具として発明されたものだ。

この伝統の起源に、近代的な音響学の父祖であるエルンスト・クラドニ(Ernst Florens Friedrich Chladni 1756-1827)が発見したクラドニ図形がある。彼は、振動する板や膜の上に砂を撒くと、その砂が、あまり振動していない部分に集まって星のような規則的なパターンを形成することを発見した。その規則的なパターンがクラドニ図形である。つまりクラドニは、平面の固体振動をインデックス的な記号を用いて可視化する方法を発見したのだ。この音響の視覚化は、近代的な音響学に大きな影響を与えた。トマス・ヤング(Thomas Young 1773-1829)やC.ホイートストン(Charles Wheatstone 1802-1875)らによる音響学の研究は、全て、音を視覚化して図形を作成し、その図形を研究することでなされた。「音をある種の振動として視覚化することが、音響学という新しい科学の中心的課題だった。」(Sterne 2003: 44)のだ。

スコットのフォノトグラフはこの音響学の伝統の中に登場した。それが革新的だったのは、固体振動だけではなく空気中の振動をも視覚的に記録できたからだ。それゆえスコットは、フォノトグラフを、(たとえ現状では音声分析のための資料としての視覚的記号を提供できるだけだとしても、将来的には)「自然という書物」(WP3:18)を書き記す「自然の速記者」(WP3:16)となる可能性を持つ機械として形容した。スコットがあくまでもフォノトグラフの本質を「書き記すこと ecrire, write」だと理解していたことを強調しておきたい(WP1:8; WP2:4-5など)。

3..音を見ること、書き留めること、聴くこと

このように、フォノトグラフは音を視覚化するという伝統においてはある種の「完成、帰結」だった。これは、音を視覚的に表象するインデックス記号を自動的に作成する機械として構想された機械なのだ。その第一の目的は音声を自動的に記録することで、音声を音声として復元することではなかった。しかし音を視覚化するメカニズムを持っていたがゆえに、後の近代的な音響テクノロジーの起源となったのだ。

この装置は、あらゆる空気振動を自動的に視覚的記号に変換できるがゆえに、新しい種類の「書記」を目指すものとして位置づけられたことを強調しておきたい。また、近代的な音響テクノロジーの多くが、その黎明期には「書くこと」との関連で構想されていたことを指摘しておきたい(Gitelman2003などを参照)。近代的な音響テクノロジーの起源には「書くこと」との深い関連がある。例えば、フォノグラフを発明した後にエジソンが提案したフォノグラフの10の用途のほとんどが、手紙の速記や家族が話す言葉の記録など、フォノグラフを文字記録を残すための機械として(「速記者」として)用いようとするものだった[9]。また、20世紀以降もなおしばらくは、上司の指示を書き留めて文書化して部下に伝える速記者あるいはタイプライターの代わりに、上司の声を記録して部下に伝える口述記録装置として、フォノグラフを販売しようとする広告映画が作成されていた(Sterne 2003: 212)[10]。20世紀以降もしばらくは、(録音機能のないグラモフォンとは違い)フォノグラフは、音声記録を作成するための機械としても構想されていたのだ。

ここで指摘しておきたいことは、音響テクノロジーの起源には音の視覚化というコンテクストと書記に対する欲望があったこと、そして近代的な音響テクノロジーの起源には諸感覚の布置の変化があっただろう、ということである。音を発する機械、あるいは話す機械は、聾教育のコンテクストからすれば「聞く機械」であるが、それは同時に「書く機械」でもあった。こうした感覚の混乱、諸感覚の布置の変容は、近代的な音響テクノロジーの黎明期を特徴付けるものだ。例えば細川は、難聴だったエジソンがフォノグラフを実験する際、「歯」を用いて(触覚で)音響が発せられているかどうかを確かめる必要があったことを指摘し、次のように述べている。「我々が録音で聞くのは誰かの演奏や声の移し変えではなく、歯を振動させるエクリチュールなのである。レコードによってエクリチュールを聞き、音に触れ、声を読むことが可能になった。」(細川1990:36)エジソンにおいては、聴くこと、見ること、書くこと、触覚的に感じることといった「諸感覚の秩序の「乱調」の中でこそ音を書くことが構想された」のだ(細川1990:35)。近代的な音響テクノロジーが感覚の乱調の中で構想されたという指摘を強調しておきたい。フォノトグラフあるいはフォノグラフの登場とその社会的受容は、諸感覚の布置の変容を観察するための格好の場所なのだ。

