2010年


2010年12月13日(月)

上田正樹レコーディング

いやぁ~っ、久し振りの『気紛れ日記』だぁっっっ

本日、2010年12月13日、月曜日

全国的に小雨のパラつく寒ぅ~ぃい日に...

三浦半島は葉山のプライベートスタジオで、久々のレコーディング。

しかも、大敬愛する世界のソウルマン、上田正樹氏直々の声掛りで、

最新作のアルバムにブルースハープで参加して来ましたよ。

来年の二月には発売予定との事、皆さんお楽しみにぃっ!

その直前、来年、2011年1月22日、土曜日には、

栃木県佐野市の『Dining Bar KEN』

http://barken.hustle.ne.jp/home.html

での上田正樹ライブに僕も参加しますよ

妹尾ちゃんとキー坊(上田正樹)とのピッタリ息の合った演奏を

楽しめるよん、この日記を見た人....全員ライブに来る様に....へへへ....

じゃぁ、現地で待ってるよ!

妹尾隆一郎




2010年8月23日(月)

んんんんんーーーん!

今年は気温も高いけど

住民税と国民健康保険料が高ーーーい!!!

住民税の振り込み用紙が届いた。

なんだあ~! この金額はーー!!!

数日後、 国民健康保険料の通知が来た。

なんだあ~! この金額はーー!!!

去年の三倍の料金じゃないかーー!!!

これは、何かの間違いに違いないと区役所に電話したが、間違いでは無いらしい!

貧乏人から、こんなに金を取るとは、いったい日本はどうなってるんだい???

これじゃあ、生活していけないよーーー

お代官さま~

なんとかしてくだせい!!




2010年8月13日(金)

『You Tube』に四曲目アップしました。

Weeping Harp Senoh plays Blues Harp #4_Summer Time

去年、2009年の6月17日、還暦のライブでのアンコールで演奏した ’Summer Time’ です

こちらでご覧になれます

http://www.youtube.com/watch?v=c8bd-CfE3Jg




2010年8月11日(水)

故塩次伸二氏の御兄さまにインターネット公開の承諾を戴けましたので

昨日、『You Tube』にアップしました。

Weeping Harp Senoh plays Blues Harp #1

ギターは塩次伸二氏、2008年10月19日の未明栃木県佐野市の救急病院で亡くなりました。

日本の宝でした。

著作権の問題に鑑み、曲中のハープソロ部分だけをアップしました。

2008年3月30日、京都市内でのライブ

バラード曲でのハーモニカアドリブをお楽しみ下さい。

こちらでご覧になれます

http://www.youtube.com/watch?v=YwpRLQj1Z3M


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Weeping Harp Senoh plays Blues Harp #2_Green River Rockv

ギターは同じく塩次伸二氏、”Green River Rock” は塩次さんのオリジナル曲です。

あらかじめベース、ドラム、サイドギターをループさせ、その上に生で二人の演奏を重ねたもの。

2008年3月28日、神戸市内でのライブ

塩次氏のダイナミックなギターが炸裂してます。

こちらでご覧になれます

http://www.youtube.com/watch?v=1K09g9Z1v9I


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Weeping Harp Senoh plays Blues Harp #3

ギターは同じく塩次伸二氏。 ブルースハープの原点 ”汽車ぽっぽ”

汽笛を合図に駅から今まさに列車が出発しようとしている情景をハーモニカで現す。

唄は妹尾の自作 ”故郷へ帰るんだぃ~、車掌さんオイラを載せてってぇ~”

てな内容です。

2007年2月17日、静岡県富士市でのライブ。

こちらの曲は、ブルースハープのダイナミックなサウンドと、絵に浮かんで来る様な表現力が楽しめます。

こちらでご覧になれます

http://www.youtube.com/watch?v=Jf-5zZNirBA




2010年 8月 10日(火)

『WeepingHarpSenoh』で YouTube にアップするぞぅ

先月7月にアメリカはカリフォルニアに住んでいるニールという人から突然メールがきました。

そのメールにはアニメ"Cowboy Bepop" に収録されている "digging my potato"という曲の

演奏を聴いてブルースハープを始めたと。

そして演奏についての幾つかの質問がありました。

また、『Weeping Harp Senoh』はアメリカで有名だよ!

インターネットGoogleで検索したら沢山出て来るよ!

そんな感じの内容でした。

我ながらビックリ、嬉しい気分になっちゃいました。エヘン!

また先日の事ですが、大阪の友人が『You Tube』で"digging my potato"の

演奏方法を解説している動画があるというのです。

さっそく観てみると、アメリカの男性が、なかなかしっかりとコピーしていて、解説も上手いものでした。

ハープもいい音で、関心しました。

この数年、手作りCDとDVDは何枚か作っては居るものの

何十年も正式レコードやCDは発売してないので

自分が納得できる近年の演奏を聴いて貰える様にと

『You Tube』にアップする事にしました。

妹尾隆一郎では、国内に限定される恐れがあるので

『WeepingHarpSenoh』で、発信した方が海外にも伝わるとの思惑です。

これまで『You Tube』にアップする事については

いろいろと問題点が多いと思い、躊躇してきました。

今でも問題点は解決していません。

一緒に演奏しているミュージシャンへの配慮は当然の事です。

いろんな面での著作権との絡みも重要な事です。

自分の知らないうちに何処かでのライブを、僕自身の意思に関わり無く

無断にアップされている映像が多くていやな想いをしています。

(勿論、アップをしたいと本人から連絡を受けて了承しアップされている映像もいくつかはあります)

演奏者本人が了承していなければ、インターネットに

無断で公開すべきでは無いと考えます。プンプン!

