地理
雨乞岳は御在所山などとともに鈴鹿山脈の中央部に位置し、その標高は1238mと御在所山1212mの標高をも凌ぎます。山頂部は御在所山に似て1238mの雨乞岳とその500m程東にある1126mの東雨乞岳に分かれ、両者はなだらかな山頂尾根で結ばれています。
東雨乞岳から雨乞岳へと至る山頂部の稜線はなだらかで一面丈の高いクマ笹に覆われている。東雨乞岳から雨乞岳までは十数分の距離
愛知川により北側から、野洲川により南から開析を受けた裾野は広範囲に及び数ある鈴鹿山脈の中でも特に広い裾野を誇る独立.峰として知られています。北側の裾野に沿って西より近江の甲津畑から愛知川の支流の渋川が杉峠まで、東よりは同じく愛知川の支流神崎川が杉峠まで谷を刻み、双方の谷沿いに近江甲津畑より杉峠・根の平峠を経由して伊勢湾側菰野の千種まで旧千種街道が通っていました。現在もこのルートで杉峠より雨乞岳に登る登山道が開かれていますが甲津畑・菰野どちらから登るにせよかなりの歩行距離を必要とします。
御在所山や竜ヶ岳など鈴鹿山脈の多くの山がほぼ南北に連なる三重県・滋賀県の県境となる山脈の主稜線上に位置しするのに対して、雨乞岳はイフネ・クラシ・ダイジョウ・銚子ヶ口などと共に山脈主部の西方に位置し完全に滋賀県側の山となっています。
雨乞岳を始めとする鈴鹿山脈西部の山は周囲を山に囲まれているため、登山口からの距離はどうしても長くなりますが、雨乞岳の場合は鈴鹿スカイラインが麓に通じたこともあって割と楽に登れる山になりました。
山容
鈴鹿山脈の一帯は、日本海が拡大した1600万年程前には完全に海中に水没していた時期があります。このときの海水面が山脈西部の山々ではほぼ1100~1200m標高の山頂として残されており隆起準平原と見られています。
日本海の拡大に伴って、それまでユーラシア大陸の東岸に存在した西南日本の地殻は中国東北地方や朝鮮半島から切り離されて東へ数百キロも移動しましたが、移動が終焉する海溝の沈み込み帯に接近するに伴って、日本海を開広させ地殻を薄化させた展張場は沈み込みに伴う圧縮場に転じて、西南日本の地殻は徐々に隆起し始めたと見られています。
その後第四紀に入って伊豆半島が日本列島中部に衝突する地変が起き、これによって日本の太平洋側地殻に生じた圧縮応力も加わって、今日鈴鹿山脈の主稜線を形成する鈴鹿花崗岩地帯が急速に隆起するにいたり、この一帯の地形が山脈稜線を頂点として東に高く西側に緩傾斜した傾動地塊山地を形成します。
雨乞岳周辺の簡易地質図 茶色は中生代付加体・濃いピンクは古第三紀花崗岩類・薄いピンクは白亜紀花崗岩類。密度の低い花崗岩類が地殻の圧縮応力を受けて急速に隆起しその西方の地殻を持ち上げ傾動地塊山地となった (20万分の1日本シームレス地質図より )
雨乞岳を始めとする鈴鹿山脈西部の山々は、鈴鹿花崗岩の露出を免れた傾動地塊に位置し、その表層は一部を古第三紀に活動した湖東流紋岩類起源の花崗岩が露出していますが、それ以外は広く玄武岩・チャート・砂・泥質岩源変成岩などからなる古・中生代の付加体が覆っています。
付加体を主とする表層地殻はマサ化して風化しやすい鈴鹿花崗岩に比べると風化・侵食を受ける度合いが少なく、神崎川や野洲川による開析を受けているものの、まだかっての準平原に近い地形をその山頂部に残しています。このため山頂部はなだらかで平原状の地形となり、ことに雨乞岳北部に位置するイブネ・クラシなどの山々ではその特徴が顕著に見られます。
