2015年03月 松本秋則作品分類試論――「松本秋則~Bamboo Phonon Garden~」をめぐって――

松本秋則作品分類試論

――「松本秋則~Bamboo Phonon Garden~」をめぐって――

(ここで公開している論文たちには校正での訂正が反映されていない部分があり、実際の掲載稿とは若干相違があります。また図版は掲載していません。引用などの場合、必ず、公開された原文をご参照ください。)

[★★★中川:[●]で指示した部分は、註、図版、表の参照指示です★★★]

1.はじめに

2014年8月1日(金)から10月31日(金)にかけて横浜市庁舎のメインホール一階に、竹製の音を発する作品が30個以上設置された(図1[●●●図を挿入●●●])。これらはすべて松本秋則さんという芸術家(以下敬称略)が制作した音具――本論では「音を発することを目的とする、楽器ではない道具」という程度の意味で用いる――である。市庁舎一階にこれらの音具を設置したこのインスタレーションは、横浜を代表する現代アートの拠点のひとつBankART1929と、2014年東アジア文化都市実行委員会との主催による「ランドマーク・プロジェクトV 松本秋則 Bamboo Phonon Garden」という。「市庁舎のホールに音を奏でる竹林が出現」し、音具が発する「心地よい竹の音」(『バンブーフォノンガーデン』チラシより)が連鎖することで、横浜市庁舎というお固い雰囲気の空間が柔らかく居心地の良い空間に変容していた。本論の目的は、このインスタレーションで用いられた音具を分析することで、今後の松本秋則研究の端緒を開くことである。

1951年に生まれた松本秋則は自身のウェブサイト(http://www.matsumotoakinori.com/)では「不思議美術家」と名乗っている。高校卒業後、一般企業に就職した松本は数年間働いた後、芸術家になるために仕事を辞めてアルバイトしながら作品制作を行うようになった(2014年2月21日本人との会話より)。数年間の習作期を経て松本は、1982年(ウェブサイトでは1981年と表記。どちらが正しいかは不明)より竹などを使った音具を制作し始め、六本木ストライブハウス美術館をはじめとする様々なギャラリーや美術館で、竹製の音具を展示するようになった。また、1989年8月に「特殊音楽家とうじ魔とうじ」と「元舞踏演芸家村田青朔」とともに「文殊の知恵熱」というパフォーマンス・ユニットを結成し、studio200などいくつかの場所で公演もしている。また松本は「1992年、五島記念文化財団の助成で、1年半アジア7ヶ国で少数民族の芸能を研究。第9回バングラデッシュ・アジア・アートビエンナーレでグランプリを受賞。瀬戸内国際芸術祭2010への参加等、国際展にも多数出品。現在、BankARTのスタジオに長期スタジオインしている」(『バンブーフォノンガーデン』チラシより)。

松本のウェブサイトでは彼のプロフィールを確認したり彼の作品画像を大量に見ることが可能だが、プロフィールの細部には不明瞭な部分があるし、各作品の名称や制作年は記されておらず、松本作品を扱った先行研究などはまだない。しかし、私は松本の音具に魅力を感じている。彼は主題や素材をやたら拡大せず基本的には竹素材にこだわり、多くは1メートル以内の大きさの音具を一貫して作り続けている作家である。その多様な作品群は質量ともに世界的に優れた音具、創作楽器、あるいは音響彫刻として評価されるべきと思う。また、松本が音具を制作し始めた80年代は、日本で「音を用いる美術」が盛んに作られるようになった時代であり、松本秋則作品は80年代日本におけるサウンド・アートの展開をめぐる研究に格好の事例を提供するだろう。松本秋則研究が必要な所以である。

以下、次章では、先ごろ開かれた横浜市庁舎の展示に用いられた音具を分類分析する。第三章では松本秋則作品分析のための指針と松本秋則を取り巻くいくつかの文脈を指摘する。そうすることで本論は今後の松本秋則研究に資することを目指す。