近代的な音響テクノロジーを取り巻く諸感覚の布置の変容の解明は今度の課題である。現段階では、音響テクノロジーの起源には音の視覚化というコンテクストと「(音を)書き留めること」に対する欲望があることを指摘できるだけである。音響テクノロジーと視覚的なものとの近接性という観点からは、スターンが2008年3月27日のNew York Timesの記事(Rosen 2008)の中でコメントしているように、1880年代と1860年代の差よりも、現代と1860年代の差のほうが小さいと考えることも可能だろう。今や音声を視覚的に表象するテクノロジーは全く珍しくあるまい。以下は全くの想像でしかないが、だとすれば、1860年代の音声の視覚的記録が現代に(音声としてであれとにかく何らかの形で)復元されたことは、音響テクノロジーを取り巻く1860年代と現代の諸感覚の布置は似ていることを示唆しているのかもしれない。

4.音響再生産テクノロジーの変化:口モデルから耳モデルへ

4.1.耳モデルの前提:効果としての音響、メカニズムとしての聴覚

スターンによれば、音響テクノロジーのモデルが「口」から「耳」に変化したのは19世紀中頃だ。このような耳モデルの音響テクノロジーが成立するためには、音が視覚化され、音響と聴覚に対する理解が変化する必要があった。音響学の領域で達成された「音の視覚化」は、近代的な音響テクノロジーの本質である「音響振動→何か(視覚的記号)→音響振動」という変換プロセスが成立する前提条件だった。また、近代的な音響テクノロジーは、二章で述べたように、「鼓膜的な器具」(Sterne 2003: 34)として成立したが、そのためには音と聴覚に対する理解が変化する必要があった。

19世紀半ばまでに、音響と聴覚は、音源とは無関係に研究可能な個別の知的対象として理解されるようになった。音響は空気振動がもたらすある種の効果として、聴覚は振動を変換するメカニズムとして理解されるようになった。効果としての音響理解、メカニズムとしての聴覚理解は、18世紀末から20世紀初頭にかけて耳医学や生理学の領域において達成されたものだ[11]。スターンは耳医学の成立と展開を概観し、19世紀後半から20世紀にかけて、耳の科学における研究対象が「耳→鼓膜→鼓膜のメカニズム」と移行していったことを指摘している(Sterne 2003: 51-52)。つまり、研究や治療の対象として身体全体から耳だけが個別化される段階や、耳の解剖や骨格の研究が行われる段階を経て、純粋に機械的なメカニズムとして聴覚は理解されるようになったのだ[12]。またスターンは、ジョナサン・クレーリー(クレーリー1988;クレーリー2005)が視覚の領域で行ったのと同様の仕事を聴覚の分野でも行っている。チャールズ・ベル(Charles Bell 1774-1842)、ヨハネス・ミュラー(Johannes Peter Müller 1801-1858)、ヘルムホルツ(Hermann von Helmholtz 1821-1894)らの仕事を検討しつつ音響生理学の領域を概観することで、スターンは、音響が効果として、聴覚がメカニズムとして理解されるようになったプロセスを明らかにしている[13]。そして初めて可能になったのが、耳モデルの近代的な音響再生産テクノロジーである。19世紀半ばに登場した音響テクノロジーについて、スターンは次のように述べている。

