台湾におけるサウンド・アート研究試論――ワン・フーレイ(王福瑞、WANG Fujui)の場合――

(ここで公開している論文たちには校正での訂正が反映されていない部分があり、実際の掲載稿とは若干相違があります。また図版は掲載していません。引用などの場合、必ず、公開された原文をご参照ください。)

[概要]

 本論は、〈本来は2019年10月の第70回美学会全国大会研究発表会で発表予定だったが台風のため全国大会が中止になったので、12月の2019年度第4回美学会東部会例会で行われた代替発表〉の口頭発表原稿に、時間の関係で削除した部分(4章におけるワン・フーレイの概観、5章における比較考察事例)を加え、その後の質疑応答に基づき修正を加えたものである。「東アジアの事例に基づくサウンド・アート研究の基盤の確立」という私の研究プロジェクトの成果の一部として公開しておく。

 *

 本論では、台湾におけるサウンド・アート(聲音藝術、sound art)の展開を概観し、その特色を考察した。〈台湾におけるサウンド・アート〉とは何かを確定するのではなく、それがどのようなものとして語られているかという概要を整理し、そのパイオニアのひとりであるワン・フーレイ(王福瑞、WANG Fujui)の事例を検討し、他の事例と比較考察し、〈台湾におけるサウンド・アート〉の特徴を抽出した。本研究は、いくつかの先行研究とアーティストへのインタビュー調査とに基づいている。将来的に、西洋や日本におけるサウンド・アート(という言葉と作品)を巡る状況と比較考察することで、アジアにおける現代美術やサウンド・アートを形成してきたトランスナショナルな力学や、西洋化と近代化に関わる文化的メカニズムを解明できることを期待している。

 台湾におけるサウンド・アートの多くは、西洋や日本ではノイズ、即興、実験音楽と呼ばれるだろうものである。その歴史は次のように整理できる。1987年の戒厳令解除後に様々な動向が一挙に台湾に流入するなかで、90年代前半にリン・チーウェイ(林其蔚、LIN Chiwei)やワン・フーレイといった今も活躍するパイオニアたちが活躍しはじめた。1994年の台北破爛生活節(Broken Life Festival)と1995年の台北國際後工業藝術祭(Taipei Post-industrial Arts Festival)という2つの画期的なフェスティヴァルが開催され、90年代後半にはその領域は拡大安定化し始めた。00年代以降にはワン・フーレイとその学生を中心とする新たな展開が始まった。

 このように、ワン・フーレイはこの歴史の主要人物のひとりである。彼は1993年に「Noise」という雑誌かつレーベルを設立し、台湾に初めてノイズを紹介した。また、00年代以降、大学教育に従事したりたくさんのフェスティヴァルを開催したりすることで、現在に至るまで大きな影響力を持つようになった。本論では、彼が2003年に台湾で初めて「サウンド・アート」という言葉を使い始めたこと、2007年に台湾で初めてサウンド・インスタレーションを制作し始めたこと、に注目した。インタビュー調査に基づき、私は、台湾における「サウンド・アート」という言葉はその指示範囲が広く、視覚美術よりも音響芸術に重点を置くことを指摘した。

 さらに私は、他のインタビュー調査と文献調査――音や音楽を用いる現代美術作家であるワン・ホンカイ(王虹凱、WANG Hong-kai)へのインタビュー調査、聽說(Ting Shuo hear say)を運営するナイジェル・ブラウン(Nigel Brown)とアリス(張惠笙、Alice Hui- Sheng Chang)へのインタビュー調査、台湾におけるフィールド・レコーディングの草分けの一人ヤニク・ダウビー(澎葉生、Yannick Dauby)へのインタビュー調査、臺北市立美術館発行の季刊雑誌『現代美術』におけるサウンド・アートの位置づけ――と比較検討することで、この指摘を補強した。

1.はじめに

 本論では、台湾におけるサウンドアートについて考察する。ここで「サウンド・アート」と呼ぶものは、英語ではsound art、台湾華語や中国普通話では多くの場合は「聲音藝術」時に「聲響藝術」とされるものだ。本論では、〈台湾におけるサウンド・アート〉とは何かを確定するのではなく、〈台湾におけるサウンド・アート〉がどのようなものとして語られているかという概要の整理を目指す。

 本研究は、私が英語で行ったアーティストたちへのインタビュー調査と、ジェフ・ロー(羅悅全、Jeph LO)をはじめとするいくつかの先行研究に基づいている。ジェフはパートナーのエイミー・チェン(鄭慧華、Amy Cheng)とともにTheCubeというギャラリーを運営しているキュレイターで、台湾におけるアヴァンギャルドな音響芸術の展開について、展覧会を企画したりテキストを発表したりしている。彼はエイミーとともに、2011年には第54回ヴェニスビエンナーレの台湾パヴィリオンを、2015年には展覧会「造音翻土:戰後台灣聲響文化的探索(ALTERing NATIVism: Sound Cultures in Post-War Taiwan)」[★★★画像1★★★]を企画したが、今のところ、台湾の状況と欧米日の状況の比較にはさほど関心がないようだ。しかし、私は台湾における「サウンド・アート」という言葉の使われ方を探求し、欧米日と比較することで、欧米の様々な芸術思潮がアジア各国にどのように影響してきたかといった事項を検討できるのではないか、と期待している。

 そこで、本論では、将来的に、欧米日におけるサウンド・アートとの比較対象として設定することを念頭に、〈「台湾におけるサウンドアート」とは、いつどのようにして出現し、どのように使われている言葉なのか〉という問いを設定し、検討していく。

2.〈台湾におけるサウンド・アート〉とは何か

2.1.〈サウンド・アート〉とは何か

 まず、そもそも、サウンド・アートとは何か。欧米日におけるこの言葉の概要を整理しておこう。

 これは、特定の時期に出現した芸術運動や明確な定義のある芸術ジャンルではなく、多くの場合、1950-60年代以降に作られるようになった、音を用いる美術や、既存の音楽とは異なると感じられる音楽に対して用いられるレッテルだ。H・ベルトイアの音響彫刻、ミラン・ニザのブロークン・ミュージック(1963-79)、マックス・ニューハウスのサウンド・インスタレーション《タイムズスクエア》(1977-1992,2002-)などが代表的な事例だろう。また、素材として音を使う可能性を開拓した先駆者として、ルイジ・ルッソロ、ジョン・ケージ、フルクサスのアーティストらに言及されることが多いだろう。ただし、「サウンド・アート」という言葉が使われるようになるのは70年代で、80年代以降に多くの展覧会[1]が開催されることで定着していった[2]。「サウンド・アート」とは、展覧会という現代美術の文脈に属すると理解されてきたと言えるのではないか。少なくとも本論では、そのように特徴付けておきたい。近年英語で発表されてきたサウンド・アート研究の多くも、サウンド・アートを、音を主要な媒体として用いる領域横断的なディシプリンととらえ、ケージなど実験音楽に関連する固有名詞に言及しつつも、結局のところは現代美術の一部として想定しているように思われる。

