ヘリック共和国空軍マーク・タッカー少佐
総撃墜数161機(確定戦果)
ZAC2064.4.15~ZAC2106.2.9
ZAC2064年4月15日、風族の父と鳥族の母の元に生まれる。
タッカー少佐が生まれた時期は大異変の影響で磁気嵐が強く、飛行ゾイドはほぼ飛べる状況になかったが、鳥族出身の母は第一次中央大陸戦争を戦ったパイロットだった事から当時の空戦や飛行ゾイドと共に飛ぶ楽しさを聞き、大空への憧れを持つ様になっていった。
ZAC2080年、この年にはもう磁気嵐は収まり空軍の募兵も行われており、16歳になったマーク・タッカーは※1空軍兵学校に入校し、ZAC2082年7月には初めて飛行ゾイド(グライドラー初等練習機型)に搭乗したことでパイロット(飛行ゾイド乗り)としてのキャリアが始まった。
初めて飛行ゾイドに乗ったマーク・タッカーはその虜になりパイロットとして任官すべく研鑽に励んだ。
そして兵学校及び、その後の士官学校も実技、座学とも優秀な成績を収めZAC2085年空軍少尉として任官した。
ZAC2090年には共和国軍のエリートコースたる遣エウロペ軍事顧問団の一員に選ばれローブ王国に派遣され、ローブ王国空軍の育成に取り組んだ他、ローブ王国空軍のペガサロスエクストラに搭乗して実際の戦闘にも参加している。
ZAC2099年に西方大陸戦争が勃発すると、当時大尉だったマーク・タッカーは空軍派遣部隊の第一陣として当時の愛機のプテラスと共にエウロペに派遣され、同年11月までにプテラスでレドラー19機を撃墜した。
これはプテラスとレドラーの性能差を考えると、途轍もない撃墜スコアである。
マーク・タッカーは可変レーザーブレードですれ違いざまに切り付けてくるレドラーに対して、切り付けられる直前で機体をロールさせブレードを避けると同時にプテラスの主脚で蹴りを入れるという、文字通りの格闘戦でレドラーを撃墜していった。
このような戦法は一部のプテラス乗りによく使われていたが、高速で飛ぶ飛行ゾイドで文字通りの格闘戦を行うのはかなり難しくエースパイロットにしか出来ない戦法であった。
ZAC2100年1月10日には共和国空軍のトップエースに贈られるドラゴンスレイヤー航空勲章を受勲し、少佐に昇進した。
同年5月RZ-029 ストームソーダーの第一バッチに属する個体を受領、プテラスから機種転換した。
この時の機体が戦死するその日まで乗ることになる愛機、機体番号白の7869である。
ストームソーダーに乗り換えてらのマーク・タッカーの撃墜スコアは鰻上りとなり、西方大陸戦争終結までに総撃墜数を76機までに延ばした。
しかし、その代償は大きかった。
第一バッチのストームソーダーはその後の量産型と違い未調整のOS(オーガノイドシステム)を搭載しており、その結果マーク・タッカーは重度の精神汚染を受けることになった。
マーク・タッカーの場合、過度な戦闘への執着や鬱症状、ゾイドに乗っていない時は激しい倦怠感に襲われる事があった。
共和国武器開発局担当部署と軍医はOSとの相性が悪い為との見解を示し、充分な休養とリハビリが必要とされたが戦局がそれを許さなかった。
こうしてマーク・タッカーは撃墜数を延ばし続けたのち、ZAC2100年12月の西方大陸戦争終結を以て前線を去りデルポイに帰還した。
しかしZAC2101年2月のデルポイ帰還後もマーク・タッカーはストームソーダーから離れる事はなかった。
ストームソーダーに一種の依存状態にあった本人の意向と、治療にあたった軍当局の無理に引き離すのは精神状態に却って良くないとの判断もあったからだ。
何より、ドラゴンスレイヤー航空勲章まで受勲したエースを廃人にしたという事実を隠蔽したい空軍上層部の意向が影響した。
こうしてデルポイ本土に於いてマーク・タッカーの治療とストームソーダーのOSの再調整が行われた後に、後進の育成の為に第1仮想敵飛行大隊へストームソーダーと共に転属した。
ZAC2102年にネオゼネバス帝国鉄竜騎兵団がデルポイ侵攻し、第二次中央大陸戦争が勃発するとマーク・タッカーの戦いは再び始まった。
初戦ダークスパイナーによる電子戦で戦線は崩壊し碌に組織的行動が取れなかった共和国陸軍と違い、ダークスパイナーのジャミングウェーブの影響下にない空を戦場とする空軍は鉄竜騎兵団に対する組織的反撃が行えた。
