高畑山
歴史街道としてその名を知られる東海道の鈴鹿越えといえば東西を結ぶ交通の要所として古くより知られた場所で、その鈴鹿峠から登山路のある山が高畑山です。標高773mと1000mを超える山が多い鈴鹿山脈としては低いほうですが、700mに満たない鈴鹿山脈南部の中では目立つ存在でしょうか。
溝干山より見た高畑山山頂
東海道と鈴鹿峠
旧東海道は四日市を過ぎた石薬師辺から鈴鹿川の流れを左手に望みながら大阪へと下り、亀山宿、関宿を過ぎると街道は徐々に鈴鹿峠を越える登りに入ります。この辺りから街道は鈴鹿川が刻んだ谷に寄り添うように鈴鹿山脈南端の裾野を登り、関宿から坂下宿へと辿ります。
関宿を抜けた辺りでは、街道の右手前に筆捨山285mが広がります。関宿の北西鈴鹿山脈の麓に連なる山々にはその山腹に奇岩の聳えるものがあり人目を引くのですが、江戸時代の絵師もこの景観は気に入ったと見え、広重の坂之下には深い鈴鹿川の谷越しに眺めた筆捨山が画面いっぱいに描かれています。
広重の 東海道五十三次 坂之下 筆捨嶺
小野川より見た羽黒山。巨石の並び立つ山容は低山だけに余計目立つ。
ただし現在の筆捨山の眺めは広重の描いたような滝の落ちる風景は無く山の表面は樹木に覆われています。岩の露出はむしろその東部にある羽黒山290mにおいて顕著に望まれます。私には広重の絵のモデルはむしろ羽黒山辺りではないかとも思えます。
当時の浮世絵が江戸庶民の好みにあわせて、版元と職業的な画工集団により組織的に大量に生産されていたことを思うと、あるいは広重は実際の筆捨山を見ていないのかも知れません。
沓掛を経て坂下宿に掛かる辺りから急な登りにはいり、一気に鈴鹿峠を越えて土山に抜けます。旧東海道の宿場町も様変わりして当時の街道を偲べる部分は僅かですが峠越えの手前では当時の街道の一部が残ります。
もはや旧街道の面影を残している場所は殆ど無いが、片山神社の一隅には時間が止まったような所がある。
鈴鹿峠の手前には片山神社があり、その周囲では今でもわずかながら旧東海道の面影を残していますが、峠越えの登りの先には国道1号線の上り車線が横切るため旧道も近代的な遊歩道に変わってしまいます。
一号線上り車線を遊歩道伝いに横切ると、再び山道に入る。「ほっしんの 初にこゆる 鈴鹿山」 旅行が全て徒歩であった頃、国境の峠越えは安易なものではなかっただろう。
ここで一号線を横切ると、その先の僅かな区間が山中の峠道として残されています。山道の入り口には芭蕉の句碑が立てられて、嘗て多数の旅人の行き来で賑わった街道の面影を偲ぶ縁となっていますが、そのすぐ脇を一号線が通過しており、古今の時の差を思い知らされます。句碑から細い山道を抜け少し行くと突然杉林に出て、そこが旧東海道の鈴鹿峠です。
杉林の中に旧東海道の鈴鹿峠がある。高畑山773mの登山口もここにある。
現在では史跡を訪ね歩くハイカーと時折出会う以外は殆ど誰も通らず、猪鹿狐狸が飛び出してきてもおかしくないような山道ですが、街道が東西通行の要路であった頃は絶えず旅人が行きかい、昼間には人の賑わいも絶えることがなかったでしょう。
鈴鹿峠の土山側。峠からすぐのところに駐車スペースがある。
車を乗り入れるとすぐ峠のある杉林が見えますが、四、五台の車を駐車できるスペースがその手前に作られています。登山口は駐車場から一、二分の距離です。
登山路の入り口の高畑山の案内には山頂まで1時間20分とあります。私の場合最短でも1時間30分を切るのは困難でしたから20分ほどは余裕を見ておいたほうが良いかもしれません。
檜の植林帯は歩き始めて10分ほどで樫、楢、ツツジ等の落葉広葉樹へと変わる。
登山口の標高は400mですから山頂773m迄の標高差は373mです。入山口より檜の林を西に進むと鏡岩の分岐と云うのが直ぐ現れます。ここを右にとって高畑山から東に伸びる尾根に取り付きます。入り口より10分程で檜の単相林から樫、楢、椎、ツツジ等の広葉樹林となります。
