ピクリン酸にまつわる話

2011-14

祖父が従軍した日露戦争の記録を国立国会図書館近代デジタルライブラリーで調べている際に,熊本県凱旋軍歓迎会が編纂した日露戦役記念写真帖を見つけた.出征から凱旋までの写真が数多く収載させている中に,熊本県立工業學校の生徒が砲弾を製造している写真が二枚あった.

写真帖から抽出した画像

写真左側の説明文

熊本縣立工業學校ノ砲弾製造 其一

熊本縣立工業學校は熊本陸軍兵器支廠の委託を受け三十一年式速射砲用七珊榴弾の製造に着手せしが素,砲弾の製造たる頗る精巧を要するの みならす同校に於ては全く経験無き事業とて刻苦奮励休日を廃して之に従ひ以て其の委託に酬ゆるを得たり此圖即ち其作業の實況なり(かたかな表記)

少々びっくりしたが,日露戦争の砲弾の火薬はピクリン酸であり,下瀬火薬とよばれ勝利に貢献したという話を思いだした.ピクリン酸は,金属を腐食しないTNT火薬やニトログリセリンが発明されるまで火薬として使用された.日露戦争は国家財政上ぎりぎりの戦いであり,弾薬不足でロシア軍を深追いできなかったことは現在ではよく知られた事実であるが,国民総動員の様子を物語る写真である.

その写真を見ながら,私もピクリン酸を取り扱ったことを思い出した.ピクリン酸を触媒に用いた転位反応に関する研究である.

当初,ピクリン酸はトルエンスルフォン酸等と同様の酸触媒として用いたのであるが,フェノール水酸基がアルキル化された化合物(アルキル化体)が触媒の本体であることを発見し,Tetrahedron letters (1974, 51/52, 4479-4480) に速報として掲載された.図に示すように青矢印で示したO-R結合が3個のニトロ基の電子吸引力により非常に切れやすくなっており,Rが硫黄原子(C=S)を攻撃(緑矢印)しアルキル化する.その過程でチオン酸エステル(1)は熱力学的に安定なチオール酸エステル(2)へ転位し,触媒は再生されて循環するという反応である.

役に立つ反応を発見したと思っていたが,この反応は誰も利用してくれなかった.当時の同僚の助手の先生によると,ピクリン酸を加熱するなど恐ろしくて到底やれることではないということのようであった.有機化合物に本触媒を少量入れて穏やかに加熱しても爆発することはないが先入観とは恐ろしいものである.


今考えると,ピクリン酸は怖い物と思い込みそれまで誰も有機試薬として使用しなかったのかもしれない.(2011/12/11)

追記

熊本県立工業学校の砲弾製造 その1

濃淡を修正した写真

熊本県立工業学校の砲弾製造 その2

濃淡を修正した写真