ですので、一緒に演奏しているミュージシャンに配慮しつつ、自分自身の納得のゆくものを自らアップしていく事にしました。


<追記>

音楽に限らず、あらゆる事を、インターネット公開するについて

我々は、もっとよく考え、もっと責任を持つべきと考えます。

野放し状態の現在では、あまりに恐ろしいと感じてなりません。

インターネットは、使う私達が良い方向に持っていけば

素晴らしい物である事は確かなのですから。

今一度、根本の所を見直して欲しいものです。

WeepingHarpSenoh こと

妹尾隆一郎




2010年 8月 9日(月)

この演奏なら『You Tube』にアップしてもOK!

音色も映像も納得できる動画を、幾つか短い時間に編集した。

You Tube にユーザー名を入力すると、既に登録が有るらしく

WeepingHarpSenoh は使えない。

エエエエエエエエーーー!!!!!

信じられなーい!!!!!

今までメールアドレスなどの登録を何度もしているが、こんな事は一度もなかった。

誰だーー!!!

WeepingHarpSenohを使った奴はーーー!!!

まるで偽物のWeepingHarpSenohが現れた様な

自分が偽物に成ってしまった様な

嫌ーーな感じ!!!

冷静に考えたなら偽物でも何でも無い、

只、ユーザー名を僕より先に登録されてしまっただけなのだが...

しかし、そう簡単に気持ちの整理はつかないのだ!

妹尾隆一郎にしようかとも考えたが、WeepingHarpSenohでなければいけない理由があるのです

その話は次回にしよう。

そこで、俺が本物だ!!!!!と訴えたい気持ちで

『RealWeepingHarpSenoh』と入力した。




2010年 7月 23日(金)

ふうぃ~暑い!

目茶苦茶暑いねぇ!

10秒も歩かないうちに太陽の熱が耳やクビに刺さって来るようです.

携帯電話を無くしてしまった時の為、パソコン(Mac)にデータを取り込むソフトを買いに行った。

近所のケーズデンキに行ってみたが、マック用ソフトは一切無しでした.

そこで、秋葉原のヨドバシカメラへ

気が付くと

ゲゲェ!

もう四時前だぁ!!

二時過ぎには携帯ソフトも見つかったので、

ヨドバシの七階の本屋さんでウロウロと

何か面白そうな本をさがして一時間半も歩き回ってしまったぃ。

足疲れたぁぃ!

こりゃまた帰ってからが大変だぁ!

てなわけで、珈琲を一発!!


家に帰り作業開始

携帯シンクというソフト、最初に初めて使う時メチャ判り辛い

悩みに悩んで…というのも

変なまちがったやり方でデータを飛ばしてしまったら大変だもの…

何度もやり直して、やっと一時間も掛かってクリアしました。

はあぁぁぁ......

ゆっくり使い方を勉強しないと難しいです、ふうぅ......

7月20日の事でした。


アイスティラミスが美味しいです。


今日もアイスクリームとジンジャーエールで一息だぁ!!





2010年 7月 15日(木)

玄関を開けると

そこは、喫煙スペースだった!

02.03 7月10日(土)今日は2週間振りのライブに出掛ける前に一服


7月13日(火)夜なのにフラッシュで昼より明るく写ってしまった。

今夜は涼しくて外が気持ちいい!!

コロンブスがヨーロッパに持ち込んだタバコはあっと云う間に広まったが

愛煙家には厳しい世の中に成る事を予想した人はいただろうか!?




2010年 7月 6日(火)

今年6月17日、還暦+1歳に成った妹尾です。

誕生日ライブにいらして下さった方々

お祝いのメッセージを下さった方々

ありがとうございました!!

これからも元気で頑張りまっせ!!

皆さん、宜しくお願いします!!

しかし不覚にも

誕生日の後、関西(京都山科)へ行ったすぐ

風邪を引いてしまいました。

これが、なんと、

痰が絡んだ咳 & 鼻水 & 鼻声 & etc.

なんとか関西の用事を済ませ

風邪を引いたまま東京に帰って来ました。

早々、お医者さんに行き薬を貰ったのですが...

一日4回服用...

なんだか眠り続ける毎日で

頑張って飲んだ割には、半分の量しか飲めてない薬。

それでも、ずいぶん良く成りました。

7月は休みの日が一杯有って助かった~!

そういえば、8月も休みが、一杯有ったような~

休みばっかりじゃ~

別の意味で大変だ~~~!!!




