06.生きるとは?

生物が生きるとは、どういうことでしょうか?

現象的には、エネルギー(主に太陽エネルギー)の拡散を、出来る限り遅らせようとする

活動のように見えます。

たとえば、岩に当たった太陽光は、そのまま反射して拡散するだけですが、

植物に当たった太陽光は、蓄積され、化学反応によって糖という物質にされ、

それはその構造をさらに成長させ、分身を作らせ、蓄積量を次々に増やしていきます。

動物も、植物などを通して間接的に、エネルギーを蓄積していこうとしています。

なぜ、このようなエネルギーを蓄積しようとするようになったのでしょうか?

太古、偶然に生まれたタンパク質という物質が、そのような活動(反応)を生み出しやすい

性質を持っていたからです。

タンパク質は、エネルギーを蓄積しやすく、そして強い耐久性を得て、成長を続け、

やがて自身の大きさに耐えきれず分裂して、さらにエネルギーを蓄積する、

タンパク質は、次々に増殖していく性質を持っていました。

自然界の中では、当然、耐久性のあるものが残り、増殖力のあるものが増えていきます。

そんなタンパク質を主体にして、遺伝子という規則的な分裂秩序を手にしたのが

生物です。

生物は、いろいろな変化を遂げながら、

さらに耐久性、増殖力の強いかたちになって、現在に残ってきたのです。

つまり生きるという生命活動は、偶然が生み出した、

太陽エネルギーの屈折した変位の一つと、言えます。

太陽エネルギーの寄り道とも言えます。

生物のほとんどが、三つの本能によって生きています。

種をつなごうとする種存本能、

命をつなごうとする生存本能、

それらを達成しやすくするための、自己をアピールする存在本能です。

これらの本能は、上で述べた生命活動に忠実に従っているものです。

本能は、命をつなぎ、種をつないで、エネルギーを出来るだけ蓄積しようとし、

蓄積したエネルギーで、さらに命をつなぎ、種をつなごうとします。

本能を持ったものは、持たないものに比べ、

当然、耐久性に優れ、増殖性に優れます。

この三つの本能も、生物の進化にともなって、発達していきました。

本能とは、何でしょうか?

それらは、どのように生まれ、発達してきたのでしょうか?

生物が、単細胞生物のような、知能回路を持たない段階では、

化学反応のみによって、生命活動を行っていました。

複雑な反応は、遺伝子によって、その反応の順番を記憶されて、制御されていました。

多細胞生物となって、感覚器官が形成され、反応に電気信号が用いられるようになると、

簡単な知能回路が作られました。

認識野―記憶野だけの構造です。

感覚器官が刺激を受けると、電気信号が発せられます。

信号のパターンによって、いろいろな行動のスイッチの、オン・オフが入ります。

そのスイッチ盤が、記憶野であり、遺伝子の記憶をベースとして作られていました。

記憶野ですが、初めはまだ、新たな事を記憶できる能力は、持ってませんでした。

その初期的な知能回路・・・認識野―記憶野が、やがて一定の方式となって、

本能となります。

本能が満たされると、快の信号、

本能が脅かされると、不快の信号が発生されるようになり、

初期的な知能回路(本能)の上に、さらに発達した回路が形成されます。

本能は、欲求を生み出し、快不快の感情を生み出しました。

次の知能回路は、認識野―記憶野―欲求野―感情野の構造です。

知能回路は、生物の進化とともに、複雑な反応が出来るように発達していきます。

人になると、意識野という演算装置を、あらたに手に入れ、

環境に対して受身的な行動しか出来なかったものから、

環境に対して、対応行動がとれるようになります。

知能回路は、認識・記憶野―欲求野―感情野―意識野の構造となり、

意識回路として、発達していきました。

意識野とは、演算装置であると述べました。

物事の認識パターンを組み合わせたり、分解したりして、

仮想の認識パターンを作り出して、観察、記憶、分析、推理、創造の五つの能力を

働かせて、問題に対応するということです。

意識野の対応機能から、達成欲求と秩序欲求が生まれました。

動物は、生存本能、種存本能、存在本能の三つから生まれる欲求を動機にして、

生きています。

人は、その三つの他に、上の「達成欲求」と「秩序欲求」をも、生きる動機とします。

その二つの欲求も本能と同様に、人の能力、経験、知識、性格によって、強さ度合いに

差が出ます。

それは、人によって、本能の欲求をも押しのけるほどの力を持つことがあります。

また、どの欲求も強すぎれば、行動のバランスを崩すおそれがあります。

人は、意識(対応機能)を手に入れたために、全部で五つの欲求を複雑にからませて、

生きるようになりました。

存在本能が強くなり、動物のように、生存や種存本能のためだけに生きるということに

虚しさを感じるようになりました。

存在価値を認めたいために、もっと高尚な生きる目的を達成したくなり、

そのような目的を、探そうとします。

そして達成欲求や秩序欲求は、その存在本能を含めて、全ての本能を抑制しようとします。

人は、本能で生きながら、その本能を拒否するような、矛盾した意識を持っているのです。

生存、種存、存在本能から来る欲求を満たすには、他者との競争や戦いに勝つ必要が

あるため、当然、人は自己本位になり、非論理的でも、強引に物事を進めようとします。

それに対して、達成、秩序欲求を満たすためには、他者との協力が必要となるため、

人は、協調性を持って、論理を守り、秩序を保とうとします。

ここでも人は、自己本位と協調性と言う、矛盾した意識を持っています。

それらの矛盾が、生きる上の苦しみの、大半の根源となっているのです。

人が生きるとは、五つの欲求を満たすことであり、満たされない欲求に納得できるよう

対処することだと言えます。

人もまた、結局、他の生物と同じように、あてもないエネルギーの保存に

命を費やすして生きる、はかなく、けなげな存在であり、

しかし、人はさらに、その生きることに対処しようとする、強い存在でもあるのです。