2018年03月サウンド・アートの系譜学 :台湾におけるサウンド・アート研究序論

サウンド・アートの系譜学

:台湾におけるサウンド・アート研究序論

中川克志

(ここで公開している論文たちには校正での訂正が反映されていない部分があり、実際の掲載稿とは若干相違があります。また図版は掲載していません。引用などの場合、必ず、公開された原文をご参照ください。)

1.はじめに

本稿は現在継続中の台湾におけるサウンド・アート研究の中間報告である。

本研究は、サウンド・アートをめぐる日本とアジアの状況を比較考察することで、「サウンド・アート」なる概念、ターム、レッテルが、いかなる機能を持つものであるかを理解することを目指している。ここではサウンド・アートとは、音を使う美術や、既存のものとは異なる音楽、あるいは、全く新しいタイプの音を用いる芸術に対して与えられるレッテルとして使っている。サウンド・アート研究とは、芸術において音はいかに使われてきたのか、芸術において音はいかなる力を持っているのか、音と芸術とはどのような関係にあるのか、芸術における音の歴史とはいかなるものか、といった問いに答えることだろう。また、サウンド・アートと呼ばれる領域においては、美術家が音を使ったり音楽家が美術の文脈に進出したりする事例をたくさん観察できる。そうした事例を収集することで、サウンド・アート研究を、音楽と美術というジャンル間の関係性を考察する研究に発展させることも可能だろう。

90年代以降の日本文化がアジア諸国と取り結ぶ関係について詳細に分析してみせた岩渕功一『トランスナショナル・ジャパン』(岩波現代文庫、2016年)が示したように、アジア諸国間に見いだせる西洋文化輸入の偏差やアジア諸国間の相互影響関係を明らかにすることは、アジア諸国間の文化の差異と独自性をより深く理解するために役立つだろう。アジア各国におけるサウンド・アートをめぐる状況を比較考察する本研究は、アジア諸国間の文化的力学の解明に貢献するだろうことも付言しておく。

以上の展望を念頭において、私は、日本とアジアにおけるサウンド・アートについて研究している。本稿は、台湾におけるサウンドアートをめぐる状況に関する調査の中間報告である。本研究は、基本的には、インタビュー調査に文献調査を組み合わせることで台湾におけるサウンドアートの状況を概括し、「サウンドアート」という言葉がどのように機能しているかを理解することを目的としている。調査に用いた言語は英語である。幸い、この調査でコミュニケーションをとる必要のあった人々はみな英語でコミュニケーションをとることができたし、音楽家もキュレイターも自分たちの活動について英語でも情報発信しているため、情報収集には全く困らなかった。サウンド・アート(sound art)を中国語では「聲音藝術」と訳するが[1]、私が調査したのはあくまでも「sound art」であり、中国語文献にはあたっていない。本研究の目的はあくまでも台湾におけるサウンドアートの展開の概括をつかんだうえで、それを日本の事例と照らし合わせることである。台湾におけるアヴァンギャルド音楽やサウンドアートの展開の詳細を明らかにしようとする実証的な検証は本研究の目的ではない。本研究の目的と限界として明記しておきたい。

本研究は、資料調査と複数回のインタビュー調査を組み合わせた工程を予定している。2017年2月に予備調査を、2017年8月にインタビュー調査を行った。2018年度以降も複数回のインタビュー調査を予定している。本中間報告では、現段階で報告できることを整理してアウトプットしておくことで、基本的な問題意識を再確認し、今後の調査の焦点を鋭角化させておきたい。以下では、インタビュー調査の前に行った文献調査の成果と、2017年2月に行った予備調査の成果をまとめておく。2017年8月に行ったインタビュー調査の成果も十分興味深いものではあったが、まとまった形で報告するにはまだ不十分な事項も多いため、本中間報告では少し触れるに留め、2018年以降に行う予定の第二次インタビュー調査の成果とあわせて発表したい。