2.作品分類

1.インスタレーションの概要

図2は今回のインスタレーションで用いられた作品設置箇所を記した模式図である。全部で29個ある音具と18個の竹のオブジェは、設置場所によって4種類に分類できる。

[図2作品設置箇所]

A:18個:二階廊下部分から釣り竿でぶら下げた音具

B:7個:二階廊下部分の床裏(一階の天井部分)から吊り下げた音具

C:18個:一階ロビーの植木があったと思われる場所に設置された竹のオブジェ(これは音具ではない)

D:4個:一階出入り口付近の天井から吊り下げた音具

である[i]

2.作品分類の提案

今回の展示で用いられた音具はすべて、モーターを用いて自動的に駆動する。これらの音具について、個々の作品の形態と、電動モーターの動力が伝導される対象とに基づき、以下の分類を提案する。右の数字は今回のインスタレーションにそれぞれの音具が用いられた個数である。記号は図2に対応する。

1.体鳴楽器[ii]型A:本体が揺れ動く音具

1-1.輪飾り型: 5: a01, a02, a04, a10, a16

1-2.揺らし型: 3: a03, a09, a18

1-3.チクオンキンB型: 2: a13, a014

2.体鳴楽器型B:バチを使用する音具

2-1.バンブー風鈴型: 7: a05, a06, a07, a12, a17, b01, d1

2-2.自動木琴型: 7: a08, a15, b02, b03, b04, b05, b07

2-3.放射型: 3: a11, b06, d2

3.弦鳴楽器型:振動弦を使用する音具

一弦琴型: 2: d3, d4

4.モビール彫刻型:音を発さないオブジェ

モビール彫刻型: 18: cすべて

以下、それぞれ説明する。

1.体鳴楽器型Aと2.体鳴楽器型Bはいずれも、「本体の固有振動で音を発する、皮膜のない打楽器(固有振動で音を発する楽器)」と同じメカニズムで音を発するが、電動モーターの動力が伝導する対象が異なる。Aでは本体そのものに動力が伝えられ、本体が揺れ動くことで音を発する。Bではマレットや竹製のバチに動力が伝えられ、バチが竹製の本体に打ち付けられることで音を発する。

まず1.体鳴楽器型A群について。このうち1-1.輪飾り型は図3[●●●図を挿入●●●]のように、竹製の輪が連結しており、この全体が回転することで音を発する。さらに、竹の輪飾りの上部には、1-2.揺らし型と同等の揺れると音を発する物体が取り付けられている(鐘:a01, a04, a16、木製の鳴子:a2, a10)。1-2.揺らし型の音具はでんでん太鼓(a03)、鐘(a09)、太鼓とバチ(a18)である。1-3.チクオンキンB型は図4[●●●図を挿入●●●]のように、松本が、愛媛県の社会福祉法人大洲育成園に制作と販売を許可している「チクオンキン(竹・音・琴)[●●●図5●●●]」という音具があり、それと同様のメカニズムで音を発する音具である。チクオンキンは、数十本の5cm長の竹の片端を釣り糸に取り付けたもので、釣り糸を高い位置に吊るして数十本の竹を高い位置に持ち上げると、重力の作用で自動的に、隣り合う竹同志がぶつかってシャワシャワシャワと音を発しながら竹が落ちてくる仕掛けの音具である。BankART1929で5000円程度で購入可能なので、インテリアとして部屋に設置して楽しむことができる。市庁舎に設置されたチクオンキンB型は、観客が触って竹の位置を調整することはできないが、竹が取り付けられた糸が回転することで、隣り合う竹同志がぶつかって音を発する。つまり、チクオンキンと同じ音響発生の仕組みなのだ(ただし、「回転することによって音を発する」という点を強調するならば、1-1.輪飾り型と同等のメカニズムとも分類できよう)。管見の限りでは、このメカニズムで音を発生させる音具は松本独自のものである。何か松本がヒントとしたであろう音具があるならばご教示願いたい。

