11.人生の目的とは?

前回【6.生きるとは?】において、以下のように述べました。

人は、意識(対応機能)を手に入れたために、存在本能が強くなり、

動物のように、生存や種存本能のためだけに生きるということに、虚しさを感じるように

なりました。

存在価値を認めたいために、もっと高尚な生きる目的を達成したくなり、

そのような目的を、探そうとします。

結論は、人が生きることに、何の目的も理由もなく、

しかし人は、何らかの目的や理由を、必要としているということです。

人は、生きることに余裕が出来ると、人生において、何かを達成したくなります。

何かを達成して、社会に、その形跡を残したくなります。

達成欲求が強くなります。

人は、そのために意識を高めようとします。

意識を高めるとは、意識野の五つの機能(記憶、観察、分析、推理、想像)の、

能力を上げるということです。【2.意識とは?】参照

対応能力を上げることによって、目的の達成をしやすくします。

しかし人は、いくつかの目的を達成しても、それが衝動的であると、

心が十分に満たされないことを感じます。

そんな不満から、安定を求めるようになります。

意識を高め、対応能力を上げれば、安定、すなわち秩序というものが重要になって

くるわけです。

秩序欲求が強くなります。

秩序欲求とは、状況の変化や、発生した問題に、もっとも効率よく対応出来るよう、

自分を含む環境を、整合させておきたいという思いです。【5.秩序思考】参照

環境が整合されていれば、状況の変化や問題が、すばやく分かり、

自分の意識が整合されていれば、その状況に、大きく動揺することなく、

対応の方法が整合されていれば、もっとも有効な対応が選択できます。

人は、また整合されたものの安定と、その美しさにあこがれます。

自然の美しさに、人が感動するのは、その整合性へのあこがれでもあるからです。

秩序を達成することが、人生の目的となります。

秩序は、単面的ではなく、複合的に形成されるため、

他者との競争ではなく、他者との共同を必要とします。

そのために、自分の意識と共鳴できる、他者を求めます。

共同できる者と出会うために、さらに、自分の意識を高める、

それもまた、人生の目的になります。

人の達成欲求や秩序欲求には、大きな問題点があります。

それは、完全性を目指してしまうということです。

世の中はすべて、因果の確率によって、動いています。

確率であるからには、当然、ばらつきを生みます。

また、世の中の因果は、純粋な関係だけで成り立っているわけではなく、

まわりの状況の影響を受けています。

それは、多かれ少なかれ、歪みを生みます。

そして、世の中には、バランス状態というものが存在します。

バランスを保っているところには、ある程度の〔遊び範囲〕があります。

世の中には、ある程度の、融通性があるということです。

以上の理由で、世の中は、人が望むほど、完璧に動いてはくれないわけです。

そして、人もまた、完璧には行動できません。

まず、人の、生物としての能力の限界があります。

そして、生物としての本能が、その行動を規制します。

意識回路は、その規制を受けて、バランスをとりながら活動します。

認識・記憶野は、ものごとをパターン化して認識・記憶するという、合理的な機能を

持っていますが、それが、思い込み、短絡思考を起こします。

欲求野は、生きる原動力になりますが、自己中心的になりがちです。

感情野は、反射的な対応行動をとれますが、問題解決の障害になることがあります。

意識野は、知性による対応を考え出しますが、不可能のことにも、対応を繰り返して

しまう性質があります。

このように人は、いつも正しい判断を下せるとは限らず、

そのような人が関わり合う集団もまた、お互いの欲求がぶつかり合って、

さまざまなバランス状態を作り出します。

そんな集団に、完全を求めることも当然、不可能です。

秩序欲求も、他の欲求のように満たされても、さらに形を変えて、満足を求めます。

次から次へ、完璧・完全を追求します。

そして、完全性に、欠ける部分が生じると、すべてを放棄してしまいたくなる衝動に

襲われます。

完全な100でなければ、完全なゼロのほうが良いという衝動です。

満足を知るということが、人にとって、いかに難しいことであるか、ということです。

全体を大きくとらえ、不完全性も含んで構築するのが、

本当の意味での、秩序です。

完全を目指すことは、わるいことではありません。

完全へのとらわれすぎが、ものごとの進展の障害になることが、問題なのです。

ある程度、満たされたならば、欲求を断ち切らなければなりません。

【5.秩序思考】において述べたように、

秩序思考は、完全性を求めません。

秩序思考は、四つの思考法から出来ています。

論理思考は、先に述べた因果の確率に従い、偶然による突発も考慮します。

システム思考は、すべてのものごとには、メリット、デメリットがあるという考えです。

バランス思考は、まさしく完全にとらわれず、不可避な出来事は、

宿縁として受け入れるということです。

シンプル思考は、判断を下したならば、自分を信じて、後悔しないことを大事とします。

秩序を構築すること、そして自分の意識と共鳴できる者と出会うこと、

そのために、自分の意識を高めることが、人生の目的になると述べました。

そして完全な達成を目指してはいけないと述べました。

完全主義に代わって、八割満たされたならば良しとする、八割主義を推奨します。

八割というのは、あくまで感覚ですが、ほぼ満たされた、優れていると感じる程度です。

とくに他者との出会いには、高い完成度を求めてはいけません。

意識の高い人であっても、何らかの欠点は、必ず持っているからです。

人は、自分にあった異性を求めます。

それは、種存本能のせいだけでなく、意識の共鳴を求めているからかも知れません。

男と女は、互いに違う面を持っており、意識の根底で共通する部分を持っているならば、

より広い心の世界を作り出すことが可能だからです。

同性の場合、本能的な競争心が芽生えてしまうため、

純粋に共鳴することに、抵抗が生じやすいと言えます。

お互いを信頼し、切磋琢磨する関係になれるのが、理想です。

以上を、まとめてみます。

人生は、限られた時間、限られた場所、そして限られた能力によって作られます。

人は欲求を満たすために、その人生を費やします。

生命をつないでいこう欲求、存在を認めてもらおうとする欲求、

そして、価値ある何かを達成したいという欲求。

次々と湧き出てくる欲求に、人は、たえず追いかけられ、

やがて、そんな圧迫から抜け出そうと、安定感を求るようになり、

そのために、秩序を求めます。

秩序を達成するためには、欲求を我慢しなければならないときも出てきます。

同じような秩序を望む人との、協調も必要となってきます。

満たされたことを知るということが、目的を達成する上での、重要なポイントになります。

そして人は、その秩序の上で、もう一度、欲求の達成を望みます。

今度は、余裕を持って、欲求の達成を楽しむことが出来ます。

そのような状態で、人生を送れるようになることが、人生の究極の目的です。

生きることを楽しむためには、意識の豊かさが必要であり、

そして、そのためには、大きな秩序が必要ということです。