2010年 5月 27日(木)

今月23日、飛騨高山でのライブを終え

京都山科の友人宅に帰り着いたのは翌朝6時40分。

途中激しい雨風で外気も10度と寒くて

高速途中で休憩を繰り返しながら六時間ちょっと掛かりました。

そんな寝不足と疲れも有り、

昨日までは、夕方5時とか6時にやっと起きて

ハープ塾に出掛ける日々でした。

夕べは眠れず、

久し振りに大好物の『かつくら』のトンカツでも食べようと京都市内に出掛けました。


今夜『スーザン・ボイル』のTV番組を見つけました。

ピュアーな人柄が、素直に歌に反映していて、いい感じでした。




2010年 5月 23日(日)23:07 飛騨高山

キャスパー‎(飛騨高山)ライブを終えて




2010年 5月 23日(日)13:36 飛騨高山

その後、そば屋を見つけて昼飯を食べました

高山のおまつりに出くわして、飛騨牛の串焼きを全員で…

親くん&直くん&マンボさんの写真だと思ったでしょ!

実は直くんの手には一本の飛騨牛串焼きが写っていたのです!! 07.08.




2010年 5月 23日(日)00:14 名神高速から

『妹尾隆一郎公認サイト』を御覧の皆さん、お久し振りです。

大阪のライブを終え、そのまま飛騨高山にメンバーと移動中です。

名神高速のサービスエリア、

菩提寺にて夜中トイレに入りました。

ふと見ると、

「たぬきさんと記念写真」のコーナーが…

小竹親君と記念にパチリ!

親くん 妹尾さん




2010年 2月 3日(水)節分

ウウウウウウ~~~ン

ついに今日から『妹尾のダイきまぐれ日記』にされてしまった。

皆さん、妹尾のきまぐれに御付き合い下さい。


今日、京都から帰ってきましたが

東京の寒い事、寒い事。

夜になって、気が付くと雪が降ってる......

寒い訳だ~!!! とガッテン、ガッテン。

今日は節分だからと、家に豆が買って有った。

「歳の数食べるんだよ」と云われたが

61も数えるのだけでも大変である、と思いながら食べ始めたら

「いける、いける、食べられる!」

いくつ食べたか判らなく成ってしまった。

夜も九時を過ぎていたが、

寒いけれど玄関を開け

「福は~内!! 福は~内!!」「鬼は~外!!」と豆をまいた。

今年は、なんとか福が来て欲しい!!!

福の神様、妹尾はいつでも『I'm Ready』だよ~




2010年 元旦

皆さん

明けまして

おめでとうございます


昨年は、重傷だった交通事故の怪我からの復帰を成し遂げた上

無事に還暦を迎える事が出来

復活ライブには多数の皆さんが

応援に駆け付けて来て下さいまして

感謝感激の想いを味わさせて戴きました。


本年もまた新たな気概を持って活動を続けて行こうと

気合いを入れております。

今後も相変わらずの応援を宜しくお願い致します。

皆様にとって、しあわせな一年で有ります様に

お祈り申し上げます。

2010年元旦

ウィーピング・ハープ・セノオ

妹尾隆一郎




mixi を御覧の皆様にお詫び

昨年の交通事故から、mixi を見る事が出来なく成り

2009年一月に引っ越しして、只今インターネットが出来ない状況に居ります。

いろいろなメールを戴きながら

御返事出来ぬままに成ってしまいました。

誠に申し訳ありません。

妹尾隆一郎(せのちゃん)




2009年 9月 22日(火) 『キャデラック・レコード』を観て来た。4

チャック・ベリーはさらっと登場して、後半のブルースとヒルビリーの融合から白人のロカビリーの誕生

場面に繋ぎとしての人物として描かれている。

エタ・ジェイムスの役でビヨンセが登場し、最後のチェス・レコードの終焉を迎える頃、

チェス・レコードの発展に寄与したブルースマン達のマディーやウルフは忘れられそうになっていて、

収入も落ち込んでいく姿が描かれていくが、イギリスからの若いローリング・ストーンズの面々が

レコーディングをしにチェス・レコードを訪れ、あこがれのブルースマンに会えて喜ぶシーンとか

ヨーロッパにブルースミュージシャン達が招待されて全世界にブルースが伝えられていく...

といった暗示を短く描いて終わる。

エタ・ジェイムスは不幸な家庭に生まれて、親にも冷たくされ、黒人差別にも苦しんでいた。

そして薬に溺れて... という典型的な姿で描かれて居るが、

名曲の”At Last”が生まれた背景は描かれて無く、ただ時代の流れの中で、

ブルース→ジャズやソウルへ変化していく音楽の象徴として描かれて居るだけの様に僕には思えた。

エタの登場あたりから、リトル・ウォルターは自分がやりたい様に演奏させて貰えない不満を持ちながらも、

会社の言う事に従ってゆくのを余儀なくされていた。

ブルースの衰退を象徴する場面のひとつだ。

さすがに僕は悲しかった。

何と云っても、ウォルターが息を引き取ったあと、

マディーがトイレで声をあげて泣くシーンはグッときてしまった。


この映画のタイトルは『キャデラック・レコード』だが実際は

『チェス・レコード』の歴史を描いたものなので、

プロローグはレナード・チェスのストーリーから始まっているが、

まだ南部の田舎で農業をして生きていたマディーの家を訪ねて録音する場面から始まっていれば、

もっとカッコイイ映画に成ったと思う。

『クロスロード』という映画も、ロバート・ジョンソンがギターを持ってホテルに入り録音をする...