次に2.体鳴楽器型B群について。2-1.バンブー風鈴型は図6[●●●図を挿入●●●]のように、東南アジアで作られる木製の風鈴バンブー風鈴とほぼ同じ構造の音具である。モーターの動力が中央のマレットを回転させ、マレットが周囲の竹に当たることで音を発する。2-2.自動木琴型は図7[●●●図を挿入●●●]のように、竹にゴムを被せて作られたバチが、回転して竹の打面に打ち付けられることで音を発する音具である。木琴のように4つほど鍵盤のあるもの(a08, b04)もあれば、ウッドブロックのように高低ふたつしかないもの(a15, b02, b03, b05, b07)もある。また、バチを回転させる動力がモーターから直接供給される場合もあれば、b02やb04のように、モーターで風を発生させて風車を動かすことで、バチを回転させるものもある。なお、原因は不明だが、私が観察した時、b03とb05は稼働していなかった。2-3.放射型は図8[●●●図を挿入●●●]のように、円盤型の中心から放射状に並べられた数本の棒のうえを、モーターの動力でバチが移動して棒を叩くことで音を発生させる。バチが打ち付けられる棒は、a11, b06は木製で、d2は鉄製であった。

また、3.一弦琴型は図9[●●●図を挿入●●●]のように、電動モーターの動力が指あるいはピック代わりの針金に伝導し、針金が回転することで弦を弾き音を発する音具である。

最後に4.モビール彫刻型[●●●図10●●●]は音具ではない。普段は植木を設置しているだろう場所に、植木の代わりに設置されていた。 BankART1929 BLOG記事によれば、これらは「作品の下に人が立つとその人の温度(上昇気流)でゆっくりとオブジェが回りだすという繊細な仕掛けだ」とのことであるが、私は確認できなかった。

なお、2-2.放射型と3.一弦琴型以外のすべてに「羽」がついていた。

3.今後のための予備考察

1.本分類に関する考察

以上の分類に加えて二点指摘しておきたい。

まず、本論で行った作品分類は限定的である。本論の作品分類は、正確には、「松本の全作品においてモーターを動力とする系統のなかで、体鳴楽器として分類されるものの下位分類」のたたき台に過ぎない。彼のウェブサイトや展覧会で確認できるように、松本作品にはモーターを用いない作品が多い。また、モーターを用いる音具がすべて体鳴楽器型になるとも限らない――膜鳴楽器型、弦鳴楽器型、気鳴楽器型の音具も可能だろう――し、そもそも、モーターを動力とする体鳴楽器的な音具のすべてが今回のインスタレーションで展示されたとも限らない。

第二に、今回展示された音具に観客が触れられるものはなかった。松本は作家活動の出発点に近所の子供と遊ぶための音具の制作をあげるくらい、創作における「遊び」という契機を重視する(2014年2月21日本人との会話より)。今回は、市庁舎という空間を使うので、「遊び」を用いないインスタレーションを制作したのだろう。ここからは少なくとも、松本作品が、「遊び」を志向する観者巻き込み型とそうではない自律作品型に分類できること、を確認できるだろう。

なお、設置場所から何か特定の意図を導き出すことは私には難しかった。

2.文脈の指摘

本論で考察を深めることはできないが、松本秋則の活動を考えるうえで重要と思われる文脈を三点指摘しておきたい。

まずもっとも重要なのは、1980年代の日本における創作楽器と音響彫刻をめぐる文脈だろう[iii]。おそらく、「遊び」を志向する松本作品は、80年代の『Sound Garden』展(後述)などに出品されたその他の「音響彫刻」よりも観者巻き込み型の度合いが強い「音響彫刻」として、1980年代日本における「音響彫刻」と「創作楽器」の多様性を示す事例として位置づけられるだろう。