「この新しい体制[音響再生産テクノロジーを取り巻く19世紀の新しいパラダイム]下では、聴覚は、音源とは無関係に、音に対して一律に作動するものとして理解されモデル化された。音そのものは、音源とは関係無しに、音響学と聴覚の研究の一般的なカテゴリーあるいは対象となった。こうして、聴覚を刺激する現象として音を扱うことが技術的に可能になったので、音を再生産しようとする試みでは、耳が口に取って代わったのだ。この新しい体制では、振動を変換するという耳の能力が音響再生産の鍵となった。」(Sterne 2003: 33)

音響再生産テクノロジーがモデルとするものが「口」から「耳」へと変化した。そしてこの耳モデルの音響テクノロジーが成立するためには、18世紀から19世紀にかけて音響と聴覚をめぐる理解と実践が変化する必要があった。つまり音響は効果として理解され、聴覚はメカニズムとして理解され、音は視覚化される必要があった。この観点からは、1877年に発明されたエジソンのフォノグラフは「音響と耳に関するある特定の実践と実践的な理解が拡大する原因ではなく、拡大した結果」(Sterne 2003: 35:強調はスターン)として位置づけられよう。

フォノトグラフは、この耳モデルの音響テクノロジーの起点に位置するものだ。というのも、フォノトグラフこそが、音響振動を初めて視覚的な記号に変換したからだ。そして同時に前章で述べたように、フォノトグラフは、音の視覚化、効果としての音響理解、そしてメカニズムとしての聴覚理解が成立した「結果」でもあった。つまりフォノトグラフとは、音響理解と聴覚理解が18世紀から19世紀にかけて変化した帰結であると同時に、「耳モデル」の起点となるテクノロジーでもあった。フォノトグラフは、それ以前の変化の終着点であると同時に、耳モデルの音響テクノロジーの出発点でもあるのだ。

4.2.口モデルの系譜

とはいえ、あらゆる音響テクノロジーが口モデルから耳モデルへと移行したわけではない。確かに今日の音響録音複製テクノロジーの大半は「耳モデル」かもしれないが、「口モデル」の音響再生産テクノロジーも並存している。本論は、音響録音複製テクノロジーについて「原音とその劣化したコピーとしての複製音」という二項対立に依拠せずに語るための予備作業だった。そのために、音響テクノロジーを「口モデルと耳モデル」という観点から理解することは有益であるように思われる。それゆえ、以下では簡単に、「口モデル」の音響再生産テクノロジーについて概観し、口モデルと耳モデルの並存に言及しておきたい

さて、「口モデル」の音響テクノロジーは次の三系統に整理できよう[14]。

1)「テレフォン」の系譜:声を空間的に伝達するシステム

音声を空間的に遠方に伝達する(すなわち複製する)テクノロジーは、1876年に「電話」として発明された。しかし19世紀前半の「テレフォン」とは、今日のような「電話」ではなく、様々な「スピーキング・チューブ式の音響通信システム」だった(吉見1995:69)。それらは例えば、1665年にロバート・ホークが考案した「恋人たちのテレグラフ」と呼ばれる糸電話(気晴らしの道具として流行した)や、1670年ごろにサミュエル・モーラント卿が考案したスピーキング・チューブ式の音声伝達器や、17世紀にこの世紀最大の知識人だったアタナシウス・キルヒャーが考案した、中庭の使用人の会話が螺旋状のチューヴを伝わってくる伝声管やメガフォンなどである。「電話が声の空間的な伝達に関わるならば、フォノグラフはその時間的な伝達に関わ」る(細川1990:27)。後者が時間的に音声を複製するとすれば、前者は空間的に音声を複製しようとするテクノロジーの系譜だと言えよう。

