2011-38

小さく見えた国会議事堂

結婚式のため久し振りに東京へ出かけた.

宿は麹町であり,荷物が大きかったため,まずは羽田空港からリムジンバスに乗り,八重洲口へ向かったが都市高速は渋滞続きで,何のための道路か疑問に思っ た.途中トンネルも多く,高低差もあり,渋滞の中地震が起こったら逃げ出すことは不可能であり,阪神大震災や米国西海岸で見られた高架橋の落下や横倒しを 思い出し,ぞっとした.都会に住む人達はこのような状況が普通であると思っているらしい.何時もこのような状況だそうである.

東京駅から麹町へタクシーを使用し,二重橋,国会議事堂,国会図書館前を通ったが,国会議事堂が以前見た時より小さく感じられたのは気のせいだろうか.都市高速上から眺めた高層建造物群のせいではない.田舎に住む人間にとって,周辺の警備は何か非日常性を感じさせた.

東京で会った多くの人との話題は大震災時の対応状況から始まり,放射能,政治の話で終始した.人,交通網,建築物,インフラが超高密度で存在し,そこに 情報通信網が縦横無尽に被さっていることを考えると,都市圏の地震は絶対に起こってはならないと思うのだが,不可避のことらしい.大阪が東京のバックアッ プ機能を持つべきであるという意見もあるようであるが,情報だけでも早急にバックアップすべきである.沖縄は台風は襲来するが地震は少ないので情報集積に 適しているらしい.

帰路は新幹線を利用し,途中大阪で大学時代の友人に会った.まだジェネリック薬品の製造会社で頑張っているというから大したものである.卒業して50年 近くなるが,その間の空白をまったく感じることなく学生時代に戻れるのは不思議な心理現象である.宿が大阪城の目の前であったため,大阪歴史博物館 (NHK放送会館と同居)を見学した.


1954年(昭和29年)に発掘調査が始まるまで,難波宮は幻の宮殿として歴史の中に埋もれていたことを改めて意識 させられた.その後,1961年(昭和36年)に後期難波宮(奈良時代)の大極殿が発掘された.その後,さらに同じ場所に飛鳥時代の前期難波宮があったこ とも明らかにされ,幻の宮殿の全貌が姿を現したのである.私だけかもしれないが.京都を中心に歴史を見る癖がついっているため,歴史上大阪が果たした役割 を過小評価していたことに気付かされた.

歴史上,遷都,首都移転によって政治はリセットされている.その例としてはいろいろの理由があるが,地震を見越して首都移転したという例は歴史上ないよ うである.日本の戦後発展は,長期間今回のような大震災に偶然遭わなかったためである.地震の活動期に入った今,検討の価値はあると思う.


[一言]江戸東京博物館とは,カバーする歴史(期間)が異なり,比べようがないが説明役のボランティアはたいへん親切である.

(2011/7/6)