第二に指摘しておくべきは、1980年代日本におけるサウンド・アートの展開という文脈である。松本が音具を制作し始めた80年代は、世界中で「音を用いる美術」あるいは「サウンド・アート」が視覚美術の領域で盛んに作られ始めた時代だし(リクト2010など)、日本でも「音を使う美術」が流行し始めた時代である。この時期に、1987年から94年まで吉村洋を中心として主に東京芸大美術学部周辺の芸術家たちによって、六本木ストライプハウス美術館(現六本木ストライプハウスギャラリー)で6回『Sound Garden』展が開催された(中川・金子2012、金子・中川2013)。また、1986年と87年に青山こどもの城で『音と造形』展が開催され、1989年に栃木県立美術館で『音のある美術』展が開催された(中川・金子2014)。この「日本におけるサウンド・アートの展開」の見取り図はまだ調査段階で今後も適宜修正していく必要があるが、松本秋則研究がその見取り図の一角を埋めるものであることを指摘しておきたい。この見取り図のなかで、松本秋則は、活発な作家活動を行っていたにも関わらず『Sound Garden』展には最初の2回(1987年と1988年)しか参加しなかった作家として位置づけられるだろう。これが何を意味するかは現時点では不明だが、事実として指摘しておく。

最後に、「セゾン文化」という文脈の重要性を指摘しておきたい。なかでも1980年における日本のサウンド・アートの展開において重要なのは、西武美術館、書店アールヴィヴァン、そしてさまざまなパフォーマンス公演が行われていたstudio 200である。これらの場所の影響力を詳細に検討する余裕はないが、次の三つの事実を指摘しておきたい。第一に、松本は「文殊の知恵熱」の一員としてstudio200に出演したことがある(1990年6月第2回公演『南方見聞録』、1991年5月第3回公演『脳の方舟』 )。第二に、1986年7月26日と27日にstudio200で「始原聲聞(しげんしょうもん)」というイベントを行った矢吹誠という人物は、イベントのチラシによれば「創作竹楽器の第一人者」とのことである――セゾン財団所有の森下スタジオに所蔵されている資料調査時に確認――。松本が「竹を使う音響彫刻」を作り始めたのと同じ80年代に、別の人物による「竹を使う創作楽器」を用いたイベントが行われていたわけだ。第三に、80年代には「現代音楽」や「環境音楽」とともに、ジャンルとしての「民族音楽」に対する注目も高まっていた[iv]。松本は1992年に東南アジアの各国を一人旅して見聞を深めているし、その影響は2-1.バンブー風鈴型の作品にも明らかである。彼が東南アジアから影響を受ける素地を、80年代の日本の文化的状況に求めることも可能かもしれない。

4.まとめ

以上、松本秋則作品の一部を分類考察し、松本秋則を取り巻く主として80年代の文脈を指摘した。作品分析の対象の拡大、作品と文脈に対する更なる調査、80年代のいくつかの事象との関係の精査等々、さらなる考察が必要なことは明らかであり、今後の松本秋則研究に対する本論の貢献はかなり限定的である。しかし、本論の最大の存在意義は、さらなる考察の必要性を喚起することで今後の松本秋則研究の端緒となることである。その意味で、本論は当初の役割を十分に果たし得たと思う。今後のさらなる調査を期して本論を終える。

最後に、貴重なお時間を使って若輩者の質問に快く応じてくださった松本秋則さん、そして、横浜市庁舎での作品調査にご協力いただいたBankART1929と横浜市役所創造都市推進課の担当者様に御礼申し上げます。

参考文献

ハンマーヘッドスタジオ「新・港区」記録本編集委員会 2014 『ハンマーヘッドスタジオ 新・港区』 神奈川:BankART 1929:150-155。

金子智太郎、中川克志 2013 「[調査報告] 日本におけるサウンド・アートの展開――『Sound Garden』展(1987-94)の成り立ちをたどる」 『京都国立近代美術館研究論集 CROSS SECTIONS』5(2013年3月):44-52。