表記に関するいくつかの注記について。本文中の人名表記は、基本的には、「漢字名(英語表記)」と記した。ただしdinoなどアルファベット表記が通称として通用している場合はそれを尊重した。また、以下、敬称略させていただく。また、本文中で参照されるurlへのアクセス最終日は、すべて、2018年1月23日である。

2.台湾におけるサウンド・アート:事前調査に基づく概観

日本とアジアにおけるサウンド・アートに関する先行研究はまだほとんどない。散発的には存在しているが、それらはまだ統合されていない。台湾におけるサウンドアートをめぐる状況についても同様で、整理された情報は、管見の限りではない。(今は)文化交流を妨げる障壁もなく様々なレベルで交流がある隣国のことなので、断片的にはかなりの量の情報があるが、サウンド・アートという枠組みに基づいてそれらを理解できる系統立てた見取り図のようなものは、見つけられなかった。それゆえ、「サウンドアート」という作品と言葉の歴史や機能に関心を持ち、将来的にはアジア諸国におけるサウンド・アートをめぐる状況を比較したい私は、不十分ながらも全体的な見取り図を用意することから調査を始める必要があった。

その際、私が最初に参考にしたのは、以下の四つの情報源である。

1.林其蔚(LIN Chi-Wei)による書籍『超越聲音藝術』(2012年)

2.山本佳奈子のOffshoreの記事と岩切澪のウェブ上の記事

3.展覧会『造音翻土:戰後台灣聲響文化的探索』(2014年)

4.陳芯宜(CHEN Singing)が制作中のドキュメンタリー映画『如果耳朵有開關』

北京語あるいは台湾語ができれば他に有用な出発点があったかもしれないが、私が参照できたのはこれらだった。私の個人的な体験に基づく整理になってしまうが、先行研究への言及に代えて、本稿ではこれらを、整理しておく。

1.林其蔚(LIN Chi-Wei)『超越聲音藝術:前衛主義、聲音機器、聽覺現代性(Beyond Sound Art: The Avant Garde, Sound Machines, and the Modernity of Hearing)』(藝術家出版社、2012年)

日本以外のアジア諸国における実験音楽やサウンド・アートの紹介状況について、私が初めて知ったのは、この書籍の存在を知ったからである。漢字文化圏ではこれがある種のバイブルとなっているという噂を複数の研究者の知人から聞いたのだったーーその後インタビュー調査を積み重ねるうちに、本書について、その存在自体は広く知られているがその内容がそれほど共有されているわけではないことも知ったーー。北京語で書かれており図版も4点しかないため内容の詳細は不明である。ただし、目次を見る限りでは、日本で了解されていると私が考えてきた共通理解とは少し異なる枠組みで歴史記述が行われているらしいことが判断できた。

その構成は、第一部 前衛之聲(Sounds of Avant Garde)、第二部 聽覺現代性(Modernity of Hearing)、第三部 聲音機器(Sound Machine)、第四部 超越聲音藝術(Beyond Sound Art)となっている。正確な目次は書籍販売ページや著者本人のウェブサイト(http://www.linchiwei.com/)に掲載されているので参照していただきたい。

第一部は、いわゆる現代音楽の歴史のようである。ただし、ダダやシュルレアリスムの運動にも一章ずつ費やしているし、シュトックハウゼンとクセナキスのためにも一章ずつ費やしているのに、トータル・セリエリズムやジョン・ケージは簡単に処理されている。トータル・セリエリズムはどこかの章の一部で言及されているらしく、章題にはなっていない。また、ケージやミニマル・ミュージックなどいわゆるケージ的な実験音楽も、それぞれが章題にはならず、どうやらフルクサスの同時代人(「10章 激浪前後(Fluxus and It’s Contemporaneousness)」)として扱われているようだ。私が馴染んできた日本あるいは欧米で書かれた現代音楽史では、それぞれに一章が費やされるはずだ。また、おそらくそこではほとんど扱われないだろう音響詩、パンク、インダストリアル・ミュージック、ジャパノイズのために、本書では一章ずつが使われている。第二部は理論的な事項を、第三部は技術的な事項を説明しているようだが、詳細は分からない。

