前回【7.環境論】において、対人環境について述べました。
対人環境とは、身近な他者との関係から生じる状況のことです。
今回、その対人環境について、さらに詳しく考察します。
他者との関係は、次の三種類あると述べました。
利得関係、損害関係、無利害関係です。
自分の欲求に対して、促進の方向にあるのが、利得関係であり、
抑制の方向にあるのが、損害です。
組み合わせは、6パターンあります。
利得 ――利得 ・・・・・互いに良好な協力関係です。
信頼を生みます。
利得 ――無利害・・・・関与するだけで、一方が得をする便乗の関係です。
一方から、好意、尊敬を生みます。
利得 ――損害 ・・・・・一方が他方に損害を与えて、得をする奪取の関係です。
一方から、憎悪を生みます。
無理害――無利害・・・互いに関与しない、平穏な関係です。
無利害――損害・・・・・関与するだけで、一方が損害を受ける被害の関係です。
一方から、嫌悪、軽蔑を生みます。
損害 ――損害 ・・・・・互いが損害を与える、険悪な対立関係です。
敵意を生みます。
人の欲求を、もう一度、明らかにしておきます。
欲求は、快追求と不快回避からなります。
休楽(休養)――――【生存欲求】――――疲労苦
快楽(快さ) ――――【種存欲求】――――不快苦
尊楽(尊敬)――――【存在欲求】――――蔑苦(軽蔑)
満楽(満足)――――【達成欲求】――――不満苦
豊楽(豊かさ) ―――【秩序欲求】――――貧苦
お互いの欲求が、衝突する場が、対人環境です。
これらの、対人環境の発生する状況を、さらに詳しく見てみます。
動物は、対人環境のような、状況を作り出しません。
対するものと、欲求が衝突すれば、それを通すためには、生死をかけます。
敗北すれば、死か、または支配関係しか残りません。
支配関係では、欲求の衝突は、もう起こりません。
対等の関係ではないので、利害は明白になっているのです。
人には、現在、完全な支配関係は存在しません。
社会的に、人権が守られているからです。
人はそれぞれ、いろいろな社会環境に属しています。
そこで人は、割り当てられた立場にいます。
上の立場、下の立場はありますが、基本的には対等です。
多くの場合、その社会環境からの離脱の自由があるからです。
社会環境の中では、絶えず他者と接します。
そして、割り当てられた立場それぞれに、欲求が生じます。
他者との欲求のかかわりによって、先の六つの関係が生まれます。
対等であるため、対人環境が生まれるわけです。
その対人環境において、それぞれの欲求が衝突します。
欲求を通すためには、他者に対して、優位性が必要です。
その置かれた環境を壊しても構わない方に、優位性があります。
多くの場合は、その環境を壊さずに、互いの欲求を出来る限り、達成したいと考えます。
そのためには、互いのコミニュケーションが必要です。
互いの欲求を確認して、譲るべきところは譲り、主張すべきところは主張する、
その協調点を、捜しださなければなりません。
コミニュケーションの成立には、論理性がかなめとなります。
以下に、論理性に欠けるため、コミニュケーションが成立しにくい状況を述べます。
(1)相手が論理を受けつけない・・・拒絶されては、コミニュケーションは成立しません。
(2)論理の基準が違う・・・たとえば、人を道具としか思わないと言うような、根本となる
基準が違う場合、コミニュケーションの成立はむつかしい。
(3)論理の整合性がない・・・都合のよいように論理を使い、首尾一貫性がない。
(4)論理が成立っていない・・・因果の成り立つ確率の低い、いわゆる屁理屈を並べ、
コミニュケーションの成立は困難です。
(5)論理が未熟である・・・論理志向はあるのだが、知識がないため、因果関係を
求められない。
論理性に問題があると、コミニュケーションは成立しません。
しかし現実には、自分にも相手にも、完全な論理性を求めるのは不可能です。
何らかの対処をして、コミニュケーションを成立させなければなりません。
人に、論理性が欠けてしまう原因は、何でしょうか?
