2007.12
2007年
12月02日
21:09
【大人になったら仔鹿のように】
「大人になったら仔鹿のように」
人生の
地球は青い
地球は丸い
人生の
日は昇り
日は沈む
ワラーキンナハー
メロンの中身はデリシャス ジッダン
大人になったら仔鹿のように
大人になったら鹿のように
大人になったら谷川の
水を
あえぎ
求める
鹿のように
.
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コメント
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2007年
12月02日
21:13
クルミンシタ
ワラーキンナハー:
アラビア語。「でも、」とか。この対称が男性型の場合、ワラーキンナフになります。
アラビア語の詩にする予定です。
アラビア語詩にした場合、
対称が男性型と判明した場合、ワラーキンナフになります。
ジッダン:
もアラビア語。「すっごく」など。
デリシャス:英語。(たぶん)。
2007年
12月02日
21:19
クルミンシタ
詩です。
コミュ・「へのへのもへじ」の詩投稿掲示板に投稿しました☆
2007年
12月02日
21:49
クルミンシタ
[marquee=left]詩の後半の
*******谷川の
水を
あえぎ
求める
鹿のように
は、
詩編42:1
谷川の水をあえぎ求める鹿のように、神よ、わたしの魂はあなたを慕う。
からです。
教会で何度か歌ったことのある箇所ですが、
16世紀のカトリック宗教音楽家・パレストリーナさんの作曲のは、
ソプラノ、アルト、テノール、バスの和音がほんと綺麗なのだそうです。
モテットというのだそうです。
この曲は主線というものが存在しないのだそうです。
ソプラノ、アルト、テノール、バスそれぞれのメロディーの巧みな組み合わせを楽しむものなのだとかなのだそうです。
モテットって何?
何かこう、モテッとしていて、それでいてト、みたいな。だそうです。
団子みたいですねw
コチラのページを参照しています。音楽も聴けます☆
http://www.geocities.co.jp/MusicHall/6654/sicut.htm
.
○○○○○○○
2007年
12月03日
15:09
【カキノキンシタ発見☆】
ノベナ(9日間の祈り)満了です☆
聖フランシスコ・ザビエルに取り次ぎを求める9日間の祈りをしていました。
本日、最終日、12月3日は、聖フランシスコ・ザビエルの日(帰天日)にて終了です。
聖フランシスコ・ザビエル、
私たちのために祈ってください。
キリストの約束にかなうものとなりますように。
ノベナは四ツ谷のイグナチオ教会で、遅刻しないかぎり、御ミサの前にみんなでやっていましたが、「黙って特定のお恵みを念願する」というのもありました。
今、さっそくも、私、1冊の小冊子を持っています。
アラビア語で言うと、
アラビア語は、こういいうとき、「持っている」という動詞を使いません。前置詞による表現になります。
インディー 小冊子。
インダ:「~のところに」とかの前置詞です。
私のところに インディー
あなた(男)のところに インダカ
あなた(女)のところに インダキ
彼のところに インダフ
彼女のところに インダハー
あなたたちのところに インダクム
私たちのところに インダナー
店とかで、こんな感じです。
ハル インダクム タマーティム?
(トマトありますか?)
ナァム、インダナー タマーティム。ワ バッティーフン アイダン。
(はい、あります。スイカも。)
私、プロフィールのところに、「カキノキンシタを探しています」とか、なんちゃってなこと書いていましたが、
今日、帰り道、電車、もう着いているのにその小冊子、ホームで、しゃがんで全部読んでからにしたりして、帰り道、
「カイノキンシタ発見☆」
と思いました。
その小冊子は、
『世に打ち勝つ信仰』
2007年11月1日 初版発行(非売品)
講和者―ラニエロ・カンタラメッサ、O.F.M.Cap
訳者―アルファ・ジャパン翻訳委員会
発行社―アルファ・ジャパン
です。
カプチン・フランシスコ修道会のラニエロ・カンタラメッタ神父は、1980年に教皇ヨハネ・パウロ2世によって、教皇庁の説教師として招聘されました。
カンタラメッサ神父は教皇ベネディクト16世によって教皇の説教師として承認され、2005年の待降節に教皇の面前で説教師としての仕事を開始しています。
個人的にはカキノキンシタ発見☆であり、カキノキンシタというのは、クルミンシタというハンドルネームやペンネームの、なんというか、ひそかに、大人の信仰でガンバッテいる名前でもあるのかもしれません。
でも、
なによりもまづ、
謙遜をいつもこい願います。
母教会の故シュトルム神父は、何年か前の今日、電話で、私の洗礼名はアシジのフランシスコなのに、「今日はフランシスコの日ですよ☆」、そして、「あ、今日はフランシスコ・ザビエルの日でした」。ということがありました。
今日は、私、ギャグ返しでシュトルム神父に来てもらって、形見のロザリオで祈ります☆
めでたし せいちょう みちみてるマリア、
しゅ おんみとともに まします。
おんみは おんなの うちにて しゅくせられ、
ごたいないの おんこ イエズスも しゅくせられたもう。
てんしゅの おんはは せいマリア、
つみびとなる われらのために、
いまも りんじゅうのときも いのりたまえ。アーメン。
.
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コメント
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2007年
12月03日
20:38
クルミンシタ
シュトルム神父の友だち聖人の1人は聖ベルナデッタでした。
「聖人の友だちを作ってください」と、一度とかでなく言われました。そして、「1人じゃなくてもいいんです」とも言っていました。
私、神父さんにすすめられて、一番はじめに読んだ聖人のことを書いた本はベルナデッタのことを書いた本でした。
ルルドのベルナデッタです。
そして、
サン・ジルダールのベルナデッタでもあります。
ベルナデッタの1873年の手記から。
おお、マリアよ、わたしの罪のあがないのためにささげられる犠牲として、わたしの心をお受け下さい。この心を悲しみで打ち砕いてください。
おお、み母よ、私の心が、まったくあなたとイエスのものとなることができますように。すべてのものを犠牲としてあなたにささげます。
おお、み母よ、わたしを助けてください。自我に死ぬ恵みをお与えください。ただ、ひたすら柔和なイエスによって生かされ、イエスのために生きることができますように。
****
次の給料日まで、残り残高わずか。
ハイライトを1箱と、6個入りで350円くらいのスパーカップミニ・クッキーバニラを買いました。
明日から12月8日まで。ハイライト一日4本。最後の日、5本。スパーカップミニ・クッキーバニラ1日一個。最後の日は2個w
「KuruminnsitaⅢ -最後のタバコ-」
明日からスタートです。
[marquee=left]12月8日は無原罪の聖母の祭日です。
ハイライトは故シュトルム神父が吸っていたタバコです。晩年の数ヶ月は禁煙していました。
スパーカップミニ・クッキーバニラは、残高計算で買うことのできたアイスです。
タバコ、一日4本、自信がなかった もので・・。
「KuruminnsitaⅢ -最後のタバコ-」
12月8日、無原罪の聖母の日にむけて、明日からスタートです☆
.
○○○○○○○
2007年
12月04日
17:35
【KuruminnsitaⅢ -最後のタバコ-】
marquee=left]KuruminnsitaⅢ
-最後のタバコ-
.
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コメント
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2007年
12月05日
20:50
クルミンシタ
アレルヤ アレルヤ
2007年
12月05日
21:06
クルミンシタ
[marquee=up]アレルヤアレルヤ
2007年
12月05日
21:08
クルミンシタ
こんな1日なのだ。
2007年
12月05日
21:16
クルミンシタ
栄光は父と子と聖霊に。
初めのように今もいつも世々に。アーメン!。
2007年
12月06日
07:00
クルミンシタ
12月6日。
朝刊後、朝食。
ごはんがうまいぜ!
の後、コーヒーとタバコ。
おわーーーーーー
頭がクラクラするーーーーーー(笑)
こんなの吸ってたんだ・・
今まで、
禁煙と言ってたけれど、
やめたくなった、
タバコ。。
うわっ!
マジでクラクラするーーー(笑)
最後までキッチリ吸う私、
すこーーし残して
灰皿入れちゃいました。 でも、 1本。
コーヒーとタバコはセットだったから、
コーヒーもやめないとダメかと思っていましたが・・
うーーん・・
コーヒーがうまいぜ☆
神父さんっ!
頭がクラクラします!(笑)
ありがとう
神父さん。。
たぶん、
それを感じた。
それを感じています。
はい。
タバコに限りませんが、
はい。
一緒にやりましょう。
はい。
これからもよろしくお願いします。
ありがとうございます。
これはいい経験です。
これからいろんなことがこうなること多いと思います。
それが嫌いになるのです。
ね。
きっと。。
長い目でみてやってください。
急ぐといえば急ぐけど・・。
いろいろやることあるけれど、やりたいこと考えたら、ありありだけど、
今日は、しばらく、奥底が、味わっているのでしょう。
今日は・・
いろんな意味で、
寝ます☆
イエィ!
まる
2007年
12月06日
07:01
クルミンシタ
夕刊配達後、コーヒーと 1本。
の後、スーパーカップミニクッキーバニラ1個とコーヒー。
就寝前、コーヒーと 1本。
計4本。トータル12本。
明日もちゃんと4本。決めたことだから。
明日は初金。
初金、。何回続けるといいんだっけ・・。
もしかしたら、だんだん、そろそろ。
でも、やらなかったことも、たぶん、ある。
願いは・・
あさっては、聖母への奉献の更新。
奉献の更新を、聖母の日とかに特別にすることは、よいこと。
そして、私はカトリックカレンダーとか、そういう、祝日、記念日大好きだから。
でも、
毎日、
新しき今日の一日を!
ということで、
聖母への奉献の短いバージョンの祈り。
・
2007年
12月06日
21:04
クルミンシタ
聖母マリアにささげる祈り
(聖グレニヨン・ド・モンフォール作)
ああ、マリアよ。
わたしはきょう、天国のすべての天使、
聖人たちの前で、あなたを私の母、女王として選びます。
わたしはまったき服従と愛情をこめて、わたしのからだも、たましいも、
内的善も、外的善も、過去、現在、未来のくどくまでもことごとく、
あなたにゆずり渡し、ささげ尽くします。わたし自身についてまた、
わたしにぞくするすべてのことについて、この世から永遠にわたって、
これを神の最大の光栄のために、あなたのおぼし召しのままに、
ご自由に処理する権限を、ことごとく、あなたにゆだねます。・
2007年
12月06日
21:10
クルミンシタ
あーあーー
せーいーぼ-よーー
おんこーーのー
きーぃーずーをーー
わーがーー
こーこーろーにーー
ふぅかーくー
しーるーしー
たーまーえーー
♪
2007年
12月06日
21:11
クルミンシタ
♪
2007年
12月06日
21:15
クルミンシタ
♪
2007年
12月07日
06:50
クルミンシタ
12月7日。朝。
朝ご飯。
の後、コーヒーとタバコ 半本。灰皿ポンっ! でも、 1本。
マリアさまにこう言われている気がした。
なにかの本で読んだことある言葉だけど、
洗礼は(←この言葉、ついていたような、定かではないが)、
イエズス・キリストを着るのです。
さらに短い、マリアさまへの奉献の祈りバージョン。
こうした行為は、簡潔に、瞬時に、することです。
精神の一刹那のまたたき、
意志のちょっとした動きで、たくさんです。
たとえば、心の中でこう言いながら。
「聖母よ。わたしは自分を捨てます」
「聖母よ。わたしをあなたに上げます」
(聖モンフォール)
まる
2007年
12月07日
17:14
クルミンシタ
夕刊前、 1本。
「がっかりしないでください
ネ☆」
という言葉を思い出す。
がっかりしないぞ!
と言ってみた。
がっかりしないぞ \(*^▽^*)/
自分の木彫りだけど、
イエズスに気付いた。元気な目で見ていた。
そうだ・・
イエズスの目はシュトルム神父・筆だと思い出した。
神父さんの顔が浮かんだ。
がっかりしたことに大笑い、きっと。。
2007年
12月07日
22:04
クルミンシタ
夕刊後、 コーヒーで 1本。
マイバリカンで頭を丸めてシャワーを浴びてスーパーカップミニクッキーバニラ一個。
仕事。
金曜日だからチラシが一番厚いです。
チラシそのものを組む仕事の折込さんたちが今人員数的にもベテランさんの欠如的にも、よろしくないので、それが時間がかかるので私たちの仕事もはかどりません。退職願の条件付延長の項目には終了時間も明記してありましたが、しばらくは大事にしないつもりです。折込さんたちの活躍を叱咤激励させていただいています。
ということで、今週もこんな時間に仕事終了。
1本。
計4本。 トータル16本。
明日は告解して奉献の更新。
2007年
12月08日
20:17
クルミンシタ
12月8日。無原罪の聖母の祭日☆
朝刊後、朝ご飯。
の後、コーヒーと 1本。
10時頃、コーヒーと 1本。
四ツ谷のイグナチオの近くの土手で 1本。
「主よ。わたしの罪を、ごらんにならないでください」(ミサ典書)
「そのかわりわたしたちのうちに、ただマリアの徳とクドクにだけ御目をそそいでくださいますように」(詩編17・2).
わたしの罪―それは「敵がやったことです」(マタイ13・28)。
わたしこそ、この敵です。
わたしこそ罪をおかしたのです。
だから、
主よ、「あざむきと不正の人[であるわたし自身]から、わたしを助け出してください」(詩編43・1。) (聖モンフォール)
大天使聖ミカエルに向う祈り
天軍の栄えある総帥、大天使聖ミカエルよ、
かつて悪魔の大軍が全能なる天主に反きし時、御身は
"たれか天主にしくものあらん"と叫び、あまたの天使を率いてかれらを地獄の淵に追い落とし給えり。
故に公教会は御身をその保護者となし、特に日本公教会は、御身をその守護者と崇め奉る。
願わくは霊戦に当りて我らを助け、悪魔を退け給え。
我らをして御身にならいて、常に天主に忠実ならしめ、その御旨を尊み、その御戒めを守るを得しめ給え。
かくして我ら相共に天国において天主の御栄えを仰ぐに至らんことを。御身の御取次によりて天主に願い奉る。アーメン。
イグナチオで告解。御ミサ。
東京カテドラル関口教会の喫煙するところで 1本。
ルルドで 奉献の更新。
お御堂のパパさまの写真の前でお祈り。
御聖体とマリアさまのところで、
ラブラブラブ・・
KuruminnsitaⅢ -最後のタバコ- 完
****
hi-ligut
ハイライトは・・
義人は(ヨセフ)
タバコが!
