2013年03月 金子智太郎、中川克志「調査報告 日本におけるサウンド・アートの展開-『Sound Garden』展(1987-94)の成り立ちをたどる」

-金子智太郎+中川克志

(ここで公開している論文たちには校正での訂正が反映されていない部分があり、実際の掲載稿とは若干相違があります。また図版は掲載していません。引用などの場合、必ず、公開された原文をご参照ください。)

The Development of Sound Art in Japan - Around the Beginning of Sound Garden (1987-94)

近年国際的な評価や研究がなされつつあるサウンド・アートが日本ではどのように展開されてきたのか。本調査はこの疑問に答えるための資料収集とインタビュー調査を行うものである。前回の報告では、東京六本木のストライプハウス美術館(現ストライプハウスギャラリー)で1987年から94年まで6回にわたり開催された『Sound Garden』展(以下、SGと表記し、開催回を示す数字を付記する)の概要と、シリーズの企画・プロデュースをつとめた吉村洋による出展作品の考察を紹介した。今回はSG展が開催されるきっかけとなったイベントや展示についての調査と、当時の状況や経緯などに関するインタビューをまとめる。ここから、サウンド・アートが日本においてどのようなかたちで展開していったのかの一端を伺い知ることができるだろう。

前回の報告では同時代の環境音楽やサウンドスケープ理論などに精通した音楽家、吉村の視点からSG展を概観した。それに対して、今回はSG展の成り立ちをさぐりながら、いわば美術家の視点からSG展をながめることになった。吉村の企画とともに、SG展開催の大きな原動力となったのが前回の報告でSG展の中核作家として紹介した7名のうち3名が属した造形グループ、WAY(現WAY art produce)である。WAYのメンバーが音を発する作品を制作するようになった背景や、SG展の開催にまで至った経緯、そして彼らは音についてどのように考えていたのか。これらを見ていくことで、当時の日本のサウンド・アートが美術家にとってどんなものだったのかが浮かび上がってくるのではないか。本調査ではWAY art produceの渡辺林太郎さんにインタビューと資料提供にご協力いただいた。ここに御礼を記したい。

1.『Sound Garden』開催の経緯―WAYの活動を中心に

前回の報告で言及したように、SG以前にストライプハウス美術館で音を発する美術作品の展覧会が三回開催された。『仕掛けられた音たち サウンドインスタレーションによる音地図』(1984年)、『Visual Soundings 仕掛けられた音たち』(1985年)、『From Sound』(1986年)である。このなかで『From Sound』のみが吉村ではなく、WAYの企画によるものである―WAY渡辺氏とのインタビューより、3回すべて吉村が企画したとする前回報告は誤りであることが判明した。SG1は『Visual Soundings』出品者の一部と『From Sound』出品者の一部が合流したものだった。そして後者のWAYの作家こそが、SGシリーズ全体の中核作家になっていった。

WAYは85年に東京芸術大学工芸科、デザイン科の大学院生によって結成された「動き、光、音、等をテーマとしたオブジェの制作から、イベント企画、展覧会出品等を行なっている」グループである。発足当初のメンバーは尼子靖、伊藤信明、小畠泰明、渡辺林太郎の4人。86年の『From Sound』展では柿崎隆之と窪田啓子が加わり、翌年のSG1には窪田をのぞく5人が各自一点ずつ出品した。まだ4名だった発足当初、85年に西武アトリエ『ヌーボ展』にグループ出品した後に彼らが手がけたのが、同年東京芸術大学芸術祭で開催されたイベント『Original Instruments Exhibition & Concert』(以下、OIECと表記)だった。WAYは、この年の5月に『Visual Soundings』をプロデュースした吉村と、この芸術祭を通じて交流を深めていくことになる。

OIECは芸術祭を舞台に、公募で集まった美術学部の学生が創作楽器を制作し、音楽学部の学生がそれを演奏するという企画だった。これは「音楽と美術を同次元の表現方法としてとらえ、楽器をメディアとしてジョイントすることで、双方の出会いから新しい発見、驚き、又新鮮な何かが生まれてくることを期待し企画された」(東京芸術大学芸術祭企画委員会(編)『ART FESTIVAL 1985』1985年9月発行:13)(画像1)もので、両学部合同の企画は当時めずらしかったが、約50名もの学生が参加した。この企画は工芸科の大学院生を中心とするWAYメンバーが、音を発する装置を制作する初の機会にもなった(装置については後述)。また、この芸術祭には「環境音楽作曲家」として吉村が招待され、パフォーマンスを行なった。吉村とWAYの企画はともに芸術祭パンフレットの特集「音と視覚の接点」(12-17)に取りあげられ、両者は誌上で対談をしている。そこでは例えば、キネティックな作品に使われたモーターやゼンマイの音から楽器を発想できるのではないかというWAYメンバー小畠の発言に対して、吉村は、車の騒音やエアコンなど環境音を聴取対象にしたいという自らの関心に言及している。