このように、日本で了解されているだろう現代音楽史観とは少し異なるアヴァンギャルドな音響芸術理解を知ったことは、私がアジアにおける現代音楽や実験音楽やサウンド・アートとその受容状況に関心を抱くきっかけとなった。

2.山本佳奈子のOffshoreの記事と岩切澪のウェブ上の記事

アジアにおける実験音楽やサウンド・アートについて情報を集めようとインターネットを探しているうちに、「Offshore」というウェブサイトを知った。これは山本佳奈子という人物が制作しているウェブジンで、「Offshoreとは、アジアの音楽、カルチャー、アートに関わる人や事柄を、取材し記事にして集積しています」(http://www.offshore-mcc.net)とのことである。彼女が、公共機関などからの援助など無しに一人で、東アジアや東南アジア各国で活動中のミュージシャンやアーティストについて取材記事を作成して掲載している。他のメディア媒体に掲載されていない最前線あるいは現場の情報が大量に掲載されており、アジア諸国の現況リポートとして非常に有益である。大量にある記事から一部だけ取りあげると、それらは、例えば、「topics: 韓国ドキュメンタリー映画『パーティー51』自主上映緊急募集」、「mizutamaくんのみやげ話(フィリピン・マニラ編)書き起こしレポート」、「【CREATORS FILE】台北発・ディープなミニマルテクノを提供するSmoke Machineへインタビュー」、「北京と東京の音楽家が邂逅する:MIJI Festival+Multiple Tapレポート」、「タイ発マスロックバンドTWO MILLION THANKS G&Vo Duiにインタビュー」、「Yan Jun[北京在住ミュージシャン]の過去と変化:Yan Junインタビュー」とアジア各国に渡っている。

私はこのウェブサイトの記事[2]から、台湾では「失聲祭(Lacking Sound Festival)」というイベントが定期的に開催されていること、その主催者の一人で台湾を代表するサウンドアーティストの一人に姚仲涵(YAO Chung-Han)という人物がいること、を知った[3]。2007年に姚仲涵(YAO Chung-Han)らによって始められたこのイベントは、2016年には100回目を迎え、その後も断続的に開催され続けている。姚(YAO)には予備調査と2017年8月のインタビュー調査でも協力していただいた。

また私は、2000年以降に台湾に在住している岩切澪というアートライターの記事からも多くを学んだ。私は、彼女が「Art遊覧」や「Art It」といったウェブ上のニュースサイトに掲載していた記事からも、姚仲涵(YAO Chung-Han)が現在の台湾で活躍している若い世代の芸術家であることを学んだ。

3.展覧会『造音翻土:戰後台灣聲響文化的探索(ALTERing NATIVism: Sound Cultures in Post-War Taiwan)』(2014年)(と羅悅全(Jeph LO)による小論(2011年))

2014年に私は、その岩切澪の記事のひとつ[4]から、台湾の聴覚文化を概観する展覧会が開かれていることを知り、同年夏に台北から高雄に巡回してきたこの展覧会を観覧することができた。

この展覧会は、台北のアートスペース立方計劃空間(TheCube Project Space)を運営している羅悅全(Jeph LO)と鄭慧華(Amy Hueihua CHENG)と、輔仁大学(Fu-jen University)の何東洪(HO Tunghung)がキュレーションしたもので、台湾の聴覚文化の歴史を5つの領域に区分して紹介する展示だった。この展覧会のカタログは北京語で書かれているが[5]、展覧会場では、羅悅全(Jeph LO)が編集した中国語と英語で書かれた36ページのリーフレットが配布されていた。この展覧会に対する私の理解はこの英文解説に大いに助けられた。