マルタ・ロバン
*****
などなど、まだ一日を始める前に書いてみたテンプレート下書き。
もっとたくさんのことがありました。
夕刊配達。極度のヘロヘロ状態での仕事でした。
奉献の更新が今回の日々の頂点だったとすれば、まさに、山登りのごとき、
であったことが、夕刊配達のときわかりました。こんなにヘロヘロなのは、岩手山とか登った帰り道さらに自転車で、とかを思い出すくらいの久しぶりのヘロヘロです。
どれほどハイテンションというかなんというか、
一応、終了して、
の後、チラシ入れの仕事をしてきました。正直、これからクターーです。そうします。
ので、今日のことは後日書きます。
どれほどハイテンションというかなんというか、
一応、終了して、それがはなはだ凄まじい連続的毎日だったことが、このクタクタさでわかり、これから
砂漠の砂が砂浜のようにクターと死ぬように頬で感じて眠る夜明けの藁の馬小屋
です。
詩や物語や絵本の原石もありますが、後日です。
2007年
12月09日
14:14
クルミンシタ
砂漠の砂が砂浜のようにクターと死ぬように頬で感じて眠る夜明けの藁の馬小屋
2007年
12月09日
14:21
クルミンシタ
メモ(絵本)。
①砂漠の砂が
②砂浜のように
③クターと死ぬように
④頬で感じて眠る
⑤夜明けの
⑥藁の
⑦馬小屋
字あまりしまくり俳句絵本「あるロバのクリスマス(仮題)」
いまのところ、表・裏表紙込みで計9ページ。
2007年
12月09日
20:55
よい地
クルミンシタさんのたばことの格闘すさまじい様子が見受けられ、
過去の私を垣間見ました。
私は、教師なりたての頃、生徒指導上のことで結構悩んでいて、そのたびにやめていたたばこが復活して、さらによく吸うようになったことがあります。美術準備室に鍵を掛けて、たばこを吸っていました。主はご存知なのを知っていて、それどもそんな自分を誰にも見られたくなかったのです。やめたいのに辞められない、吸いたくないのに吸ってしまう。美味しくともなんとも感じないのになぜ辞められないんだろうって‥。
しかし、主は生きておられます。ハレルヤ。2つのきっかけを与えてくださいました。ひとつは、第1子誕生。もうひとつは、風邪をこじらせ喉を痛めたことです。この二つによって、少しずつではなくきっぱりやめることが出来ました。
日とそれそれ違うと思いますが、クルミンシタさんがそんなに熱心にたばこをやめようとされてるんでしたら、きっと何かきっかけを与えてくださると思います。
神様、クルミンシタさんが、苦しみながらたばこと決別しようとされています。どうか聖霊の宮であるクルミンシタさんの体からニコチンやタールの持つ影響力を排除してください。そして、キッパリと辞めるきっかけをお与え下さい。主イエスの御名によってお祈り申し上げます。アーメン。
プロテスタントなので、自前の祈りで恐縮です。
2007年
12月10日
23:05
クルミンシタ
よい地さん。ありがとうございます。
ホントな要所をついたコメントもありがとうございます。
そして、お祈り、ありがとうございます。
タバコ吸わないと体に悪いんじゃないかとか、
葉巻にしよっかな・・など、
考えることは多いです。
タバコ吸わないと体に悪いわけないです(笑)。
葉巻にしよっかな・・など、
タバコをきらさず吸い続けて、それなりに健康といえば健康でしたので、バランスみいたいなのはあったと思います。
習慣とかとも言えるかもしれません。それなりにバランスがあったので、
はしょります。
もっとよい習慣を狙います。
葉巻にしよっかな・・とか(笑)
最後の1本は四ツ谷のイグナチオの教会の外の聖母子像のところに捧げました。
****
この日記。
まだまだ書くこと多いので、じつは、もうちょい続きます。
2007年
12月12日
06:39
クルミンシタ
昨日の夜、仕事でポスティングをしてきた帰り道、バイクの上で、すんごくタバコが吸いたかったです。
20分くらいしたら、そうでもなくなりました。
吸いたくなる瞬間、あります。
でも、吸いたくなっているとして、吸ってしまう自分がイヤになってきているようです。
吸いたくなりますが、それで吸ってしまう自分にイヤという気持ちが起こるようになってきているのかもしれません。
○○○○○○○
2007年
12月10日
23:25
【マタイ 7の12】
だから、
人にしてもらいたいと思うことは何でも、
あなたがたも人にしなさい。
-------
コメント
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2007年
12月10日
23:31
クルミンシタ
それは、シチューです。
.
2007年
12月12日
06:32
クルミンシタ
これが七厘です。
○○○○○○○
2007年
12月16日
07:51
【結婚祝い製作 vol 13】
絵本、完成です。
200円絵本です。
前ページ、ラミネート加工しましたので、100円絵本ではなく200円くらいかな絵本になりました。
兄に贈るためのものなので、ラミネートフィルム、ちょっといいほうのを使用しています。
結局、
ある時点から、かなりシンプルにすることに決定し、そしてワイルドさというか、なんというか、ジーパン履いてて作業小屋、みたいな雰囲気もそのまま出したかったので、
糸とボンドで製本してありますが、糸を通すため、ドリルするとき、そんな感じを大事にやりました。
予想はしていましたが、出来上ってみると、なかなかの出来です。
ジーンズな感じが出ています。もともとは作業着だったジーンズな感じです。ボンドとからまった糸の感じが、乾いてみると、かなりそんな感じです。
100円絵本のほうも、このやり方でオッケー!
という感じです。
100円絵本のほうは、表紙だけラミネート加工ということになります。
正直、自分的には予想外の部分もある上出来です。ボンドの乾いたところ、背の部分とか糸の部分、予想の段階では幾分、欠点でありましたが、
もう、むしろ長所です。
これからも、100円絵本、このカンンピューター的なワイルドさでやりたいです。
手順、
いろいろ考えたり思考錯誤したりしてきたわけですが、
結局、このシンプルさでオッケーで、十分、丈夫です。
硬質の透明プラスチックを正確にサイズ合わせて切って、その長方形1枚が定規になります。
プリントアウトした原稿を、その上に長方形定規を置いて、カンピューターでナイスなバランスのところに合わせてカッターで切ります。
ラミネート加工します。
揃えて、背にボンドを平たくした箸とかで壁塗りみたいに塗ります。
ドリルで糸を通すための穴を開けていきます。糸とそんなに変わらないくらいの大きさの穴でなければなりません。糸に気持ちボンドを付けながら縫っていきます。ぐいぐい引っ張りながらです。ボンドが乾くか乾かないかくらいのとこでの微妙なテクニックのいる作業ではあるかもしれません。
以上。これでオッケーです。
今回の絵本は結局、36ページとなりました。
試行錯誤する前よりもさらにシンプルなページ数です。
作品のみとなりました。注解とか、訳とかはなしとしました。
それらは、アドレスを載せておいて、そちらにアクセス☆ にします。
アラビア語の詩も1ページあるわけですが、訳も注解もまったくなしです。
オッケー☆
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コメント
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2007年
12月16日
07:59
クルミンシタ
どうしてこうなったのか、
「ぼくのおばあちゃんです」
のページ、違うところに入っちゃってます。
製本してから気付きました。
作品的には、テンポ、漫才のごとしですので、作品的にはナッシングなのですが、今回はよしとします。
「ぼくのおばあちゃんです」
の絵がむしろ最後まで残る感じになってるなと思いました。
そして、これによって思いついたのが、この絵を使ったTシャツです。
これも贈ることにします。
肉親身内バージョンです。
祖母のこと、忘れないようにしてクレヨン☆
○○○○○○○
2007年
12月16日
22:13
【ダンボーラー’s クリスマス】
自作クリスマスソングを書きたいです。
今日のメモ書きです。
骨子は出来ていますが、詞にもしたいのです。
*****
クリスマスが近くて嬉しいです
○
あぁ どれだけ私は暖炉のそばにいたことか
あぁ どれだけ私はダンボールの中にいたことか
○
世の中は
○
凍てついた小便は
○
なんだかんだと
神田なんかと・・
○
寒い
○
昨日のことも
明日のことも
今は今のことも忘れて
○
涙は
悲しく あたたかく
自分で流しているというわけではないということを知りました
○
昨日のことも
明日のことも
今は今のことも忘れて
○
クリスマスが近くて嬉しいです
○
なるほど
そこにネコがいたんですね
彼は僕よりネコがどこにいるかよく知っています
○
ネコのクリスマス
ネコにはネコのクリスマス
コネコにはコネコのクリスマス
○
彼は僕よりネコがどこにいるのかよく知っています
○
寒くないっ!
○
前歯のない子のフリフマフ
(※そういう感じの歌詞のクリスマスソングがあるのを今日、発見しました)。
○
****
今、マリア・ワルトルタの「聖母マリアの詩(上)」フェデリコ・バルバロ訳編。あかし書房。を読んでいます。
****
画像。四ツ谷のイグナチオの教会に登場しています。
赤ちゃんイエズスがまだいません。
待ってるぜっ!
今回の詩、「ダンボーラー’s クリスマス」(仮題)は、
どちらかというと大作のほうの詩です。
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コメント
-------
2007年
12月16日
22:29
クルミンシタ
「前歯のない子のクリスマス」。
コチラから試聴できます。
http://www.hmv.co.jp/product/detail.asp?sku=1940301
2007年
12月16日
22:51
ひつじ
hitujiです。足跡から来ました。
「前歯のない子のクリスマス」試聴してみました。
自作クリスマスソングはいい感じです。ちょっと笑いましたが、その後、深いのかなぁ・・・と思わせます。戸山や中央公園には多くのダンボーラーが暮らしています。この時期のアウトドアはかなり厳しいと思います。
2007年
12月16日
23:17
よい地
「ダンボーラー’s クリスマス」面白いです。韻をふんでいるのでラップでもいけそうですね。
2007年
12月17日
18:32
クルミンシタ
hitujiさん。
新宿ですね。
私、今、練馬というか、すぐ埼玉県のところで寮住まいの新聞販売店従業員をしていて、昼のフリーな時間に有楽町線その他の定期券で四ツ谷の教会に行ったりの日々ですが、
二年ちょっとくらい前の8月に、岩手からスクーターで出てきました。
仕事に就くためです。
出発当初は郵便配達員を目指していました。就職というものや、仕事場という社会生活に対して、暗い気持ちになてしまうほど自信がありませんでしたので、選択肢は少なかったのです。
ネットで調べた二箇所の郵便局の求人を目当てに東京につき、スクーターが大活躍で就職活動しました。一つ目の面接を受けて、通知の電話が来るまで、公園で寝泊りでした。中央公園でも一泊しました。カレーパンとか、一日二個までのやりくりでした。夏でしたので、ダンボールは要りませんでしたが、一種、ダンボーラーでした。
中央公園とか、デカイ公園にも寝泊りしましたが、どちらかというと、結局は、大きい道路にたまにある小さい公園とかのほうが個人的には落ち着きました。もし、本格的にダンボーラーになるとしたら、私、公園ではなく、橋の下派だと思います。
ここまで書いて、その頃のこと思い出しましたので、
上野公園にたまに行ってしまっていること、今でもたまにあります。一番初めに夜をすごしたのがたぶん上野公園だったんだと思います。今、こうして東京にいる日々、初心的な場所なんだと思います。たまにふらーっと行っちゃってて、よっしゃ! みたいな。。
一回目の面接、落ちました。二回目の面接を受けましたが、その場で落ちました。私がその場での合否をぶっちゃけ言ってもらうために押したからです。今みたいに元気な感じはない人でしたので、落ちた理由、いろいろあると思いますが、決定的には、住所がないのは問題外というのが正直なところということでした。金銭的に、合否の結果を待つ間の余裕がありませんでしたので、即答してくださったことがありがたくて、「ありがとうございます」と言いました。
さて・・
不思議と全然落胆しないで、次の日、郵便局で働いて、アラビア語の学校に通うとなると、この電車を使うのがいいいから、住むとこはここだな、ということで、教会はどこかな、ということで、志村教会を一度深策していたりもしていた私、麻布にあるアラビア語の学校も見学したりもしていた私、
落胆はしていませんでしたが、途方に暮れて、次の日、志村教会に行って、神父さんに話しました。
外国人の神父さんでしたが、
「新聞配達がいい。住み込みもある。」
と言われて、
「はい☆」
↓
2007年
12月17日
18:33
クルミンシタ
「☆」でした。
とても明るい気持ちになったことを覚えています。
ネカフェで調べて、三つありましたが、テキトーに一つに決めて、
私的には当日、相手側にとってはいきなり、
当日、コインランドリーで洗濯乾燥してから、靴まで新しいのを買って、
今思えば、靴買った残りの金額はカレーパンとか一日二個で二日分になっていました。
働くとなると、配達だから、で新しい靴を購入、
すっかり臨戦態勢だったのでした。
電話もしないでいきなり店に出現して、求人をみてきました、とか言いました。
電話もしないで来たことをおこられましたが、その夜には部屋を与えられて、賄いさんの食事も食べて、布団も与えられて、シャワーも浴びて、
ちょっと不思議な気分になって、寝たのでした。
次の日はバイクの練習からでした。
スクーターにはガンガン乗っていましたが、クラッチのあるバイクには乗ったことがなかったからでした。自転車の曲乗りの日本チャンピオンで、たまに外国にも行く人に教えてもらいました。
今に至ります。
****
ダンボーラーの冬の寒さ、実際には知りません。
クリスマスの寂しさはなんとなく思いを重ねることが出来ます。
クリスマスは一年で一番自殺の多い日だと、映画でみたことがあります。グレムリンだったと思います。たぶん。小学生のときみました。妹と。映画館で。
クリスマス。街はクリスマスでいっぱいです。家族、恋人・・
文化的というかなんというか、そういう日でもあります。
教会に行っている身の自分としても、じつは、年最多の人数の中、そういう思いになる瞬間はあります。これ、正直なところです。
****
私、クリスマス、
ダンボーラーにシチューを食べさせたいです。
教会内の組織に、たまに「おにぎりの会」とか、ありますが、
私、シチューを食べさせたいです。
自分がして欲しいことです。
だからです。
今年のクリスマス、
そういうことしようと思っていますが、実行できるかどうか・・
お祈りください。
2007年
12月17日
19:28
クルミンシタ
よい地さん。
詩、あるいは詞は、クリスマスまでに仕上げたいと思っています。
私の詩、リズムがありますので、今回のは歌詞にすることも当初から念頭にあるので韻もふんでいますし、ラップ系の感じになりやすいと思います。
曲をつけるのはまだ全然ムリです。が、来年はそういうことも開始します。
2008年はSoranosiTap’s(空のしタップス)を開始します。
今のところメンバー、私含めて1人の、オカリナがボーカルのタップもやる、主を賛美する団体です。使用楽器の候補は何個か挙がっています。(私含めて1人ですが)。
オカリナがボーカルです。1人じゃないほうがいいです。何人かの合唱にしたいです。(ソロもありますが)。
タップはなんというか、走りです。(なんというか)。音も出るわけです。体や足や、動きでもあります。動かすのは足だけじゃなくてもいいです。そういう意味では踊りでもありますが。もっと自然な溢れるものとかです。アドリブといってもいいです。
琴。(日本のでいいです。そうじゃなくてもいいです)。
つい最近、「琴」と書いてありましたが、ボタンをタイプライターみたいに押す琴があって、やってみたもよかったのでやってみました。これも☆ と思った音でした。
琴。
のこぎり。
横山ホットブラザーズが「お~ま~え~は~あ~ほ~か~」とやっているのこぎりです。この音は声に似ているとも言われています。
のこぎり。
木魚。
木の打楽器です。そういうのです。
木魚。
↓
2007年
12月17日
19:29
クルミンシタ
なわとび。
おとといくらいに思いつきました。
アフリカのほうにそういう楽器があるのを、昔、ポール・サイモンのライブビデオで観たことがあります。なわとびでは全然ないですが、つまり、そういう回転で音が出る楽器です。超音波なようなジャングルのほうのような音がします。
を、なわとびを改良したもので、なわとびもしちゃったりしながらやりたいのです。
タップと合わせて。
なわとび。
鉄。
2008は音楽に着手です。
絵本。
どちらかというと、やはり、私のメインである詩が出身なところあるところ、自分でもわかっています。
音楽もそうなると思います。
曲というより、物語性のある音楽だと思います。そうなると思っています。
私、よく聴く音楽は奥田民生とかパフィーとかですが、
2008のことを考えるようになってからは、奥田民生ではなくて、彼がもともとやっていたユニコーンというバンドのほうのを、テキトーに研究的にも聴いています。
今は、直接的には関係ないですが、ダイソーで買ったピンクの(それしかなかったんです)なわとびでなわとびしてみたりしています。
ロッキー・ザ・ファイナルが新作ではなくて一週間のレンタルになりましたので、借りてきていて、結構、流しっぱなしにしていて、名ゼリフ、覚えちゃったりしています。
ある登場人物がロッキーに、なんの恩義もないのでどうしてこんなのにしてくれるの、と申し訳ない意味もあって言うのですが、ロッキーは、恩義がなかったら何もしちゃいけないのかとか言います。その場面、今、マイブームです。
あさってくらいに返却しないといけません。今度はロッキー3を借りてしまうかもしれません。なわとびするシーンがあったはずです。を観たいわけです。
ラップ。
私の詩は、リズムありますが、
(ラップについて詳しくないので、漠然としたイメージですが)
そんなに早いリズムではないです。
ある、とても親しいネット詩人に、クルミンシタの詩のこと、ゴダイゴのビューティフルネームみたいだと言われたこkとあります。聴いてみて、・・そうでもあるな。と思ったことありました。
ちょっとラップでもありますし、メロディーラインもあります。
なんというか、歩いたり、走ったり、のリズムなんだと思います。スキップとか。
だから、タップです。
歩きながら歌ったりしている歌です。
こういうふうに書いていると、そらのしタップス、車椅子とかの人はダメなのかということになってこないとも限りません。
そんなことはありません。
「主を賛美する」です。ほとんど、これだけです。
2008はそっちにも力を入れます。
とくに音楽の練習をするわけでもなく、まづやっていることが、なわとびとか、まだやっていませんが、ランニングとかです。
曲は、そういう草原とかで生まれると思います。
2008年。正直言って、楽しみな年です☆
お祈りください。
2007年
12月17日
23:19
よい地
すごいなクルミンシタさん。何でも出来ちゃうんですね。クルミンシタさんにかかれば何でも出来てしまいそうな気がする。有言実行のクルミンシタさん!私は、有言不実行で終わりやすい中途半端な人間です。(笑)
2007年
12月18日
06:42
クルミンシタ
よい地さん。
私こそ有言不実行です。言ったことでやったこと、数えるのイヤになるくらいトホホになります。
絵本も、ページの間違いのあるの1冊だけです。
絵本「Helper Tabata」は東京に来るよりもずっと前に描いたものでした。今、ようやく製本という形になっています。
「Helper Tabata」は実家の廊下で書きました。なんだかんだで自分の部屋というものがなくなっていて、廊下をちょっと仕切ったところが部屋みたいになっていたからです。ある意味、屋内ダンンボーラー(←造語)だったかもしれません。
有限不実行(←ちょっと造語。「有言」を「有限」にしてみました)と言いたいです。
ここ一ヶ月くらいの間で自分に変化がありました。
それは、
なんというか、完全主義的でなくなくなりました。試験でいったら0か100だったのですが、100でなくてもやれるような気持ちになってきたという変化があったみたいです。
もしかしたら、年とかも関係あるのかもしれませんが、それならそれで、それも大歓迎です。
すごくナイスなロゴを思いつきました。ありがとうございます。
「中途半端」→「中途半歩」。
「中途半歩」
道の途中
1歩1歩
そうじゃないときでも
半歩でも
8分の1歩でも
前へ
****
私は、じつは、よい地さんの日記を読ませていただいていると、ちょっと羨ましい、近似値羨ましいんです。
すごくよい職業に就いていらっしゃいます。
ちょっと、事後承諾的にコピペさせていただきますが、(全文ではないようにするのでお許しください)、
難波の方で
校外学習で
引率していて
外ではいろんなたこ焼きを食べました
ぽんずが最高でした
歌じゃないですかっ(笑)!