御在所山望湖台より見た雨乞岳(左端)からイブネ(中央) クラシ、銚子ヶ口へと連なる鈴鹿山脈西部の連山
雨乞岳山頂部は古第三紀の花崗岩類が露出するが周囲を付加体に囲まれているため風化侵食が少ない穏やかな山容を見せる
イブネから見た雨乞岳(中央右ピーク)左のピークは東雨乞岳。隣のイブネ・クラシ程ではないけれど山頂部は比較的平坦だ
綿貫山より眺めた雨乞岳。左手背後はイブネ・クラシ、右手背後は鎌ヶ岳の鋭鋒。雨乞岳山頂からは、手前右の清水頭より前面の尾根伝いに大峠・祝岳をへて綿貫山へ通じるが大変な距離と難路。
登山道
山容が穏やかなのは良いのですが、四方周囲をすべて山に囲まれているため御在所など鈴鹿山脈主稜線上に位置する山であれば東側の麓まで下れば人里に出ることができるのに対して、雨乞岳では山の麓まで下っても簡単には人里に行き着くことができません。
幸い鈴鹿スカイラインが山頂から直線距離で南東2kmほどの辺りを走っているので、スカイラインからのアプローチが最も手近な登山ルートになります。
スカイライン側登山道 黄色:武平峠ー沢谷-クラ谷-東雨乞岳 橙色:沢谷-コクイ谷-神崎川-杉峠-雨乞岳 水色:稲ガ谷-雨乞岳山頂コル
御在所岳望湖台より見た雨乞岳。中央右横の小ピークは七人山。中央より左下に向かう谷がクラ谷。中央左横の小ピークは三人山
武平峠登山口 ( 武平峠-沢谷-クラ谷-七人山-東雨乞岳 )
登山口標高810m 山頂1238m迄428mの標高差です。武平トンネルの近江側出口駐車場すぐ先の清山橋たもとの登山口より、沢谷峠から沢谷づたいにクラ谷迄出て、クラ谷沿いに七人山の麓をへて東雨乞岳へ至るルートです。
武平トンネル近江側出口の清山橋たもとの登山口より入山する
山頂までの標高差が少なく比較的緩傾斜の道が続くため登山ルートの中では最短時間で山頂に立てます。近江市標識に記載された武平峠から雨乞岳山頂までの登り時間の目安は約3時間20分です。
沢谷峠からは沢谷の左岸側尾根伝いに、三人山からクラ谷右岸尾根を経て東雨乞岳南東斜面より東雨乞岳へ至るコースもあります。しかしルートがはっきりせず山歩きに慣れていないと尾根道を誤りますからクラ谷沿いが無難なルートでしょうか。
沢谷上流の湿地帯。この辺は比較的林床が明るく開けて心地よい
窯跡のあるポイント4 クラ谷分岐。コクイ谷へはここから沢谷伝いにルートを北に取る
クラ谷分岐からは北に張り出した沢谷とクラ谷の間の尾根の鞍部を乗り越えながらその先にあるクラ谷へと進みます。
ルート上には地図上にポイントを示した親切な標識が設置されポイントをたどればまず迷う心配はない
後はクラ谷沿いに何度か谷を渡り返して東雨乞岳の麓の七人山とのコル迄進み、其処からルートを西にとって東雨乞岳へ向かいます。案内標識や識別テープを見誤らなければルートを外れる心配はまずありません。
七人山コルから東雨乞岳の東斜面へと進むと、木々もまばらとなり下生えの笹が山腹を覆うようになります。高度とともに北部を流れる神崎川の谷筋の彼方に釈迦ヶ岳が姿を現します。後は笹の踏み跡伝いに登れば自然に山頂へと通じます。
登山道は叢林と丈の高い笹林の中に切られた小道に変わり、見晴らしが開ける
山頂部に近づくにつれて疎林も姿を消し、丈の高い笹林が山頂部まで続く
東雨乞岳山頂。イフネ・クラシの背後には竜ヶ岳・藤原岳・御池岳・霊仙山・伊吹やアルプスまで望める
東雨乞岳から雨乞岳までは笹に覆われたほぼ平坦な山頂の尾根道が続き約15分ほどで雨乞岳山頂1239mへと到着します。背丈程もある笹分け道の途中に雨ヶ岳南東斜面から登る稲ガ谷登山道への分岐があります。