この展覧会では、台湾の聴覚文化はI. 控管與隙縫(Governance and Gaps)、II. 聲響翻土(Sound Excavation)、III. 另翼造音(Alter-native Sound)、IV. 另逸造音(Alter-native Flight)、V. 另藝造音(Alter-native Art)と区分されている。Iでは、日本の植民地時代に音楽学者の黒沢隆朝が台湾の高砂族の音楽を調査したことが紹介され、IIでは、1970年代に陳達(CHEN Da)というフォークシンガーが登場したことが紹介されていた。IIIでは、70年代と80年代のフォークソングのブームや90年代の台湾インディーズバンドの潮流が紹介されていた。IVとVでは、商業的な音楽文化の紹介ではなく、ノイズ・ミュージックや実験音楽の潮流が紹介されていた。IVによれば、1990年3月16日に発生し3月22日に終結した三月学運(台北学生運動あるいは野百合学生運動)をきっかけに、90年代にはノイズ・ムーヴメントが生じたことが紹介されていた[6]。また、90年代初頭に王福瑞(WANG Fujui)が創刊した台湾に初めてノイズ・ミュージックを紹介した『Noise』誌や、林其蔚(LIN Chi-Wei)が仲間とやっていた零與聲音解放組織(Zero and Sound Liberation Organization)や台北縣後工業藝術祭(Taipei Broken Life Festival)の映像も、紹介されていた。Vでは、90年代後半以降の新しい動きが紹介されていた。Vでは、台北で行われていた野外でのレイヴ・パーティー(和Partyなど)や、在地實驗(Etat Lab)、失聲祭(Lacking Sound Festival)、旃陀羅公社(Kandala Commune)と黃大旺(Dawang Yingfan Huang)などの活動が紹介されていた。

そもそもこの展覧会の企画の意図は、「台湾における音響文化の目録を作成したりポピュラー音楽の歴史を辿ったりするだけではなく、それよりもむしろ、社会における人々の知覚の中核を構成するものとして、そして、既存の秩序を再考してそれらに抵抗するための文化的運動の基盤として、音を提示すること」にあったとのことである(会場配布リーフレット、ページ6より)。なので、この展覧会が提示する台湾の聴覚文化に対するパースペクティヴは一般的なパースペクティヴとはある程度異なるものだったのだろう。が、そもそも私は台湾における聴覚文化に対する一般的なパースペクティヴを詳しく理解していなかったため、その差異も十分には理解できてはいなかった。少なくとも言えることは、この展覧会から私は台湾の聴覚文化に対するパースペクティヴのひとつを学んだ、ということだろう。私は、台湾も他のアジア諸国と同様に90年代以降にアヴァンギャルドな音響芸術を生み出し始めたことを知り、その大まかな流れを知った。さらに私は、調査対象として、95年に設立された在地實驗(Etat Lab)と、2010年に羅悅全(Jeph Lo)と鄭慧華(Amy Cheng)が設立した立方計劃空間(TheCube Project Space)というアートスペースがあること、などを学んだ。羅悅全(Jeph Lo)と鄭慧華(Amy Cheng)には予備調査と2017年8月のインタビュー調査でも協力していただいた。

また私は、後述する2017年2月の予備調査時に、立方計劃空間(TheCube Project Space)で、鄭慧華(Amy Cheng)が2011年のヴェニス・ビエンナーレ台湾館の企画のために作成した冊子と、その冊子のために羅悅全(Jeph Lo)が書いた文章を教えてもらった[7]。それは基本的には『造音翻土』展(2014年)と同じパースペクティヴだが、英文で書かれているため、『造音翻土』展(2014年)ではうまく把握できなかった90年代以降のパースペクティヴや様々な固有名詞について確認することができて有用だった。

4.陳芯宜(CHEN Singing)が制作中のドキュメンタリー映画『如果耳朵有開關(Ears Switched Off and On)』(制作中:2009-2017年)