OIECの2ヶ月後、WAYの企画で86年に開催された『From Sound』ではWAYがグループとして作品を出品し、また後にSGにも参加した牛島達治をふくむ11名の作家が「音をテーマとした作品」(企画書より)を出品した。さらに、OIECを通じて結成された、WAYメンバーに美術学部と音楽学部の学生を加えた20名を越えるグループ、MUSAも創作楽器を展示・演奏した。この展示のためにWAYが制作したのは、4つのダクトのついた巨大な「音装置」である(後述)。

先に述べたとおり、87年のSG1は、ストライプハウス美術館で開催された音をモチーフとする3つの展示の出品者を集約した企画だった。そして、SGが回を重ねてもWAYとMUSAのメンバーは中核作家として出品を続け、そこに主として吉村が勧誘することで、新しい作家が毎回加わっていくという流れがあったようだ。SGシリーズの源流には85年の創作楽器の展示・演奏イベントがあったことを強調しておきたい。

2. 渡辺林太郎インタビュー―創作楽器制作と同時代の美術

近年は砂をモチーフとしたキネティックなオブジェを制作する渡辺に、サウンド・ガーデンの成立をめぐって話を聞いた。WAYがOIECを企画し、音を発する装置を制作するようになったきっかけは、渡辺の発案が大きかったという。85年の東京芸術大学芸術祭パンフレットの特集も彼の企画によるものだった。

60年生まれの渡辺は同大工芸科で鍛金を学び、85年に『ハイテック・アート』展に出品する。WAY結成時、メンバーが音楽に対する関心を共有していたことから、創作楽器の製作を始めた。このとき演奏ではなく楽器製作を選んだ理由について、渡辺はいくつかの理由を語っている。特定の音楽ジャンルに加わることを避けたかった。作曲家や演奏家の個性的な表現より、楽器製作者や評論家などを含む、音楽という文化の総体に興味があった。そして、楽器のメカニズムと音の関係が音楽の「原理」に近いのではないかと感じていたという。彼はOIECに先立ち、古楽器、民族楽器、音をだす玩具なども調査して創作に活かした。とりわけ興味を引いたのは、いわば「新しいクラシック楽器」であるサックスだった。シンセサイザーの万能さや自由さには惹かれなかったという。

WAYはOIECをきっかけに音をだす装置を多数制作するようになり、大学や美術館などでコンサートやワークショップを開催したが、その活動には特定の音楽スタイルの影響はほとんどなかったという。彼らの創作と「音楽」には、何らかの隔たりがあったようだ。OIECでも創作楽器の演奏は音楽学部の学生に任せている。SGでは出品者が作品を演奏したが、これはストライプハウス美術館の要請によるものだった。渡辺によれば、WAYのパフォーマンスはいつも「照れないように」と申し合わせただけで、完全に即興で行われた。当時は「即興でなければならない」という雰囲気もあったという。ただし、吉村のように音を出す(または聞く)パフォーマンスが日常の一部になっていたわけではなかった。また、楽譜を使う音楽演奏に対しても、敬意は払いつつ、距離をとっていた。実際、渡辺は、OIECなどで音楽学部出身の演奏者が楽譜をつくっていたかどうかはよくわからないと語っている。

特定の音楽的影響はほとんど語られなかった一方、同時代の美術、視覚表現からの影響は具体的な名前があがった。渡辺によれば、いわゆる「音具」は当時の美大では分野を問わず制作されていたが、ほとんどは作品として発表するには至らない「邪道」と見なされていた。そのような状況で、クリスト(Christo)(註1)やゴードン・マッタ=クラーク(Gordon Matta-Clark)(註2)らの活動は、WAYがそうした作品を制作する後押しになったという。日本の作家では、キネティック・アートの伊藤隆道や新宮晋(註3)、若手では岩井俊雄(註4)らの創作、さらに朝倉直巳や坂根巌(註5)らの著作があった。また、カナダの音響彫刻家や、東京以外で音のでる造形作品を制作していた作家の情報も入ってきていた。さらに渡辺によれば、舞台の大道具や放送の音響効果なども発想の源になった。このように渡辺が創作楽器制作に関心を持った理由の一つには、同時代の美術の動向もあった。