国見岳の北部より見た雨乞岳。中央左手に伸びる暗い尾根の背後がコクイ谷。中央右よりの谷は神崎川源流部と杉峠。
武平峠登山口 ( 武平峠-沢谷-コクイ谷-千種街道-杉峠-雨乞岳 )
ポイント4のクラ谷分岐より、更に沢谷をそのまま下ってコクイ谷から神崎川との合流点に至り、そこから神崎川沿いに千種街道で杉峠まで登って雨乞岳の北尾根から雨乞岳に至るルートもあります。クラ谷やその右岸尾根を行くルートに比べると回り道になり高低差も大幅に増加しますがそれだけに見どころの多いコースです。武平峠からの登り時間は4時間以上を見ておくべきでしょう。
安易に踏み込んで遭難する事故も多い様子で警告が掲げられるようになった
私にとっては変化の多い楽しいルートで、ことにイフネ・クラシに向かうには短距離で高低差の少ないコースの一つとなりますが、コクイ谷はルートがはっきりせず、何度か水量のあるコクイ谷と神崎川を渡河するので水位の高いときはは危険の多いルートでもあります。
ポイント4から沢谷について少し下ると小滝が現れその先が急傾斜でコクイ谷と合流します。これ以降はコクイ谷の谷筋について神崎川まで下ります。谷は深く変化に富み、全体に傾斜も緩やかなので谷歩きの楽しみを満喫できますが、目印は途切れがちで自らの裁量でルートを選んで進むことも必要となります。
特にコクイ谷は上流のクラ谷・沢谷さらに合流点の少し先でも御在所西面の黒谷と優勢な谷筋が集まるため下流の水勢が強く、谷を渡る際はそのルートの選定に注意が必要です。
それでも踏み跡の少ない谷の水は美しく転石を縫って進む朝の谷間には瑠璃やミソサザエのさえずりがこだまして疲れを忘れます。
興味深いのは、谷の岸に広がったなだらかな林の中を進んでいると、突然多数の石垣や炭焼き窯の跡が出現して、かっての山の民の生活の痕跡を垣間見ることです。
これは鈴鹿の山のあちこちで経験することですが、現在では考えられないような人里離れた山中でも結構大きな集落跡に出くわしてその昔その地で営まれていた人々の生活に思いを馳せることがあります。
かってのコクイ鉱山跡。砂・泥質岩中の硫化物鉱山であったようだ
クラ谷の分岐点から一時間ほど歩くと神崎川との合流点に出ます。コクイ谷出会いの案内板があり、ようやく人のあるく登山道らしくなります。
コクイ谷出会い。神崎川沿いには案内標識も多く迷う心配もなくなる
これ以降はしばらく正面の神崎川右岸について杉峠へ向かいますが出水で谷が荒れると道が怪しくなります。出会いから十数分で千種街道は谷の左岸へと渡り、左岸の尾根筋をトラバースするようになりますから、渡河点辺りまでは適時ルートを見つけて谷を西に進みます。
右岸に川原が広がる辺りに渡河点があります。ここからは御池鉱山の集落跡まで一時間近く神崎川左岸の上部をトラバースしますが、高低差はゆるく目印に気をつけてゆけば道はよく踏まれていてまず迷う心配はありません。
トラバース道では神崎川に合流する枝谷をいくつも渡りますが、そのうち最大のものはイフネ・クラシを源頭とする下重谷と佐目峠から流下するその支谷で水量も多いので渡渉には注意がいります
御池鉱山跡。神崎川流域の鉱山としては最大規模であったようで、集落には学校もあったと云う。生活排水に大量のズリや選鉱の際の汚泥がこの美しい谷を汚していたと考えると、廃鉱は喜ばしい出来事だろう
御池鉱山跡から杉峠までは20分前後の距離ですがつづら折りの道はかなりの急登を強いられます。クラ谷分岐から杉峠まではほぼ2時間の工程です。