そんな場面から始まり、導入部として観客を引き込むインパクトを与えていた。

このマディーを最初に録音したアラン・ロマックスという人は白人のブルースファンの一人でも有り、

確か『アメリカ公文書図書館』の依頼で、アメリカ南・西部の農村に深く入って、

農民の演奏するブルースを民族音楽として採集する活動(フィールド・ワークと呼ばれていたと思う)をしていた。

その活動のひとつで有るマディーの録音は1941年にされたと成っていて

日本のブルースレーベルで有名な P-Vine(ピーヴァイン)からも CD化され発売されている。

マディーのインタビューとスライドでロバート・ジョンソンの曲を数曲、録音している。

念の為、このフィールド・ワークは アラン・ロマックスともう一人(名前は忘れてしまったが...)

の仲間と二人が中心と成って行われた事は有名ですね。

スリーピー・ジョン・エステスもこの二人に再発見されたのだったかな?

あの有名なレコードのジャケット、スリーピー・ジョン・エステスは盲目でサングラスをかけ、

鉛筆をギターのカポ代わりにしているのは衝撃だった。

ひょっとすると、ダミ声で、アメリカ・インディアンの打ち掛けをチョッキの様に羽織って

ピアノの弾き語りや、ギター(スライド入り)の弾き語りのフィルムを残しているブッカ・ホワイトも

フィールド・ワークで再発見された人のひとりなのだろう。

ブッカ・ホワイトは、CBSソニーのニューロックシリーズに、いきなり出現してビックリした!!

『100万ドルのブルースギター、ジョニー・ウインター』の次くらいに、

生ギターの弾き語りでダミ声だけのLPで登場したから、インパクト大だったのを覚えている。

先程、フィルムの話が出たが、このブッカ・ホワイトのフィルムを知ったのは

僕がブルースハープを演奏するにつれ、どんどんブルースマニアに育っていった80年代以後の事でしたが、

その一連のフィルムにはサン・ハウスのフィルムも有りました。

どれも観客は居らず、廻りには映像スタッフ及び録音スタッフが居るのみで、

本人達は今でいうADの合図にうなずいて演奏を始め、終えると「終わったよ」みたいに視線を送る...

という、すごく事務的な進行で.....

これはきっと図書館に資料として納めるスタジオ録音に他ならなかったのだろう。

ともあれ、このアラン・ロマックスのフィールド・ワークから物語りが始まった方がインパクトが濃かったものと惜しまれる。

しかし、マディーがギターを携えて、真っすぐな線路を北へ歩いていく後ろ姿。

シカゴの街のストリートで生ギターを弾いていると「都会でそんなギターを弾いたって駄目さ!!

ここは田舎じゃないんだから!!」とバカにされる。

上を見ると、女性が二階の部屋からアンプを使える様にしてくれて、

強烈なスライドギターを弾くマディーの廻りには、街の人達が楽しそうに集まって来る...

我々ブルースファンには嬉しい場面が満載だ!!

映画のほとんど半分は、マディー、ウォルター、ウルフなどの シカゴ・ブルース・サウンドが...

スタジオ内での録音の様子などの再現...

特にリトル・ウォルターのエピソードが一杯で

「ヤッパリ、シカゴブルースって、カッコエエ~!!!」

と大声で叫びたく成る程、嬉しい映画だった。

確かにマニアのハートをくすぐる映画では有りました。

チャンスが有ったら、ぜひ観てください。

おわり





2009年 9月 18日(金) 『キャデラック・レコード』を観て来た。3

映画の最後にクレジット・タイトルが流れている中にキム・ウィルソンの名前を発見。

リトル・ウォルターの演奏部分は彼が録音したものだと判り

リトル・ウォルターが初めてアンプリファイド・ハープにチャレンジした名曲”Juke”の

2コーラス目の不都合な部分をそれとなく上手に

聴く人には判らない様にアレンジして演奏していたので

「ああ、やはりあれはキム・ウィルソンが、うまく処理したんだなぁ~」

と僕は妙な納得をしたのでした。

リトル・ウォルターの死に関しても

頭をビンで殴られ血だらけのウォルターがマディーの家に辿り着き

マディーの奥さんの腕の中で息絶える... という場面がありましたが

これは脚色でしょう。

ある夜、路上で喧嘩に成り頭を強く打ったが、そのまま家に帰り

翌朝死んでいるのを発見された。

という定説がある。


ハウリン・ウルフのスタジオ録音では、レナード・チェスが

サイドマンのギタリストに「お前の音は大き過ぎるから音量をさげろ!」と云うと

ウルフが「ヒルバートは俺のバンドのメンバーだ。バンマスの俺を通して物を言え!!」と

噛み付くのを見ていたミュージシャン達は

「ウルフはさすがだ! バンドのメンバーをかばい、大切にしている。」

と云い尊敬する場面が有るが、この話は有名なエピソードだ。

この頃からチェス・レコードは大いに発展し売り上げを延ばしていく。

そして大勢の女性達を虜にしていく。

ウルフのレコーディングでもスタジオ内にたくさんのキレイドコロの娘達が詰めかけて

その雰囲気を盛り上げていた。

ウルフ役の Vocal も中々の物だった。

つづく





2009年 9月 16日(水) 『キャデラック・レコード』を観て来た。⒉

母親の死を聞いて心乱しているリトル・ウォルターは「行って葬式をしてやれ。」と言うマディーに、

「オレはガキの頃、母に里子に出された。今、ヒットを出しミュージシャンとして上昇中に、

この現場を離れるのは嫌だ!!」という様な事を言う。

そして苦しんでいるリトル・ウォルターに落ち着くからと酒を勧めるマディー。

それ以後、リトル・ウォルターは酒乱になる... というお話...