3. WAYの作品解説

では、日本におけるサウンド・アートの展開に美術家の立場から関与していたWAYの作家による、SG関連の作品はどのようなものだったのだろうか。以下、簡単に紹介する。

◯OIECにおける創作楽器(画像2-1,2-2)

一見すると公園の遊具のようなこの作品は、中央のシートに腰掛けてペダルを漕ぐと後ろのチャイムがオルゴールの仕組みでメロディを奏でるという仕組みで、ラッパや波の音を出すリングやパーカッションも付いている。「より新鮮で楽しい、あるいはもうめちゃくちゃでプロの演奏家がみたらぶっ飛んでしまいそうな楽器」(『ART FESTIVAL 1985』:13)を目指していた。材質は鉄、真鍮、木、小豆ほかで、サイズは幅2m×奥行き1m×高さ2.5mである。OIECという企画は、音楽と美術を同次元の表現方法として接続するための連結子として「楽器」を位置づけるものであり、この作品も単なる立体オブジェに留まらず、芸術祭時にはこの装置を使ったコンサートが行われたし、芸術祭後には渋谷パルコ前で当時帰国したばかりのサックス奏者マルタとのセッションにも使われた(録音記録なし、また詳細も不明)。

◯『From Sound』展出品作品(画像3)

本作品は『From Sound』展のために制作された作品である。WAY art produceウェブサイトの記述を引用する。「放射状に飛び出したダクトと対になる形で部屋の壁側に置かれたスピーカーとの間で、波の音や雑踏といった4種類の音風景がステレオで流れています。中央の台は重低音を発生させるウ[ー]ファーとなっていて、パフォーマンスでは中野サンプラザで使用したという特大のアンプを使用してウーファーを飛ばすほどの超重低音を発生させました。」

◯尼子靖(WAY):SG出品作品

尼子はSG1-6に毎回、自動的に音を発する仕掛けを持った人形を出品していた。電子音などとは異なり機械音なので、音が産み出される瞬間を目の当たりに出来る面白さを持つオブジェだったと言えるだろう。《めくるめく行進曲》(SG1:1987)(画像4-1)は三角錐の胴体と足を持つオブジェで、このオブジェはその場で走る真似をすることで脚が台に触れ、ガタンガタンという音が発せられるという仕掛けである。《やかましい妖精たち》(SG2:1988)(画像4-2)はカタログに描かれているイラストから判断する限りでは、音を発する人形のオブジェである。またタイトルのない人形オブジェ作品(SG3:1990)(画像4-3)は、頭の部分がシンバルで心臓の部分が鼓になっていて、単純なリズムを発する機械仕掛けを仕込んだものである。《SHITENNO》(SG4:1991)(画像4-4)も機械仕掛けの人形が音を発するものだったのではないかと思われる。《鼓小僧》(SG5:1993)(画像4-5)は、スパイラルガーデン美術館の廊下に置かれた等身大の高さの棒の上に座る、全長30cm程の機械仕掛けの人形で、一定の周期で自分の顔面を鼓のように叩く。《異様に緊張感のある三兄弟》(SG6:1994)(画像4-6-1,4-6-2)だけが他のものとは異なり、このオブジェ単体で音を発する仕掛けではない。これは、観賞者が半地下にある階段の踊り場から地下にボールを落とし、地下に設置されたこの三兄弟の顔の部分―つまり太鼓になっている部分―に当たると、音が出る、というものである。

◯伊藤信明(WAY):SG出品作品

SG2出品の《We love music》(SG2:1988)は詳細不明である。《ROCK》(SG1:1987)(画像5-1)はハーブを模した創作楽器のような音響彫刻である。これは弦の部分を指や弓で擦って弦楽器のように演奏可能だが、コマやフレットはないので、音階を引き分ける類の演奏はできない。

◯柿崎隆之(WAY):SG出品作品

《OROCHI》(SG1:1987)(画像6-1)、《OROCHI '88 OROCHIの声は大地の叫び》(SG2:1988)、SG3出品の無題作品は、蛇をかたどったもので、《ウタガメ》(SG4:1991)はカタログ収録のイラストから判断して、亀をかたどったものである。どれも尻尾の部分から息を吹き込んだり、あるいは金属の本体を叩いたりして音を出して楽しむ音響彫刻である。《CHAIR HORN》(SG5:1993)(画像6-5-1,6-5-2)だけ少し異なり、具象ではない。これは椅子とラッパを組み合わせたもので、鑑賞者が椅子に座ってラッパに息を吹き込むと、椅子の上部に取り付けられたホーンから音が出る。多少の音程の変化は出せるようだが、メロディらしいものは出せないようだ。

