24.幸福論

この単純系での、究極の目的は、「いかに人が幸福に生きられるか」であり、

幸福とは、「生きる楽しさ、満足、安定である」ことであると述べました。

今回は、今までの内容を、「幸福について」を中心に、まとめていきます。

幸福を感じるのは、意識回路の感情野です。

体内に分泌される内分泌液は、ホルモンと呼ばれ、

対応する器官、組織、細胞で化学反応を起こして、

その部分の働きの、活性化、沈静化などの調整を行います。

ホルモンの種類のうち、神経伝達物質は、五感で感じた状況の変化に、

すぐに対応出来るよう、身体に、いくつかの態勢をとらせることを、目的とします。

何十種類の物質の、性質と量の組み合わせによって、相乗、または相関効果で、

身体を反応させます。

意識には、それが感情という形であらわれます。

感情に関わる、そのいくつかのホルモンの組み合わせによる働きを、

大きく四つの種類に分けます。

【2.意識とは?】で、以下のように述べました。

○「快感ホルモン」は、全身に喜びを与え、充足感で満たします。

●「不快ホルモン」は、全身に不安感を与え、緊張状態にします。

○「興奮ホルモン」は、全身を活性化し、興奮状態にします。

●「慰安ホルモン」は、全身を沈静化し、感受性を強くします。

欲求野で、快楽追求または、不快苦回避の欲求が起こると、

それらの達成の難易度によって、「不快ホルモン」が分泌され、

感情は【不安】となります。

欲求が強いと、さらに「興奮ホルモン」が分泌され、感情は【怒り】となります。

欲求が満されると、または満たされるのが予想されると、「快感ホルモン」が分泌され

感情は【楽しさ】となります。

その満足感が大きいと、さらに「興奮ホルモン」が分泌され、感情は【喜び】となります。

欲求が十分に満たされなかった場合、その欲求をもう一度繰り返すか、

欲求自体を引き下げるように、「慰安ホルモン」が分泌され、感情は【哀しみ】となります。

満たされない感情に、さらに「興奮ホルモン」が分泌されると、感情は【悲しみ】となります

幸福感とは、まず、この「快楽ホルモン」に満たされた状態であることです。

発生した欲求に、十分な対応がなされたことを認識すると、

「快楽ホルモン」が分泌され、楽しさ、満足感、安定感に満たされます。

それは、対応がうまくいったことに対する、

経験を記憶させ、自身をつけさせ、さらに意欲を増させるための、褒美です。

発生する欲求には、快楽追求と、不快苦回避があると述べました。

それらの欲求が満たされたなら、幸福感が感じられるわけです。

ここに、ふたたび、人の欲求をあげます。

休養追求――(生存本能)――疲労回避 『面倒なことを避けたい』

快楽追求――(種存本能)――不快回避 『快楽を得たい』

尊敬追求――(存在本能)――軽蔑回避 『自分の価値を認めたい』

満足追求――(達成欲求)――不満回避 『達成感を得たい』

安定追求――(秩序欲求)――不安回避 『安定感を得たい』

これらの欲求が、効率良く達成される方法を、

【18.運命論】や【19.仕事術】などで述べてきました。

ここでふたたび、その方法をまとめてみます。

欲求を満たすためには、以下のことが必要です。

対応の適確な判断

対応の適確な行動

対応の適確な達成

これら問題の対応には、つぎの条件が必要です。

①気力・体力の人的パワーや、

燃料、動力などのエネルギーがあること。【Energie】

②時間があること。【Time】

③場所・設備・道具・原材料などの物質があること。【Matter】

④技術・知識(法則)があること。【Law】

この四つの要素【Energie】【Time】【Matter】【Law】は、

あらゆる場合の、ものごとが作用するときの必須条件です。

これを【対応四要素】と、呼ぶことにします。

上の四要素が十分でないと、ものごとはうまく達成できません。

また、人の意識に、いくつかの影響を与えて、行動を鈍らせます。。

①【Enerugie】が不足 ⇒ 面倒

②【Time】が不足 ⇒ あせり

③【Matter】が不足 ⇒ 不安定(不自由)

