第24話. 秋の蝉と冬の蝶 (2005/10/15作成、10/20加筆、10/21一部加筆、2008/10/18末尾に加筆)
お彼岸を過ぎて半袖から長袖になって、しばらく涼しい日が続いた後に、10月になってから季節外れの暑い日がポツンとぶり返すことが在ります。
そんなときに、アブラ蝉やツクツクボーシの声を聞く時が在ります。あの蝉は何処から出てきた蝉でしょうか?
蝉が羽化してからの命は、約1週間といいますから、お彼岸から2週間、あるいは、蝉の声を聞かなくなってから2週間以上の間隔を隔てて鳴いている蝉は、新たに土の中から出てきて羽化した蝉のはずです。
蝉は羽化する前日の夕方、土の中から出てきて木や塀の上によじ登って待機し、明け方に羽化しますから、この10月の蝉は、翌日が暑い日であることを少なくとも前日の夕方に土の中で予見して出てきていることになります。そんな予知能力があるのでしょうか? しかも、10月にポツンと出現する暑い日はせいぜい1日しか続きませんから、蝉はたった1日の為にわざわざ土の中から出てきて羽化することになります。夏の暑い盛りと違って仲間も少なく、子孫を残せる確率は大変低いのに、なんと効率の悪い、哀れなことでしょう。
植物でも、シャクナゲ等の春の花が、(場合によっては花ミズキや桜でもまれに) 秋にポロリッと花を咲かせてしまうことがありますから、似たような話ではあるとは思いますが、いずれにしてもこの10月の蝉に関する第一の仮説は、「蝉は前日の夕方に翌日が夏日になることを予見して土から這い出てくる」というものです。
実は秋の蝉については、もう一つの仮説を用意しています。それが、冬の蝶を説明する仮説にもなります。
蝶は羽化する前はサナギですから、冬の温かい日に羽化して飛び立つためには、サナギの状態で且つ羽化する直前の状態 (Ready Goの状態) でその日をずっと待ち続ける必要が在ります。そんな事って出来るのでしょうか? 確かに春一番に飛び立つ蝶の中には、恐らくそのようにしてサナギの状態で冬をじっと過ごした蝶も居るでしょうから、冬の暖かい日に間違ってサナギから羽化する蝶が居てもおかしくないかも知れません。しかし、越冬の方法としてより在りうるのは卵の状態で冬を過ごし、春にエサとなる植物の葉が出てくる頃、卵から孵ってイモムシとなり、やがてサナギを経て羽化して飛び立つということだと思います。(しかし、卵の産み付けられた葉っぱが落葉樹や草花である場合には、葉は枯れ落ちてしまいますから、卵の状態で冬を過ごすということはむしろあまりなく、サナギで過ごすことの方がありうる話かもしれません)。このサナギで待機というのは、秋の蝉で述べた仮説と同じですが、どうもわざわざ羽化するというのが、引っかかります。
もう一つの仮説とは、遅い季節に生まれた蝉や蝶は、外気温が活動できる温度以下になったときに、どこか葉っぱの裏などの目立たない場所に潜んで仮死状態で待機するというものです。
これならば、蝉も蝶も、外気温が適した温度になった日に直ぐに活動を再開することが出来ます。
この方法は、しかし、蝶や蝉にとって生存の確率の大変低い方法だとは思います。木の上であろうと葉っぱの裏であろうと、所かまわずエサを探しに来る蟻や、空から獲物を探し回る眼の大変良い鳥たちの餌食にならない確率は大変低いと思うからです。それでも小生はこの第二案に惹かれます。こんな拙句を詠んだことがあります。
「寒き夜をどこで過ごすや冬の蝶」
「冬の蝶何処から来たり何処へ去る」 ('00/12/17 谷中)
どちらの案にしても季節外れの日に個体維持と子孫残しの為に飛び回る蝶や、力なく鳴く蝉は、人の目には哀れに映りますが、彼らには後悔も不平も不幸せも無く、大自然の摂理に従って、ひたすら生を全うしているに過ぎない、そういうことだと思います。
(以下は10月20日に加筆)
その後、WEBで調べたところ、秋の蝉は俳句の季語になっており、夏の終わりに鳴く法師ゼミやヒグラシの類を総称しているとのことです。小生がこの拙文で取り上げた10月の暑い日にひょっこり鳴く蝉のことを特に指したものではなく、もっとずっと早い時期に(夏と連続した秋も早い日に)鳴く蝉を総称しているようです。
また、冬の蝶は、蛹で過ごすもの、卵で過ごすもの、および、成虫のままでどこか岩陰や橋の裏等で過ごすものがあるそうです。成虫で物陰でじっと暖かくなるのを待つ蝶を「凍蝶」と呼ぶ言葉もあるということで驚きました。
(以下は2008年10月18日に加筆)
今日、近くの戸頭公園でアブラ蝉の声を聴く。お彼岸から約1ヶ月、今年はもう蝉の声を聴けるとは思っていなかった。さすがに盛夏と比べると声に勢いが無い。出だしはまあまあだが、絶頂に行く前に店じまいの声になる。彼は今までいったいどこに居たのだろう。近くの木に抜け殻があったが、まさかね。