 例えば、2007年に初めてサウンド・アートの概説書を刊行し、2019年夏にそれを大幅に改訂したアラン・リクトは次のような定義を提案している。

[サウンド・アートを概観するという]本書の目的のために、2つの(サブ)カテゴリーにあるものとして、サウンド・アートの非常に基本的な定義を決めておこう。

1.その作品が占める物理的そして/あるいは聴覚的な[acoustic]な空間に規定され、視覚作品のように展示可能な、音を設置した環境

2.音響彫刻など、音生産機能を持つ視覚的な芸術作品(Licht2019, Introduction, Section2, para. 1)

である。これは要するに、いわゆる「サウンド・インスタレーション」と「サウンド・スカルプチュア」のことだ。リクトは、「サウンド・アート」という言葉が厳密な定義に馴染まない総称であることを理解しているが、こうした暫定的な定義を提案することによってこそ、音を使う様々な芸術を幅広く概観し、その論点を柔軟に論じている。

 本論ではサウンド・アートとサウンド・アート研究の展開を紹介する余裕はないが、英語圏ではサウンド・アートとは、美術の一ジャンルとして、あるいは美術の延長線上にあるものとして扱われることが多そうだ、ということを確認しておきたい[3]

2.2.〈台湾におけるサウンド・アート〉とは何か

 こうしたサウンド・アートに対して、台湾におけるサウンド・アートの多くは、欧米日ではノイズ、即興、実験音楽、と呼ばれるだろう。その傾向は、グーグルで「taiwan sound art」と検索するだけでもある程度観察できるし、いくつかの書籍や論文や雑誌記事にも明らかだ。事例として、〈漢字文化圏で初めて欧米圏のアヴァンギャルドな音楽を概観した林其蔚(リン・チーウェイ)『超越聲音藝術』(藝術家出版社、 2012年)で、ジャパノイズが強調されていること〉、〈大友良英やdj sniffやユエン・チーワイによるAsian Meeting Festivalが台湾の音楽家たちとの集団即興演奏によるコンサートNoise Assembly 2018(噪集2018)を開催するに際して作られた冊子[★★★画像2★★★]が、出演者たちを「サウンド・アーティスト」と呼んでいること〉、〈中国の即興演奏家であるヤン・ジュン(顔峻、YAN Jun)が、自分は音楽家なのにしょっちゅう「サウンド・アーティスト」と呼ばれることに困惑すると述べるエッセイ(Yan 2018)〉をあげておきたい[4]

 私は「サウンド・アート」という言葉のこうした流通状況に関心がある。「台湾におけるサウンドアート」研究は、「サウンド・アート」という言葉と作品の輸入状況を比較することで欧米日における音楽と美術の状況を比較考察したり、さらには、音楽と美術との境界線がどのように意識されているかを考察したりするために役立つのではないか。私はそう期待している。

3.台湾におけるアヴァンギャルドな音響芸術の展開

3.1.対象について

 さて、では、台湾におけるサウンド・アートの展開を整理しておこう。それは、90年代以降の台湾におけるノイズや即興演奏の展開として語られる。興味深いのは、その展開に対して2003年に「サウンド・アート」という言葉が与えられたこと、また、その後、「サウンド・アート」という言葉が音を用いる視覚美術にも用いられるようになったことだ。以下、しばらくジェフ氏のテキストと(パートナーのエイミー氏も同席した)インタビューとに基づく整理である。ジェフ氏はテキストではこうしたアヴァンギャルドな音響芸術を「sound liberation movement(聲音解放運動あるいは聲響解放運動)」[5]と記述しているが、実質的には、90年代以降に出現したノイズや実験的な音楽と、その後「サウンド・アート」と呼ばれるようになった動向について語っている。ジェフ氏と会話する際にもそれらは単に「サウンド・アート」と呼ばれる。

3.2.展開

 ジェフ(とエイミー)によれば、台湾におけるアヴァンギャルドな音響芸術は、90年代前半にジェフが第一次聲音解放運動と呼ぶ最初の動向が出現し、90年代後半にはジェフが第二次聲音解放運動と呼ぶレイヴ文化などが登場し、00年代以降にはワン・フーレイとその学生を中心とする新たな展開が始まった。

 まず、1987年に戒厳令が解除された後に様々な動向が一挙に台湾に流入するなかで[6]、リン・チーウェイやワン・フーレイといった今も活躍する人物が登場した。1992年にリン・チーウェイが零與聲音解放組織(Zero and Sound Liberation Organization (Z.S.L.O.))という3人組のノイズバンド[★★★画像3★★★]を結成し、1993年にはワン・フーレイが「Noise」という組織を始めた。後者は、台湾に初めてUS、UK、日本、香港のノイズ・アーティストを輸入し、また、台湾で初めてノイズのCD(Z.S.L.O.のアルバム)を流通させた雑誌かつレーベル[★★★画像4★★★]である。また、90年代半ばには、それ以後の台湾におけるサウンド・アートの展開を画期する2つのイベントが開催された。1994年の台北破爛生活節(Broken Life Festival)[★★★画像5★★★]と1995年の台北國際後工業藝術祭(Taipei Post-industrial Arts Festival)[★★★画像6★★★]である。いずれも台湾国内外からミュージシャンを招き、閉鎖が決定した廃工場で行われたイベントだ。後者[7]は日本の植民地時代に作られたタバコ工場で3日間に渡り開催されたもので、記録映像がyoutubeにアップロードされている[8]。私の今の感覚ではうまく理解できないが、インタビューでは複数の人が、当時の台湾の状況を考えるとこのフェスティヴァルは画期的だったと証言していた。

 90年代後半の重要な動向としてジェフが言及するのは、レイヴの流行とそれに伴う新しい音楽家の登場、それから、1995年の在地實驗(Et@t lab)というアート・コレクティヴの設立だ。Et@tという団体は、台湾の現代美術の普及浸透のための団体で、アーティストトークを継続的に企画したり、様々な記録をオンラインで大規模にアーカイヴしたりしている。本論の文脈では、00年代にサウンド・アートのフェスティヴァルに関わったことが重要だ。