2007年
12月18日
06:46
クルミンシタ
追伸:
「いろんなたこ焼き」の一文に
おわw
っと思ったのです。
2007年
12月18日
06:48
クルミンシタ
「中途半歩」
道の途中
1歩1歩
そうじゃないときでも
半歩でも
8分の1歩でも
前へ
****
案外、いいですね☆
コミュ「へのへのもへじ」の日本語ならではの詩投稿掲示板に投稿。
2007年
12月23日
21:51
クルミンシタ
[marquee=left]決定稿♪
ダンボーラー‘sクリスマス
クリスマスが近くて嬉しいです
あぁ どれだけ私は暖炉のそばにいたことか
あぁ どれだけ私はダンボールの中にいたことか
世の中は
なんだかんだと
神田なんかと・・
凍てついた小便は
寒い
昨日のことも
明日のことも
今は今のことも忘れて
涙は
悲しく あたたかく
自分で流しているというわけではないということを知りました
昨日のことも
明日のことも
今は今のことも忘れて
クリスマスが近くて嬉しいです
なるほど
そこにネコがいたんですね
彼は僕よりネコがどこにいるかよく知っています
ネコのクリスマス
ネコにはネコのクリスマス
コネコにはコネコのクリスマス
彼は僕よりネコがどこにいるのかよく知っています
寒くないっ!
nyay☆!
前歯のない子のフリフマフ
チェコスロバキアのVesele` Va`noce!
風に耳澄ましたクリスマス
*****
Vesele` Va`noce!:チェコ語。
[ヴェッセレー ヴァーノッツェ] メリークリスマス♪
2007年
12月23日
21:51
クルミンシタ
コミュ・「へのへのもへじ」の詩の投稿掲示板に投稿。
2007年
12月23日
23:24
よい地
クルミンシタさん、頑張ってますね。精力的ですね。次から次へと詩を書いて頭の中が見てみたい。私は、詩を書くのがへたくそです。
どうやったら詩がかけるのでしょうね。
2007年
12月24日
01:53
クルミンシタ
よい地さん。
私は、小さい頃とか、学校の頃とか、
将来、なにになりたいか・・
困ってしまう子でした。
だから、今、こんな状態なのかもしれません。
でも、
一回だけ、それを聞かれて、答えたことがあったんです。
それは「詩人」でした。
小学生のとき、鉄棒か登り棒で、たぶん、あんまり親しくはなかった子と遊んでいたときのことです。
「将来なにになりたい」と聞かれて、
「詩人」と答えました。
すかさず、
「どうやって食べていくの?」
と聞かれて、
「だから・・ 詩を書きながら・・」
と答えました。その同級生は生計のことを聞いていたのでした。
「だから・・ 詩を書きながら・・」
今、そんなです(笑)。
頭の形、ヨーロッパの頭らしいです。故シュトルム神父になでなでされながら「これはヨーロッパの頭です」と言われたことがあります。
詩は、
上手いもヘタもないと思います。
詩書きは多いけれども、詩人はそんなには多くないとも言います。
詩人にとって、詩作はその人生に重要です。
多く書いているとテクニックも編み出します。
テクニックは大事ではないですが、新しい表現方法をいつも編み出したいとは思っています。
ロッククライマーのように、つかんだとこが足場になるような感じもあるにはあります。
でも、子どもの詩にあっさり負けてたりするのです。
でも、子どもよりももっと子どものようになれると思っています。
2007年
12月24日
10:24
よい地
なるほど、たくさん書いて経験値を増やさないといけないんですね。
ロッククライミングですか登らないと分かりませんもんね。私はふもとから山頂を眺めて山は難しいといってるに過ぎないのかもしれませんね。
かき立てるものがないのかもしれません。
感性を大切にしたいです。ただ、今は自信が持てないんです。
2007年
12月24日
11:50
クルミンシタ
いえいえ!違います! と思います。
たくさん書くことはありません。
テクニックでもありません。
たくさん書いているとテクニックもしらずしらずに付いてきたりすることに気付くということです。テクニックなんて、
言う場合は、そんなの要らないと言っていいくらいです。
なんでしょう、仕事でも、
私、配達ですが、
たとえば、今日の朝刊の配達、チラシの量が、この時期はいつもこんなだったけ・・ というくらい薄くて、
朝刊なのにチラシのない夕刊みたいな薄さだったんです。
朝刊しかとらないという家も、東京は普通に多いですので、朝刊と夕刊では、配達する家の数が全然違うです。
配達は、覚えてしまうと、意識もうろうとしていても配ってきちゃうくらい、体が動いちゃてますので、
今日のように、チラシの量の関係で、朝刊が夕刊みたいだと、朝刊なのに夕刊の配達バージョンで体が動いてしまいます。すると、両方録っている家に、入れないでしまうという事態が発生してしまいます。
なので、あえて、ゆっくりと、夕刊のスピードではなく、朝刊の、チラシが多くて重いときの感じで、スピードやリズム、あげすぎないように心がけて配達します。
これ、テクニックといえばテクニックです。
詩でも似たことたくさんあります。
つづく。。
○○○○○○○
2007年
12月17日
14:43
【結婚祝い製作 vol 14】
兄への結婚祝い製作は、また、後ほどにすることにしました。
今年は、ほとんどずっとそうでしたが、
もしかしたら、いつもは気付かないですごしていただけたっだだけかもなのかもしれませんが、
今はとくに、自分のいろんな意味での成長期であることが顕著な気がしています。
マリア・ワルトルタの「聖母マリアの詩(上)」バルバロ訳編、あかし書房の中に
書いてある、聖ヨザエフの、ナザレトからベトレヘムへの始めに言った言葉。
「どうしよう」
ヨセフは、
「どうしよう」
と言っている男でした。
私が作りたかった木彫りは、この頃のヨゼフではないのです。
木彫り、
もうちょっとしてからにしましょう☆
****
マリア・ワルトルタの本、カトリックではたぶんメジャーです。カトリック以外でどうなのかは私、わかりません。
あかし書房からでています。たまに、小冊子で天使館からも出ていたりするのもあります。
二戸(岩手。出身地。母教会のあるところ。)にいたころ、ある信者さんが薦めてくれて、貸してくださって、題名、忘れましたが、十字架の前日から十字架までのことを書いたのと、マグダラのマリア(題名もそうだったと思いますが)を読みました。あと、お姉さんみたいな信者さんが私にはいるのですが、から送られてきていた小冊子も読みました。
「聖母マリアの詩」。
私、とっておきにしていて、読みたい本ナンバー1のひとつでしたが、
誰に言ったったか、たぶん、私、1人の女性の代父になっているのですが、その人に言ったかもしれません。
牢屋にでも入ったりしたときに読むためにとっておく、とか言っていました。
昨日、銀座の教文館で買いました。
携帯いじりながら自転車こいでいく女子高生とかいますが、そんな感じに歩きながらも読んでしまっています。
昨日の福音朗読の箇所、
福音朗読 マタイによる福音書 11章2~11節
ヨハネは牢の中で、キリストのなさったことを聞いた。
そこで、自分の弟子たちを送って、
尋ねさせた。
「来るべき方は、あなたでしょうか。
それとも、ほかの方を待たなければなりませんか。」
イエスはお答えになった。
「行って、見聞きしていることをヨハネに伝えなさい。
目の見えない人は見え、
足の不自由な人は歩き、
重い皮膚病を患っている人は清くなり、
耳の聞こえない人は聞こえ、
死者は生き返り、
貧しい人は福音を告げ知らされている。
わたしにつまずかない人は幸いである。」
ヨハネの弟子たちが帰ると、イエスは群衆にヨハネについて話し始められた。
「あなたがたは、何を見に荒れ野へ行ったのか。風にそよぐ葦か。
では、何を見に行ったのか。
しなやかな服を着た人か。
しなやかな服を着た人なら王宮にいる。
では、何を見に行ったのか。
預言者か。そうだ。言っておく。
預言者以上の者である。
『見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、
あなたの前に道を準備させよう』
と書いてあるのは、この人のことだ。
はっきり言っておく。
およそ女から生まれた者のうち、洗礼者ヨハネより偉大な者は現れなかった。
しかし、天の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である。
****
福音朗読を聞いて、自分は牢屋にいたんだなと思いました。
「聖母マリアの詩」には洗礼者ヨハネが牢屋にいたときのことも書いてあり、読みました。
聖母がエリザベートを訪問したあたりのことも書いてあります。
今日は、
四ツ谷でお昼の御ミサにあづかりましたが、
御ミサ中、12歳の、神殿でのイエズズ、マリアとヨセフが探すとこ、知りたくなって、あとですぐマリア・ワルトルタの本読みました。
:::
聖母マリアに倣う。
****
「聖母マリアの詩(上)」p333より。
ナザレトからベトレヘムへの旅の始めに言ったことば、『どうしよう』には、まだ、人間的な心配にいろいろとらわれている人間性が現れていますが、次々に希望を開いていきます。あの洞窟での誕生の前に、『明日は、もっとうまくいくだろう』と言うほどです。ヨゼフに近づくイエズスは、神のいろいろな賜物の中で、最も美しいものの一つである希望をもって、彼を強めました。そして、この希望から、イエズスとの接触により、ますます聖とされると、物に動じない大胆さを身につけました。
○○○○○○○
2007年
12月18日
17:25
【はじめて教会に行ったことについて。】
ある方の日記へのコメントとして書いたものでしたが、自分の書いたものの整理整頓的に、こっちにも☆
****
小さい頃から神さまはいると普通に思っていました。
が、このことが絶対的に普通であるというわけではないということがわかったことがありました。
とても身近な人の1人が、どの程度かはわかりませんが、無神論者でした。
その人はとても身近な人で、仲も、普通に喧嘩するぐらいで、仲はいいです。
あるとき、ハードな喧嘩をしたときに彼が無神論者であることが判明しました。
子どものときから一緒に遊んでいた人です。なんとなく、いろいろ考えることあります。
仲はいいですし、私の信仰を尊重してくれますし、自分はそうじゃないけど、羨ましいとか言います。
話はかわりますが、
私、地獄というものを痛切に感じた、初めてのときは、幼稚園くらいの年のときでした。
家の庭で、水槽かなにかにカブトムシの幼虫を5、6匹飼っていて、
ある日、その日はどんな精神状態だったのか、
焼き鳥の串のようなので、全匹、グサグサにしたのでした。
直後、カーっと真っ赤な思いになって、
(これでもう、ボクは天国に行けない・・)
と思いました。
話の筋に合わないコメント書いてしまってごめんなさい。
でも、間接的に、このことを思い出したので書かせていただきました。
はじめてキリスト教に触れたのは…
よくわかりません。
18歳のときに新約聖書を買いました。
入った大学は仏教学部仏教学科でした。漠然と、坊さんになりたいと思ってたんです。
本棚には両端の一番いいところに、法華経と新約聖書がいつも並べてありました。
子どもの頃からのキャラクターで言うと、キリスト教とか、クリスマスとか、歌を歌ったりとか、
同級生とかからしたら、ありえないほうのタイプだと思います。
教会に行ったきっかけは、いろんなことがあると思いますが、
私の場合、一点、はっきり、こう思っていました。
聖書とか読んでいましたが、むしろ、今より読んでいたくらいでしたが、(ヨブ記とか、ノートに書き写していたりとかしてましたね)、
教会に行かないと、0コンマ1ミリまで近づいたとしても、いつまでたっても関係ない、と思ったからです。
そんなこと考えたりもしていて、半年くらいしたある日、行きました。
神父さんの第一声は
「神は愛です」でした。
あとは何を話したか全然覚えてないくらいですが、家に帰って、妹が
「お兄さんのあんな顔ひさしぶりにみた」と言っていました。
それからは、根本的に、いつも幸せです。
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コメント
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2007年
12月18日
18:13
日記へのコメントありがとうございました。
ものすごく興味深かったので、何度も何度も読み直させていただきました。
この日記のタイトルは、キャンドルズのみなさんに聞いてみたいな~って思います。
日本はよろずの神様がいて、ギリシャ神話にも似てると思うんですが
お米一粒の中にも、トイレにもそれぞれに神様がいると思ってる人種が多いでしょう?
