我々Blues Fanが ” Chicago Blues “ と呼ぶ、ある種のBluesの味を呼んでいるが、その実態像は以外と漠然としている。その一つ一つのパズルの断面を取り上げてみる。
⭐︎北部の街 Chicago を中心に活動をしているとみられるアーティスト達が居る。
⭐︎彼らは、Chicagoの街中の色々なレーベルからレコードを出している。
⭐︎その代表が『チェス・レコード』その他‥‥などがある。
⭐︎ほぼ全録音は第二次世界大戦後の作品であり、バンド形式である。
⭐︎我々日本人にとって『チェスのビンテージシリーズ』が初出であり、その代表は『Muddy Waters』 彼は同時代の白人にも大いにアピールするSoundを持っていた。それは田舎のBluesを脱して都市のBluesに変化した様に”諦めのBlues” から ”男を主張するBlues”に化した事であり、この点は皆も認める所であろう。
⭐漠然とした”Chicago Blues”の内容は、やはり都会のBlues、戦後になり、そのSoundはChicagoだけに限らず全国にアピールし始めたので、我々の知っているBluesというものが、まるで全てChicagoを中心にしてきたの如く思ってしまうが、メンフィスやカンザス、テキサスなどにもBluesは根付いていて、各地の都市で盛んにBluesのブームが沸き起こっている。
⭐️その上、戦前のBluesを探求する白人の研究家達が様々なBluesの根を掘り起こし始め、古くからのBluesの黒人コミュニティーだけしか相手にしていなくて、埋もれていた地方の倉庫から次々と発掘されて(レース・レーベル) アメリカの音楽界に広く知らしめられ‥‥
『ロバート・ジョンソン』などの再評価と、未発見のレコードを探したり、それを題に”Cross Road”なる映画も創作されていて、一大エンタテイメントに仕上がっている。
⭐️今から45年も前の話になるが、僕がまだ”Blues”を知らなかった時、『ダスティン・ホフマン』主役の映画『小さな巨人』が日本上映され、それを観に行ってびっくりしたのが、その映画の音楽だった。
『小さな巨人』のSound Trackは『ジョン・ハモンド・Jr.』一人に依る演奏。
ドブロギターとBlues Harpの一人演奏。メチャクチャハマってしまった。
確かに彼は白人で、しかもギター&ハープのテクニックは素晴らしく、その上”John Hammond” “ボブディラン” “ベッシースミス” “ビリーホリデー” “スプリングスティーン”などを発掘して育てた超有名プロデューサーの息子なのだぁ。
そんな風に断片を眺めてみると、やはり”Chicago Blues”という呼び名に意味があると思われ、『僕のBlues論』も”Chicago Blues”中心にアメリカのBluesをみていく、ここが中心軸になっているのを皆さんにも承知して貰いたい。
さて、その戦後の”Chicago Blues”らしいものが生まれてくる前には、どの様なBluesが全国にあったのだろうか?
そこで僕の提案は、田舎のBlues と都市のBlues これが同時代にも存在している時期もありながら、大きく見て、田舎のBlues から 都会のBlues に時代も流れて行き、変化が起きてきたと思われる。
まず、その田舎のBlues から見てゆく事にしようと思う。
田舎のBlues の考察
⭐︎Muddyの生家‥‥インディアナ・オラの掘っ立て小屋
アラン・ロマックスの若きMuddyへのインタビュー(P-Vineから発売されている)
映画『キャデラック・レコード』の場面
『僕のBlues論』の記述があった❗️❗️
『妹尾隆一郎ブルース論』と題して良いのか悩んでいましたが、妹尾隆一郎自ら『僕のBlues論』と書いてあるのを見つけ、私は安堵致しました。
『妹尾隆一郎 Blues論』と自信を持って残してゆきます。
2019年 1月 妹尾菊江