 00年代以降、ワン・フーレイとその学生を中心とする新たな展開が始まる。ワン・フーレイは95-97年とSFに留学していたため先述の2つのフェスティヴァルには参加していないが、帰国後は中心的な活躍を果たし、そのなかで、「サウンド・アート」という言葉を台湾で初めて用いることになった。というのも、帰国後の2000年に彼が加入したEt@tが、2003年に開催したフェスティヴァルを、國際「異響BIAS」聲音藝術展(“BIAS” International Sound Art Exhibition)と名付けたからだ。これが台湾で初めて「サウンド・アート」という言葉を使った事例であるとのことだ。この証言はワン・フーレイ自身からも聞いた。さらに、ワンフーレイは2003年以降、國立臺灣藝術大學で教育に従事し始めるし、その後も多くのフェスティバルを台湾で開催することで、台湾の次世代のアーティストに大きな影響を与え続けるようになる。台湾におけるサウンド・アートは、定期的にパフォーマンスが開催され、大学教育の内側に位置づけられ、次世代の育成が始まるなど、徐々に制度化され、形式的に整備されていったわけだ。

 その帰結の1つとして、00年代後半には次世代の芸術家たちが台頭し始めた。例えば、当時まだ20代だった若いアーティストたちが失聲祭(Lacking Sound Festival)というイベントを始めた[★★★画像7★★★]。これはワン・フーレイの学生のヤオ・ジョンハン(姚仲涵、YAO Chung-Han)などが中心となり始めたイベントで、(ときには海外から招聘した)多くのミュージシャンたちによるパフォーマンスとトークから構成されるイベントである。

 概括的に述べれば、これがジェフのパースペクティヴだ[9]

 ここに付け加えておきたいことは、2007年にワン・フーレイが、本人によれば台湾で初めてサウンド・インスタレーションを制作したこと、それ以降、しばしば、ギャラリーや美術館にサウンド・インスタレーション作品やサウンド・スカルプチュアを展示するようにもなったこと、そしてそれもまた「サウンド・アート」と呼ばれるようになったこと、である。

 2010年代以降については、まとめるのは今後の課題、あるいは、まだ振り返るには早過ぎる時期である。

4.ワン・フーレイ(王福瑞、WANG Fujui)の場合

4.1.問い:2003年と2007年

 以上のように、ワン・フーレイは台湾におけるサウンド・アートの代表的人物のひとりだ。1969年生まれの彼について包括的な意見を述べることは時期尚早だが、台湾におけるサウンド・アートの動向について考えるために、ポイントを絞って彼の活動に注目したい。

 ワン・フーレイの活動[10]は、(1)台湾のサウンド・アートのパイオニアとしての活動 (2)パフォーマーとしての活動 (3)サウンド・インスタレーションの制作 (4)2015年の響相工作室(Soundwatch)以降の活動 と分けることができる。それぞれ以下のようにまとめられよう。

(1)ワン・フーレイは、1993年に「Noise」を設立して台湾にノイズを導入したし、2003年以降はフェスティヴァルを開催したり教育活動に従事したりすることで、台湾の次世代のアーティストの育成に携わっている。彼はその2003年に、台湾で初めて「サウンド・アート」という名称を使った。

(2)また彼は、SF留学中に「精神經/Ching-Shen-Ching」という名前でノイズ・ミュージックを作り始めた。Joe Colleyというノイズ・ミュージシャンと知り合ったことがきっかけで自分でも制作し始めたらしい。97年に帰国してリン・チーウェイらと知り合い、人前でのパフォーマンスも始め、それ以来ずっとパフォーマンスを継続している。

(3)また彼は、SF留学中の経験や2000年にEt@tに参加したことなども理由だが、2007年以降、サウンド・インスタレーションを制作するようになった。つまり、現在の彼はノイズ・パフォーマンスとサウンド・インスタレーションを制作するアーティストであり、そのどちらも「サウンド・アート」と呼ばれている。

(4)2011年以降、彼は、盧藝(YI Lu)とともに響相工作室(Soundwatch Studio)というユニットを始め、これまでの彼のCVや作品をこのユニットのためのウェブサイトにまとめ始めた[★★★画像8★★★]。二人は別々に活動することも多いので、必ずしもワン・フーレイの活動がこのユニットに集約されるわけではないが、恐らく、2015年を境として彼の活動は区分されると考えられる。私のこの推量が正しいかどうかを判断するのはまだ時期尚早だが、私は、ここに整理した彼に関する情報の多くを、響相工作室(Soundwatch)のウェブサイトから得ることができた。

 この概観において、本論で注目したいのは2003年と2007年である。ワンフーレイは、2003年に台湾で初めて「サウンド・アート」という言葉を使い始めた[11]。なぜか。また、それまでノイズ・ミュージシャンだった彼は、2007年以降、サウンド・インスタレーションを制作し始めた。なぜか。まずは本人の説明をまとめておこう。

4.2.回答:2003年と2007年

 2003年にワン・フーレイはフェスティヴァルの名称として、台湾で初めて「サウンド・アート」という言葉を使った。その理由について尋ねたところ、彼は、海外から招聘したアーティストの多くは、〈欧米日の文脈ではsound artistsで、ギャラリーで展示する作家〉が多かったけれど、台湾にはノイズ・ミュージシャンばかりだったので、両者を包含する言葉として、「實驗音楽」ではなくより意味の広い「聲音藝術」という言葉を選んだのだ、と答えてくれた[12]。ここに招待された作家には、自作電子機器を用いてパフォーマンスを行うだけではなく美術館の外部に音や光を設置する作家としても知られるアヒム・ヴォルシャイト(Achim Wollscheid)(独、1959-)らが含まれており、台湾からは、ノーインプット・ミキサーでノイズを演奏するdinoらが参加したらしい[13]。台湾におけるサウンド・アートという言葉は「大きな言葉」として導入された、と理解できるのではないだろうか。