その中で無神論者になるって、それはそれですごいなー。。。
2007年
12月18日
21:15
クルミンシタ
そちらに書いたのと同じのをこっちにも書いていること申し訳ないですが、
*****
はい。受験勉強する時期に一分もそれやらないで、いわゆる哲学の本等を一日二冊平均で読んでいました。何回も読んだ本はまた別ですが。
何回も読んでいた本は、プラトンとか、ジャン・ジャック・ルソーとかショーペンハウアーとか、キルケゴールとか、西田幾多郎(←字、違ったかもしれません)とか、どちらかというと文学ですが、ヘルマン・ヘッセとかです。
大学に入ったとき尊敬する人物の欄に私、西郷隆盛とショーペンハウアーと書いていて、入学したばかりのオリエンテーションかなんかのときに先生(教授とかでしょうか)にその二人の組み合わせがおもしろいと言われて、この二人はどういう関係があるのですかと聞かれ、関係ないと思います、とか答えていました。
私が何度も読んでいたほうの人たちは、だいたいが「実存主義」と分類されている人たちです。
私にとって、仏教も、だいたい同じだったんだと思います。
ちなみに、元ユニコーンの奥田民生もです。
私のなかではヘルマン・ヘッセより凄いということになっています。
仏教の一番の経典は法華経なわけですが、これが、私的には、同じように、
はるかにめっちゃ凄いわけです。
仏教には葬式とかのイメージがあると思います。
でも、ほんとは、葬式と仏教は関係ないんです(たぶん)。おシャカさま本人が興味持ってないくらいです。
なんというか、地域的に、死後のこと的に、葬式というものとセットになってきただけなんだと思います。あるいは経済的に。
私、例のごとく、あんまり授業に出ない学生でしたが、結構、ちゃんと毎日、大学に通学していました。
駒沢大学という、偏差値的には微妙な大学ですが、仏教関係の大学としては最高のほうなので、図書館が充実していました。
お経のすべてのことを「大蔵経」と言います(たぶん)。の日本語訳が揃ってあったりするわけです。私、めっちゃ読んでました。華厳経が好きでしたね。
お経。
漢字のイメージ、ないです。
どちらかというと、もちろん違いますが、数式のほうに近いです。
↓
2007年
12月18日
21:16
クルミンシタ
サンスクリット語とかが原語なわけです。
「色即是空」で有名な般若心経。最後のほうの何行かはただの音訳です。
ギャーテーギャーテーボージーソワカー
私、仏教、もしかしたらかなり勉強したほうではあるかもしれません。
親鸞が好きでしたね。「教行信証」とか、かなりちゃんと読んでましたね。
「妙好人」とか、そういう人たちが好きでした。「佐市さん」とか。
わらじだったか下駄を作っていた人で、阿弥陀仏にですが、単純素朴明快な信仰を寄せていた人です。
書き出すときりがないくらいです。
現実的には中退しましたので、仏教のほうのエスカレート的な進路はなくなっていました。
もし、ある意味、ちゃんとしていれば、
今、こうしてクリスチャンになっていなかったかもしれなくて、
ラッキー! です。
アシジの聖フランシスコは動物大好きだったみたいです。(私、洗礼名がそのフランシスコなんです)。
クリスマスの日に動物を、食用でも殺さないようにと、国王か誰かにお願いしてみたりもしたというエピソードをなにかで読んだことがあります。
クリスマス。
イエズスの誕生のところには牛やロバや・・・・ 詳しくは知りませんが、動物たちがいました。
今、私、読んでいるマリア・ワルトルターという人の本によると、まず、牛が鳴いたみたいです。で、ロバが、その声に押される感じで鳴きます。
私、読んでて思ったのは、(私、ロバに自己投影する傾向があるのですが)、
ロバ、そのキャラクターに似合わず、
もう、なんか、こう、、全世界の動物にむけて、
「みんな! 賛美!」
とか大声出してみちゃった、みたいな感じで、
ロバーーー! です。
すいません(笑)
これからレンタルビデオ屋に「ロッキー・ザ・ファイナル」を返却して、映画の「スーダラ節」を借りてこようと思っています。
むりくり関連付けると、植木等、たしか、坊さんの息子ですね。
2007年
12月18日
21:38
クルミンシタ
妙好人。
検索してみたら、「佐市さん」ではなくて、「才市」さんでしたね。
ほかに、「源左さん」という人もいて、それと混じって間違えたんだと思います。わらじとか下駄とかが生業だったのも、どっちだったか、もしかしたらもた別の人だったか、
「妙好人」で検索すればいろいろわかると思います。興味ある方はどうぞ☆
クリスチャンではありませんが、ナイスな人たちです。
もう一つ、思い出したこと。
禅の開祖は達磨(ダルマ)さんですが、たしか5代目(だったと思います。全然違ったかもはしれません)のなんだっだかさんの言葉もステキです。
「からりと晴れてなにもない」
とかです。
*****
キリスト教と仏教は違います。
「からりと晴れてなにもない」
なんて言ってるおっさんがいたら友達になれそうです。
で、
「さて・・
どうしよう。。」
ですかね☆
2007年
12月18日
21:50
クルミンシタ
妙好人について。
妙好人(みょうこうにん)とは浄土宗、特に浄土真宗に見られる
市井の人で阿弥陀仏の本願に目覚め、救われた人を言います。
煩悩の世に咲いた蓮の花のように心が美しく好ましい人の意。
まさに試練を経て阿弥陀仏によって再生した人々。
そこには信仰者が試練の果てにたどり着く共通の平安の境地が現出しています。
それはキリスト者にとっても大いなる目標となるでしょう。
と書いてあるページがありましたので、そのアドレスです。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~shinju/myokonin.htm
2007年
12月19日
21:47
クルミンシタ
これも、masaさんの日記へのコメントですが、追加。
****
阿弥陀さまというのは、像のことではありません。もちろん、像もあります。釈迦三尊像とか、阿弥陀三尊像とか、そういう、セットみたいな像がよくあるわけです。阿弥陀三尊像の三体の像の真ん中が阿弥陀さまで、右か左かが観音さまだったと思います。なんにも調べたり検索したりしてませんので、全然違うかもしれません。
阿弥陀さまは、バリバリ仏教です。
権現さまというのは仏が神の姿を借りて現れたもの、というふうに読んだのですが、仏教に神はいたっけ・・・?
権現さまについては私よりmasaさんのほうが読んだことあるようです。たぶん、仏が神の姿を借りて現れたもの、ということなのでしょう。仏教に神はいたっけ・・・? 神々はいます。岩波文庫から出てる仏典の本にも「シャカ 神々との対話」とかなんだったか、そんな題名のさえあったと思います。「神々」とかなのかもしれません。
なんにも調べ直したりしないで、テキトーに書いてしまっていること、あらかじめご了承ください。
クリスチャンとしては、詳しく知る必要は、そんなにはないと思いますもので。
仏=人が悟りを開いた、ということですよね?
はい、たぶん、だいたい、それでいいんじゃないかと思います。「如来」ということもあります。ほかにも、思っているよりたくさんの名前があったと思います。
なんというか、なんだったかな・・
階梯(「かいてい」※字、全然違ったかも)というのが52か53あって、「菩薩」というのがたしか40くらいなんです。仏は最後の52とか53とかなんです。「菩薩」というのは、たぶん、そうだったと思いますが、仏になる道のりみたいのに入った、なんかこう、時間を抜きにすると、いつか仏のいなるであろう確定的な状態のことです。
↓
2007年
12月19日
21:48
クルミンシタ
「仏」。最後の二つが微妙なんです。「仏」になってる状態と、さらに、自分が「仏」であることがわかってる状態、微妙ですが、カイテイが一段違います。などなど、ここらへんのことは、華厳経の中の「十地品(じゅっちぼん)」に書いてある事柄です。独立して「十地経(じゅっちきょう)」になっちゃってるくらい、仏教ではたぶん重要な箇所です。十地というのは、菩薩の歩む道のりのことで、カイテイの40だったか41だったかからがそれなわけです。第一地が「歓喜地(かんぎち)」、第2地が「離垢地(りくじ)」、第3地が「発光(ほっこう)」だったと思います。4からは覚えてません。第1地と第2地は地続きみたいなもんだったと思います。
神には出来ないことはないので、仏教の教えは、ある程度までの、なんというかこう、名古屋行くんだったら電車か車だよな・・普通。とかの話だと思います。当てはまる人も多いけど、神には出来ないことはないので、必ずしもそうじゃないぜ! だと思います。
なお、十地品等に書かれていることは、歴史的に、いろんな哲学とか思想とか、かなりの人が書いたりしていることだと、個人的には思っています。
そして、
そんな、わけわからないくらいのことより、
今となっては、私、クリスチャン、主に委ねて生きたいです。
Masaさんに返信させていただいていると、聖書の言葉が浮かんできます。そういうことが多いです。ありがとうございます。
といいつつ・・
なんだったかな・・
今日のことだったけど・・
思い出しました!
神に出来ないことはないということと、
主は仕えるためにきたということと、
なので、私たちも、仕える者にならないと思います。
親しい人が離れてしまったすることは悲しいです。
でも、
(おおざっぱな言い方になりますが)
その相手に仕えられるためではなく(なんというのでしょう、極端に言うと、自分の、精神的所有)ではなく、
仕える者であれば、
主が賛美されますように☆
○○○○○○○
2007年
12月20日
18:02
【マタイ7の12 のクリスマス】
クリスマスに笹目橋の下のホームレスの人と犬にこのプレゼントをさせていただきます。
シチュー。
オカリナ。
楽譜。
犬が食べそうなもの。
手紙。
です。
シチューは、暖かい状態のものを、そういう弁当箱に入れます。
オカリナと楽譜と手紙は、ダイソーで買ったフェルトの大きいクリスマス靴下に入れます。
を、気付かれないように、気付かれるように置いてきます。
笹目橋の下は私が何度か木彫りをしたりオカリナを吹いたり、野球のボールの投げ込みをしたりしている場所です。橋桁ふたつ分くらいの距離のところにホームレスの人と犬がいるんです。私、わりと頻繁に行ってましたから、木彫りをしたりオカリナ吹いていたりしていた者であることを手紙に書いておけば、なんとなくは御理解いただけるのではないかと思っています。
私んとっては大胆かつ慎重な当日、ホームレスの方にとっては、なんだこれ?
手紙に書く文章を愛をもって書きたいです。
↓
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コメント
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2007年
12月20日
18:03
クルミンシタ
オカリナの吹き方、運指表なども、わかりやすくなるようなのを作成して書いて入れておきたいです。
オカリナはプラスチック製ので勘弁してもらいます。
でも、音の正確さはプラスチックのほうがいいという話もあります。
いずれにしろ、1000円以下です。
楽譜は、「小鳥の歌」と「犬のおまわりさん」と、入手できれば「ロッキーのテーマ」です。
さらに追加もあるかもしれません。
「ロッキーのテーマ」は、手紙に書くことの内容上、必要ではあるんです。ぜひ入手したいです。図書館とかで入手できるかもしれませんね。
メリークリスマス☆!
ちまたでは、あの、映画「ロッキー」、今年は「ロッキー・ザ・ファイナル」というのが公開されたりしていました。「ロッキー」、「ロッキー2」、「ロッキー3」・・・ ということでいうと、「ロッキー6」です。
その中に、ロッキーが言う、こういうセリフがありました。
「恩義がなかったら何もしちゃいけないのかい?」
話を簡単にするために、ぶっちゃけますが、
私はキリスト教徒であるということもあって、聖書を読みます。
その聖書の中に、「人にしてもらいたいと思うことは何でも あなたがたも人にしなさい」と言葉があります。
そういうわけで、シチューをプレゼントさせていただきます。
シチューを食べたいと思ったからです。そして、しょっちゅう木彫りしていた橋の下に、あなたがいたことを思ったからです。犬も。
メリークリスマス☆!
オカリナ等も入れさせていただきました。
オカリナは音色がきれいで、
吹けば音が出ます。
楽譜も入れさせていただきました。
私が好きな歌。「小鳥の歌」です。簡単に吹ける曲でもありますし、素晴らしい曲だと思います。
「犬のおまわりさん」。
ワンちゃんにもぜひクリスマスプレゼントさせていただきたくて、○○○も入れさせていただいています。よろしくお願いします。
↓
2007年
12月20日
18:04
クルミンシタ
「ロッキーのテーマ」。
映画ロッキーシリーズのテーマ曲です。もしかしたら、これも、簡単な曲かもしれません。
私は、(ここからちょっとした自己紹介)です。
木彫りをしたりするために来ることもあると思います。
一緒にオカリナ吹けたら楽しいだろな・・
と願いつつ。。
メリークリスマス☆!
****
だいたいこういう内容です。
2007年
12月20日
20:02
白い吐息で
「Mary Christmas!」
2007年
12月20日
21:32
クルミンシタ
おれんじさん。
英語 Merry Christmas
フランス語 joyeux Noël
ドイツ語 Frohe Weihnachten
スペイン語 Feliz Navidad
イタリア語 Buon Natale
ハワイ語 Mele Kalikimaka
ブルガリア語 Chestita Koleda
スウェーデン語 God Jul
ポルトガル語 Lelíz Natal
チェコ語 Veselé Vánoce
イタリア語 Buon Natale
フィンランド語 Hyvää joulua!
中国語 聖誕快樂
ギリシャ語 Καλά Χριστούγεννα
韓国語 즐거운 성탄
ロシア語 Веселое Рождество
アラビア語 عيد ميلاد سعيد
ポーランド語 Wesołych Świąt!
****
ワンっ!
ニャンっ!
ピピっ!