以上の予備知識を持っていた私は、陳芯宜(CHEN Singing)が制作中の『如果耳朵有開關(Ears Switched Off and On)』というドキュメンタリー映画があることを知った。これは、90年代以降の台湾におけるサウンド・アートの歴史を記録しようとする制作中のドキュメンタリー映画である。また、私は、それが2017年2月12日に台南の聽說(Ting Shuo hear say)というアートスペース[8]で試写されるという情報を入手した。そこで私は2月に台湾への予備調査出張を行った。まずは台北に行き、翌日台南に向かった。2月10日に台北に着いた日に、私は、立方計劃空間(TheCube Project Space)で羅悅全(Jeph Lo)と鄭慧華(Amy Cheng)と、また、姚仲涵(YAO Chung-Han)とは彼のスタジオで、話をすることができた。彼らからは、2017年8月のインタビュー調査で改めて話を聞くために、台湾における様々な状況について概括的な話をうかがった。翌2月11日には聽說(Ting Shuo hear say)で、このドキュメンタリー映画の主役である林其蔚(LIN Chi-Wei)と王福瑞(WANG Fujui)とDino(廖銘和)たちのパフォーマンスを見た。パフォーマンスは、聽說のオーナーの一人であるNigel Brownと、王福瑞(WANG Fujui)のアシスタントである盧藝(YI Lu)も加わったものだった[9]。そして2月12日に、このドキュメンタリー映画の試写とその後のトーク・イベントに参加したーー映画には英語字幕があり、トーク・イベントは、その場にいた戴向諶(Immanuel Dannerbring)という人物[10]が通訳してくれたーー。ドキュメンタリー映画は、90年代以降の台湾におけるサウンド・アート界のパイオニアとして王福瑞(WANG Fujui)、林其蔚(LIN Chi-Wei)、Dino(廖銘和)をとりあげ、彼らが音や音楽に対してどのようにアプローチしているかを明らかにしようとするものだった。

私はこのドキュメンタリー映画の試写イベントから、台湾のサウンド・アート界のパイオニアとして、王福瑞(WANG Fujui)、林其蔚(LIN Chi-Wei)、Dino(廖銘和)の三人がいることを学んだ。また、2月10日に台北で、羅悅全(Jeph Lo)と鄭慧華(Amy Cheng)、姚仲涵(YAO Chung-Han)らと話した時に、そのパイオニアたちの次の世代として、王福瑞(WANG Fujui)の学生である姚仲涵(YAO Chung-Han)たちがいることを学んだ。さらに聽說(Ting Shuo hear say)に実際に行ったこともあり、最近では張惠笙(Alice Hui-Sheng Chang)など海外で教育を受けた世代も登場してきていること、も知った。つまり、世代間の関係についてある程度の見通しを得た。

3.次報に向けて

以上を踏まえて、2017年8月のインタビュー調査の前に私が準備した、台湾のサウンド・アートの現況の不十分ながらも全体的な見取り図は以下の様なものだった。現在の台湾におけるアヴァンギャルドな音響芸術を構成する主要な登場人物はこれらのアーティストやミュージシャンやアートスペースや組織である、というのが、今も維持している私の見取り図である。

1.立方計劃空間(TheCube Project Space)の羅悅全(Jeph Lo)と鄭慧華(Amy Cheng)

2.在地實驗(Etat Lab)

3.陳芯宜(CHEN Singing)『如果耳朵有開關(Ears Switched Off and On)』の枠組み:王福瑞(WANG Fujui)、林其蔚(LIN Chi-Wei)、Dino(廖銘和)

4.王福瑞(WANG Fujui)とその学生たち:王福瑞(WANG Fujui)、姚仲涵(YAO Chung-Han)、盧藝(YI Lu)