2)オートマタ(自動人形)の系譜:人工合成音声

既に述べたように、19世紀前半まで、人間の声の複製(=再生産)は、音声を複製(=再生産)するのではなく、人間の口を機械的に再構築することで目指されていた。その起源はもちろん16-17世紀以来の自動人形制作の歴史に求めることができるが、機械に話をさせる実験が空想から現実に変わっていったのは18世紀後半のようである。スターンによれば18世紀後半に、四人の人間がそれぞれ別々に、機械式の音声合成機械を制作した。そのうちの一人、ヴォルフガング・フォン・ケンペレン(Wolfgang von Kempelen 1734-1804)-後に捏造であることがばれた、自動人形チェス・プレイヤー(The Turk)制作で有名-がウィーンで1769年に開発した機械は、足踏み式ふいごで管に空気を送り込み、そこに特殊なフィルターや共鳴体を置くことで、パイプ音が「ママ」「パパ」「チェス」などと聞こえるようにした装置だった(細川1990:27-28も参照)。こうした機械式音声合成機械は19世紀に半ばまでには子供のおもちゃになったようだ(Sterne 2003: 74-76)。

コンピュータのシミュレーションを駆使した人工音声合成の試みとこれら機械式音声合成機械との関連は、興味深い歴史を掘り起こしてくれそうだが、管見の限りではこの関連を扱った論考は知らない。今後の課題である。

3)自動演奏楽器の系譜

音声合成機械のように空気振動や金属振動を利用する機械式音声機械は、19世紀に、自動演奏楽器として大いに作られた。それまでも教会の時計に連動して自動的に鐘をならす装置(「カリヨン」)などはあったが、産業革命による機械技術の発達の恩恵を受けて、19世紀以降、様々な楽器を自動的・機械的に制御するシステムが急速に発達した。いわゆる「オーケストリオン」という、複数の楽器を同時に自動的に演奏する機械が盛んに作られ始めるのは19世紀初頭からである。また、18世紀末には円筒型オルゴールが誕生し、19世紀半ばには円筒交換式のオルゴールも登場した。

渡辺裕によれば、19世紀にはこうした自動演奏楽器がかなり受け入れられていた(渡辺1997:20-27)。渡辺によれば、例えば、自動演奏楽器制作者として有名なヨハン・ネポームク・メルツェル(Johann Nepomuk Mälzel 1772-1838)は、1813年にウィーン大学で、彼の制作した「トランペット吹き人形」という木製人形に、ベートーヴェンの《交響曲第七番》を初演させた。後の時代の私たちには、ある種のキワモノに感じられる自動演奏楽器も、19世紀の大衆には、熱狂的に受け入れられていたようなのである。また、自動演奏楽器が全盛期を迎えるのは、耳モデルの音響テクノロジーが登場して数十年たった後、19世紀末から20世紀初頭である。例えば、20世紀初頭にあった、レコードとオルゴール用ディスクの両方を「再生」できる兼用型のディスク型オルゴールは、口モデルと耳モデルの音響テクノロジーが並存していたことを示すものだろう[15]。あるいは、自動ピアノは1920年代に最も流行したが(渡辺1996:75-102)、1920年代とは、レコードが音楽消費の媒体としての存在感を十分に示した後にラジオの登場によって初めて売り上げを落とし始めた時期でもあった。つまり、耳モデルの音響テクノロジーが十分に社会に浸透した後に、家庭への音楽供給装置として口モデルの音響テクノロジーが大流行したことがあるのだ。すなわち、口モデルと耳モデルの音響テクノロジーは、突然入れ替わったわけではなく、数十年間は並存していたのだ(し、今もしているのだろう)。

本章の最後に、口モデルの音響テクノロジーは絶滅したわけではないことを指摘しておきたい。確かに自動ピアノやオーケストリンはもはや身近な音響テクノロジーではない。しかし、オルゴールは相変わらず身近なものだし、例えば自動販売機の人工合成音声は19世紀とは比較にならないほど人間らしい声を出すし、発音システムが手元にあるのだからMIDIを口モデルの音響テクノロジーの延長線上で考察することも可能だろう。口モデルの音響テクノロジーは今なお残存しているし、耳モデルの音響テクノロジーと並存しているのだ。二つの音響テクノロジーの具体的な布置の解明は今後の課題である。本論では、二つの音響テクノロジーは未だ並存していることを指摘し、その布置の具体的な変容の考察という問題を今後の課題として提出することで、満足しておきたい。