****
クリスマスが近くなってきましたね☆
まちどおしいです。
○○○○○○○
2007年
12月21日
08:09
【僕らはみんな生きている】
「僕らはみんな生きている」
あなたの表情に
あなたの面影をみていました
あなた方のその表情が
今日少しわかりました
僕も大人になりました
悲しみと 喜びと・・
瞳に澄んだ静謐の
悲しみは
喜びは
世界は
瞳に澄んだ静謐の
言葉は
愛は・・
プールに行こうと思っていましたが
祈りの海ははるかに広く・・
世界はみんな生きている
僕らはみんな生きている
okera aydan
**********
okera aydan:
アラビア語のローマ字風表記。「オケラも」。
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コメント
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2007年
12月21日
08:17
クルミンシタ
↑、コミュ・「へのへのもへじ」の詩投稿掲示板に投稿。
○○○○○○○
2007年
12月22日
23:08
【栄唱(口語)】
聖母とともに。
[marquee=up]栄光は父と子と聖霊に。
初めのように今もいつも世々に。 アーメン。
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コメント
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2007年
12月22日
23:18
クルミンシタ
受洗した頃、この祈り、文語でならいました。
主の祈りも、天使祝詞も、栄唱も、今は口語が普通になっています。
文語から口語に変わってきた当初は、ちょっと、抵抗、感じましたが、
今でもやはり、天使祝詞は「めでたし・・」と唱えてしまいますが、
栄唱、
聖母とともに、
口語のほうがいいくらいです。
(;_;)
すごく感謝しています。
栄光は父と子と聖霊に。
初めのように今もいつも世々に。 アーメン。
。
2007年
12月22日
23:21
クルミンシタ
今年のクリスマスは、母(未信者ですが)と一緒に御ミサにあづかることが出来そうです。
なにかプレゼントと思いました。
栄唱の、なにかにしようと思います。
○○○○○○○
2007年
12月23日
07:56
【太陽の年輪】
「太陽の年輪」
地球がまあるくみえてるね
枝はまっすぐのびてるね
ねこは昼寝で
のびてるね
太陽にっこり
日光にっこり
枝は
まっすぐのびてるね
太陽にっこり
ねこもにっこり
枝はまっすぐのびてるね
****
枝はまっすぐでも年輪はどっちかに偏っていたりします。でも、太陽に対してまっすぐなのです。
・
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コメント
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2007年
12月23日
07:57
クルミンシタ
コミュ「へのへのもへじ」の日本語ならではの詩投稿掲示板に投稿。
○○○○○○○
2007年
12月23日
22:53
【クリスマスシチュー】
シチュー完成。
弁当弁当箱に入れてみました。三段の保温効果のあるやつです。
ご飯三杯分入るというキャッチフレーズの弁当箱です。
シチュー。お椀二杯分は入ったのではないかと思います。
これが一番下の段です。
上の二段は、
一段目、からあげチキン。
二段目、なんと、同じくからあげチキン(笑)。
昨今の苦悩の末のアイディアでした(笑)。
一応、シチューのほうは味見済みです。私的にはおいしいと言っていいです。
からあげチキンのほうはスーパーで買いました。普通においしいと思います。
保温効果を調べるために、ちょっと何時間か外に出しておきます。
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コメント
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2007年
12月23日
23:02
クルミンシタ
ワンちゃんのためのちくわとオカリナとリンゴとヤマザキのロールケーキ(モカ)です。
私の、もう死んでしまいましたが、愛犬・ボボは雑種でした。そして、ちくわが好きでした。笹目橋の下の犬もたぶん、そんなに雑種から遠くないと思いますので、食べてくれるのではないかと思われます。
ヤマザキのロールケーキはいわずもがな、おいしいです。
リンゴは・・
今読んでいるマリア・ワルトルターの本にはしょっちゅう登場してきます。ヨセフもマリアさまも、夕食がそれだったりしています。ヨセフがリンゴとか卵とかを持ってきてマリアさまにあげる場面はもう・・
オカリナはプラスチック製です。運指表も付いています。
余談ですが、オカリナはどちらかというと、粘土で陶器みたいな感じですが、今日、子ども向きの本を立ち読みしていてわかったことなんですが、
七厘で出来るようです☆
(持ってませんが・・)
2007年
12月23日
23:52
クルミンシタ
これらを明日、わりとしょっちゅう木彫りのために行っている笹目橋という、新大宮バイパスの大きな橋の下に住んでいる、ダンボーラーよりも、もうちょっと住まいのようになっている人とワンちゃんのところに、
新聞配達の経験を生かし、
タッタッタッタ
スクーターでブーン
すかさずタッタッタッタ
目的地に置いて
タッタッタッタ
新聞配達のごとし
でやろうと思っているのですが、
こんなことして・・
でしたが、今日は、こんな言葉ばかりに出会いました。
旧約聖書からの言葉もありましたが、
マザーテレサの言葉。
善い行いをしても、恐らく次の日には忘れられるでしょう
気にすることなく、し続けなさい
あなたの正直さと誠実さとが、あなたを傷つけるでしょう
きにすることなく正直で、誠実であり続けなさい
あなたが作りあげたものが、壊されるでしょう
気にすることなく、作り続けなさい
助けた相手から、恩知らずの仕打ちを受けるでしょう
気にすることなく、助け続けなさい
あなたのなかの最良のものを、世に与えなさい
蹴り返されるかもしれません
でも、気にすることなく、最良のものを与えつづけなさい
(マザー・テレサ)
2007年
12月24日
00:06
おいしそう。
家なき人のところに行くのですね。
わたしも以前、炊き出しに参加したことがあります。いまは忙しいので
ビッグイシュー買うくらいしかしてませんが。
シチューとチキンが、その人の心も
少しでもあったかくしてくれたらいいですね。
2007年
12月24日
00:12
クルミンシタ
書き置いておいてくる手紙は、何日か前に日記に書いたの、ほとんどそのままでいいです。
いいじゃん!
ということで、新詩も追加で手書きで書きます。
****
メリークリスマス☆!
ちまたでは、あの、映画「ロッキー」、今年は「ロッキー・ザ・ファイナル」というのが公開されたりしていました。「ロッキー」、「ロッキー2」、「ロッキー3」・・・ ということでいうと、「ロッキー6」です。
その中に、ロッキーが言う、こういうセリフがありました。
「恩義がなかったら何もしちゃいけないのかい?」
話を簡単にするために、ぶっちゃけますが、
私はキリスト教徒であるということもあって、聖書を読みます。
その聖書の中に、「人にしてもらいたいと思うことは何でも あなたがたも人にしなさい」と言葉があります。
そういうわけで、シチューをプレゼントさせていただきます。
シチューを食べたいと思ったからです。そして、しょっちゅう木彫りしていた橋の下に、あなたがいたことを思ったからです。犬も。
メリークリスマス☆!
オカリナ等も入れさせていただきました。
オカリナは音色がきれいで、
吹けば音が出ます。
楽譜も入れさせていただきました。
私が好きな歌。「小鳥の歌」です。簡単に吹ける曲でもありますし、しかし、簡単とはいえ、正直、素晴らしい曲だと思います。
ワンちゃんにもぜひクリスマスプレゼントさせていただきたくて、ちくわも入れさせていただいています。よろしくお願いします。
私は、笹目橋の東京側の、練馬区田柄というところの新聞販売店の住み込み従業員です。おもに、配達を仕事としています。
こちらには、ときどき、木彫りやオカリナや野球の投球練習のために来させていただいている者です。
2007年度・文芸社ビジュアルアート出版文化賞の審査員特別賞受賞者でもあります。
昨日、こんな詩を書きました。
詩(ダンボーラー‘sクリスマス)
これからも木彫りをしたりするために来ることあると思います。
いつぞや、一緒にオカリナ吹けたら楽しいだろな・・
と願いつつ。。
メリークリスマス☆!
住所氏名
2007年
12月24日
00:20
クルミンシタ
シャロームさん。
シチュー等、焼いてり煮たりは、
実家にいたころ、家庭内いそうろう状態であったため、いくらなんでも、家族の炊事洗濯等をちゃんとしていたため、
結構おいしいのではないかと思います。
塩コショウは、もしかしたら、個人差あるかもしれないので、今回は、少し、多くしすぎないようにはしてあります。
相手が男であるところを考えました。
くれてやるわけではないのです。
あんまりいろいろ考えないで、
戦友としてシチューを置かせてきていただくことにしました。
2007年
12月24日
00:23
クルミンシタ
手紙に書く文章追加。
****
失礼だったらごめんなさい。
正直、
こんなこことして・・
と、自分でもちゅうちょしました。
こう考えました。
私も男。あなたも男。
この世にて、
戦友に
メリークリスマス!
2007年
12月24日
01:12
クルミンシタ
手紙を書きました。
2007年
12月24日
01:33
クルミンシタ
ダイソーで買ってきておいたクリスマス靴下袋に手紙を、クルーニング屋のタグのごとく縫い付けました。
ほとんど準備完了です。
明日は(あ・・ っていうか今日、かれこれ一時間後)朝刊を配達すれば、祝日の振り替えなので夕刊がないので、私は明日(25日)は待望の休日なので、長時間のフリーです。
笹目橋には15時くらいに行って、
17時半くらいに母と、妹と、甥と、四ツ谷で待ち合わせて、
19時からのイグナチオでの御ミサにあづかります。
の前に、兄に結婚祝いのオカリナと、製本した絵本を宅急便で送っておいてしまいたい。
明日、母にプレゼントする、不思議のメダイとドイツトウヒの枝からの一玉をゴム糸でつなげたものを、その一玉、明日は寸前まで布やすりで磨きたい。
妹と甥には「クリスマスのうまごや」という絵本。
2007年
12月24日
06:30
クルミンシタ
朝刊配達&ひと仕事をしてきました。
弁当箱のシチューを食べました。
7時間経っています。熱湯状態ではないですが、シチュー的には、むしろ食べやすいくらいです。量的にも、盛り方にもよりますが、どんぶり一杯分以上あるのではないかと思われます。
なお、シチュー用的な豚肉とたまねぎじゃがいもとにんじんとしめじが入っています。試食用に弁当箱に入れてみたのは、極力、肉やにんじんやしめじを入れないようにしていました。
だから、これから、もう一回あっためて、弁当箱に入れて、置いてくるシチューはもっと肉がたくさんです。にんじんもしめじも、量的に、グラタンに近いんじゃないかぐらい具だくさんです。
グラタンってどうやって作るんだろう・・
妹が作れたな。。
七厘じゃムリかな・・
(持ってないけど)
グラタンのほうが、なんというか、便利かもはしれないと、
今後のことも展望してみたりもするのでした。
七厘あると、なにかといいよな・・
ちょっと、一眠りZzz..。
2007年
12月24日
15:05
クルミンシタ
兄にクリスマスプレゼント(結婚祝い。オカリナ二個と自作製本絵本)を送りました。ユーミンの「やさしさに包まれたなら」の楽譜入れると、すっかり忘れてましたね、ということにして、それは、後で送ります。
2007年
12月24日
15:19
クルミンシタ
笹目橋。
今日は休日だから、中学生とか、グランドで野球していて、親ごさんたちもたくさんで、人が多いです。
橋の下に行くと、煙が・・
お目当てのホームレスの方、ドラム缶で火を燃やしている最中、行ったり来たりしています。
私、それとなく背後のほうになる方向から近づき、プレゼントを置こうとしたところで気付かれてしまいました!
「なんですか?」
(たぶん。橋の下は、上、ガンガン車が走っているし、今日は風が強くて、なんとなくしか聞こえないのです。)
「メリークリスマス! どうぞ!」
「いいんですか?」
「どうぞ!」
[聞こえているかどうか、定かではありませんが、口の動きとか、言葉、「どうぞ!」ですから、わかっていただけていたと思います。頭、ペコペコしながらでした。]
「どうも。」
(「どうも。」って言ってくれました・・・・)
「どうも。」って言ってくれました (^○^)/
\(*^▽^*)/
・
2007年
12月24日
15:21
クルミンシタ
17時半くらいに四ツ谷で母たちと四ツ谷で待ち合わせて、
19時からのイブのミサにあづかります。
人数が多いので、早く並ばないといけませんが、待ち時間が長くなるので、たぶん甥っ子も来るので、
けん玉を買って持っていこうかと思っています。
2007年
12月24日
15:25
クルミンシタ
追伸:
ワンちゃん。二匹いました。
・
2007年
12月25日
23:07
24日のミサはどの時間帯もすし詰状態でした。
2007年
12月25日
23:19
クルミンシタ
24日は19時の御ミサにあづかりました。
17時半はら並んで、一時間くらいはヨセフホールで待ってました。
ロウソクがもらえて、キャンドルサービスをする会でした。
母と妹と甥(妹の子ども)と一緒にあづかりました。信者は私だけです。
24日から25日までのこと、
今日、25日の御ミサをやはりイグナチオで18時のにあづかって、
そのあと、なんというか、興奮さめやらぬで、
すぐ帰って(翌日朝は朝刊配達。普通に日常生活。仕事)
すぐに帰るには興奮さめやらぬ、とか、そんな感じで、
市谷で降りちゃって、
かれこれ、1時間半くらい、なんというか、静かに歩いてました。渋谷も歩いたし、表参道も、青山も、外苑のあたりも、
・・・
さらに新しい日々の始まりです。
2007年
12月25日
23:22
クルミンシタ
francisca.maria さん。
イグナチオの馬小屋はナイスですね。
今日、25日。
イエズスが生まれてましたネ。
待って、待って、待って・・
生まれてた☆
○○○○○○○
2007年
12月25日
22:58
【07クリスマス】
07クリスマス
花の開花は
死に似ています
裸の
-071224
光
-071225
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コメント
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2007年
12月25日
22:59
クルミンシタ
コミュ「へのへのもへじ」詩の投稿掲示板に投稿。
2007年
12月25日
23:32
クルミンシタ
今年のクリスマスは家族とあづかることが出来ました。私以外は未信者です。
24日の御ミサには、母と妹と甥(4歳)と一緒にあづかりました。
甥。
イグナチオ教会の十字架で手を広げているイエズスの御像をみて、
「王さま」
といいました。
ナイス☆
そうです☆
2007年
12月25日
23:46
クルミンシタ
24日の夜は妹宅で泊まりました。久しぶりにお風呂にも入りました。(シャワーは浴びていますが)。
25日は妹宅ですごし、18時のイグナチオの御ミサに、最後、めっちゃ橋って、ピッタリの時間であづかりました。
今日もたくさんの人数で、後ろにあるマリアさまのところであづかることができました。嬉しかったです☆
神父さまの説教の中で、
降誕と十字架の死のことが話されました。
降誕の像とかで、包帯にまかれた赤子の姿であるのもあるそうです。
王さまです。
今年のクリスマスは、
数日前から思っていたことですが、
私、34才。
時間はどんなかわかりませんが、
人生の真ん中の点だったんだと思いました。
さらに新しい日々の始まりです。
なんちゃってですが、詩人ですので、
詩が一番言いたいこと、書きたいことが書けていること多いです。
冒頭の詩がそれです。
私のイエズスへの誕生日プレゼントは、
笹目橋のホームレスの人へのシチューでした。
そして、心の中でのプレゼントは、マリアさまに話しました。
クリスチャンになってよかったです。
いろんな人が思い浮かびまくります。
ありがとうございます。
感謝でいっぱいです。
クリスチャンになってよかったです。
2007年
12月25日
23:57
クルミンシタ
王さま。
○○○○○○○
2007年
12月26日
18:24
【聖ステファノの日】
今日は聖ステファノの日でした。
四ツ谷のイグナチオの昼の御ミサにあずかりました。
御ミサ中、聖ヨセフが赤い鉱物をくださったように思いました。
胸に、ぐにょりと収めてしまいたいと思いました。
