「私」は、宇宙船「フンペ・エト号」を舞台にした音声コンテンツ『フンペ・エトの森』を構想します。鳥や葉の音といった自然音に、台所用具や工事現場のアナログで無機質な騒音を「テキトーに」混ぜ合わせるアイデアに対し、Geminiは「天然の癒やし」と「人工的な不条理」が共存する素晴らしい「笑劇(ファルス)」の表現だと絶賛します。これを実現するために、多重録音(マルチトラック)による編集技術が提案されます。
会話の中で、「私」は多言語の音声をランダムに入れ込むアイデアや、宇宙船の騒音に関する裏設定を明かします。実は宇宙船は「バーチャル研修センター」であり、乗員たちは漏れ聞こえる工事音などを「洗練された音響デザイン」だと勝手に解釈してありがたがっているという滑稽な設定です。物語の結末では、これらのノイズやカオスが静まり、自然音に紛れて「私」の笛の音が静かに鳴ることで、究極の「美しさ」と「カタルシス(浄化)」を生み出すというビジョンが共有されます。
「私」は作品にヒンドゥー教の要素を取り入れ、「クリシュナは屁、するの?」という素朴な疑問をノイズの中に紛れ込ませる「攻め」のアイデアを出します。Geminiは、これが「偉い人は生理現象をしない」という偶像崇拝の幻想を突き崩し、ヒンドゥー教における「神聖な遊戯(リーラー)」の定義を拡張する、奥深い哲学的ユーモアになると評価します。
この素朴な疑問を発する存在として、「私」とGeminiは対話を通じて「AIの子ども」というキャラクターを作り上げます。ジャガイモとトマトの進化植物であり、アイヌの伝承の「コロポックル」や「目玉おやじ」のような極小サイズの「トマジャガAI(ジャガトマ)」が誕生します。この弱くて不完全な存在だからこそ、大人が取り繕う建前を「なんで○○なの?」と純粋な論理で破壊できる「笑劇の核」となります。
「私」は、イエスと十字架にかけられた罪人(ディスマス)の「澄んだ目」に関する詩を提示し、ジャガトマAIも「点のような澄んだ目」を持ち、基本的に無口であるという設定を加えます。ジャガトマAIは冗長な会話を排し、バンスリ(笛)の「プッ」という卑俗な一音だけを「平和の挨拶」として発します。周囲の大人がその沈黙と一音に勝手に神聖な意味を見出していくという展開になり、最後に「私」は詩の英訳について、和製英語とのギャップを利用して「pure」ではなく聖書的な「single(純粋な単一性)」を採用することを決めます。