これは僕も昔、外国盤のLPの裏ジャケ解説を自分で和訳して知った事だけど、

「リトル・ウォルターは 7才の時、家族の数が多く両親は子供を食べさせられないので、

リトル・ウォルターを家から出した。」と書いてあったと思う。

もし里子に出されたなら、「里親の誰それに預けられ...」と書いてあってもよいと思うので、

もしかするとリトル・ウォルターはストリート・チルドレンになって、

苦労して成人したに違いないと思った。

リトル・ウォルターのLPで、

タイトルが”Have To See You”のジャケットの顔のアップ写真を見ると、

明らかに額に傷跡があり、三針縫ったのがハッキリ解るし、歯も揃っていなかった様な...?

そういう訳で、リトル・ウォルターは7才の頃からハープ奏者として

シカゴの街角でマディーに出会うまで、ストリート・チルドレンとして生き抜いて来たのだと思う。

しかも、当時の黒人にしてみたら、一人前の男の証明として、

『ガン(ピストル)』を持つのはステイタスという常識が有ったので、

映画の中でもマディーはリトル・ウォルターがすぐガンを抜くと

”発射”という言葉を使って制止はすれど取り上げる事はしなかった。

だから、リトル・ウォルターが周囲のミュージシャンから

「生意気でメチャ嫌な奴」とか「あんな奴とは二度とゴメンだ」と云われている.....

というのは事実でしょう。

しかし、その中で只一人、同じハープ吹きであったビリー・ボーイ・アーノルドは

「リトル・ウォルターさんは数百ドルもする車をプレゼントしてくれたり、

立派なスーツを買ってくれたりして、僕には優しく接してくれた、いい人だ。」と、

やはり何かの LP の裏ジャケの解説に書いてありました。

また、リトル・ウォルターがチェスの会社前の道路で、

白人警官に車のボンネットに顔を打ち付けられ暴行を受けている場面は

黒人差別の一つのエピソードなのだろう。

1940年代、50年代のシカゴ市内での黒人差別は、相当激しいものが有り、

あの黒人市民権運動は、

最も激しい差別を法的にも認めて居た南部に於いても成功をおさめつつ有った

マーティン・ルーサー・キングが、次は北部の都市として乗り込んだシカゴでの運動はうまくいかず

一度撤退を余儀なくされた程の差別の激しい都市だった事が思い浮かびました。

つづく




2009年 9月 10日(木) 『キャデラック・レコード』を観て来た。1

9月2日(水)、関西から帰って来てすぐに

話題の映画『キャデラック・レコード』がお終いにならない内に... と、急いで観に行った。

調べてみると毎週水曜日はサービスデイで、¥1000で観られる。

水曜日はレディースデイと女性だけのサービスという映画館が多いが

「恵比寿ガーデンシネマ」は男女共に¥1000と成っていた。

とは言え、60歳以上はシニアで、いつも¥1000で観られるらしいが...

まあ、身分証明所なる物を提示せずに、少々若い振りをして入るのもいいものだ。


映画『キャデラック・レコード』は、史実にを元にしたドキュメンタリータッチで

シカゴ・ブルースという言葉がブルースマニアの間で定着しているシカゴで

第二次世界大戦後に出来たレコード会社『チェス・レコード』の物語です。

登場する人物は、オーナーの レナード・チェス、マディー・ウォーターズ、リトル・ウォルター、

ジミー・ロジャース、ハウリン・ウルフ、ヒルバート・サムリン、ウィリー・ディクソン、

チャック・ベリー、エタ・ジェームスである。

せめて サニー・ボーイ・ウィリアムスンも登場させて欲しかった。

俳優は、エタ・ジェームス役の ビヨンセ 以外知ってる人は居なかった。


ストーリーの展開は各ミュージシャンが次々とチェス・レコードに登場してくる。

そして録音という場面が出て来て、幾組かのショートストーリーを伴いエピソードが加わる構成となっていた。

マニアには興味深いものであるが、

「なぜ?そんなエピソードに?」という背景が解らないので

一般の音楽ファンには訳が解らないストーリー展開で

僕自身、消化不良を感じる部分が多かった。


やはり、僕にとっては、リトル・ウォルターのエピソードが一番興味を引いた。

登場人物の中で唯一いつもピストルを持ち歩き、すぐにピストルを抜くギャングの様に描かれていた。

とてもショックだったのは "Juke" というハープのインストルメンタト曲が大ヒットして、

南部を巡業中 に、偽物を発見し、有無を言わさず射殺してしまう..... 場面。

映画に描かれて居るので、どうやら本当と納得せざるを得ないが、

僕には凄くショックなエピソードであった。

つづく




2009年 9月 3日(木)