夕刊配達後、
コマドリを調べまくっています。
こまどり姉妹も検索してしまったりもしています。
最近読んでいるマリア・ワルトルターの本の一節が思い浮かびました。
ゴルゴダにヨゼフはいなかったので、あがないの協力者ではないというのか。まことに言うが、ヨゼフこそは神の最初の協力者であり、そのために神のみ前に偉大である。その犠牲、忍耐、根気と信仰とのために偉大なものである。メシアの奇跡を見ないで信じた。これ以上の大きな信仰があろうか。
私の養父をたたえたい。彼こそ、あなたたちに最も不足しているもの、純潔、忠実、完全な愛の模範である。
(『聖母マリアの詩(上)』フェデリコ・バルバロ訳編。あかし書房。95pより。)
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コメント
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2007年
12月26日
18:26
クルミンシタ
Legend of Rouge-gorge
ルージュゴルジュ(こまどり)の伝説
http://www.eventail.co.jp/chapelle/より。
キリストが十字架に釘付けになるとコマドリがやってきて翼でキリストの涙を拭い、くちばしでイエスの頭のとげを抜き取ったとされ、その時の一滴の血痕が小鳥の胸に落ち、胸が赤いとされている。その時イエスが「お前は私の苦しみをわかちあった。どこでもお前の行くところ幸せと喜びがあるように。お前の生む卵は天空の青色になるだろう。これからは神の小鳥、胸赤のコマドリと呼ばれ、幸福のメッセージの運び手となるだろう。」と言ったといわれている。
2007年
12月26日
18:28
クルミンシタ
ヨーロッパコマドリ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%83%AD%...より。
※声も試聴可能☆
特徴的な赤い胸の由来にまつわる話もいくつかあり、その一つによると、かつてヨーロッパコマドリは全身茶色一色であったが、十字架に架けられたイエス・キリストの痛みを癒すため彼の側で歌を歌い(あるいは、いばらの冠を外そうとして)、その際にイエスの血によって胸が赤く染まったという。他にも、煉獄で焼かれている死者に水を運ぼうとして焦げた、煉獄の火を地上に運んできたミソサザイが火だるまになってしまったため、それを助けようとして焦げた、などという話もある。
前述のように、民話や伝承の中でしばしばヨーロッパコマドリはミソサザイと対になって現れる。かつては、それぞれオスのみ、メスのみだと考えられており、「神の雄鳥」「神の雌鳥」として夫婦とみなされていた。また、イギリスではヨーロッパコマドリが新年の魂を宿し、ミソサザイが旧年の魂を宿しているとして、クリスマスや聖ステファノの日(12月26日)に「ミソサザイ狩り」が行われていた。そのため、クリスマスカードやクリスマスの切手によく描かれる。
ヨーロッパコマドリは、繁殖期にはよくさえずり、日中から夕方までさえずる。時には夜もさえずる個体があり、サヨナキドリ(ナイチンゲール)と間違えられることもある。オスの成鳥だけでなく、メスや幼鳥もさえずる。さえずりは「チュリー、チュルチュル、ホイピーホイピーチュリー、チュリリリ、チュリチュリ」などと、長い節と短い節を不規則に組み合わせており、標準的なさえずりというものは存在しない。
2007年
12月26日
18:31
クルミンシタ
コチラ
http://hphp01.web.infoseek.co.jp/b/theme/robins/i-02.htmのページはワンクリックで、その姿と歌声が聴こえてきて便利です。
オカリナのピッコロですね☆
メシアンの音楽語法
http://www11.ocn.ne.jp/~messiaen/musical_language/chants_...より。
ポール・デュカは言った。”小鳥の声を聞きたまえ。彼らは巨匠である。”
私はこの忠告をまつまでもなく、小鳥の声を嘆賞し、分析し、記譜していた事を告白する。
メシアンの作品に初めて鳥の歌らしいフレーズが登場するのは「昇天 L'Ascension」(1932-1933)の第2曲である(もっとも、ここについては本人は特に鳥の歌であるとは言及していない)。次いで、「主の降誕 La Nativité du Seigneur」(1935)の第2・9曲にもそれらしいフレーズが登場する。このうち後者については「わが音楽語法」の中ではっきりと「鳥の様式による」と記している。これ以降、1940年代には次々と作品中に鳥の歌が取り入れられるようになった。その多くは宗教作品であるが、その中で鳥たちの歌は「神の作り給うた音楽」、つまり天上を象徴するものとして用いられた。メシアンの言葉を借りれば鳥たちは「非物質的歓喜の小さな奉仕者たち」としての役割を担っていた。
2007年
12月26日
18:33
クルミンシタ
鳥が歌う目的は大きく3つある。
一つ目は領土的な側面、すなわち、自分の食物や巣、雌、小枝、地域を確保するために歌うというものである。侵入者が不当に領域を占領しようとすると彼らは歌による争いをする。そして所有者がよく歌えば侵入者は逃げていくし、逆に侵入者のほうが歌がうまいと所有者は彼に場を譲ることになる。
二つ目は性愛の衝動によるもの。なかんずく愛の季節である春には盛んである。若干の例外を除いてはオスがメスを誘惑しようとして歌う。
三つ目は何の目的も社会的機能も持たない歌。普通、生まれてくる光と消え行く光、つまり日の出と日没に伴って歌われる。この種類の歌についてメシアンが面白い現象を報告している。
「例えば私はジュラ地方で、特別に有能なウタツグミを観察しましたが、その歌は、日没が赤や紫の素晴らしい光彩で非常に美しかったときなど、全く天才的なものでした。しかし、色がそれほど美しくなかったり、日没が短かったりした時、このツグミは歌わなかったり、歌ってもそれほど興味のない主題で歌うだけでした。」
立派なソロを歌い上げるものは次のような鳥たちである。
ヒバリ (Alouette des champs)
ウタツグミ (Grive musicienne)
サヨナキドリ (Rossignol)
ニワムシクイ (Fauvette des jardins)
クロウタドリ (Merle noir)
ヨーロッパコマドリ (Rouge-gorge)
これらの素晴らしいソリストたちは特に彼が好んだ鳥たちで、曲中にしばしば登場する。
2007年
12月26日
18:33
クルミンシタ
《実際の作曲への応用》
メシアンは鳥の歌声をなるべくそのまま用いることも、あるいは逆にこれを手を加えることが出来る一素材として扱い、変形して用いることもあった。
数としては「そのまま」用いられたほうが圧倒的に多い。もっとも、「そのまま」とは言え、いくつか手を加えられている点はある。まず、鳥の歌声は非常に高い音域であるため、通常の楽器で演奏するには2~4オクターヴも下げる必要がある。また、半音以下の微分音程については廃止せざるを得ない。テンポは非常に速いため、器楽奏者が演奏するにはテンポもある程度落とさざるを得ない。
更に、当初は単旋律で書かれていた鳥の歌に、1950年代ごろからは次第に和音がつけられるようになってくる。これは元の鳥の歌声の音色に対する配慮の結果で、倍音を積極的に活用してオリジナルの鳥の音色になるべく近づけようとする作業であった(ただ、このプロセスの故にメシアンの鳥の歌が実際の鳥の歌に聴こえないと、いう人々がいるのも確かである)。
この「そのまま使用」の例として最も有名な作品は「鳥のカタログ」である。この作品中ではある地域の風光の香りや色を表す和声・リズムを背景に、そこに生息する様々な鳥たちの歌声がそのまま記されている。
一方、後者の例としては「天国の色彩」などが挙げられる。ここで彼は半音以下の微細な音程を再現することが試みられた。そのために1コンマ、2コンマといった微分音程を半音で代用し、これを単位にすべての音程間の尺度を拡大している。この操作によると、実際の半音は1全音や3度音程に拡大される。結果出来上がった音楽は鳥の歌声とはかなり異なったものになるが、ある意味これも「正確」な再構成と言える。
「天国の色彩」はコチラ
http://www.7andy.jp/cd/detail?accd=R0220188から試聴できます。
2007年
12月26日
18:44
クルミンシタ
こまどり姉妹はコチラ
http://listen.jp/store/album_coca12966.htmで試聴できます。
2007年
12月26日
19:12
クルミンシタ
微分音
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%AE%E5%88%86%E9%9F%B3より。
平均律において半音より狭い音程のことを微分音程または微分音と呼ぶ。代表的な例として、半音をさらに半分に割った四分音、半音を3分の1に割った六分音、四分音を半分に割った八分音などがある。
アラブ音楽
http://www5e.biglobe.ne.jp/~drgn/music.htmより。
そもそもアラブ音楽って何?? アラブ音楽には西洋には無い音階やリズムがあります。 音階の事を「マカーム」と言い、微分音(半音の半音)などが特徴として挙げられます。 演奏の仕方も面白くて、ひとつのメロディーを全員でユニゾンします。 そもそもマカーム音楽には西洋で言うところの和音という概念がありません。 その代わりといっては何ですが、微妙な音階を意図的にコントロールし、なおかつ装飾音や即興によってメロディーは飾られていきます。 リズムも様々で、西洋音楽に慣れた私たちにとってイマイチ手拍子が出来なくなるようなものが多数あります。 しかし、その独特なリズム体系も馴染んでしまえば大変おもしろいグルーブを伴ったノリの良いリズムとなります。 その、独特な世界を持ったメロディーとリズムが合わさって初めてアラブ音楽の良さが発揮されます。 もちろん演奏家たちによる独奏即興などもアラブ音楽には無くてはならない要素となってます。 その即興演奏と中東舞踊の音と体のユニゾンも観てて楽しいアラブの要素かと思います。
2007年
12月26日
19:16
クルミンシタ
ユニゾン【unison】
音楽で、同じ高さの音。また、そのような音や旋律を、複数の声や楽器で奏すること。広義には、オクターブにわたる音も含める。
2007年
12月26日
19:25
クルミンシタ
[marquee=left]教皇ベネディクト十六世の79回目の一般謁見演説
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/newpope/bene_mess...より。
ステファノの物語はわたしたちに多くのことを語ります。たとえばそれは、愛のわざを行う社会的な務めと、信仰を勇気をもって告げ知らせることを切り離してはならないことをわたしたちに教えます。ステファノは何よりも愛のわざを行うよう委ねられた七人の一人でした。しかし、愛のわざを宣教と切り離すことはできませんでした。こうしてステファノは、愛のわざによって、十字架につけられたキリストを告げ知らせ、ついに殉教を遂げるまでに至りました。これが聖ステファノの姿からわたしたちが学ぶことのできる第一の教訓です。すなわち、愛のわざと宣教は常に一緒に行われるということです。
聖ステファノは何よりもわたしたちにキリストについて語ります。十字架につけられて復活したキリストは、歴史とわたしたちの人生の中心です。十字架は、常に教会生活の中心であると同時に、わたしたち個人の生活の中心でもあり続けることを、わたしたちは知ることができます。受難と迫害は教会の歴史の中でなくなることがありません。そして、テルトゥリアヌスの有名なことばによれば、迫害こそが新たなキリスト信者のための宣教の源泉となります。テルトゥリアヌスのことばを引用したいと思います。「あなたがたがわれわれを刈り取れば、その都度、われわれの信者は倍加するのである。キリスト教徒の血は、種子なのである」(テルトゥリアヌス『護教論』50・13:Plures efficimur quoties metimur a vobis: semen est sanguis christianorum〔鈴木一郎訳、『キリスト教教父著作集14』教文館、1987年、117-118頁〕)。
しかし、わたしたちの生活の中でも、十字架はなくなることがありません。そしてこの十字架は祝福となります。そして、十字架を受け入れることによって、すなわち十字架が祝福となること、また祝福であることを知ることによって、わたしたちは困難な時にもキリスト信者の喜びを学びます。あかしの価値はかけがえのないものです。福音はあかしへと導かれ、教会はあかしによって養われるからです。聖ステファノは、わたしたちがこの教訓を大事にするように教えます。ステファノは、わたしたちが十字架を愛するように教えます。十字架は、キリストが常に新たにわたしたちの間に来るための道だからです。
2007年
12月26日
20:48
クルミンシタ
コマドリは、もちろん、いろんなところにいると思いますが、イギリスでは国鳥で、かなりスズメのようだと思われます。はじめてイギリスに行ってみたく思ったりしました。
日本では、
私、住んでいるところの光が丘公園(公園には住んでいませんが)。コマドリ 東京 で検索すると、結構出てきます。スポットなのかもしれません。
でも、
http://www.tokyo-np.co.jp/article/living/yume/CK200704270...より。
2007年4月27日
東京都練馬区の光が丘公園で20日、夏鳥のコマドリに出会った。薄暗い林の中でオレンジの胸と顔が鮮やか。春の渡り途中に立ち寄り、体力を回復し山の繁殖地に向かう。今年は3羽が16日から5日間滞在。ほぼ毎年訪れるという。都心の緑はオアシスなのだろう。
「ヒンカラララ」の美声はウグイス、オオルリとともに日本三鳴鳥。英名ジャパニーズ・ロビンは英の国鳥ロビンから。全長14センチ。
(写真と文・堀内洋助)
***
光が丘公園にかかわらず、鳥が多いというのが、私住んでいるところのあたりの特徴です。
コマドリ。
今の季節、いるのかなぁ・・
2007年
12月26日
20:57
クルミンシタ
コマドリは、もちろん、いろんなところにいると思いますが、イギリスでは国鳥で、かなりスズメのようだと思われます。はじめてイギリスに行ってみたく思ったりしました。
日本では、
私、住んでいるところの光が丘公園(公園には住んでいませんが)。コマドリ 東京 で検索すると、結構出てきます。スポットなのかもしれません。
でも、
http://www.tokyo-np.co.jp/article/living/yume/CK200704270...より。
2007年4月27日
東京都練馬区の光が丘公園で20日、夏鳥のコマドリに出会った。薄暗い林の中でオレンジの胸と顔が鮮やか。春の渡り途中に立ち寄り、体力を回復し山の繁殖地に向かう。今年は3羽が16日から5日間滞在。ほぼ毎年訪れるという。都心の緑はオアシスなのだろう。
「ヒンカラララ」の美声はウグイス、オオルリとともに日本三鳴鳥。英名ジャパニーズ・ロビンは英の国鳥ロビンから。全長14センチ。
(写真と文・堀内洋助)
上野動物園の鳥のコーナーにいるようです。赤というよりオレンジですね。
http://www.kahaku.go.jp/magazine/backnumber/backnumber.ph...より。
上野動物園の表門を入ってすぐ左に「日本の鳥 展示室」という建物があり
ます。中はトンネルのようになっていて、片側にガラスで仕切られたジオラマ
風のブースがいくつかあり、その中で日本に生息する野鳥が30種ほど飼育さ
れています。また、もう一方にはベンチがあり、冷房も入っているので、気に
入ったブースの前で、野鳥の行動をじっくりと観察することができます。
主な種類は、カワセミ・ウグイス・コマドリ・クロジ・コルリ・キレンジャ
ク・アトリ・ジョウビタキ・ルリカケス等で、身近なものから、都会では見ら
れないものまでバラエティに富んでいます。
****
たぶん、いますね。
2007年
12月26日
20:59
クルミンシタ
正直、
めっちゃかわいいのではないでしょうか。
2007年
12月26日
21:03
クルミンシタ
いつか、1枚でも写真が撮れたら、
キャンドルス野鳥の会を開設させていただく所存です。
2007年
12月27日
07:01
クルミンシタ
セキセイインコの心拍数が300~500回/分なようです。コマドリもそのくらいなのではないかと思われます。
リズムと心拍数は無縁ではないでしょう。
もし、楽器で人間が再現するなら、それは、ムリくさいし、不自然な演奏でしょう。
スローにしたら、それは全然違うものでしょう。
私は健康診断のとき、洞性徐脈でひっかかりがちですが、今年、つっこんで聞いてみたら、スポーツ選手に多いそうです。徐脈というのは心拍数が毎分60以下であることを言います。遅いということです。
