妹尾隆一郎27歳

妹尾君とハーモニカちゃん



27歳の頃の妹尾隆一郎が書いた文章と思います。

大阪弁がとても強く、表現の仕方も独特な、私が知らない若い妹尾隆一郎が居ました。

若い妹尾隆一郎がハーモニカやブルースに対して感じた事が書かれていました。


2021年5月10日 妹尾菊江





妹尾君とハーモニカちゃん 

鼻たれ小僧の頃

 妹尾君がハーモニカちゃんと、初めて出会っのは、小学校一年生の時でありました。

 叔父ちゃんが、よくハーモニカを吹いていたので、「僕にも吹かせてえや」と、借りては吹いてたのを覚えてますが、あれは、たしか学生トンボバンドとかいうやつのボロボロのハーモニカで、何やら口にくわえると金属の匂いと味がして、一種独特の思い出になっとります。

 それから長じて、五年生になって、小学校の特別編成の楽隊に入れられて、ハーモニカをやらされて、放課後音楽室に集まって、先生の指導の下に、練習にはげんだもんです。

 当時は、半音付きの、ホラ、タイガースの太郎が使うとったあれですよ、あれ、あれが、当時高うて、たしか800円位やったと思うけど、かあちゃんに買うてもろて、毎日大事に磨いて指紋が付かんようにピカピカにして大切に仕舞っておりやんした。

その頃800円もするハーモニカを持ってたんが、そうザラにはおりまへんで、一種のステータス・シンボルで、かっこ良かったもんですよ。皆んなほしがってたし、うらやましい、うらやましいと言われとりましてん。

当時やった曲が「カッコーワルツ」とか、「シューベルトのノバラ」とか、「ハニューのヤド」とか、まあそら当然ですわいね。

 それからしばらくして、ステータス・シンボルがピアノちゃんに変わって来て、私もハーモニカにあきがきて、小学校卒業と同時に、そんなもん忘れてしまい、ビートルズそれからクリームに至る第一期ロック黄金時代にもろに突入して、その頃からブルースを聞く様になりましたんやがな。


学力充実の頃

 当時知っとったハーピストとしては、ジョン・メイオールとかポール・バタフィールド位のもんで、あとは、ヤードバーズの数曲と、ジャック・ブルース位なもんでしたが、ハープに興味がわいたわけでもなく、B・Bキングとか、ライトニン・ホプキンスとかハープの入っとらん黒人ブルースしか聞いとらんかったし、ハープとブルースは関係ないもんやと思うとった。

 B・Bキングが第一回目に日本に来た時、あれは確か6年位前やと思うけど、何か面ろいレコードはないかいなとロックレコードをあさっておった所、ありましたありました。その名も「ファザーズandサンズ」という、かの、マイク・ブルームフィールドちゃんのフィーチャーされてるやつがあったんで、さっそく家に帰って聞きました。

 その時の気持ちは、今でも忘れられへんけど、なんと、マイクちゃんのマの字も演奏になかったのにガックリきたのと同時に、マディー・ウォーターズの歌とポール・バタフィールドのハーモニカちゃんにビックリギョウテン、腰を抜かさんばかりにオドロイてしもたんですわ、実に。

 そのLPのほとんど全曲にわたって何と、ソロをとっとるのはポールちゃんのハーモニカちゃんではないか、しかも、「これがハーモニカですか?」ともうイッペン聞いてみたいくらいに、カッコええ、信じられへん、ここで遂に妹尾君は、ハープのとりこになってしもたんねん。


勉強もせと女に飢えてた頃

 毎朝毎晩レコードを聞きました。レコードに合わせてハーモニカ吹きました。

そやけど何んにも分からへん。一ヶ月たちました。何んにも分からへん。

二ヶ月たちました。やっとちょっとずつ、出けるとこがありました。

そして、そしてついに三ヶ月目、出けました、やっと。

そうやねん、音を下げなあかんねん、やっと音を下げれる様になって気付きました。

ああオレはあさはかやったと。これでやっとこれから本格的にコピーが出ける………

四ヶ月がたちました、まだ出来まへん、何ちゅうてもむずかしすぎる!

 やっと一年目にして、一曲出来る様になりました。

この一年の長かった事、何べんもあきらめようと思いましたんねん。

そやけど、ハーモニカの音の誘惑に負けたおかげちゃんで、やっと吹けるように(本当は吸える様に)なりました。

そんだけハープの音は、魅力があると思いまっせ、ホンマニ!