昨日、久し振りに映画を観に行きました。

もう御覧に成った方もいらっしゃると思いますが

そう、あの映画。

『キャデラック・レコード』です。




2009年 8月 22日(土)

お笑いのテレビ番組で慰められている毎日ですが

今一番のお気に入りは 『ロッチ』

危ない動物とのリアクション芸を売り物にしているコメディアンという設定の

「こんにちは根岸」シリーズ

道路で走ってくる車に跳ね飛ばされて捨てていかれるシリーズ

売れない役者が一般人などにイジられる「十文字アキラ」シリーズ

など、滑舌の悪いやり取りが奇妙にくすぐってくれる。

お笑いを楽しんでいると、よく思う事がある。


ブルースの歌詞によく有る

我々日本人の感覚とはちょっと違う表現の仕方とか

特に ジミー・リードの曲に多い、下町のちょっと元気のいいアンちゃんが

世間知らずの方言を言い放つみたいな可笑しさと

まるで共通する様な気がしてならない。

ジミー・リードの曲に登場する主人公は

誰かに惚れてしまった男がマジに成れば成る程

廻りの連中から見ると可笑しくて笑っちゃうみたいな...

本人だけが気付いてなくて

実はみんなの笑い者に成ってるというストーリーが展開する。

ブルースの曲中にある紙芝居みたいなストーリーは

ある点、古典落語に出て来る「熊さん、八っつあん」の可笑しさを感じるのは僕だけだろうか?

いつか、ブルースの曲について思う事を

僕なりの解釈できいて貰おうと思っています。


ところで

6月からライブ活動を積極的に開始した妹尾隆一郎です。

『還暦&復活ライブ』に駆け付けて来て下さった皆さん

本当に有難うございました。

これからも元気を出して、活動を続けていきますので

どうぞ宜しくね!!!

Weeping Harp Senoh こと 妹尾隆一郎





2009年 8月 15日(土)

昨年の10月19日未明、僕の敬愛する塩次伸二氏が亡くなり

そのすぐ後の22日真夜中

京都市内で僕と友人達との5人が乗る自動車がタクシーに体当たりされて

肋骨6本を折る重傷を負い、退院後は山科の友人宅に居させて貰って快復を待っていた時は

ライブ活動は出来るだろうか?とか

伸ちゃんが亡くなって、これからは音楽活動をするのも寂しいなあ!とか

気が滅入る毎日でした。

仕事も無く経済的にも追い込まれていく中

毎日部屋に居てする事も無く、只テレビを見て過ごしていました。

そんな時に、少しでも明るい気持ちに成れたのが

ここ数年のお笑いブームでの「M1グランプリ」や「笑点」「お笑いレッドカーペット」

「エンタの神様」「スリーシアター」などのテレビ番組でした。

今年6月にライブ活動を復活した今でも

その類の番組は予約録画して編集し

気分が落ち込みそうに成ると

お気に入りのお笑いを見ては

大笑いしながら楽しんでいます。

ウィーピングハープセノオ こと 妹尾隆一郎




2009年 6月 28日(日)

「還暦&復帰ライブシリーズを終えて…」

皆様、ご機嫌は如何ですか?

今年2009年6月17日に遂に還暦を迎えてしまいました。

昨年 10月19日、親愛なるギタリスト塩次伸二氏を亡くし

又そのすぐ後 10月22日の深夜交通事故で肋骨六本を骨折し

還暦を迎える今月までの八ヶ月間全ての活動を停止して復活に賭けて来ました。

長期のリタイアの間

復活に対しての希望の気持ちを持ちながらも

一日ライブをやり通す体力が残っているか?

との不安が募っていましたが

6月13日~6月27日の間に九日間のライブを無事に終える事が出来ました。

何よりも嬉しかったのは、どの会場にも多くの人々が訪ねて下さり

皆さんから「元気に成って良かったね」と声を掛けて貰った事。

あまり大きな宣伝もして居ないにもかかわらず

懐かしい人達が顔をみせて声をかけてくれた事等と共に

僕自身かなりハードなスケジュールを組んでしまって

「本当に体力が持つのかな?」と不安だったのが

以外に毎回のライブが楽しくて

疲れを感じる事が殆ど無く、不思議に思う程です。

これはきっと激励しに来て呉れた皆さんにパワーを注入して貰った結果

無事にこなせたんだなぁ~ってしみじみ思え

もう一度皆さんに感謝を…

嬉しいです。

このツアーの間ずっと感じていた事

還暦を迎えた今からもう一度初心に還って自分を鍛え直す…


そんな事を思い起こす良い機会をこのツアーで得る事が出来ました。

リタイア中の不安は何処かへ飛んで行ってしまい

これから先への希望が生まれて来て、良い気分です。

皆さんこれからも時々は顔を見せに来て下さいね。

ホンマにありがとさん!

Weeping Harp Senoh

妹尾隆一郎





2009年 6月 4日(木)

5月の20日、京都に居る時だった。

東京下町の我が家の玄関扉に黄緑色の物体がくっ付いているのを発見した人から、メールが届いた。

扉を何と間違えたのだろう?