これは、作曲にも無縁ではないと思われます。
たとえば、iポットとか、昔だったら(個人的には、つい最近まで)、カセットとかに好きな音楽を入れたりするわけですが、私の入れ方は、ジャンルとか、アーティストとか、あまりこだわりはありません。なんか、いいのを入れます。
で、ある人に、
「全部、同じリズム」
と言われたことがありました。
たしかに、ほとんど、かなり単調なリズムの、ほとんどが同じのばかりであることが判明しました。
そして、リズムで、なんかいい、と思っていたんだということがわかりました。
それは、テンポ、
メロディーラインのテンポとかのことではありません。
なんというか、歌詞のテンポが速くても、なんのこと言ってるのが自分、音楽の素養がないので言葉がわかりませんが、テンポが速くても、リズムが遅い場合があります。ラップとか聴くと、そう思うことがあります。
逆も然りです。
メロディーとリズム。
やはり、音楽や作曲をするにあたっては、歩いたりしながらの鼻歌の音楽さを忘れないようにしたいと思いました。
歌は歩いているようだし、走っているようだし、
考えだすと、急にむずかしく感じますが、
歩いたりしながらの鼻歌の音楽さを忘れないようにしたいと思いました。
2007年
12月27日
07:11
クルミンシタ
「着床」
ベースの奥にはベースがあって
その奥にもベースがあって
落ち着きは奥へ奥へと
そして
すやすやと
****
コミュ「へのへのもへじ」詩の投稿掲示板に投稿。
○○○○○○○
2007年
12月27日
17:54
【聖ヨハネ使徒福音記者の日】
今日の福音朗読
ヨハネ20:2-8
[週の初めの日、マグダラのマリアは、]シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちにはわかりません。」そこで、ペトロともう一人の弟子は、外に出て墓へ行った。二人は一緒に走ったが、もう一人の弟子のほうが、ペトロより速く走って、先に墓に着いた。身をかがめて中をのぞくと、亜麻布が置いてあった。しかし、彼は中には入らなかった。つづいて、シモン・ペトロも着いた。彼は墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た。イエスの頭を包んでいた覆いは、亜麻布と同じ所にはなく、離れた所に丸めてあった。それから、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。
・
-------
コメント
-------
2007年
12月27日
17:57
クルミンシタ
・
[週の初めの日、マグダラのマリアは、]シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちにはわかりません。」そこで、ペトロともう一人の弟子は、外に出て墓へ行った。二人は一緒に走ったが、もう一人の弟子のほうが、ペトロより速く走って、先に墓に着いた。身をかがめて中をのぞくと、亜麻布が置いてあった。しかし、彼は中には入らなかった。つづいて、シモン・ペトロも着いた。彼は墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た。イエスの頭を包んでいた覆いは、亜麻布と同じ所にはなく、離れた所に丸めてあった。それから、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。
2007年
12月27日
18:32
クルミンシタ
教皇ベネディクト十六世の58回目の一般謁見演説
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/newpope/bene_mess...より。
・・・「わたしたちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのです」(使徒言行録4・20)。
自分の信仰を隠すことなく告白したこの態度は、わたしたちすべてにとって模範と教訓であり続けます。それは、わたしたちが、自分とキリストとの切り離すことのできないきずなをはっきりと宣言し、打算や人間的な利害よりも自分の信仰を優先させるようにいつも用意していることができるためです。
伝承によれば、「愛する弟子」はヨハネのことです。第四福音書の中で、この「愛する弟子」は、最後の晩餐のとき、師であるかたの胸もとに寄りかかり(ヨハネ13・21参照)、十字架のもとでイエスの母のそばにおり(ヨハネ19・25参照)、最後に、空の墓と、復活した主の現れをあかしします(ヨハネ20・2、21・7参照)。
わたしたちは、このようにヨハネを「愛する弟子」と同一視することが、今日、専門家によって議論されていることを知っています。専門家のうちにある人びとは、「愛する弟子」はイエスの弟子の原型だと考えます。この問題の解明は釈義学者に任せて、わたしたちは、自分たちの生活にとって重要な教訓を引き出すことで満足したいと思います。すなわち、主は、わたしたちの一人ひとりを、主との個人的な友情のうちに生きる弟子にしたいと望んでおられるということです。
このような弟子となるためには、外的な意味でイエスに従い、そのことばを聞くだけでは不十分です。イエスとともに生きること、また、イエスのように生きることが必要です。このことは、心からの完全な信頼に満ちた、きわめて親密な関係があって初めて可能になります。こうした関係が見られるのは、友の間においてです。だからイエスはあるとき次のように述べたのです。「友のために自分のいのちを捨てること、これ以上に大きな愛はない。・・・・もはや、わたしはあなたがたをしもべとは呼ばない。しもべは主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである」(ヨハネ15・13、15)。
↓
2007年
12月27日
18:33
クルミンシタ
外典の『ヨハネ行伝』の中で示される使徒ヨハネは、教会の創立者でもなければ、すでに創立された共同体の指導者でもありません。そこで示されるヨハネは、絶えず旅しながら、「希望し、救われることのできる魂」(18・10、23・8)と出会って信仰を伝える者です。ヨハネは目に見えないものを目に見えるようにしたいという、逆説的な望みに駆り立てられます。実際、東方教会ではヨハネはただ「神学者」と呼ばれます。「神学者」とは、神的なことがらについて人びとにわかることばで語ることのできる者、イエスに従いながら神に近づく隠された道を示す者のことです。
使徒ヨハネへの信心は、エフェソ市で始まりました。伝承によれば、ヨハネはこの町で長い間活動し、トラヤヌス帝の時代にたぐいまれな高齢で亡くなりました。6世紀にユスティニアヌス帝は、ヨハネを顕彰するための大きな聖堂をエフェソに建てました。エフェソには今もその壮大な遺跡が残っています。
ヨハネは東方教会で大いに崇敬されましたし、今も崇敬されています。ビザンティンのイコンでヨハネは(トラヤヌス帝の時代に死んだという伝承に基づいて)高齢の人として描かれます。彼は深い観想のうちに、人を沈黙に招くかのような姿をしています。
実際、ふさわしい精神の集中なしに、崇高な神の神秘とその啓示に近づくことはできません。そのため、コンステンチノープルのアテナゴラス総主教――教皇パウロ六世はこの総主教と記念すべき会見を行いました――は、数十年前に次のように述べたのです。「ヨハネはわたしたちの崇高な霊性の源にいるかたです。『沈黙する人びと』は、ヨハネと同じように、神秘的な心の交流を知っており、ヨハネがともにいてくださるように願い求めます。こうして彼らの心は燃え立たせられます」(O・クレマン『アテナゴラスとの対話』:O. Clément, Dialoghi con Atenagora, Torino, 1972, p. 159)。
主の助けによって、わたしたちがヨハネの学びやに入り、偉大な愛の教えを学ぶことができますように。こうして、わたしたちがキリストに「この上なく」(ヨハネ13・1)愛されていることを感じ、キリストのためにわたしたちの生涯を用いることができますように。
・
2007年
12月27日
18:44
クルミンシタ
今日の集会祈願:
聖なる父よ、あなたは使途ヨハネを通して、わたしたちにみことばの神秘を現してくださいました。
この使徒が伝える教えを正しく理解する力をお与えください。聖霊の交わりの中で、あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、わたしたちの主、イエス・キリストによって。
アーメン。
・
2007年
12月27日
18:45
クルミンシタ
「着床」
ベースの奥にはベースがあって
その奥にもベースがあって
落ち着きは奥へ奥へと
そして
すやすやと
・
2007年
12月27日
18:51
クルミンシタ
↑、昨日(聖ステファノの日)に書いた詩ですが、
書いた直後から、
二行目、
その奥にもベースがあって
を削除して投稿しなおそうかと考えつづけていました。
教皇ベネディクト十六世の58回目の一般謁見演説の中の、
実際、ふさわしい精神の集中なしに、崇高な神の神秘とその啓示に近づくことはできません。そのため、コンステンチノープルのアテナゴラス総主教――教皇パウロ六世はこの総主教と記念すべき会見を行いました――は、数十年前に次のように述べたのです。「ヨハネはわたしたちの崇高な霊性の源にいるかたです。『沈黙する人びと』は、ヨハネと同じように、神秘的な心の交流を知っており、ヨハネがともにいてくださるように願い求めます。こうして彼らの心は燃え立たせられます」(O・クレマン『アテナゴラスとの対話』:O. Clément, Dialoghi con Atenagora, Torino, 1972, p. 159)。
を読んで、そのまま続行することにしました。
主の助けによって、わたしたちがヨハネの学びやに入り、偉大な愛の教えを学ぶことができますように。こうして、わたしたちがキリストに「この上なく」(ヨハネ13・1)愛されていることを感じ、キリストのためにわたしたちの生涯を用いることができますように。
・
2007年
12月27日
20:54
クルミンシタ
この内容は、クリスマスにマリアさまのそばで願ったことでした。
はい。ヨハネの学びやに入ります。
さて・・(笑)
2007年
12月27日
22:02
クルミンシタ
聖使徒福音記者イオアン(ヨハネ)のイコン
http://www.sutv.zaq.ne.jp/osaka-orthodox/icon/John.htmより。
福音書を書いたイオアン(ヨハネ)は、12弟子のうちの一人で、ゼベダイの子、イアコフ(ヤコブ)の兄弟と紹介されています。
伝承では、12弟子の中で最も若く、そして一番長命でもありました。イオアン(ヨハネ)伝に出てくる「主の愛弟子」が彼自身と言われています。
エフェスで長老(神父)として伝道していましたが、ドミティアヌス皇帝による迫害の時に、パトモス島に流刑になり、そこで黙示録を記したと言われています。その後、再びエフェスに戻って福音書を書きました(AD96年頃)。
深遠で神秘的で精神性溢れる福音書を記した故に、イオアン(ヨハネ)は「神学者」というタイトルをつけられています(正教会では三人のみこのタイトルをもつ)。最も重要な福音書なので、正教会の中では「第一番目」の位置づけがなされています。
♪イオアン(ヨハネ)
向かって左手に座しているのがイオアン(ヨハネ)です。後ろを振り向いている姿は、黙示録で啓示を受けた時の様子を想起させます(1:10~12)。その大きさは、それだけで存在感を感じさせられます。その背の曲がり方は、謙遜さを表しています。右手で祝福し、左の手ひらを差し出して神の啓示を教示しています。その小さな口、大きな耳と目は、知恵と注意深さを伝えています。頭が異常に大きく描かれることも、神の知恵が満ち満ちていることを教えます。
♪弟子プロホル
向かって右手に座しているのは、弟子のプロホル(プロクロス)です。彼は、七輔祭のうちの一人でした(使徒6:5)。伝承では、初致命者聖ステファンの甥であり、イオアン(ヨハネ)の同伴者となり、その秘書役(筆記者)となりました。このイコンでも、膝の上に巻き物を広げてペンを走らせて、イオアン(ヨハネ)が受けた神の啓示を一言ももらさずに筆記しようと集中しています。イコンによっては、巻き物の中に「はじめに言葉あり」という福音書の冒頭が書かれます。
♪天
左隅上にある四分一円が、「天」すなわち「神」を表しています。そこからイオアン(ヨハネ)に向かって光線が出ています。途中で三つに分かれているのは、父と子と聖神の至聖三者の神の啓示を表すためです。
♪足台
イオアン(ヨハネ)もプロホルも、足台の上に足を乗せています。これは単にビザンチン時代の写字生の習慣を表すだけでなく、この世の物質的レベルを超越していることをも意味しています。
♪洞窟と岩
真っ暗な洞窟は、神を知らない無知と救われてない人間性を表しています。つまり、そこにこそ、救いの福音がもたらされるというわけです。大きくデフォルメされた岩は、それだけ、精神的な目をもってこのイコンを見るべきことを歌っています。
2007年
12月27日
22:52
クルミンシタ
「涙の天気予報」
リアルに汚いあなたは
ぐちゃぐちゃなので
ぐにょんぐにょんになるでしょう
萎れなければ
涙の雨がすべてを清めるでしょう
****
コミュ「へのへのもへじ」日本語ならではの詩投稿掲示板に投稿。
2007年
12月27日
22:55
クルミンシタ
※↑、あなたと書いてますが、私のことです。
○○○○○○○
2007年
12月28日
17:44
【幼児殉教者の日】
今日は幼児殉教者の日でした。
-------
コメント
-------
2007年
12月28日
17:46
クルミンシタ
「マゲワッパー」
あなたは死ぬでしょう
シークレットブーツなのだから
まげわっぱな踏み切り板
うん!と
足で踏みつけることは
うん!と
跳ぶことに似ている
水の上を猛スピードで駆け抜ける
地球上のなにかのトカゲに似ている
あなたは死ぬでしょう
シークレットブーツなのだから
ふんばるときに踏み切る板
その度byebye
歩くことは
跳躍に似ている
・
*****
コミュ「へのへのもへじ」日本語ならではの詩投稿掲示板に投稿。
2007年
12月28日
17:52
クルミンシタ
↑、「あなた」と書いているのは、私が私に言っている私のことです。
2007年
12月28日
18:44
うむ~、難解でしゅね~。
でも~、リズムが有って~、意味深で~。
こりゃ~、おもしれ~って~、思いました~。
タイトルを読んだ時~、お祈りし始めた~。
詩に目をとめたのが~、お祈りの終わったあとでよかった~。
でないと~、「おおっ」て思って~、祈りを閉じ忘れたかも~。
2007年
12月28日
22:01
クルミンシタ
ソムさん。
「まげわっぱ」は秋田県の特産品で、名前がおもしろい響きで特産品なので、ローカル的だけど、覚えやすいので、ひょっとしたら、メジャーかもしれません。
ドクター中松がそんなヘンテコな靴で跳ねて歩いたりするじゃないですか。イメージとしてはそれも詩作の発端です。
おもしろさも入れた詩にするのは癖のようでも、自然なようでもあります。
ソムさんは日記で夢をかいておられますが、
私、詩の中に登場してくるいろいろなもの、たとえば今回の「まげわっぱ」にしてもそうですが、
むしろ、こういう感じで登場してくるものは、好みでいったら、詩のなかで使ったものは、どちらかというと、別に好きなものとかでないことが多いです。
それほど難解な内容はないです。
天国に行きたくて生きていますが、罪びとで、でも、天国に行きたいんです。もっと必死で。
みじめでも、泣きながらでも、駆け寄ります。
2007年
12月28日
22:09
クルミンシタ
今日は四ツ谷のイグナチオの昼の御ミサにあづかりました。
入祭唱:
罪のない幼子たちはキリストのために死に渡された。汚れのない神の小羊に従った者たちは今、「主に栄光」と絶え間なく歌う。
集会祈願:
すべてを導かれる神よ、きょう記念する幼子殉教者は、死によって信仰の賛歌をささげました。わたしたちもことばだけでなく、日々の行いの中に信仰をあらわすことができますように。聖霊の交わりの中で、あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。
2007年
12月28日
22:13
クルミンシタ
今日の第一朗読は、一ヨハネ1・5~2・2。
わたしの子たちよ、これらのことを書くのは、あなたが罪を犯さないようになるためです。
という使徒ヨハネの手紙でした。
福音朗読は、マタイ2・13~18。
ヘロデが、ベツレヘムにいた男の子を1人残らず殺させた箇所です。
2007年
12月28日
22:25
クルミンシタ
使徒ヨハネの手紙
(一ヨハネ1・5~2・2)
[愛する皆さん、]わたしがイエスから既に聞いていて、あなたがたに伝える知らせとは、神は光であり、神には闇が全くないということです。