アラン・リクト 2010 『SOUND ART ──音楽の向こう側、耳と目の間』 荏開津広、西原尚(訳) 木幡和枝(監訳) 東京:フィルムアート社。

U.ミヒェルス(編) 1989 『図解音楽事典』 角倉一郎(日本語版監修) 東京:白水社。

永江朗 2010 『セゾン文化は何を夢みた』 東京:朝日新聞出版。

中川克志、金子智太郎 2012 「調査報告 日本におけるサウンド・アートの展開―『Sound Garden』展(1987-94)と吉村弘の作品分類」 『京都国立近代美術館研究論集 CROSS SECTIONS』4(2012年2月):56-61。

---. 2014 「[調査報告] 日本におけるサウンド・アートの展開―80年代後半の「サウンド・アート」の展覧会をめぐって―」 『京都国立近代美術館研究論集 CROSS SECTIONS』6: 66-73。

スタジオ200編 1991 『スタジオ 200 活動誌:1979-1991』 東京:西武百貨店。

ウェブ上の記事

『バンブーフォノンガーデン』チラシ = BankART1929 Office制作 チラシ 「Landmark Project V 松本秋則 Bamboo Phonon Garden 横浜市庁舎1F 2014年8月1日(金)―10月31日(金)」BankART Life IV 東アジアの夢 主催:BankART1929、2014年東アジア文化都市実行委員会」

www.bankart1929.com/eastasia/landmark/img/pdf/bamboo.pdf(アクセス日:2015年2月6日)

BankART1929 BLOG記事 = BankART1929 BLOG記事「ランドマークプロジェクト5 松本秋則@横浜市庁舎」(2014年08月09日掲載)

http://bankart1929.seesaa.net/article/403930001.html(アクセス日:2015年2月6日)

[i] 10月7日(火)午後二時半頃に私はこれらの音具を写真撮影した。平日の市庁舎一階は、午後三時まで開かれている「市民相談室」を待つ人々でごった返しており、市庁舎の外部の車の音と内部の様々なアナウンスの音声も絶えず鳴り響いており、かなりの喧騒に包まれていた。そのなかで竹製の音具からさまざまな音が発せられていた。市庁舎一階には人通りが絶えず、竹の音に訝しげな表情を浮かべた後、携帯電話を取り出して写真や動画を撮影するものや、しばらく立ち止まって耳をそばだてるものもいた。竹の音は高音域の倍音が豊富なので、リバーブやエコー効果がかかっているように聞こえる。つまり、近い場所で発せられた音であるにもかかわらず、(リバーブやエコー効果がかかるほどの)遠い場所で発せられているかのように感じられる。なので、結果的に遠近感が混乱させられるので、竹の音という「自然の音」を聞いているはずなのに、「非現実的な、あるいは超現実的な空間」にいるように感じられた。市庁舎一階という「お役所」雰囲気溢れる場所が、現実には存在しないどこかであるかのように感じられた。これがインスタレーション全体に対する私の感想である。

[ii] 松本の音具分類に用いたこの楽器分類項目はミヒェルス1989:25(「楽器学」の項目)を参照した。これは1884年にマイヨンが、1914年ホルンボステルとザックスが行った楽器分類を整理した一般的な楽器分類項目である。

[iii] 「音響彫刻」と「創作楽器」の区別については、美術の文脈を念頭に置いて作られる「�音響彫刻:音を手動でもしくは自動的に発する立体作品」と音楽の文脈を念頭に置いて作られる「�創作楽器:パフォーマンスに使用できる、音楽を演奏するために制作された立体作品」という分類を提案したことがある(中川・金子2012)。これは今後の検証を必要とする経験則に基づく分類にすぎないが、松本には「音楽」を刷新しようとする意図はない。彼の音具は「音響彫刻」と分類できるのではないだろうか。

[iv] こうした動向には、池袋リブロのアールヴィヴァンの音楽担当である芦川聡(1975年創設したばかりのアールヴィヴァンに入社、82年退社、83年死去)の影響が大きかったと思われる(永江2010:51-52、2014年9月8日のアールヴィヴァン創設者・芦野公昭さんとのインタビューなどを参照)。

図2作品設置箇所