スピーカー2題


2011-16

スピーカー2題

戦後初の1年生の世代は小学校にピアノはなく,高学年になって初めてハーモニカが手に入る状況だった.音楽教育といえば,皆で斉唱することだった.幸い自宅に手回し蓄音機[針にテコの原理を使って直接振動板を震わせ(サウンドボックスという),その音をホーンで拡声させる方式(基本的にはエジソン方式)]があったため,父が持っていたレコードを聞くことができた.レコードは78回転でSP盤と呼ばれ,摩耗する針を取り替えながら聴いた.戦時中の「愛馬行進曲」等のレコードの中にForge in the Forest というものがあったのを覚えている.後で調べるとミヒャエリス (Theodor Michaelis,1831-1887,ドイツ) の「森の鍛冶屋」だった.これが西洋音楽を聞いた初めての経験だった.その後.サウンドボックスに代わり,レコード針の動きをコイルと磁石を使って電気信号に変換するユニットが開発されラジオに繋いて音楽を聞くことができるようになった.中学生の頃には結晶を振動させるクリスタルピックアップが開発され気軽に音楽を楽しむことができるようになった.ラジオのどの部分に接続すれば音声を増幅するか知りたいというのが動機でラジオの分解,改造にのめり込んだきっかけになった.

その頃,EP盤あるいはビニール盤レコードでリタシュとライヒの「春の声」を聴き,ソプラノ声楽の素晴らしさを知った.その後, 高校では物理部に入り勉強そっちのけでラジオや真空管式アンプいじりに没頭した.薬学部に進学した後は,親戚の子の家庭教師の報酬はLPレコード一枚の購入資金になった.最初に購入したのはチャイコフスキーとメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲が両面にプレスされたLPレコードだった.

その後,義理の兄がレコード会社に勤めていたため,ロンドンレーベルの試聴盤等が手に入るようになり,音楽ソースに苦労することはなくなった.代わりに良い音で聞くことに興味が変化し,スピーカーを買っては自作のボックスに詰めて音を楽しんだ.最初はクラシック音楽だけであったが,次第にいろいろな種類の音楽を聴くようになった.

先日,持ち物の整理をしていたら2種類のスピーカーが姿を表した.真空管アンプから半導体アンプに切り替えた際に,同時にソニーのトールボーイ型のスピーカーとセンターウーファー(左端)を購入したのでお蔵入りしていたものである.どうしても半導体アンプ駆動による音が聞きいという衝動に駆られた.

左から二番目の写真は,ナショナル(パナソニック)の8PW1,20センチのダブルコーンスピーカー(1954)である.8PW1は軸上にゲンコツと言われる球体が付いていて,高音部の位相を補正する役割を担っている.

右写真2枚はMIRROR PHONE ML-25GP(日本音響電気)製のスピーカーである.低音用ウーファーで,コーンが分割振動しないように発泡スチロールに銀紙を貼った材質でできている.

これらのスピーカーの特性を引き出すには,100L以上の大きな箱が必要であり,すでに廃棄してしまったので簡単には視聴できない.そこで,以前研究室で化合物の精製(カラムクロマトグラフィー)用にシリカゲルを購入した際,容器として使用されていた筒状の管(紙製)を思い出した.不要になったものを自宅に持ち帰り息子の剣道具入れにしていたものである.さっそく金属製の蓋に孔を開けスピーカーを取り付けてみた.磁力が弱っているのではないかと思ったが,今でも見事な音を再生する.ウーファーはかなりパワーを注ぎ込む必要があるが,重低音を見事に再生してくれた.内側に吸音材を貼ればもっと締まった低音が出るはずである.大箱のスピーカーボックスを再登場させるにはかなりのエネルギーが必要であり,周囲が許してくれないだろうと思いながら8PW1は再び仕舞い込んでしまった.

現在は,定年後でないと到底やれないことを十分な時間を使って楽しんでいるが,他人が見たら一見無駄な思い付き的行動も趣味の歴史を知る本人にとっては大切なことである.断捨離の対象にはしたくない一品(二品)である.(2011/12/5)