5.聽說(Ting Shuo hear say)の張惠笙(Alice Hui-Sheng Chang)とNigel Brown

6.旃陀羅公社(Kandala Commune)と黃大旺(Dawang Yingfan Huang)(数年間の日本滞在経験があり日本語も堪能なミュージシャン)

7.台北在住のフランス人ミュージシャン:Yanick Dauby

8.雑誌『White Fungus』

9.80年代から活動していた先駆者:姚大鈞(YAO Dajuin)

6、7、9については2017年2月の予備調査時に複数の人から教えられた名前である。これが台湾の聴覚文化(あるいはアヴァンギャルドな音響芸術)の正確な見取り図である、と言うつもりは毛頭ない。これはあくまでも私の作業仮説である。

台湾におけるアヴァンギャルドな音響芸術の現況を概観したうえで、私は、それらの多くが「サウンド・アート」という言葉で一括される傾向があることに気づいた。日本なら、おそらくは「ノイズ」とか「実験音楽」といった言葉で形容されるだろう音楽を、台湾では「サウンド・アート」と形容しているように思われた。とはいえ、台湾では、とくに王福瑞(WANG Fujui)とその学生たちによって、音を使う視覚美術(サウンド・オブジェあるいはサウンド・インスタレーション)も作成されており、それらもまた「サウンド・アート」と呼ばれていた。つまり、台湾では「サウンド・アート」という言葉が非常に幅広い対象に対して使われていることに私は関心を持った。そして、私は、「サウンド・アート」という言葉はどのような経緯でそのように幅広い対象に使われるようになったのか、また、音響芸術に使われる場合と視覚芸術に使われる場合は区別されないのか、といった疑問を抱くことになった。そこで、2017年8月のインタビュー調査では、私は、基本的には 1.ノイズ・パフォーマンスと視覚芸術とをどのように区分しているのか 2.西欧諸国における「サウンド・アート」をめぐる文脈をどのように意識しているのか というふたつのことを中心に、インタビュー調査を行った。

とはいえ、2017年8月のインタビュー調査でアポイントメントをとれたのは、1と4と6の人々だけだった。2017年8月に私は、27日に黃大旺(Dawang Yingfan Huang)と先行一車黑膠倉庫という台北のインディーズ・シーンの穴場で、28日には姚仲涵(YAO Chung-Han)と彼のスタジオで、また、立方計劃空間(TheCube Project Space)で羅悅全(Jeph Lo)と鄭慧華(Amy Cheng)と、29日には王福瑞(WANG Fujui)と盧藝(YI Lu)と台北の名店である明星咖啡館(Astoria Cafe)で、話を伺うことができた。彼らから共通して語られたことは、

1.台湾における1990年代という時代の急進性(様々な動向が一度に登場したこと)

2.1998年のTANAKA Atau(日系イギリス人)の台北訪問の衝撃

3.2000年代に姚大鈞(YAO Dajuin)や王福瑞(WANG Fujui)が教育者として果たした役割の大きさ

4.experimental musicの訳語としての「實驗音楽」ではなくsound artの訳語としての「聲音藝術」という言葉がある種のマジックワードとして通用するに至ったという経緯

5.美術の文脈におけるサウンド・インスタレーションの現況

といった事項である。

これ以外にも彼らからは多岐にわたる話題をうかがったが、それらも含めて、台湾におけるサウンド・アートを巡る状況については、2018年度以降に予定しているインタビュー調査も含めて、稿を改めて報告したい。本研究ノートは、現段階で報告できることを整理したことで終えることにする。(次報に続く)

本研究ノートは、平成27年度科学研究費助成事業・基盤研究C・一般・研究課題名「日本におけるサウンド・アートの成立過程の調査」(課題番号15K02101)の成果の一部である。記して感謝します。

[1] 訳語の問題については今回の報告では触れずに、さらなる調査を行ったうえで次報で述べる予定だが重要である。概要だけ述べておく。experimental musicの訳語としての「實驗音楽」ではなくsound artの訳語としての「聲音藝術」という言葉がある種のマジックワードとして通用するに至ったという経緯があるようなのだが、その一因は、「實驗音楽」という訳語の語感に関連するかもしれないのである。