鉄竜騎兵団航空部隊のグレイヴクアマ等航空ゾイドに対する要撃作戦や、※2無誘導爆弾による対地攻撃等を実施した。
マーク・タッカー少佐も第1仮想敵飛行大隊の一員として戦闘に参加し、グレイヴクアマ等敵機を複数撃墜している。
しかし、所詮空軍だけでは鉄竜騎兵団の猛進を阻止する事は不可能であり、そして陸軍と共に潰走を重ねた結果。
ZAC2102年には共和国は下図の様に国土の70%を失陥してしまった
共和国は暗黒大陸派遣軍、エウロペ駐留軍の軍人と一部の逃げ延びた文民でローブ王国に亡命軍事政府を設置し、エウロペからデルポイ本土の残存部隊を支援する事になり。
本土残存部隊はデルポイ軍集団として再編成された
マーク・タッカー少佐と第1仮想敵飛行大隊も再編成され、デルポイ軍集団隷下の空軍集成航空団「デルポイ」旗下部隊となり共和国軍中央山岳基地へと配置されたのであった。
中央山岳基地に配されてからのマーク・タッカーは、デルポイ全土の航空優勢を確保すべく航空撃滅戦を仕掛けてくる※3ネオゼネバス帝国空軍機への迎撃が主となった。
マーク・タッカーはストームソーダーと共に、物資も少なく整備状況も悪い中で迎撃任務に従事しZAC2106年1月中には総撃墜数127機を記録した。
そして、ZAC2106年2月9日マーク・タッカー少佐にとって運命の日がやってきた。
翌月にクック要塞に対する反攻作戦を控えた共和国軍デルポイ軍集団に対して、ネオゼネバス帝国空軍は共和国軍主要航空基地全てに空爆を開始。
早朝5時から始まったこのネオゼネバス帝国空軍の空爆は、最終試験を終えたばかりのフライシザース先行量産型や、惑星Ziではあまり多用されない巡航ミサイル、戦術弾道弾まで投入された極めて大規模な攻撃であった
後の世で第二次中央大陸戦争で五本指に入ると言われる大空戦「第二次デルポイ航空戦」の幕開けである。
この大空戦にマーク・タッカー少佐も愛機ストームソーダーを駆り参戦。
迫りくるネオゼネバス帝国空軍機に対する迎撃任務に就いた。
この日マーク・タッカーはフライシザース20機を新たに撃墜、総撃墜数は147機となった。
そして戦闘開始か3時間たった午前9時、遂にマーク・タッカー少佐機はフライシザース30機の大編隊に包囲されてしまう。
しかし激戦の末14機を撃墜しその包囲を脱した。
すると偶々前線付近を飛行中のフライシザースの指揮管制機をセンサー上で発見、攻撃を仕掛けるべく一旦上昇した後、指揮管制機目掛けてダイブした。
この時マーク・タッカー少佐のストームソーダーは全ての弾薬を使い果たし、燃料も残り僅か。
今だ敵機がいる状況下で基地まで戻るのは不可能な状態であった。
ここからのマーク・タッカー少佐の戦闘の行方は共和国とネオゼネバス帝国で見解が分かれている。
共和国での公式記録は指揮管制機へ特攻、指揮管制機1機を撃墜し戦死。
ネオゼネバス帝国では指揮管制機に辿り着く前にフライシザースの体当たりを受け撃墜され戦死となっている。
特にネオゼネバス帝国空軍はプロバガンダとしてマーク・タッカー少佐機に体当たりする直前のフライシザースのカメラ画像まで出して見せた。
その上で指揮管制機に未帰還機がいる事も認めている。
戦後、共和国空軍のパイロットが当該空域で降下中にフライシザースの体当たりを受ける迷彩色のストームソーダーを目撃した者もおり、未だにマーク・タッカー少佐が敵指揮管制機までたどり着けたかは分かっていない。
ただ一つ言えることは、彼は戦死したという事だ。
第二次デルポイ航空戦後遺体も回収されている。
最後に生きた彼の姿を見た上官の第1仮想敵飛行大隊指揮官ミシェル・ジャカスール中佐は後にこう述懐する。
「当時の彼は再びストームソーダーで戦場に立った事で精神状態が良くなかった。あの日、出撃前の彼は酷く思いつめた顔していたわ・・・。多分、最初から死ぬ気だったのだと思う」
マーク・タッカー、享年42歳飛行ゾイドに捧げた人生だった。
※1兵学校とは一般のジュニアハイスクール卒業生を入校対象とする下士官養成機関であり、兵学校卒業者は下士官と共和国軍に任官できる。
士官学校は別に存在する。
※2地上付近のダークスパイナーによるジャミングウェーブの影響下に入ると、誘導爆弾は電信回路がダメージを負い精密誘導が出来なくなるため、対地攻撃は専ら無誘導爆弾が使用された。
※3デルポイのネオゼネバス帝国政権設立と同時鉄竜騎兵団は陸海空三軍と皇帝親衛隊に組織改編されている。