4月に年度が明けてから2ヶ月半ほど経った。卒研生は自身の手で未知の問題や新しい課題に切り込むことで、どんなことを手や頭で感じているだろうか。研究室生活で交わす言葉は、専門知識や研究のノウハウのことばかりではない。モチベーションのこと、進路選択のこと、やってみたいと思ったらやるかやらないかでなく先ずやってみようということなど、様々である。
そんな中でやはり、原理や目の前のデータを踏まえ、つまり専門知識と分析力を活かして目的に応じて「判断する」経験は大切で価値のあるものだ。そういう経験をすること、特に一見小さくも見えるその判断の一つ一つを、判断の根拠を意識してする経験を積み重ねることの大切さや楽しさを感じてくれているだろうか。
今週も実にいろいろな場面があった。
検出しているシグナル(試料から出力されるシグナル)に、励起シグナル(試料に与えるシグナル)が混入していないか。混入してしまうシグナルを効果的に除く方法があるのではないだろうか。
自身で導いてみた方程式や関数は、狙った通りに立てられているだろうか。検算用の仮想データを代入することで、ミスや改善策がないかを簡単にスクリーニングできないだろうか。
試料の性状(前処理後の状態)や測定結果が思い通りでなかったとき、その原因となり得る要因をリストにして、その各々が手元で起こっている可能性の大小を確度高く見積もれるだろうか。原理と目の前の観察結果から原因をどう分析できるだろうか。
そんな諸々について自分の考えを持ってみて、それについて他の人に相談して自身の考えとの違いを比べてみよう。自分で考えるだけでは得られない意外な気づきや学びがあるだろう。そしてその気づきや学びは、自身でまず分析と思考をしてみることでこそ得られるものだ。
自分自身で持ってみた考えより他の人が示してくれたそれの方が、優れていると思うことも多々あるだろう。自分で何で気づかなかったのかと歯痒く思うこともあるかもしれないが、それで凹む(劣等感を覚える)ことはまったくない。むしろ、自分一人ですぐには気づけなかった考えや、その考えを持つに至るまでのプロセスに触れられてラッキーと思うくらいでちょうど良い。
大事なのは、ある場面での分析や思考、判断には自分自身でそのとき出来得たこと以上にどんな可能性や選択肢があったのか、その広さを知ることだ。一瞬は自分一人で考えられた範囲の小ささに凹むことがあろうとも、その広さに繰り返し触れることは次に自身でできる範囲を確実に広げてくれるだろう。そしてその先に、自身で目の前の事象を分析することの楽しさ、未知の問題を解くことの面白さ、真に解くべき問題を自ら見出せるのことの価値を少しでも実感することが、学生たち(に限らないのだが)に是が非でもあってほしいと私は思う。