以下に、前頁であげた、五つの状態について考察して、
その対処法を述べます。
(1)論理を拒否・・・相手に不信感があるか、抵抗感があって、
その者の論理すべてを拒否してしまいます。
この相手は、あなたの情報に、何の価値もないと思い、
必要としていません。
論理性を重んじない、この相手と、正常なコミニュケーションをとることは、
基本的に不可能です。
相手の意志を考慮することなく、自分の意向を伝えるだけです。
相手が受け入れるかどうかは問わず、伝えれば良しとします。
(2)論理の基本が違う・・・基本となる常識が違うことが原因です。
この相手は、論理性の重要性は認めています。
この相手とコミニュケーションをとるには、
共通する論理を見つけ、その協調できる部分を進めていくという、
方法しかありません。
たとえば、「人間はただの道具である」という論理を持つ相手には、
「感情に左右されないことは良い」という共通点で、相手を認め、
そこから話を進めます。
(3)論理が不整合・・・自分の基本理念がないため、まわりに影響されて、
論理を都合よく使います。
論理性は、あるのですが、
単発的で、一貫性がありません。
この相手も論理性の重要さは認めているわけなので、
話し合うことは可能です。
この相手とコミニュケーションをとるには、
基本的な論理を強調して、論理が一貫性を持つ方向に
導く必要があります。
(4)非論理性・・・論理性は認めているのですが、感情や欲望によって、
認識を歪め、成り立ちにくい論理(屁理屈)をひねり出します。
この相手は、論理を自己弁護のためにだけ使い、
事態をさらに、複雑にしてしまいます。
嘘もつきます。
小手先で論理を使う、論理を重んじていない、この相手と
正常なコミニュケーションをとることは、非常に困難です。
相手の気ままな論理に、振り回されないように、
この場合も、相手の意思は考慮せず、自分の意向を伝える程度で、
良しとします。
(5)論理が未熟・・・理解する知識・能力が不足しています。
知識は学習させることが出来ますが、能力不足はどうにもなりません。
この相手とコミニュケーションをとるには、
簡単な論理のみを利用します。
簡単な論理を、標語のようにして、何度もくり返し、
相手に印象付ける方法をとるのが、良い方法です。
コミニュケーションが十分に行われるなら、相互の関係は、やがて順調に修復されます。
お互いの欲求は調和され、達成度に納得します。
こちらが上で述べた対処法を試み、コミニュケーションをとろうと努力しても、
相手との意志疎通がどうしても無理な場合は、関係はこじれます。
六つの関係は、以下のように変化します。
信頼関係・・・子孫への溺愛のように、強い愛情に発展する。
一方が過剰の信頼を受けて、重荷になり、関係を壊してしまうことや、
信頼への応対の不満から、嫌悪、憎悪の関係に変化してしまう
ことが多い。
好意・尊敬関係・・・異性間での、強い恋愛感情への発展が、その代表例。
これも、一方が過剰の好意を受けて、重荷となり関係を壊してしまうことや、
応対の不満からの、関係の悪化が多い。
平穏関係・・・無関係として、やがて忘却することが多いが、
ニュートラルな状態のため、すぐに他の関係に変化してしまう。
嫌悪・軽蔑関係・・・強い拒絶感に発展する。
相手のすべてを拒否し、存在意義を認めない。
相手を排除するまで続く。
拒否されるほうは、はじめ原因がわからず戸惑い、服従し、
やがて、敵対関係に進んでいく。
憎悪関係・・・強い攻撃感情に発展する。
頭に血が上り、一発触発状態となる。
攻撃されるほうは、それほどの原因がわからず戸惑う。
攻撃されるほうが、態度を改めれば、関係は良好に変わる。
しかし、攻撃されたことに対して、怒りの感情を持つと、
敵対関係に進んでいく。
敵対関係・・・激しい闘争、逃避に発展する。
長期的な敵対関係であり、お互いに足を引っ張り合う。
嫌悪、軽蔑、憎悪の感情が入り乱れ、攻撃が繰り返される。
争いに疲れた者には、逃避しかない。
それぞれの関係が発展して、強い感情を生むと、相対気流を起こします。
相対気流をまともに受けた方は、大きなストレスを感じます。
感情のおもむくまま、相手に対して、ストレスを発散するか、
自己環境を防壁にして、相対気流を防ぎ、ストレスを出来るだけ受けないようにするか、
二つの方法しか、選択肢はありません。
自己環境とは、自分の意識を守る城壁のようなものだと述べました。
自己環境を確立するためには、三つの方法がありました。
(1)論理による確立【環境論】
(2)信念による確立【神のシステム】
(3)概念による確立
相対気流からのストレスから身を守るためには、上の三つの方法の、
どれも有効ですが、(3)の、概念により確立された自己環境が、
この場合、相手にもっとも顕示しやすく、効果があるようです。
ここでは、(3)概念による方法を、くわしく述べます。
世間一般には、それぞれの立場の者に、常識的に固定された概念というものが
存在します。
職業、所属、役割、信条などによって、それぞれの理想のスタイルがあります。
そのスタイルを概念として、自分の意識を囲んでしまうのが、この方法です。
たとえば、教師であるとしたら、教師としての理想的なスタイルを学習し、
ほとんどの判断を、あらためて思考するのでなく、
その教師としての固定概念に基づいて行なうということです。
判断に、融通性は乏しくなりますが、迷いがないので早く、一貫性があります。
人間として、男または女として、大人として、日本人として、戦士として、商人として、
職人としてなど、それぞれの立場に、存在価値としてのプライドがあります。
そのプライドを崩さないような、理想の行動スタイルが作られます。
行動スタイルをかたくなに守ることが、
自分の意識を守る、自己環境の確立になるのです。
論理性は、重視されません。
その立場の存在価値を、絶対的に信じることが、重要です。、
以下において、 秩序思考から導かれた者としての、
「哲士」という概念から、自己環境を確立します。
(1)の、論理による自己環境確立の方法と、内容が重複するようですが、
「秩序思考をする者」としての概念から、構成します。
この単純系での、究極の目的は、「いかに人が幸福に生きられるか」であり、
幸福とは、「生きる楽しさ、満足、安定である」ことです。
そのために、ものごとの真理を探ろうとし、
問題対応のために、秩序思考を用います。
この行動パターンをとる者を、「哲士」と呼びます。
「哲士」とは、一般には「道理に明るく、すぐれた識見を持った、志のある者」のことを
言います。
『哲士』は、大きく、次の四つの態度を、行動スタイルとします。
泰然性・・・因果に従い、【想】
陰湿を嫌い、堂々と、【義】
誠意を持って、対処する。【誠】
裕然性・・・こだわらず、【展】
本質をつかみ、【智】
先行きを見通す。【順】
毅然性・・・冷静に、【節】
現状を受け入れ、【縁】
他人に応じない。【諦】
整然性・・・秩序を重視し、【信】
正確に、丁寧に、【直】
礼儀正しく、努める。【礼】
秩序思考を重視する論理的方法と、
それから導き出された行動スタイル「哲士」による概念による方法、
また、神のシステムによる信念の方法
以上三つの方法によって、自己環境を確立することを述べてきました。
対人環境だけでなく、内外環境すべてから受ける攻撃、妨害から、
自分を守ることが可能です。
この城壁を必要とするほど、人は環境に対して、非常に弱い存在であるわけです。