④【Law】の知識が不足 ⇒ 思い込み

これらが、人のミスや間違いを生み出し、達成を阻害するわけです。

適確な判断には、人の意識回路が、効率良く働かなければなりません。

人の意識回路は、認識・記憶野、欲求野、感情野、意識野と分かれます。

それぞれの働きにも、先ほど述べた【対応四要素】が、あてはまります。

認識・記憶野では、少しの体力(Energie)で、早く(Tjme)、

広範囲(Matter)に、そして適確(Law)に、ものごとが認識されるのが、理想です。

すなわち、高感度のカメラで、フォーカス機能の早く、適確なものと同じです。

そして、意識野の五つの能力(記憶、観察、分析、推理、創造)の助けを借りて、

全体の成り立ち、変化を認識すること=理解することを、行ないます。

この【理解力】が、適確な判断の、重要なポイントの一つです。

欲求野では、少しの体力(Energie)で、早く(Time)、

偏りのなく(Matter)、正常(Law)な、欲求が引き起こされるのが、理想です。

欲求は、行動のやる気となります。

意識野の五つの能力を借りて、人生での、いくつかの大きな目的への、

動機を生み出します。

この【動機力】も、適確な判断の、重要なポイントの一つです。

感情野でも、少しの体力(Energie)で、早く(Time)、

バランス良く(Matter)、正常(Law)に、行動の制御がなされるのが、理想です。

意識野の五つの能力を借りて、感情の、過剰反応(ヒステリー)を制御し、

低感度の反応(無感応)を、活性化します。

この【制御力】も、適確な判断の、重要なポイントの一つになります。

意識野でも、少しの体力(Energie)で、早く(Time)、

大量(Matter)に、そして適確(Law)に、対応が選択されるのが、理想です。

意識野の対応レベルには、3段階あります。【5.秩序思考】参照

第一段階〔順応―省エネレベル〕・・・衝動的(低意識)

第二段階〔対応―改善レベル〕・・・単面的(中意識)

第三段階〔システム―秩序レベル〕・・・複合的(高意識)

第三の、複合的な対応をするためには、意識野の五つの能力を使って、

全体の成り立ちを構築=想像しなければなりません。

この【想像力】も、適確な判断の、重要なポイントの一つです。

適確な行動をするためには、人の頭脳や身体が、効率良く働かなければなりません。

それには、その行動の、【知識】、【意志】、【技術】が必要です。

【知識】とは、頭で理解する、その行動の意義と、技術内容のことです。

知識が十分に得られれば、つぎの技術の習得が効率的になります。

上で述べた【理解力】が、必要です。

【意志】とは、ものごとを成し遂げようとする、欲求を持続することです。

障害を乗り越えて、行動を続けるためには、さらに知識、技術の習得が必要となり、

上で述べた【動機力】が、重要となります。

【技術】とは、身体で、高感度の感覚を得、動作のバランスを体で覚え、

皮膚感覚で、ものごとの状況に対して、すばやく対応できるようになることです。

技術が十分に得られれば、自信がつき、判断や行動に迷いがなくなります。

上で述べた【制御力】が、必要です。

発生したいくつかの欲求を、効率良く達成するには、

判断・行動の、軌道修正が、たえず必要になります。

全体を見越して判断し、包括的に行動していくのが、理想ですが、

間違いもあり、また、状況も変化しやすいため、

それらの軌道修正に、たえず気を使っていなければいけません。

上で述べた【想像力】が、必要です。

欲求が満たされることは、幸福感を得るのに必要ですが、

しかし、いつも必ず幸福感が得られるとは、限りません。

たとえば、ひどく餓えているときに、リンゴを食べれたならば、

その者は、何ものにも代えられない幸福感に、満たされるはずです。

しかし、空腹が満たされるようになれば、

リンゴを食べて、その食快感はあっても、幸せは感じなくなります。

これは、なぜでしょうか?