◯小畠泰明(WAY):SG出品作品

小畠はほぼ同じような音響彫刻《Ferrous―響く構造》(SG1:1987)(画像7)、《Ferrous―馬上琴》(SG2:1988)を出品している。(おそらくは)鉄製の円筒に取り付けられた棒の部分を叩くことで、異なる音階の金属音を出すオブジェである。この棒の部分は調律されていないので、このオブジェは大型の親指ピアノのようなものである。

◯渡辺林太郎(WAY):SG出品作品

渡辺林太郎は吉村弘と同様、SG1から6のそれぞれに、異なるコンセプトの作品を出品している。《R・I・N・G》(SG1:1987)(画像8-1)は、ディスク型オルゴールである。ただしメロディのある音楽は記録されていなかった。《RECORDER/笛を吹く装置》(SG2:1988)(画像8-2)は、木の指で穴を押さえて自動的に演奏するリコーダーである。映像記録ではリポーターが「人間の指とはちょっと違った音がしますね」とコメントしている。《UNIVERSAL SHEETS》(SG3:1990)(画像8-3)は、ある種のサウンド・インスタレーションのように見えるが詳細は不明である。SG4のカタログに記載されている《Sound Drops》(1991?)(画像8-4)は、SG6カタログには出品されたと記録されていないので実際に出品されたかどうか不明だが、いずれにせよ、雨水が入り込むことで音を発するオブジェのようだ。《Chirr chips》(SG5:1993)(画像8-5)は掌サイズの弦楽器で、近づくとセンサーが反応して弦を鳴らす音が聞こえてくる。人が近づくと、それぞれのオブジェに取り付けられた棒が揺れたり回転したりする。左側のオブジェでは、卍の半分のような針金が回転して、取り付けられた弦を擦ることで音が発せられる。右側のオブジェでは、振り子のようなものが(左右ではなく)前後に揺れてこの板に取り付けられた弦を叩くことで、音が発せられる。《THE SIGNAL from the JUNGLE》(SG6:1994)(画像8-6-1)は、作家本人へのインタビューによると、カタログ記載の作品は出品しなかった。実際に出品した作品(画像8-6-2)は、吉村作成の自家製版図録(吉村はSG1,5,6について、カタログにそれぞれの作品が実際に展示された様子の写真を貼り付けた自家製版図録を作成している)に収録されている。

渡辺は、楽器演奏や楽器制作に関心を明確にもっていた作家であった。SG1,2,5はこの関心に即して作られたもので、渡辺が「楽器的なメカニズム」のヴァリエーションとして制作した作品だといえよう。またSG3,4,6は、後にWAYが制作した、公共空間に依頼されて制作したサウンド・オブジェを彷彿とさせるものであり、空間内部での音響生成への関心を示すものと解釈できるだろう。

本報告はSG開催の経緯とSGへの出品作品を造形グループWAYの活動を中心にまとめた。美術家である彼らが音を発する作品を制作するようになったきっかけには創作楽器の展示・演奏企画があった。さらに、渡辺はこの企画の背景のひとつに、金属装置としての楽器のメカニズムに対する関心があったと語った。こうした事情は、美術家である彼らのサウンド・アートに対する態度と、音楽家である吉村の態度の違いを考えるために参考になるだろう。

今後の課題としては、この吉村とWAYの作家たちの意識の違いを手がかりとして、美術と音楽における創作楽器へのアプローチの違いを検討することをあげられよう。そのためには、同時代の他の動向を検討する必要がある。SG出品の他の作家や、同時代の美術における音楽への関心の諸傾向―関西の動向、海外のサウンド・アートからの影響、「こどもの城」の活動など―を検討する必要があるだろう。今回の調査報告では触れられなかったが、次回の調査報告ではこれらについて検討する予定である。

1

1935年生まれ、ブルガリア出身の美術家。風景の一部を巨大な布で梱包する活動で知られる。

2

アメリカ出身の美術家。1943年生まれ、78年没。廃家を真っ二つにした作品《スプリッティング》(1974)で知られる。

3

伊藤は1938年生まれ、新宮は1937年生まれの日本の美術家。ともに日本におけるキネティック・スカルプチャーの先駆者。

4

1962年生まれの日本のメディア・アーティスト。

5

朝倉は1929年に生まれ、2003年に没したデザイナー、美術教育学者。坂根は1930年生まれのジャーナリスト、研究者。ともに芸術と科学の境界に関する研究の日本における第一人者。