尾根の登りは結構長く、尾根筋に出るまではただひたすら登ります。特に尾根の平坦部640mにたどり着くまでの最初の40分程で標高差240mを稼ぎますから私にはこの部分が一番きつく感じられます。
最初の平坦部から下りに入ると、右手に植林帯が現れますが直ぐに登りとなり再び自然林に変わります。この辺りから道の表面に砂が浮き始め、足元に笹の下生えが目立ち出します。
檜の植林帯を過ぎる頃から植生が変わる。下生えに笹が目立ち道の表面は風化花崗岩の砂利が覆う。
直に登りがきつくなり、道の左右には岩が目立ち始めます。尾根を形成する大きな露岩の間の急な登りを終えると、尾根の西斜面が崩落して北西方向に広く視界が開けた場所に出ます。
露岩の登りを終えると崩落地に出て北~西方向への視界が開ける。その先はザレむき出しの登山道。
登ってきた尾根筋の背後に鈴鹿山脈が見える。中央の奥は左より綿貫山、中央雨乞岳、その右に御在所が霞む。
この地点からは山頂方向から鈴鹿山脈まで一望できますから、私はいつも此処でしばらく休憩します。登山口から約1時間の行程です。
此処からは割りと平坦な尾根がナイフエッジと呼ぶ崩落谷まで続きます。曾てのナイフエッジはその名が示すようにかなり峻険な尾根であったようで、30年前の登山案内書には注意書きが有りますが、今では崩落が進んで名のような恐ろしさは有りません。
しかし風化した花崗岩のザレ場を登りますので足場の確保は十分な注意が入ります。
高畑山山頂方向の展望。山頂は左のピークの背後に隠れている。
ナイフエッジを超えると直ぐに急な谷に落ち込みます。この谷の鞍部を超えると山頂手前のピーク迄100m近い高低差を一気に登る急登となります。ここを登ると更にその先にもピークがあり、そのピークを超えて初めて山頂が確認できます。
笹の茂る道を進むと山頂に出る。周囲に木立のない頂上は360度の展望がきく。
私の足では登山口から急登後のピーク迄1時間20分、最後のピーク迄1時間30分、山頂まで約1時間35分の行程です。
山頂の周囲には低い笹が茂り、東には伊勢湾、北には鈴鹿山脈、西には甲賀、南には加太から布引山地までが一望できます。
北方面の展望。土山の集落の背後に鈴鹿山脈中部の山々がよく見える。
南方面の展望。手前は高畑山と尾根続きの溝干山。その背後の谷には鈴鹿川の源流が流れ、坂下峠を挟んで那須ガ原山800mへと続く。
ここから南に続く溝干山770mまでは約1時間10分ほどです。溝干山からその背後の坂下峠までは15分程度、坂下峠から関の坂下(片山神社の下手に出る)までは1時間程ですから時間に余裕があれば坂下辺から鈴鹿峠、高畑山、坂下峠と縦走して戻ることも出来ます。
溝干山の山頂の周囲は丈の低い木立に覆われて殆ど視界が無い。坂下峠側へ少し下ると南面への見晴らしが開ける。
溝干山から坂下峠への道は、かなりの急坂で稜線上の岩場には浮石が極めて多く、安易に踏み込むと滑落しかねません。左手に巻き道が切られていますからこちらを抜けます。
坂下峠手前稜線上の岩場。石の多くが浮いており大きな岩でもグラグラする。
坂下峠の両側は崩壊して大量の土砂が峠道に流出している。登山道は峠の100m程東で峠道(神大滝林道)を横切る。
峠の道を東に下れば1時間程で坂下の一号線へ出ます。林道は峠から10分程でアスファルト舗装に変わり杉林の林間を往く道は日陰が多くて夏場は快適です。林道の入口は普段はゲートが降りており、車が入り込めませんから安全に下れます。
車を止めるには、一号線の上下連絡道の中間(神大滝林道のゲートより100m程手前)にスペースがありますが、ほとんど交通のない場所ですから車の安全は保証できません。