以前に述べたように、発生した欲求に、十分な対応がなされたことを認識すると、

「快楽ホルモン」が分泌されます。

それは、対応がうまくいったことに対する、

経験を記憶させ、自身をつけさせ、さらに意欲を増させるための、褒美です。

この褒美は、当然、達成されにくい欲求が満たされたときほど、大きくなります。

空腹時に、苦労してリンゴを得たなら、この「快楽ホルモン」の快感に、

リンゴの味覚の快感と相乗効果になり、幸福感を生み出します。

でも、とても美味なリンゴでも、容易に手に入り、頻繁に食べれるようになると、

褒美の「快感ホルモンは分泌されず、やがて、味になれ、飽きてしまいます。

この、飽きるということは、どういうことでしょうか?

飽きるとは、期待をしなくなるということです。

今までに感じたことのない、新鮮な感覚への期待、

先ほど述べた、困難な達成による「快楽ホルモン」の快感への期待、

想像力をかきたてる、奥行きの深い思い、安定した思いへの期待、

それらの期待感が、薄れてしまうことです。

十分に満たされ、認識されたものごとに対して、当然、欲求は起こりにくくなります。

生活が豊かになり、欲しいものが容易に手に入り、

また、新鮮な刺激に出会いにくく、飽きやすくなっている、

現代の日本社会では、簡単に、幸福感を得られなくなっています。

食物を得た程度のことでは、幸福感を得ず、

非常に困難なことを達成しないと、幸福感を得れない、

物質的ではなく、精神的な満足感を求めるようになってきています。

餓えた者が、食料を手にした幸福感と、

高い意識レベルで、秩序を構築した幸福感と、

差異があるのでしょうか?

快感としては、どちらも同じです。

しかし、それらの持続力が違います。

食料を手にして、幸福感を得られても、明日の不安に、すぐ打ち消されます。

前ページで述べたように、いつかは飽きて、よろこびが薄れる可能性があります。

安定した秩序を構築したなら、それは、今後起こる障害への対処がたやすく、

発展的であり、よろこびは、長く続きます。

深いよろこびを得ることが出来るわけです。

文明が進み、物欲にとらわれることなく、

高い意識で、幸福感を得られるようになったことは、幸運です。

高い意識とは、複合的な対応が出来るレベルにあり、

秩序の構築を欲求していると述べました。

高い意識は、別の高い意識とのふれあいを求めます。

幸福感が共有されることが、人の、最高の幸福かも知れません。

秩序の構築は、人の心を整理し、広く保てば、多くのことを受け入れれます。

多くのことが受け入れられるなら、人の心は豊かになります。

人の心が広く、豊かになるとは、どういうことでしょうか?

それは、ふたたび、前に述べた意識回路での、

真理を見抜く【理解力】・・・深い【知識】を得る

人生を熱く導く【動機力】・・・強い【意志】を生む

冷静を保つ【制御力】・・・優れた【技術】を作る

未来を読む【想像力】・・・達成の確率を上げる

それぞれの力を充実させることによって、多くの状況の変化に、

意識が、余裕を持って、対応出来るようになるということです。

そして、それは、幸せの達成を容易にします。

人は、同時に、いくつかの状況に置かれています。

その中で、どの状況を優先して、今が幸福と感じるか、不幸と感じるかは、

それぞれの人によって違います。

その人の、知識、経験、常識によって、状況が比較され、決定されます。

恵まれていても、当たり前の状況は、優先されません。

たとえば、病気の治った人は、健康であることに、幸福を感じます。

健康であることが、当たり前であれば、そのことに、何も感じません。

しかし、他の状況に、大きな不幸のある人は、

健康であることに、せめての幸福を感じます。

すなわち、完全な幸福はなく、

救いのない不幸もない、

状況を比較する基準を、どこに定めるかが、

その人の幸福の度合いを、決めると言えます。