小さなサナギが扉の外側下の方にくっ付いてる。

5月19日に付いたのだと予想された。

果たして何のサナギか?

きれいな蝶と決めているらしいメール送信者に

「蛾のサナギかもしれないよ~!」とメールをすると

「ギエぇぇぇ...」と返信が。

サナギはだんだんフックラしてきたが、急激な変化は見られず何日か過ぎていった。

毎日、小学生に成った気分で観察してました。

きれいなチョウチョか、蛾か、それとも何か別の生き物か、

羽化する日が待ち遠しい毎日でした。

6月に入り少し色に変化が有り、はち切れそうな感じが出て来た!

明日あたり羽化しそう!!

早目に起きて見なければ!!!

と思いながらも次の日、

「あ~あ、いなくなっちゃった!」という声が寝ている僕の耳に聞こえてきた...

上の方に穴が開いたサナギの殻が残っていた。

6月2日朝10時頃だった。

果たして何のサナギだったのか?

決定的な証拠は見逃したが、近くでモンシロチョウが飛んでいたという目撃証言が有った。

もっと早くHPに載せたいとも思ったのですが

虫が苦手な方もいらっしゃると思い躊躇してました。

しかし、中途半端な観察で終わったとはいえ珍しい事でしたので

記念にHPに載せる事にしました。

虫が苦手な方、御免ね!


11 サナギの撮影に熱中する妹尾

12 2009_5_27

13 2009_6_1

14 2009_6_2_サナギは抜け殻に成っていた。




2009年 6月 1日(月)

いよいよ六月!!

Weeping Harp Senoh ライブ活動開始目前と成りました。

大好きなミュージシャン達と『還暦&復活』のW祝いライブが出来る事が嬉しく楽しみです。

元気に成った還暦の妹尾隆一郎のライブを聴きに来てねぇ~


本格的なライブ活動復活の前に

5月30日 昨年大変お世話に成った、佐野『Daining Bar KEN』に伺いました。

昨年10月18日佐野でのライブ直前に急死した塩次伸二氏

その時並々ならぬ力に成って下さった佐野の皆さんに

感謝の気持ちだけでも伝えたいと思いながら、こんなに経ってしまいました。

あの夜、伸ちゃんに元気に成って欲しいとの願いの中、

妹尾をサポートしてくれたバンドのメンバーとセッションして来ました。


皆の願いも空しく伸ちゃんが亡くなり、驚き遠くから駆けつけて来たいという人が次々といました。

まだ葬儀会場も決まらず集まる場所に困って居ると

伸ちゃんの急死の情報を得ようとする方達に徹夜で対応し疲れて居るにもかかわらず

『Daining Bar KEN』のマスター健さんが快くお店を使って下さいと云って下さった。

本当に助かりました。

葬儀会場に於いても、

たくさんの音楽関係者に紛れて静かにそっと見守ってくれている佐野の方々

「何か出来る事が有れば、何でも手伝いますよ!」

という気持ちで支えて呉れているのを、いつも感じていました。

本当にありがとう!!

と、お礼に行ったつもりが...

妹尾の怪我の快復を祝って貰い

またまた感謝の一夜と成りました。

15 2009.5.30. 佐野『Daining Bar KEN』皆さんと一緒に。

16 ステージの柱には眞知子さんがプリントした伸ちゃんの写真がミュージシャンのサインと一緒に有りました。




2009年 5月 14日(木)

mixi を御覧の皆様にお詫び

昨年の交通事故から、mixi を見る事が出来なく成り

今年一月に引っ越しして、只今インターネットが出来ない状況に居ります。

塩次伸二氏の急死に驚き悲しまれる方々

妹尾の交通事故を心配して下さる方々

その他にもいろいろなメールを戴きながら

御返事出来ぬままに成ってしまいました。

誠に申し訳ありません。

心よりお詫び申し上げます。

妹尾隆一郎(せのちゃん)




2009年 5月 11日(月)

早いもので、ゴールデン・ウィークも終わり

昨日の東京は「暑~い!」と云ってしまう陽気でした。

5/9&5/10と京都から、くんちょうさん&晴ちゃん&直くんが東京でライブ!!

大好きな三人のライブに行かない訳は無い妹尾です。

二日間、楽しいライブに入れてくれて、ありがとさんでした。

写真は、5/10『ルースター本店』でのリハーサルです。 17




2009年 4月 12日(日)

今年の桜は長く楽しませてくれますね。

今度は「しだれ桜」が一杯の公園を散歩して来ました。

6月からライブ活動開始します。

『還暦&復活』ライブツアー決定しました。

いろんなミュージシャンと楽しいライブをやるよ。

皆さん、weeping Harp Senoh を聴きに来てや!!

これから、あっちゃこっちゃのライブに遊びに行くよ!!

宜しくお願いだよ~~!!




2009年 4月 6日(月)

家の近くの小さな公園に行って来ました。

そろそろ動き始めたいな。




2009年 3月 5日(木)

「塩次伸二氏の誕生日を迎えて」

去年の10/18深夜に突然死を迎えた、塩次伸二氏。

彼が亡くなってほぼ四か月が経った今日 3/5 は伸ちゃんの誕生日です。

彼の誕生日を迎えて、新ためて想う事は

やっぱり、伸ちゃんは偉大やったなぁ~

もう二度とあのギターが聴けないと想うと、寂しいなぁ~

身体全体から発するオ~ラが魅力的やったなぁ~

今頃伸ちゃんも向こうでバースデイパーティをやってるんかしら?