 また、2007年に彼は、彼によれば台湾で初めて、サウンド・インスタレーション作品《Beyond 0~20 Hz (To Hear What You Can't Hear)》[★★★画像9★★★]を発表した。この作品は、数個のスピーカーが床に置かれ、可聴域外の0-20hzの信号がスピーカーから再生されたときにアナログ部位が振動して音を発する、という作品である。これが最初の台湾におけるサウンド・インスタレーション作品であるとすれば、〈これ以降明確に、台湾におけるサウンド・アートは音だけの音響作品とサウンド・インスタレーションとを包含する言葉となった〉と言えると思う。なので私は、2007年にワン・フーレイがサウンド・インスタレーションを制作し始めた理由に興味を持っていた。ではワン・フーレイは、自分がサウンド・インスタレーションを制作し始めた理由をどのように語ってくれたのか。2017年のインタビュー時には彼は、2004年に擂台した海外のアーティストから台北のアーティストたちについて批判的な意見を聞いて[14]音について考え込むことになったこと、その結果、2006年に一年間、音を用いる制作方法について自問自答したことが、サウンド・インスタレーションを制作することになったきっかけだ、と答えてくれた。また、2019年のインタビュー時にはもう少し詳しく、SF滞在時に前述のアヒム・ヴォルシャイトがサウンド・インスタレーションをパフォーマンスに使っていたのを思い出し、自分はプログラマーで電子工作に詳しかったので自分でもやってみようと思ったし、「当時の台湾ではサウンド・インスタレーションを作っている人はいなかったので、挑戦してみようと思った」と答えてくれた。このふたつの回答から考えるに、〈台湾におけるサウンド・アートに、メイド・イン台湾の音を用いる美術は後から加わった〉と理解できるのではないだろうか。

4.3.まとめ

 以上より、〈台湾におけるサウンド・アートという言葉は、当初から、音だけの音響作品とサウンド・インスタレーションとを包含する言葉として、大きな言葉として採用された〉と考えられるだろう[15]。また、2007年のワン・フーレイの行動から、〈台湾では、音を用いる美術は後から「サウンド・アート」の一部として作られた(と少なくともワン・フーレイは認識している)〉とまとめられるのではないだろうか。

 台湾におけるアヴァンギャルドな音響芸術の関係者と話していると、おおむね、こうした理解だった。「台湾におけるサウンド・アート」とは、基本的には、アヴァンギャルドな音響芸術すべてを指す言葉だが、今や美術作品をも指す大きな言葉だ、という理解だ。とはいえ、こうした理解とは異なる事例とも遭遇した。いくつか紹介しておきたい。

5.比較考察:他の事例[16]

5.1.他称としてのサウンド・アート:王虹凱の場合

 まずはワン・ホンカイ(1971-)の事例を検討したい。ワン・フーレイより少し年下の彼女は、國立臺灣大学で政治学を学んだ後、NYに留学してメディア理論を学びながらアーティスト活動を始め、2013年にMoMA, NYで開催された「Soundings」展に参加した唯一のアジア系作家として《Music While You Work》(2010)という作品[★★★画像10★★★]を出品した後、ウィーン美術アカデミーの博士課程に進学し、2016年に帰国した後、今は台湾を中心に活動している。

 《Music While You Work》(2010)という作品は、台湾中央部の虎尾鎮にある台湾糖業公司の製糖所における労働をテーマに制作された作品である。彼女は、引退した従業員たちとその伴侶らと共に工場を訪れ、現役の従業員が働いている現場の音風景を録音し、それを基にマルチチャンネルの音とビデオのインスタレーションを制作した。とはいえ、《Music While You Work》(2010)という作品の目的は、美的対象としての音響作品を制作することよりもむしろ、元従業員たちが自分たちのかつての就業場所に対する認識を変化させていく機会を実現することにあった。彼女は基本的には、人々が認識を変化させる機会を作り出すことに関心があり、自分は台湾におけるサウンド・アーティストたちのサークルの外部に属しており、むしろソーシャル・エンゲージド・アートに親近感を持っている、と考えている[17]

 私は、そんな彼女が、2018年に台北で行われた(大友良英が参加した前述の)コンサートNoise Assembly 2018(噪集2018)に合わせて作られた書籍に、多くのノイズ・ミュージシャンと共に、台湾のサウンド・アーティストとして紹介されていたことに関心を持っていた。これは、ノイズ・ミュージックと欧米日的な意味で音を使う美術としてのサウンド・アートとを、同じカテゴリーで包含する台湾のサウンド・アートの特徴を示す事例であると考えたからだ。ただし、本人に聞いてみたところ、自分がなぜノイズ・ミュージシャンと同じカテゴリーに分類されているのかは知らないし、他の人が自分のことをどう呼んでも構わない、とのことだった。彼女の推測によれば、おそらくは過去に制作したインタビューをその本の編者でもある鄧富權(Fu Kuen Tang、Taipei Art Festivalのキュレイター)が書籍に収録することを決めたのではないか、とのことだった。

 この事例からは、「サウンド・アート」という言葉を、ノイズ・ミュージックと広い意味での視覚美術におけるサウンド・アートとを包含する言葉として使うやり方があると同時に、「サウンド・アート」が他称として使われることがあるが、レッテルを全く気にせず音を用いる美術を制作する人もいる、ということが確認できるだろう。

5.2.細分化するサウンド・アート:Nigel Brownとアリスの場合

 次に、Nigel Brownとアリスの考え方を参照しておきたい。台湾出身のアリスとオーストラリア出身のナイジェルは、2016年以降台南で、様々な音と音楽を体験できる場所として、聽說(Ting Shuo hear say)という場所[★★★画像11★★★]を運営している[18]。二人は基本的にはパフォーマーだが、ナイジェルは美術館やギャラリーにサウンド・スカルプチュアを展示することもあるし、映像作品のための音響デザインを行うこともある。ナイジェルはレッテルや肩書にはさほど関心はなく、ウェブサイトでは自身をsound artistと記載しているが、時にはサウンド・デザイナーと名乗る。自分の肩書が何か、あるいは「サウンド・アート」が指す対象が何かは、その時々の文脈による、というのが基本的な考え方だ。この柔軟な考え方が、時に、ワン・フーレイと異なる見解をもたらすようだ。

 例えば、2019年のインタビュー前日に台北ではNoise Assembly 2019というイベントが行われた。これは前述のNoise Assembly 2018を半ば継承したイベントで、大友良英らのFENという4人組の即興演奏グループと台湾の即興演奏家たちとによる集団即興演奏パフォーマンスだった。このイベントに参加した演奏家たちを指して、ワン・フーレイは「昨晩演奏した者たちはみんな自分のことをsound artistと見なすだろう」と述べていた。対してナイジェルは「昨晩の音楽家たちの半分くらいは、自身のことをexperimental musicianだと考えるだろう」と述べていた。この違いは、ワン・フーレイが「サウンド・アート」という言葉を包括的にアヴァンギャルドな音響芸術を指す言葉として使うのに対して、ナイジェルは「サウンド・アート」という言葉を、インタビュー時は、アヴァンギャルドな音響芸術とは区別される視覚美術作品を指す言葉として使っていたからではないだろうか[19]。ナイジェルとアリスも「サウンド・アート」という言葉を、音だけの音響作品とサウンド・インスタレーションとを包含する言葉としても用いるが、同時に、時には、実験音楽やノイズ・ミュージックや即興演奏などと区別される主として視覚美術作品を指す言葉として用いていたように思われる。