わたしたちが、神との交わりを持っていると言いながら、闇の中を歩むなら、それはうそをついているのであり、真理を行っていません。
しかし、神が光の中におられるように、わたしたちが光の中を歩むなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血によってあらゆる罪から清められます。
自分に罪がないと言うなら、自らを欺いており、真理をわたしたちの内にありません。
自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます。
罪を犯したことがないと言うなら、それは神を偽り者とすることであり、神の言葉はわたしたちの内にはありません。
わたしの子たちよ、これらのことを書くのは、あなたが罪を犯さないようになるためです。
たとえ罪を犯しても、御父のもとに弁護者、正しい方、イエス・キリストがおられます。
この方こそ、わたしたちの罪、いや、わたしたちの罪ばかりでなく、全世界の罪を償ういけにえです。
・
2007年
12月28日
22:27
クルミンシタ
答唱詩編:
神はわたしを救われる。
そのいつくしみをたたえよう。
・
そのいつくしみをたたえよう。
2007年
12月28日
22:53
クルミンシタ
シスター・ファウスティナ
Sr.Maria Faustyna Kowalska
1905年ポーランド生まれのシスターは、20歳で「あわれみの聖母修道女会」入会。イエスにより「神のいつくしみへの礼拝」の信心を示された。
2000年4月30日、教皇ヨハネ・パウロニ世によって列聖された。大聖年2000年における最初の列聖者。
「私は、私のいつくしみへの礼拝を広める人を、母が自分の赤ん坊を見守っているように一生涯見守る。そして臨終の時に、彼らにとって審判者ではなく、いつくしみ深い救い主となる。」
2007年
12月28日
23:05
クルミンシタ
イエズスよ、あなたに信頼します
・
2007年
12月28日
23:07
クルミンシタ
神のいつくしみへの祈りの花束
はじめに
主の祈り、聖母マリアへの祈り、信仰宣言を一回ずつ唱える。
ロザリオを用いて、次ぎのように五連唱える。
●「主の祈り」の珠で、一回唱える
永遠の父よ、わたしたちと全世界のすべての罪のあがないのために、
あなたの最愛の子、わたしたちの主イエス・キリストのおん体とおん血、
ご霊魂と神性をみ前にささげます。
●「聖母マリアへの祈り」の珠で、十回唱える
イエスの大いなる受難によって、
わたしたちと全世界にいつくしみを注いでください。
●以上を五連唱えたら、締めくくりに三回唱える
聖なる神、聖なる全能の神、聖なる永遠の神よ、
わたしたちと全世界をあわれんでください。
・
2007年
12月29日
03:34
クルミンシンタさん~
解説~、ありがとうございました~。
なるほど~って~、思いました~。
2007年
12月29日
07:26
クルミンシタ
ソムさん。
の、忍者になっていた~ (笑)という日記の中の、
金属の板。
他意はありませんが、
自分の詩から連想されるなと、思いました。
他意はないので、それはそれとして、今まで考えたことなかった詩作のアイディアみたいなのを思い付きました。ありがとうございます。
思ったのは、
自分の詩を読み返してみて、
水の上を猛スピードで駆け抜ける
地球上のなにかのトカゲに似ている
は、リズムも言葉の並びの、なんというか比率も、硬質な感じがします。
前行の、
うん!と
足で踏みつけることは
うん!と
跳ぶことに似ている
が、どちらかというと丸っこいので、よけいにそうです。
ここらへんのことで気付いたことは、詩作に生かせることもありそうです。ありがとうございました。
2007年
12月30日
17:28
うん~、お礼を言われるようなことは~、してないのでは~。
え~と~、ソムはね~
水の上を猛スピードで駆け抜ける
地球上のなにかのトカゲに似ている
この部分は~、7か5音節に近い語句の並びで~、終わりが同じ「る」なことに~、詩のエネルギーを感じる~。
それから~
うん!と
足で踏みつけることは
うん!と
跳ぶことに似ている
この部分は~、旧約の詩文学みたいに~、類似表現の併記って感じに~、エネルギーを感じる~。もちろん~、「うん!と」の繰り返しにもね~。
2008年
01月03日
22:20
韓国に行きました。殉教者の墓にも案内されました。
見るからに、子供の名前も連なっていました。ほとんど宣教師だったように思います。
カトリックとプロテスタントの殉教者の墓は、並んでいて、公共物のはずの高架道路の壁に、イエス様が描かれていて、驚きました。
2008年
01月05日
20:46
クルミンシタ
ソムさん。
旧約の詩文学みたいに~
はい。
じつを言うと、詩ではなく、私、物語も書くのですが、それについて、そういわれたことあります。
はい。
類似表現の併記って感じに~
や、
くり返し
のことだと思います。
物語を書くとき、こんなことを考えて書いていました。
たとえば、海。
三本の線を書いて、「海」と言っちゃいます。砂浜、海、空です。
で、言葉による点描です。赤と青と黄色とかで、
そして、同じ色のくり返しや重ねなどで、だんだんに絵がはっきりしてきます。
という感じです。
でも、しょっぱなの三本の線で「海」。これもそうなのです。
めっちゃ、はしょりますが、
「神は愛」なのでしょうね。
2008年
01月05日
20:53
クルミンシタ
おれんじさん。
カトリックとプロテスタントの殉教者の墓は、並んで・・
いるのでしょうね。。
公共物のはずの高架道路の壁に、イエス様が描かれて・・
いるのでしょうね。。
そう思います。。
そう思いました。。
書き込みありがとうございます。
並んでいる墓も、壁に書いた絵も、
なにも話しませんが、
とても多くを物語ってくれています。
しんしんと雪の降り積る・・
○○○○○○○
2007年
12月29日
22:21
【ボーナスが出ました。】
ボーナスが出ました。
毎年のことですが、年内には出ないんじゃないかと言われていましたが出ました。
少なくて嬉しかったです。
たぶん、店で一番少ないと思います。
開き直って言ってるわけではないです。
マジです。顔に出たと思います。言いまくったりもしました。そういう意味ではしたたかな自分でもあります。
金額は言いまくりませんでしたが、「餅食うわマジで」とかです。ジーパン買って「餅食うわ」です。マジです。あとは・・ ぐらいです。
新聞販売店というところは、他の人にとってはどうだかわかりませんが、雇用者と被雇用者の関係が、金額は桁が違いますが、新人じゃなくなると、やり方によってはフリーエージェント的になります。仕事内容と給料と、自分のほうから希望を出しちゃってます。
私は仕事量を減らすための「退職願の延長願い」というヘンテコ交渉の際に、給料を下げてもらうことも希望に入れていたのです。フリーな時間を徹底させるためです。
今回のボーナスは、気持ちもかなりフリーにしてくれました。
正直、ここまで少ないとは思いませんでしたが・・ とかって(笑)。マジで。
母や妹のところにお金を送れそうにない息子であることと、ほんとの幸せのこととをメールでもしようと思います。
新聞販売店の名誉のために書いておきますが、全業務やって、契約とりまくった月とかには10万円送ったこともあります。
明日は12月30日。聖家族の日です。
1月1日は神の母、聖母マリアの日です。聖母への自己奉献の更新をします。
毎月、一回は聖母の日に更新するようにしていますが、
1月1日は、何年か前に、聖母に自己奉献をした、その日です。
新聞屋の仕事は、正月のチラシの量がハンパじゃなくて、年末年始は一番ハードです。
私、頭、マイバリカンで坊主頭ですが、今日、バリカンしておきました。仕事内容の条件に関係なく、運動会みたいなテンションです。
明日あたり、シャンパンを買っておきたいです。
奉献した日、シュトルム神父が立ち会ってくださって、そのあと、神父さんが用意してくれていたシ1本のシャンパンを二人で飲んだんです。
以来、毎年、1月1日はシャンパイでカンパ~イ♪です。
なお、いつくしみの神にも奉献しています。
フリーな時間をとるために、ヘンテコ従業員ではありますが、仕事はちゃんとするようにしています。
ボーナスが少なくて嬉しかったです。
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コメント
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2007年
12月29日
23:16
ヨセフィナマリア
主の平安
ボーナス、おめでとうございます^0^
私も、少ないけど(非常勤なので)もらえました。
うれしかったです。
年末年始、ハードな時期ですが、暖かくして通勤してくださいませ。
私は、今日、仕事納めだったのですが、職場に、近くの教会の神父様がこられました。病棟中?の信者さんを見かけると、声をかけていかれました。
私の今回の勤務先は、キリスト者が多くて、よい職場でした。仕事中、落ち込んだり、忙しくても、病室の十字架が慰めでした。意外な方が、洗礼を受けていたと聞き、驚いたこともありました。(霊名を聞いて納得。かわいい方だなっとおもっていたら、小さき花の聖テレーズだったりして・・)
非常勤なので月収は少なかったのですが、そのぶん、精神的な慰安がありました。来年、別のところに異動になります。シフトも変わり、土曜日は半日なので、午後から、近くの教会のミサにあずかるつもりです。神様のはからいは、こんなところにもありました。
お互いに、私たちの友達であるイエス様のお恵みがあったようで、よかったです。
2007年
12月30日
00:26
ボーナス、うらやましいです
派遣社員のわたしは
どんなに頑張っても、ボーナスは一円も出ません
しかも通勤のための交通費もすべて手出しです。
ワーキングプアという言葉が言われるようになって久しいですが
ボーナス期になるとしみじみ感じてしまいます。。
2008年
01月05日
20:36
クルミンシタ
たらさん。シャロームさん。
私、ボーナスもらいましたが、
初めてもらったときは不思議に思ったものです。
まったく働いた経験がないという身ではありませんでしたが、初めてもらったとき、そんなのあったんだ・・ でした。
だから、ほとんど生計の計算には含めていません。
じつを言うと、今でも、ボーナスって不思議です。
しかし、今回のボーナスの、たぶん、社内では一番の低さには・・
ふーーん・・
って思いにもなりました。
ワーキングプアって言葉、
プアプアしていてステキです。
私、今、寮に住んでいますが、
出たいんです。
!
ボーナスがもうちょっと欲しかったという思いもありますが、
イメージですが、こんなことを考えたら、そのイメージがジャミールンになってきている今日この頃です。
どれかの日記に書いた言葉でしたが、
屋内ダンボーラー。
とにかく安い家賃がいいです。
壁がどうだろうが、隙間がどうだろうが、
どうせ、
テント張ります。
1人暮らしがしたいです。
もっと、
今年予想される日々にふさわしいテント生活がしたいのです。
現実的、あまり遠くには設定していない目標です。
クリスチャンの方たちとのふれあいも、
寮から出ることを企画しています。
2008年
01月05日
20:59
ヨセフィナマリア
主の恵みと平和が私たちとともに
そうですかー。
それなら、私の住んでいるアパートレベルなら余裕でどうにかなると思いますよ。(前がアパートの別棟で湿気が多いんです・・。でも安い・・)
都心で駅近くなら難しいですけどね。
男の方で、ワンルームで駅から多少遠かったり、日当たりが悪くてもいい、といわれるなら、いくらでも手ごろな物件はあると思います。
室内ダンボールハウスまたはテントで結構!とまで思われているなら、
余裕で大丈夫です。
私も一昨年は職場の寮暮らしでした。家具つきで、洗濯機備え付け、洗濯の水道代、電気代は無料なのはありがたかったのですが、ほかの住人と共用だし、狭いし、電熱の一口コンロしかなくて、食生活が大変でした。(T_T)(ToT)(ToT)
出て、今のガスコンロ、冷蔵庫も備え付けのミニじゃなくて、一回り大きいのを自分で購入しておいたのですが、もう、「天国と地獄」くらいの差がありました。30過ぎて初めてのわが家ですよo(^-^)
いい物件が見つかりますようにo(^O^)
2008年
01月06日
06:49
クルミンシタ
たらさん。
主の平和! 私たちとともに。
はい。冷蔵庫は必要だと思っています。最初かかりますが、自炊には必要かなと思われます。シチューをメインの栄養源にしたいですが、肉は冷凍してしまいたいんです。安いときに買ったりして、など、一気に全部使ってしまうわけではないから冷凍保存しておくためにも、など。
さらに、冷凍したものは案外おいしかったりする場合もあります。気のせいかもしれませんが。とくに、バラ肉とか。
電気鍋を持っています。寮だから、電気料、一定なので、なるべく電気のにしたのですが、1人住まいするときは、ガスとどっちがいいか、試してみてから考えることになると思います。
洗濯をどうするか・・ など。
部屋のなんだかんだへのこだわりはありませんが、場所は調査と吟味を綿密にしたいです。
貯金、ありませんので、今のなけなしの給料を節約しながら最初に動くお金を作って、それからです。
かなりかつおぶしを削るかのごとくな(←、よくわからないたとえですが、イメージが浮かんでしまったもので)ごとくな削りっぷりをしなければいけませんが、明るい未来です。
今回の退職願の延長願いが3月末まででしたから、そこを目標設定しています。当分は、削ることをこころがけるで、ほとんどなにも考えませんが、
1人住まいをした場合、たぶん、最初の一ヶ月を貧血でも乗り切れればオッケーだと思いますので、そういうギリギリの計算が出来る状態になれば、実行に移すと思います。
ある意味、昔の人はよかったですね。
いや、今も。
○○○○○○○
2007年
12月30日
22:54
【リンゴ】
スケジュールのやりくりをちゃんと考えてませんでした。
でも、昨日、寝る前に食べておいたのは正解でした。
朝刊くばって、教会行って、帰ってきて、今の時間までチラシ入れをしていました。量がハンパじゃないので、総出です。明日もです。そして、ほぼそのまま、元旦の、前カゴに7部しか入んないくらいの朝刊配達となります。
食事をするタイミングを逸してしまって、たぶん、1キロは痩せたのではないかと思います。
兄から宅急便が届いていて、これからバゴーンを二つ食べます。私の大好物ということになっています。
すでにリンゴをふたつたべました。
リンゴは母の大好物ですが、最近、私、やはり似ていることがわかってきました。
リンゴ。おいしい。。
しばらく、どとうのスケジュールで、寝るときはすかさず寝ないといけないので、返信できないということを書きたくて書きました。書き込み、ありがとうございます。
ロム(たぶん)はしますが。
よいお年をを!
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コメント
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2007年
12月30日
23:03
クルミンシタ
あ!
四ツ谷のイグナチオのクリスマスの馬小屋にイエズスがいなくなっていました。
復活!
2007年
12月30日
23:10
クルミンシタ
あっ
今日、東京、数分ですが、雪降りました。すくなくとも、池袋のあたり。
今日は、初雪でした。
2007年
12月30日
23:12
クルミンシタ
池袋で、たぶん、西部で、1月1日のためのシャンペンを買いました。
2007年
12月31日
08:26
ごま和え
昔そば屋で働いていたときのことを思いだしました。
出前の車の中で紅白を聞きながら走り回ってました。
事故やケガの無いように頑張って下さい。
この大変なとき無事に乗り越えられますようお祈りしています。
2008年
01月05日
21:04
クルミンシタ
ごま和えさん。
年越しそばでした。
いつも行っている2時くらいまでやっているスーパーに行ったら、すでに閉まっていました。めっちゃ、予想していませんでした。後から思うにコンビニもあったのですが、ドンキー(なんだっけ・・ びっくりドンキー。違ったかも・・)があったことを思い出し、バイクで行って、
あらま・・ やっぱ年越しそばは人気だから、売り切れてんじゃんよ・・
レジのすぐのところに、それ用に積まれているのをようやく発見して、
やっぱ、年越しそば、人気あるからな・・ とか思いながら、
あったじゃん!
カップ麺のそばを買って戻って食べました。
そうですね。そば屋さんは年でもっともいそがしい日なんですね。
実家にいた頃は、裏というか、前というかがラーメンでわりと有名な店で、年越しにはそばをプレゼント出前してくださってくれました。
ごま和えさん。
年越しに、みんなそばが食べたいときに、それを配達する側だったなんて・・
いい経験をした経験者ですね☆
おめでとうございます!