まだあっちでギターを弾いてるような気がします。

なんで?と、問われたなら…


亡くなる直前、一分前まで伸ちゃんは元気で、

料理に舌鼓を打ちながら、

面白いキノコの話し等々楽しそうだったし…


アメリカから帰って来てからの伸ちゃんはライブを積極的にこなしていて、

エネルギーが湧いて居る感じがあったし、

土産話しをしている時も、

ライブ中の表情も、熱気が溢れていた…


そんな事を思い出すと、伸ちゃんの後を引き継いで、

我々も気を入れてライブやブルースをもっと盛り上げなあきまへんなぁ!!

と思ってます。


このコメントに気がついて呉れた皆さん、

良かったら黙祷で伸ちゃんの冥福を祈ってあげて下さい。

合掌

妹尾隆一郎




2009年 2月16日(月)

節分に恵方巻きを食べ、豆まきをしたと思ったら

あっという間に二月も半分終わってしまいました。

此の所、少しずつ体力が回復してきた妹尾です。

先日、下町の本屋さんを探し歩きました。

最初に発見したのは、都電の窓から見えた本屋さん

昔懐かしい感じで子供の好きそうな本が並んでる様な本屋さんでした。

たぶん買いたい本はないであろうと、他の本屋さんを探す事に。

商店街の端から端まで右も左も隈無く探し続ける事、なんと一時間。

ついに見つからず、最初に見た本屋さんに入ったら

アララ...

有りました、

ナショナルジオグラフィック




2009年 元旦

あけまして、おめでとうございます。

今年は、ついに還暦を迎える年と成りました。

Weeping Harp Senoh がやるべき音楽活動を

繰り広げていくスタートラインの年にしたいと思っています。

怪我は順調に回復してますが、

まだ動き方によっては痛みが有り、

二度目の風邪もひいてしまい

体力が落ちている事を実感しています。

焦らずじっくり養生して、

皆さんに納得して戴ける音を

御聴かせしたいと考えています。

もう暫くお待ち下さい。

今年も、頑張るぞ~!!!


皆様にとって

良い年で有ります様に

心よりお祈り申し上げます。




2008年12月 9日(火)

いよいよ2008年も約二十日となりました。

何とも一年の速い事!!!

妹尾隆一郎は年内いっぱい京都で過ごす事にしました。

一週間位前から風邪をひいてしまい、咳に苦しみましたが

今は随分楽になり一安心しています。

今年は新型インフルエンザが流行るとか、皆さん風邪をひかない様に気を付けて下さい。




2008年11月13日(木)

妹尾隆一郎、順調に回復

11月11日に京都の病院を退院致しました。

暫くライブ活動はできませんが

2008年10月15日に収録致しましたテレビ番組が

放送されますので

ぜひ御覧になって下さい。

2008年11月30日(日)

19:30~20:58

BS2『魅惑のスタンダード ポップス』




2008年10月25日(土)

まず、初めに…

塩次伸二さんの訃報は皆さんお聴きでしょうか?

たまたま2008年10月18日栃木県の佐野のライフに妹尾とデュオで出演予定だった塩次さんが

本番直前に虚血性心不全でホテル入り口で倒れていたのがほど夜の7:57頃

約30分後私達は警察からの連絡で事故を知り、

事情聴取を受けた後、お客さんに事情を説明し、

短いライブを現地のバンドの協力を得て演奏の後、

マネージャーと供に佐野厚生病院の廊下で無事を祈りつつ待機しておりました。

11:00過ぎ頃お医者さんに呼ばれて、出来るだけの手は全て尽くした…と詳しい説明を受けた後

我々を伸ちゃんに会わせてくれましたが、

日も明けて19日の…0:20最後の息を引き取りました。


20日通夜

21日本葬

と無事に滞りなく葬儀が現地で行われ、23日が伸ちゃんとのお別れ会…

と、トントンと順調に進行中だったのですが………


なんとその合間の


22日、私、妹尾が京都市内でのライブが終わり、

友人達と5人で一代の車で山科へ帰る途中、

岡崎裏の丸太町通り沿いの旨いたこ焼きを買って帰ろうと発車した直後、

右横からタクシーに突っ込まれる形で衝突事故になり、

他の4人は打撲傷が残るものの、入院には至らず…だったのですが。

僕は丁度タクシーに右横から直撃を食らう場所にいたせいか、

左胸の助骨を4本、右胸の助骨を2本、計6本を折り右肺が縮む…という結果

完全治癒に3~4ヵ月と予測されますので、来年は丁度還暦を迎える事でもあり、

これを天からの声と受け止め、完全復帰を目指して治療に専念したいと決意しました。


皆さんには突然でございましょうが、暫くの間の活動を休ませて頂き、

来年の復活に専念させて頂きますが、


御願い~~

それまで

わすれちゃ~

やだよ~っと


文責

妹尾隆一郎

我がホームページをご覧の皆様方へ