 そこで、彼らの事例を、〈「サウンド・アート」という言葉を包括的な意味で用いると同時に細分化した意味でも用いるという点で、ワン・フーレイよりも柔軟に用いる事例〉として位置づけておきたい。

5.3.総称としての「サウンド・アート」:ヤニク・ダウビー(Yannick Dauby)の場合

 次に台湾在住のフランス人ヤニク・ダウビーの考え方を検討しておきたい。1974年生まれのヤニク・ダウビーは1998年からフィールド・レコーディング活動を開始し、2004年に一度擂台した後、2007年以降は台湾に在住している。ヤニク・ダウビーもナイジェルと同じく、自分のウェブサイトではsound artistと記載している。ただし、彼は、台湾の海や山の自然環境が経年変化していく様子をフィールドレコーディングで記録することに最も関心があり、時には電子音響音楽作品を制作したり、ナイジェルやアリスと共にパフォーマンスを行ったり、ダンサーのために音響を制作したり、映画の音響を制作したりしている。自分がどう呼ばれるかはどんな仕事を依頼されるかによって変わるので、自分はエレクトロニクス・コンポーザーやサウンド・デザイナーと呼ばれることもあるし、(仕事として依頼されることは多くないが)field recordistと名乗ることもあるとのことだ[★★★画像12★★★]。自分は究極的にはアートや音楽をやっているわけではなく、環境音を録音してそれに耳を澄ませてその変化を観察することが好きなのだ、とのことだった。

 ヤニクは、台湾におけるサウンド・アートについて、それは台湾に存在する様々な音響的アヴァンギャルドの総称なのだ、と説明してくれた。ヤニクは、ワン・フーレイやその学生たちやフィールド・レコーディングを行う人々の活動など、台湾の状況について私に説明してくれた後、あくまでも自分の感覚に過ぎないが、と断ったうえで

台湾の状況というのは、大きなサークルがあるわけではなく、たくさんの小さなサークルがあるみたいなんだ。…(中略)…だから思うのだけど、みんないくつかのグループでそれぞれの活動をそれぞれ独自の文脈のなかでやっているんだと思う。だからといって、それぞれは別々に孤立しているわけではなく、時にはつながっている。でも、必ずしもコラボレーションしているわけでもないんだ。

と説明してくれた。そうした小さなサークルの総称が「サウンド・アート」だ、とするヤニクの理解を、ワン・フーレイよりも広く包括的な意味で「サウンド・アート」という言葉を使う事例である、と位置づけておきたい[20]

5.4.美術とサウンド・アート:台湾の現代美術(視覚美術)におけるサウンド・アート

  さて、最後に、台湾の現代美術の文脈において、サウンド・アートがどのように理解されているのかを確認しておきたい。これについてはまだ調査が不十分だが、臺北市立美術館が過去に何度かサウンド・インスタレーションの展覧会を開催し(その展覧会が終わった後だが)図録を発行しているし、臺北市立美術館が発行する『現代美術』という雑誌において「聲音藝術」の特集をしている号があるので、それらの報告をしておきたい。

 私が確認できたのは参考資料に掲載した5点である。そのうち、例えば2010年の『形、音、異(Mobilité, Sons Et Formes)』に掲載されているRobin Minard《Silent Music》(1994/1995)[★★★画像13★★★]は、壁にスピーカーを這わせており、クリスティーナ・クービッシュや小杉武久の先駆例を想起させる典型的なサウンド・インスタレーションに見える。また、2013年の『迫聲音:音像裝置展(Imminent Sound, Falls and Crossings)』や2019年の『聲動:光與音的詩(Musica Mobile, a Poetics of Sound and Movement)』では映像作品が多く展示されたようだ。これらはいずれもJames Giroudonというフランス人作曲家がキュレーションしたもので、2013年の図録に掲載された林芳宜(LIN Fangyi)という人物の論考は、シェーンベルグ以降のゲンダイオンガクの歴史をたどる小論である。ゲンダイオンガクの歴史では馴染みのある言葉たち――シェーンベルグの十二音技法、ダルシュタット国際夏期音楽祭とジョン・ケージ、50年代以降のアレアトリックな音楽、具体音楽、電子音楽、ポスト・セリエリズム、ミュージック・シアター、シェフェールの具体音楽、ラッヘンマン、リゲティ、クセナキス、ケージ、IRCAM、GRAMEなど――に関する一般的な説明がなされた後、いきなり、その延長線上にこのような美術館における音のある美術が出現した、というパースペクティヴが記されていた。また、臺北市立美術館が発行の季刊雑誌『現代美術』192(2019年3月)では「台灣聲音藝術的發展」という特集[★★★画像14★★★]が組まれ、その年表も掲載されているが、そこで言及されているのは、本論で確認したのとほぼ同じ、ワン・フーレイを中心とする台湾におけるアヴァンギャルドな音響芸術の展開である。サウンド・インスタレーションを制作する作家のインタビューも掲載されているが、彼らの作品は「聲音藝術」とは言及されず、例えば「Audio-Visual Work」とか「「聽」見問題的裝置」と言及されている。この特集の企画者であるキュレイターの馮馨(Feng Hsin)氏によれば、彼らもワン・フーレイの学生であり、ワン・フーレイは視覚美術の文脈においてもキーパーソンだ、とのことであった。

 調査が不十分なのでここから十分意味のあることは言えないが、それでもひとまずは、ここから、「サウンド・アート」という言葉を、あくまでも音響芸術に重点を置いて用いて、欧米日では主たる用途であった音のある美術に対しては別の言葉で対応しようとしている事例、を見いだせるかもしれない、という予想を提出しておきたい。あるいは、台湾では視覚美術の領域においてもワン・フーレイの影響力は絶大である、という結論に導かれるのかもしれない、という予測も提出しておきたい。いずれにせよ、台湾の視覚美術における音の問題は、今後の重要な研究課題である。