 それから二年、初めて、リトル・ウォルターを聞いた時、アルバート・キングを聞いた時、サニー・ボーイⅡを聞いた時、愕然と来ました。

その音色と、味のある、心に突きささるハーモニカちゃん。それからロックやと信じてたクリームもポール・バタフィールド・ブルースバンドも、ジョンメイオールも、マイク・ブルームフィールドとアル・クーパーも、皆んな皆んな黒人ブルースをやっとったんやなあと。

 妹尾君は、ブルースちゅうのは、白人のロックのほとんど全体の音楽で、ビートルズでさえ、ブルースやと思とったから、(当時のビートルズは、ロックンロール的な12小節の曲が多かった) 完全にくつがえされて、それから、黒人ブルースのレコードをあさる様になって、始めて、黒人ブルースに愛着を覚える様になって、ハーモニカちゃんと本格的に付合う様になってきましたんです。

皆んなも今では、黒人のブルースから聞く人も多いと思うし、自然ハーモニカに接する人もふえてきてはいると思うけど、僕が一年かかったみたいに、どないしてええか分かれへん人が多いと思うけど、どうや?

 そんな人の為にちょっとハーモニカの吹き方なんか書いて見よか?おんそうか、ほなやりまひょ。


ハーモニカちゃんを愛する為に

 先ずハーモニカの種類について書くと、いわゆる小学校で習ったハーモニカ、いわゆるトンボバンドとかミヤタハーモニカとかいううやつと、フォークブルースとか、ブルースハープというやつと、大きく言ってこの二種類に分かれる。

我々の使っているのがこの後者のハーモニカなのですねん。

 どこがちがうか、と言うと前者は、一つの穴に一つの音しかないのに比べ、後者は一つの穴になんと、2つも音があり、1~4の穴の音のならび方がドレミソソシドである事、これにつきます。

これがあの、ブルースハーモニカの奏法を生み出す元になっているのだ。

 ここでは吹き方については書けへんけど、今チャレンジしている君の為に一応注意書程度の事は、あってもええと思うさかいに、これに気つけてやったら、意外とうまい事行くかもしれへんで、……

 ⚫️吹く前にやさしくお手手で暖めてあげる。

 ⚫️時にはやさしく、時には情熱的に接吻してあげる。

 ⚫️あくまでも接吻するんやから、肺を使わずに口を使う‥ わかるかなあ?

 ⚫️口が空気を吸うポンプになる。

 ⚫️ハーモニカは吹くのではない、吸い込むんじゃ。

 ⚫️一日に最低一時間は接吻してあげる。さもないとハーモニカちゃんは、ジェラシーをおこす。

 ⚫️特に音を下げる時は、舌をうまく使って、接吻してあげる事、舌の位置によって、ハーモニカちゃんの声の上がり下がりが変わる。

 

ブルースを聞いて、演って、変わった事

 皆んな、ブルースちゅうもんは、こういうもんやという概念があるやろ?そう、わしもあった。

ブルースちゅうもんは、黒人の叫びやと思うとった。

ほんでも最近それはちゃうなあと思う様になってきたんや。

 わしらは、聞いて、しかも日本人の心で英語の歌をわからずに聞くさかいにもの悲しい、

まるでシャウトしてるさかいに魂の叫びみたいに感じとるんとちゃうやろか?

というのは、僕らが聞いてるブルースは、太古の鎖につながれてた時代の本当に長い長い間の悲しみがたまって出てきた言葉でもなければ、しいたげられた恨みの言葉でもない、ごく最近の1940年頃からでありましょう、この頃は、もうすでに黒人差別がまだ歴然とあったとはいえ、社会的にはめぐまれた人も出て来ていたはずで、

歌詞を見ても、大体が女とのザレ事が多く、ホレたのフラレたのと、けっこう、かしましい歌詞が大部分をしめ、

あとは、ダンスの曲とか、仕事の曲とかで、陰湿な歌はほとんどなく、けっこう人生をたのしんでいる様ではないか、

彼らの歌は、ある種感情の歌であり、又、その言葉をはいてしまえば、明日になりゃ、いや、もう一時間もたてば、その感情はわすれてしまいそうな、そんな歌が多い。

 パンを食う為に一日働いて、やっと夕方解放されて、女と酒とバクチに狂うてその日の給金使いはたして、「また明日になったらたぶんお天とう様はやっぱり出てきはるやろ。」てな感じで、貧しさゆえにその日に追われて、何も考えるよゆうがないのかもしれないが、けっこうケセラセラと毎日を愉快に暮らしている様にもみうけられる。

僕にしてみたら、幸せの基準が、かなり上にあったもんやからちょっとの事でも悲しい気持ちになってしもうて、あんまりおもしない毎日やったんが、ブルースを聞いて演る様になってから、幸せの基準が下がったというか、何をやっても、楽しい気持ちになれる様になって、ゴチャゴチャと頭を悩まさん様になった。

 この妹尾君の体験から見てみると、それほどブルースちゅうもんは深刻な歌とちゃう様な気がして、人間が屁をする様なもんで、何の気なしにプーと出た言葉がブルースやなかろかと、最近思う様になってきよりました。

 ほな最後に例の句を一発

「吸え吹くな、好きな女と、ハーモニカ」


1976年 妹尾隆一郎 27歳