[2] 「台湾を代表するサウンドアーティスト・YAO, Chung-Han 姚仲涵 インタビュー」(2011年7月27日の記事:http://www.offshore-mcc.net/interview/75/)など。

[3] また、山本佳奈子が別のニュースサイト(CBCNET)に掲載した「CBCNET » 音を鳴らして遊べるサウンド・アート・カフェ 台北 Noise Kitchen リポート」という記事(2012年10月2日掲載)(http://www.cbc-net.com/topic/2012/10/noise-kitchen/)からは、Noise Kitchenという場所を知った。台北數位藝術中心(Digital Art Center Taipei)と同じ建物にある若者向けのおしゃれなカフェに、店長の王仲堃(WANG Chung-Kun)が制作した音の出るオブジェがいくつか設置されており、カフェの来客がその音の出るオブジェを触って遊ぶこともできる。ただしこのカフェは、2014年に訪ねた時には営業していたが、2017年に再訪した時には閉店していた。

[4] 「ART遊覧: 造音翻土-戦後台湾サウンドカルチャーの探索」(2014年3月31日掲載)(http://www.art-yuran.jp/2014/03/造音翻土戦後台湾サウンドカルチャーの探索.html)

[5] 羅悅全(Jeph LO)、鄭慧華(Amy Hueihua CHENG)、何東洪(HO Tunghung)(編著) 2015 『造音翻土:戰後台灣聲響文化的探索(ALTERing NATIVism: Sound Cultures in Post-War Taiwan)』 新北市:遠足文化(Walkers Cultural Enterprise)、台北市:立方計劃空間(TheCube Cultural)。

また、立方計劃空間のウェブサイトの紹介ページはこれである:https://thecubespace.com/en/project/altering-nativism-sound-cultures-in-post-war-taiwan-kaohsiung/

[6] この展覧会に行った時に会うことができた林其蔚(LIN Chi-Wei)も、この学生運動に参加し、学生運動で座り込みを行っている時に初めて、仲間の前でノイズ・パフォーマンスをやったと述べていた。

[7] 羅悅全(Jeph LO) 2011. “The Taiwanese Sound Liberation Movement.” in: The Heard & the Unheard: Soundscape Taiwan. Curated by 鄭慧華(Amy Hueihua CHENG). Taipei: Taipei Fine Arts Museum of Taiwan: 76-81.

[8] このアートスペースは、オーストラリアのメルボルンで学位を取得した張惠笙(Alice Hui-Sheng Chang)とNigel Brownが2017年から運営している。アリスは2014年に修士の学位も取得している。アリスは2017年に、大友良英とdj sniffと袁志偉(ユエン・チーワイ、Yuen Chee Wai)がキュレーションを行うAsian Meeting Festivalの一員として来日し、9名のアジアのミュージシャンとともに日本ツアーを行い見事なパフォーマンスを披露した。Nigel Brownも独特な自作音具でパフォーマンスを行なうアーティストである。

[9] パフォーマンスは「聽說有表演第八場 Ting Shuo Has Performance Eight(https://www.facebook.com/events/1689274961372944/)」、ドキュメンタリー映画の試写会は「如果耳朵有開關 - 陳芯宜導 - 林其蔚, 王福瑞, Dino 紀錄片(https://www.facebook.com/events/1641679879460878/)」というイベントだった。

[10] 彼はニュージーランドと台湾のハーフで、最近台中に引っ越してきたとのことであった。彼からは、ニュージーランドで発刊し、今はその編集部を台湾に移動した『White Fungus』という雑誌の存在を教えてもらった。『White Fungus』は台湾を中心にアヴァンギャルドな音響芸術を扱うウェブメディアあるいは雑誌である。