6.結論

 本論では、将来的に、欧米日におけるサウンド・アートとの比較対象として設定することを念頭に、〈「台湾におけるサウンドアート」とは、いつどのようにして出現し、どのように使われている言葉なのか〉という問いを設定した。この問いに対しては、〈それは、そもそも、自国のノイズ・ミュージックと海外のサウンド・インスタレーションを包含する言葉として採用され、後から、自国における音のある美術を指す言葉にもなり、広い対象を指す言葉として流通するようになった。00年代以降の世代においては時には細分化した形で用いられる言葉である〉と答えておきたい。〈その実態としては音響的アヴァンギャルドが先行したという点で、欧米日のサウンド・アートとは異なるのではないだろうか〉という仮説を得たことを、本論の収穫としておきたい。

 今後の課題は多いが、何よりも、できるだけ早い段階で、欧米日のサウンド・アートとの比較考察を本格的に展開していかねばならない。そう宣言することで、本論を終える。

参考資料

本論で参照したURLへの最終アクセス日は、すべて2020年9月14日である。

◯インタビュー実施日

2017年2月12日Ears Switched Off and On directed by CHEN Singingとトークイベント

2017年8月28日姚仲涵(YAO Chung-Han)

2017年8月28日立方計劃空間(TheCube Project Space)の羅悅全(Jeph Lo)と鄭慧華(Amy Cheng)

2017年8月29日王福瑞(WANG Fujui)と盧藝(YI Lu)

2018年9月8日White Fungus: Ron and Mark Hanson, Jenny, and Peter

2018年9月7日DigiLog 聲響實驗室のFrank Lin

2019年7月20日ヤニク・ダウビー(Yannick Dauby)

2019年7月20日黃大旺(Dawang Yingfan Huang)

2019年8月26日王虹凱(WANG Hong-kai)

2019年8月29日聽說(Ting Shuo hear say)のNigel Brownと張惠笙(Alice Hui-Sheng Chang)

2019年8月29日王福瑞(WANG Fujui)と盧藝(YI Lu)

2019年11月3日馮馨(Feng Hsin) (以上、敬称略)

◯中川の書いたものたち

中川克志 2018 「サウンド・アートの系譜学:台湾におけるサウンド・アート研究序論」 横浜国立大学都市イノベーション研究院(編)『常盤台人間文化論叢』4: 115-126。

中川克志 2019 「サウンド・アートの系譜学:台湾におけるサウンド・アート研究序論その2」 横浜国立大学都市イノベーション研究院(編)『常盤台人間文化論叢』5: 51-69。

◯台湾のサウンド・アートをめぐる一般的なパースペクティヴ

Bossetti, Alessandro. 2018. "An interview with Chi-wei Lin” in: Noise Assembly 2018: 47-93.

鄭慧華(Amy Hueihua CHENG). 2013. “The Body as Strategy for Action in the Taiwanese Cultural Field.” in: Huber, Jörg and Zhao Chuan, eds. 2013. The Body at Stake: Experiments in Chinese Contemporary Art and Theatre. Bielefeld, Germany: Transcript Verlag: 145-156.

林其蔚(LIN Chiwei). 2013. “Edges of the Modernist Framework and Beyond.” in: Huber, Jörg and Zhao Chuan, eds. 2013. The Body at Stake: Experiments in Chinese Contemporary Art and Theatre. Bielefeld, Germany: Transcript Verlag: 157-182.

林其蔚(LIN Chi-Wei) 2012 『超越聲音藝術:前衛主義、聲音機器、聽覺現代性(Beyond Sound Art: The Avant Garde, Sound Machines, and the Modernity of Hearing)』 台北:藝術家出版社。

羅悅全(Jeph LO) 2011. “The Taiwanese Sound Liberation Movement.” in: The Heard & the Unheard: Soundscape Taiwan. Curated by 鄭慧華(Amy Hueihua CHENG). Taipei: Taipei Fine Arts Museum of Taiwan: 76-81.

造音翻土2015=

羅悅全(Jeph LO)、鄭慧華(Amy Hueihua CHENG)、何東洪(HO Tunghung)(編著) 2015 『造音翻土:戰後台灣聲響文化的探索(ALTERing NATIVism: Sound Cultures in Post-War Taiwan)』 新北市:遠足文化(Walkers Cultural Enterprise)、台北市:立方計劃空間(TheCube Cultural)。

羅悅全(Jeph LO) 2018. "The Rise of Taiwan’s Sound Liberation Movement in the Gap of Governance.” in: Noise Assembly 2018: 15-45.

羅悅全(Jeph LO) 2019. "Wasteland Utopia: The Liberation of Sound in Post-Martial Law Taiwan." in White Fungus 16: 136-157.(http://www.full-stop.net/2019/03/18/blog/jeph-lo/wasteland-utopia-the-liberation-of-sound-in-post-martial-law-taiwan/

Noise Assembly 2018 = 鄧富權 (Fu Kuen Tang)(編) 2018 『噪集:灣聲響藝術家選集』 台北:書林出版有限公司。(=Tang, Fu Kuen. 2018. Noise Assembly: A Selection of Taiwanese Sound Artists. Taipei: Bookman Books Co., Ltd.)

ONDA, Aki. 2016. “Taipei: Political freedom has enabled art to flourish in the Taiwanese city.” The Wire 394 (Dec. 2016): 20.

Seta, Gabriele de. 2020. “Scaling the Scene: Experimental Music in Taiwan.” Cultural Studies of Science Education, November, 1–21.

Yan Jun. 2018. "Perhaps I’m (Not) A Sound Artist.” The Wire online. Accessed Sep 13 2019. https://www.thewire.co.uk/in-writing/columns/perhaps-im-not-a-sound-artist-by-yan-jun-ed-edward-sanderson

◯王福瑞(WANG Fujui)について

1.論考など

Noble, Alistair. 2018. “Fujui Wang and the Fascination of Mysterious Sound.” Originally published in White Fungus14. in: Noise Assembly 2018: 95-115.

Noble, Alistair. 2015. “Fujui Wang and the Fascination of Mysterious Sound.” White Fungus14: 130-135.