5.おわりにかえて

以上で本論を終える。フォノトグラフ以前と以後の音響を記録して複製するテクノロジーを取り巻く状況を概観してきた。フォノトグラフとは、音を視覚化しようとするパラダイムの終点に位置すると同時に、口モデルから耳モデルへの移行の始点に位置する音響テクノロジーである。1860年に記録された音声記録とは、音の視覚化を目指すパラダイムの中で作成されたものなので、音声としての復元は想定されていなかったものだ。しかしフォノトグラフは、空気振動を自動的に視覚的記号に変換してしまう機械だったので、音を視覚化するパラダイムの帰結であると同時に、「耳モデル」の音響テクノロジーの起点に位置するものでもあった。それゆえ、フォノトグラフが残した音声記録は、後に音響として復元することが可能な視覚的記号となったのだ。

1860年の声の記録が音声化されたものが奇妙だとすれば、それは、それが、記録された当時とは異なる今の常識で解釈されて出現当時の姿とは違う形で出現したから奇妙なのである。この場合、「音声を記録すること=音声を視覚化すること」だった時代に記録されたフォノトグラフの音声記録が、「音声を記録すること=音声としての復元を志向すること」が常識となった時代に、(この時代の科学技術のおかげで)音響として復元されたので奇妙に感じられるのだ。復元された1860年の声とは、音を視覚化するパラダイムが19世紀半ばにある種の帰結を迎え、耳モデルの音響再生産テクノロジーがはじまったという、二つのパラダイムの変化を反映しないまま、現在の耳モデルの音響再生産テクノロジーの論理に適合的な形で音声化されたものなのだ。要するに、過去の事物が今の常識で解釈され、出現当時の姿とは違う形で出現しているので「奇妙」なのである。本論で明確に指摘できたことは、音響を記録して複製するテクノロジーを取り巻く状況がフォノトグラフ以前と以後には具体的にどのように異なるものだったか、ということである。本論で明らかに出来たことは、(第三章で明らかにしたように)フォノトグラフは音を視覚化しようとするパラダイムの帰結であり、また同時に、(第四章で明らかにしたように)フォノトグラフは耳モデルの音響再生産テクノロジーの起点に位置するものだった、ということである。

第三章で指摘したように、音響テクノロジーの起源には、音を視覚化し、音を書き記したいという欲望がある。耳モデルの音響テクノロジーは、この音の視覚化と、振動としての音響理解、メカニズムとしての聴覚理解を前提とするものだ。その本質は、音響振動を何か(視覚的記号など)に変換して記録し、記録したものをもう一度音響振動に変換すること、であった。つまり再生産される音響は、一度何か(視覚的記号など)に変換されたものだし、それを変換したものに過ぎない。「記録された音響を音響として聞くという行為」は、19世紀末以降に成立したもので、「音としての復元」や「原音」が欲望され始めるはエジソンのフォノグラフ以降だ、ということは明確に指摘できよう。「レコードに記録された複製音のオリジナルとしての"原音"」を想像する美的枠組みは、フォノグラフ以降に初めて成立した美的枠組みなのである。言い換えれば、ベンヤミン的な図式を援用した「原音と複製音」という二項対立に基づく図式は、フォノトグラフ以前の音響テクノロジーに記録された音響について考察するには不適切だと言えよう。

また本論では、耳モデルの音響テクノロジーが登場した時期に、諸感覚の布置が変容したことを指摘しておいた。どのように変容したかという詳細な考察は今後の課題とするしかなく、本論では「変容したこと」しか指摘できないが、この諸感覚の布置の変容、並びに諸感覚と書記との関係性の解明というきわめて美的な考察を、今後展開していきたいと考えている。