上は秋の杉峠。下は春・芽吹き間近の杉峠。白化した二本の枯れ杉は杉峠由来の杉だろうか
杉峠から雨乞岳へは、雨乞岳から杉峠に向かって張り出した北尾根沿いに上がります。最初は叢林の尾根を進みますが高度とともに木々が失われ笹を主体とした草原状の道となり、山頂部は背丈ほどもある笹道となります。
杉峠から山頂までは45分前後。かなりの大回りをしますから武平峠からですと4時間近くかかりますが、色々と見どころの多いコースの妙味は、一度は歩いて見る価値があるのではないかと思います。
尾根の取り付きより見下ろした杉峠。枯れ杉がその名を忍ばせる
雨乞岳北尾根よりの杉峠からアゲンキョ・佐目峠・イフネ・クラシ。背後には霊仙、伊吹も見える
霧の東雨乞岳。
雨乞岳の山頂は東雨乞岳に比べると笹に埋もれていてあまり居心地の良い場所ではない。見通しの効かない笹のトンネルを潜っていると熊にでも出くわさないか不安になる
稲ガ谷登山口
鈴鹿スカイラインの近江側旧料金所跡から1kmほどスカイラインを登った辺りにある稲ガ谷橋のたもとより稲ガ谷沿いに稲ガ谷の源流部まで辿り、東雨乞岳と雨乞岳の中間の山頂尾根へと至るルートです。深い谷を源頭部まで遡るため健脚でも三時間以上の時間を見ておくことが必要です。
登山口の標高は577mで山頂1238m迄661mの標高差です。登山口脇にはなんとか車数台が止められるスペースがあります。登山口の上流500mほどに通常装備では到底登れない落差20m以上の稲が谷の大滝があるため、滝の100mほど手前で登山道は谷の右岸を巻く急登の巻き道となりますが巻道も険しい崖沿いのルートで安易に歩けるような箇所ではありません。
稲ガ谷の大滝 落差20m以上もある3段の滝。両岸は切り立った崖で簡単には迂回できない
急斜面を登りきり右岸の尾根をトラバースしながら植林帯の中に切られた巻道を進んで滝の上流に出ます。谷に近づくに連れて林の木々が杉・檜の植林帯から夏緑広葉樹へと遷移します
谷筋につきながら絶えず谷を渡り返して進みます。鈴鹿の山の登山道の殆どがそうであるように、このルートも過去の炭焼道で時折炭焼き窯の跡が現れます。谷には2箇所大きな分岐があるので枝谷に踏み込まないようコース地図で本流の分岐方向を頭に入れておきます。案内板がありますが豪雨で流出する場合もあります。
800m以上の高度に進むとミズナラ・ブナ指標の植生に変わり、山頂部に近づくにつれて上部が開けてきます
山頂部が近づくと、周囲の木々がまばらになり最後には笹林へと遷移しますが、その手前によく目立つ大きな岩があります。ここまで来ると山頂尾根との鞍部は後少しですが尾根合流点までは見通しの悪い背丈を超える笹が続くのでルートを外れないことが大事です。
苦労して登ってきた稲ガ谷の背後には水沢岳から宮指路岳、仙ヶ岳に至る鈴鹿山脈稜線とその背後に野登山、入道ヶ岳が霞む
稲ケ谷道最上部より見た東雨乞岳と雨乞岳。谷筋は山頂から100m内外は背丈を越える笹ヤブに覆われて見通しが利かない。
笹薮のトンネルを抜け雨乞岳と東雨乞岳かを結ぶ山頂部稜線に出ればほぼゴール。ここからは東雨乞岳までなら数分、雨乞岳までは10分程度の時間です。
巻道の後は再び谷に降りて谷沿いに登りますが、紛らわしい谷の分岐が何箇所もあるため本流を見間違えないことが肝要です。豪雨で大きな出水があると谷が荒れルートも怪しくなるので、地図で地形を頭に入れ自己の裁量でルートを選んで登ることも必要となります。