2.インタビュー

interview-WF14_2015 = Noble, Alistair. 2015. “Wang Fujui interviewed.” White Fungus14: 136-145. →Reproduced with Chinese translation at http://goodluyi.com/?page_id=1482

interview-LI2015 = "LIGHT INTERDICTION EXHIBITION/IDOLONSTUDIO: Wang Fujui interviewed by Ron Hanson.” Reproduced with Chinese translation at http://goodluyi.com/?page_id=1477

interview-Morrison2015 = "INTERVIEW-BY ANDRE MORRISON (2015?)” Reproduced with Chinese translation at http://goodluyi.com/?page_id=2043

3.ウェブサイト

Soundwatchのウェブサイト:http://soundwatchtw.blogspot.com/ ; http://soundwatch.net/

Et@tで公開されている王福瑞(WANG Fujui)の雑誌『Noise』

http://soundtraces.tw/media-publication/%E7%8E%8B%E7%A6%8F%E7%91%9E%E6%88%90%E7%AB%8B-noise/

4.アヒム・ヴォルシャイト(Achim Wollscheid)について

「特集サウンド/アート インタビュー:アヒム・ヴォルシャイト」(BT1996年12月号:74-75)

◯臺北市立美術館で入手した現代美術関連の書籍

『形、音、異(Mobilité, Sons Et Formes)』(臺北市立美術館での会期:2010年6月5日-2010年8月15日)のための図録、仏語あり、James Giroudonはcommissariat

『迫聲音:音像裝置展(Imminent Sound, Falls and Crossings)』(臺北市立美術館での会期:2013年9月28日-2014年1月5日)のための図録、英語あり、キュレイター:James Giroudon

:林芳宜(LIN Fangyi) 2013 「從音樂到聲響――聲音藝術的追尋旅程(From Music to Sound - In Search of Sound Art)」 pp.46-57。

『聲動:光與音的詩(Musica Mobile, a Poetics of Sound and Movement)』(臺北市立美術館での会期:2019年4月13日-2019年7月14日)のための図録、英語あり、キュレイター:James Giroudon

臺北市立美術館が発行の季刊雑誌『現代美術』192(2019年3月)

臺北市立美術館が発行の季刊雑誌『現代美術』193(2019年6月)

◯東アジアに関する一般的な参考文献

水野俊平 2018 『台湾の若者を知りたい』 岩波ジュニア新書 東京:岩波書店。

野嶋剛 2016 『台湾とは何か』 ちくま新書 東京:筑摩書房。

篠原清昭 2014 「台湾における学生運動と第二の民主化 : 太陽花学運の戦略・戦術と思想」 『岐阜大学教育学部研究報告. 人文科学』63.1(2014-10):115-135。

―. 2015 「台湾の民主化と学生運動 : 「野百合学連」(1990年)を中心として」 『岐阜大学教育学部研究報告. 人文科学』63.2(2015-03): 121-139。

◯サウンド・アートに関する一般的な参考文献

Cluett, Seth Allen. 2013. “Appendix A: Sound as Curatorial Theme 1954-­‐present.” Loud Speaker: Towards a Component Theory of Media Sound. Ph.D diss. Princeton University: 110-124.

Cox, Christoph. 2018. Sonic Flux: Sound, Art, and Metaphysics. Chicago, IL: The University of Chicago Press.

Gál, Bernhard. 2017. Updating the History of Sound Art. Leonardo Music Journal, 42(1), 78–81.

Kahn, Douglas. 2006. “The Arts of Sound Art and Music.” The Iowa Review Web 8(1): Special issue on Sound Art, ed. Ben Basan, February/March 2006. accessed at http://www.douglaskahn.com/writings/douglas_kahn-sound_art.pdf.

Licht, Alan. 2019. Sound Art Revisited. Kindle. Retrieved from amazon.co.jp. New York: Bloomsbury Publishing.

London, Barbara. 2013. Soundings: From the 1960s to the Present. SOUNDINGS2013: 8-15.

Neset, An Hilde. 2013. Ezpress to Yr Cochlea. SOUNDINGS2013: 16-19

SOUNDINGS2013=

Sarah McFadden, ed. 2013. SOUNDINGS: A CONTEMPORARY SCORE. contributed by Barbara London and An Hilde Neset. Exhibition Catalogue accompanying the Exhibition held during August 10–November 3, 2013. New York: The Museum of Modern Art.

謝辞

本研究はJSPS科研費JP20K00124(課題名「東アジアの事例に基づくサウンド・アート研究の基盤の確立」)の助成を受けたものです。

英文タイトルと要約

The Preparatory Research on Sound Art in Taiwan: The Case of WANG Fujui

NAKAGAWA Katsushi

[Abstract]

This paper reviews the development of "sound art" in Taiwan and examines its characteristics. It does not attempt to define the nature of sound art in Taiwan but outlines the discourses around the term, examines WANG Fujui, one of its pioneers, and compares his case with other cases to discuss the characteristics of "sound art in Taiwan." This study is based on some previous studies and interviews with artists. I hope that future comparisons with the Western and Japanese contexts of sound art (both the term and the work) will help to elucidate the transnational dynamics that have shaped contemporary art and sound art in Asia, as well as the cultural mechanisms of Westernization and modernization.

This article is based on the oral presentation manuscript of an alternative presentation at the 4th Annual Eastern Meeting of The Japanese Society for Aesthetics in December 2019. The article has some modifications based on the questions and answers that followed the oral presentation and some addition that was deleted at the oral presentation due to time constraints (an overview of Wang Fujui in Chapter 4, examples except Nigel and Alice in Chapter 5). This article is a part of my research project, "Establishment of a foundation for sound art research based on East Asian examples."



[1] 何らかのレベルで音を主題とする展覧会は70年代には21個開催されたが、80年代には62個に増えた(Cluett 2013)。

[2] 「sound art」というレッテルについて。多くのレッテルがそうであるように、このレッテルもまた、この言葉が出現する以前の作品に対しても使われる。初めてこの言葉がある程度公的な場所で使われた事例は、多くの場合――2019年9月24日の英語版Wikipediaでも述べられていたように――William Hellermanという人物がキュレーションした1983/1984年の展覧会『SOUND/ART』だとされてきた。ただし、Licht2019によれば、1979年にMoMA, NYでBarbara Londonが企画した展覧会の名称にも使われたし(artists Maggie Payne, Connie Beckley, and Julia Heyward each produced a twelve-minute tape piece that was exhibited for two weeks sequentially in “a tiny video gallery.”)、Gál2017によれば、1974年にフルクサスのSomething Else Pressが出版した『Something Else Yearbook 1974』のなかで批評家のJan Hermanが音響詩人のBernard HeidsieckとHenri Chopinを形容するために使った事例が最古である。

[3] とはいえ、急いで述べておくが、私は、サウンド・アートが音楽の一ジャンルとして、あるいはゲンダイオンガクの延長線上に、考察されることも珍しくないことは否定しない。

[4] 同じように、ノイズや即興演奏など、大雑把に言えば既存の音楽とは異なると感じられる対象に「サウンド・アート」という言葉を使うことは、欧米日でも決して珍しくはない、が、主流ではないと思う。2015年に、アジアにおけるサウンド・アートとはたいていノイズや実験音楽や即興演奏を呼ぶことを知った私は非常に新鮮に感じた。それが本研究のきっかけである。