また本論ではもう一点指摘しておいた。音響再生産テクノロジーが口モデルから耳モデルに移行したといっても、二つは完全に入れ替わったわけではなく、19世紀末から20世紀初頭にかけて、そして現在もまだ、二つは共存していること、である。それゆえ、音響録音複製テクノロジーについて語るためには、「原音とその劣化したコピーとしての複製音」という二項対立を用いずに、音響テクノロジーを「口モデルと耳モデル」という観点から理解することは有益ではないかと提案した。この提案をどのように展開していくかは今後の課題とするしかないが、音響テクノロジーを理解するための一つのツールを提出したことを強調しておきたい。また、その具体的な解明は今後の課題だが、19世紀末から20世紀初頭と現在では、口モデルと耳モデルの布置が変容しているだろうということも指摘しておいた。

今後の課題はあまりに多いが、望むべくは、本論が、音響再生産テクノロジーに関する今後の考察の基盤となったことを祈念しつつ、本論を終えておきたい。

参考文献等

First Sound.orgより

全てhttp://www.firstsounds.org/working-papers/ (accessed 1, 2009)より

以下の4つのワーキング・ペーパーは、それぞれWP1, WP2, WP3, WP4という略記号で指示する。

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Feaster, Patrick. 2008-2. "Working Paper 2. Edouard-Leon Scott de Martinville's 1857 Phonautograph Patent (31470) and 1859 Certificate of Addition A Critical Edition with English Translation and Facsimile." Facsimile by David Giovannoni. FirstSounds.org.

Feaster, Patrick. 2008-3. "Working Paper 3. Edouard-Leon Scott de Martinville's "Fixation Graphique de la Voix" (1857) A Critical Edition with English Translation and Facsimile." Appendix: Facsimile of the Photograph News 15 April 1859 pp.62-64. FirstSounds.org.

Feaster, Patrick. 2008-4. "Working Paper 4. Edouard-Leon Scott de Martinville's 1861 Communication to the Academie des Sciences A Critical Edition with English Translation and Facsimile." Facsimile by David Giovannoni. FirstSounds.org.

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[1]この復元された音声の音声ファイルとその復元プロセスに関する情報は、First Soundsという団体のウェブサイト上で公開されている(http://www.firstsounds.org/sounds/)。

それによれば、復元したのは、 ローレンス・バークレー国立研究所のデイビッド・ジョバンニ(David Giovannoni)率いる科学者たちで、スコットがフォノトグラフの特許を申請する書類に添付した音声記録をアーカイヴで発見し、それらをスキャンして微調整し、音声として復元した。

この発見は、(復元された音声ファイルを無料で簡単に入手できることもあり)日本でも大きな反響を呼んだ。2008年3月末から4月にかけて日本語でも様々なニュース・サイトや個人のブログで言及されており、例えばGizmodo Japan(ギズモード・ジャパン)といういわゆる「ネタ系サイト」では「世界最古の録音が怖すぎる件(動画)」というタイトルで紹介された(http://www.gizmodo.jp/2008/03/post_3406.html)。

[2]スコットがフランス科学アカデミーに特許を申請したのは1857年で、1853-54年からフォノトグラフを用いていたと主張している。

[3]「原音と複製音」などの二項対立に依拠せずに音響録音複製技術について語ろうとする試みについて。

この方向性の近年の画期的な成果が、「録音」の文化的起源を詳細に検討したJonathan Sterneの『The Audible Past』である(Sterne 2003)。 また本論は、「オーディオ趣味」と「DJ文化」を事例に「原音と複製音」という二項対立を用いずに音響録音複製テクノロジーが可能とする美的体験を分析しようとする増田・谷口2004;増田・谷口2005や、音響テクノロジーを通じた聴取の歴史性を問い直そうとする秋吉2008と問題関心を共有しようとするものである。

[4]例えばChanan 1995では、フォノトグラフとはフォノグラフの先駆的事例で、「音の振動の視覚的痕跡を作る機械」(23)で科学的な調査のための器具として数年間製作されたと簡単に記述されるだけである。

あるいはWelch and Burt 1994でも、フォノトグラフ、エジソンの錫箔式フォノグラフの各構成部分の起源に言及される途中で簡単に言及されるだけである(6)。また、ジェラット1981では言及さえない。なくとも、蓄音機以降の音響録音複製テクノロジーと音楽との関係を記述するには困らないからである。