[5] 彼が「sound liberation movement(聲音解放運動あるいは聲響解放運動)」と記述するのは、彼がこうした動向を、1987年の戒厳令解除後の台湾の解放的な文化的状況と重ね合わせて理解するからである。

[6] ジェフは、1990年3月の野百合学生運動(1990年3月16日に発生し3月22日に終結。台北学生運動あるいは三月学生運動とも)のさなかに台湾におけるアヴァンギャルドな音響芸術は誕生したと記述し、警察部隊に向かっていったトラックの音をその起源のひとつであるかのように示唆するロマンティック歴史記述を行うこともある(Jeph2018)。また私は、リン・チー・ウェイから、自分は学生運動の最中にバリケードのなかでノイズ・パフォーマンスを始めた、と聞いたことがある。

[7] リン・チーウェイは、自分はアーティストあるいはリサーチャーとしてよりもこのイベントの企画者として知られている、と述べていた。

[8] ちなみに、とはいえただし、陳芯宜(CHEN Singing)が90年代の台湾におけるアヴァンギャルドな音響芸術の代表的人物を描いたドキュメンタリー映画『如果耳朵有開關(Ears Switched Off and On)』でとりあげられている台湾サウンド・アート界のパイオニア3人――ワン・フーレイとリン・チー・ウェイとdino――のうち、dinoはこのイベントの後に活動を始めたようだ。

[9] 中川2019でも行った指摘だが重要なので繰り返しておく。

 ジェフのパースペクティヴは台湾国内の自律史観である。対して、リン・チーウェイは、この時期の台湾における様々な音響的アヴァンギャルドの流れに言及しつつ、「すべてが実際に関連しあっていたわけではないことは知っておかなければならない。つまり、新しい世代は西洋世界と同時代のファッションに触発されたのであって、台湾ローカルや台湾の伝統的な事象に触発されたのではない」と述べている(Bossetti2018: 81)。つまり、台湾内部での自律的な歴史記述だけでは不十分であるという認識を示している。こうしたポストコロニアルな状況認識に基づくパースペクティヴはもちろん必要である。ただし、台湾におけるサウンド・アートの概要を知る必要のある現段階ではまだ、ポストコロニアルな視点を導入することは必要最小限に留めておく。

[10] 以下の活動概観は、本論のもととなった研究発表時にはなかった部分である。

[11] まず注意しておきたいことは、ワン・フーレイ自身は、レッテルは何でも構わないと考えていることだ。というよりも、台湾でインタビューを行ったアーティストの誰も、レッテルを大きな問題と考えてはいなかった。ただし、私がレッテルについて細かく質問すると、それは自分の芸術活動を再考する機会になるとのことで、歓迎してた。おそらく、台湾におけるアヴァンギャルドな音響芸術の特質について考えるためには、私は、いずれ問い方を変える必要があるのだろう。ただし、本論ではまだ〈「台湾におけるサウンドアート」とは、いつどのようにして出現し、どのように使われている言葉なのか〉という問いに答えるべく、「サウンド・アート」というレッテルにこだわり考察を続けていく。

[12] 2005年のものはインターネットに情報が残っている(https://curator.ncafroc.org.tw/curating/exhibitions/post-5831/)。これによると、クリスティーナ・クービッシュ、黒川良一などが参加したようだ。また、こちらの情報(https://www.facebook.com/etat.tw/videos/vb.488782861138078/2048140071938313/?type=2&theater)によると、ポール・デマリニスも参加したようだ。

[13] ちなみに、dinoは2004年のフェスティヴァルでは二位を獲得したらしい。2005年のBiasでは姚仲涵(YAO Chung-Han)が入賞したらしい。この時の審査委員には日本から音楽批評家の佐々木敦が招聘されており、この時のグランプリはYannick Daubyが受賞したらしい。

[14] 2004年に姚大鈞(YAO Dajuin)が開催した台北聲納(Sounding Taipei)というフェスティヴァルのために来台したSFベイエリアのアーティストから、台北のアーティストたちについて「海外でも台湾でも大した違いはない(it’s not so big difference.)」と言われたらしい。

[15] 2017年のインタビューでもワン・フーレイは「アート・シーンに属するサウンド・インスタレーションも、ノイズ・ミュージックもサウンド・パフォーマンスも、すべてはサウンド・アートなんだ」と言っていました。

[16] 以下の比較事例のうち、Nigel Brownと張惠笙(Alice Hui-Sheng Chang)の事例以外は、本論のもととなった研究発表時にはなかった部分である。

[17] 蛇足だが、《Music While You Work》(2010)という作品の音響デザインは、友人としてのワン・フーレイに手伝ってもらったらしい。

[18] 台湾生まれのアリスはオーストラリア留学中に音を用いたパフォーマンスを始め、同じ頃にパフォーマンスを始めたナイジェルと出会い、2005年頃に修士課程を修了し、台湾(2007-2008)やパリ(2009年にパリで6ヶ月のレジデンシー)に滞在した後、2011年に結婚した。

[19] また、ワン・フーレイによれば、2007年に台湾で初めてサウンド・インスタレーションが制作された。対してナイジェルとアリスは、初めて台湾に来た2007年にはすでにたくさんの音を使う美術があった、という認識だった。二人によれば、ワン・フーレイの学生の多くがギャラリーで作品を展示しており、彼らはあまりパフォーマンスはやっていなかった、とのことである。

[20] 本論執筆後に公開されたSeta2020は、3年間のフィールドワークを通じて台湾における実験音楽シーンの形成プロセスを検証し、そもそも、台湾のアヴァンギャルドな音楽実践分析における「シーン」概念の有効性の限界も示唆する優れた論文である。Setaもまた「サウンド・アート(聲音藝術、sound art)」というレッテルが台湾ではある種の総称(an umbrella term)として使われていることを指摘しているが、この問題について彼は簡単に処理している。つまり、「このような分類[様々な実践をサウンド・アートという名称のもとに分類すること]は実践的な戦略であり、こうすることで、制度的な支援を確保して…(中略)…多様なジャンルを包括しているのだ」(8)とのことである。

政府からの資金援助を申し込む際には、「ノイズ」や「即興演奏」や「実験音楽」ではなく「サウンド・アート(聲音藝術、sound art)」というジャンルで申し込む必要があるのだ、ということは、ワン・フーレイやナイジェルとアリスからも聞いた。