[5]「口モデル」と「耳モデル」という分類はSterne2003を参照した。同様の分類は、エジソンのフォノグラフ発明直後にそのレヴューとして『ポピュラー・サイエンス・マンスリー』に掲載されたMayer 1878に早くも見出せるが、Sterne2003の分類はこれに基づいて考案されたのではなく、スターン独自の発想のようだ。この分類の歴史的展開は興味深い問題だが、現段階では把握できていない。今後の課題である。

[6]フォノトグラフと聾教育との関連については秋吉2008、Sterne 2003: 36-を参照した。また視話法については 呉2004 、奥中2008を参照した。

[7]エジソンの数ヶ月前に、エジソンが実用化したフォノグラフとほとんど同じメカニズムを考案し、フランス科学アカデミーに論文を送付した(そして無視された)シャルル・クロは、聾学校での教師経験があった。また、エジソンも難聴でほとんど音が聞こえなかった(細川1990)。

[8]19世紀以降の音の視覚化の伝統についてはSterne 2003: 41-45を参照した。

[9]10項目はジェラット1981:19を参照。元のエジソンの記事は1年の『ノース・アメリカン・レビュー』に掲載された「フォノグラフとその未来」というタイトルの記事(月尾・浜野・武邑2001:81-88)である。

[10]例えば《The Stenographer's Friend Or, What Was Accomplished by an Edison Business Phonograph》(1904)というエジソン社の広告映像は有名で、今ではオンライン上で見ることができる。

[11]生理学や耳医学の領域で聴覚がメカニズムとして理解されていくようになるプロセスについてはSterne 2003: 51-70を参照した。

[12]スターンは耳医学という領域の成立と展開を、ウィーン大学最初の耳医学の教授となったアダム・ポリッツァー(Adam Politzer 1835-1920)や、アメリカ合衆国に耳医学を持ち込み後にベルのフォノトグラフ制作に協力することになったクレアランス・ブレイク(Clarence John Blake 1843-1919)らの足跡を辿ることで概観している。聴覚知覚に対する理解の変化に耳の解剖が果たした役割や1876年フィラデルフィア万博における耳の骨格図の展示など、興味深い観点は多いが、本論では検討する余裕はない。聴覚は、19世紀に耳医学の進展に伴い、鼓膜的メカニズムとして理解されるようになったことだけをおさえておきたい。

[13]スターンは近代生理学における聴覚理論の変容を概観している。諸感覚の分離、効果としての音響理解(音響知覚は、必ずしも音響刺激ではなくとも、何らかの刺激が音響を知覚する神経に与えられることで達成される、という理解)、近代生理学形成における器具の役割(Sterne 2003: 58)等々、興味深い論点が多い。しかし詳細な検討は今後の課題としておきたい。

[14]以下、基本的には吉見1995:66-74を参照した。他に、Hankins and Silverman 2007; Sterne2003: 70-81;渡辺1997を参照し、今後の考察の基盤・きっかけとすべくまとめた。詳細な整理は今後の課題である。このうち「口モデル」という言葉を用いているものは Sterne2003だけである。この三系統の分類は、吉見1995に触発され、中川が考案した。

ちなみに、機械式音声合成機械の歴史についてはSterne 2003: 70-81; Hankins and Silverman 2007を、自動演奏人形についてはウッド2004を、自動演奏楽器の系譜については吉見1995:71-74;渡辺1997を参照した。

[15]吉見1995:84-85でこの種のオルゴールが言及されているが、詳しくは考察されていない。この種の兼用モデルは、現在でも日本各地のオルゴール博物館で見られるのだから(例えば私は、神戸の六甲山上にある、六甲オルゴール館で見た。)、それほど珍しくなかっただろうと思う。しかし調査していないので正確な状況は不明である。特に今後の課題として、この種の音響テクノロジーの検討をあげておきたい。