妹尾隆一郎公認サイト『大気まぐれ日記』を読みなおしていたらブルースに関する記載を見つけました。
2018年10月22日 妹尾菊江
2009年 8月 22日(土)
お笑いのテレビ番組で慰められている毎日ですが
今一番のお気に入りは 『ロッチ』危ない動物とのリアクション芸を売り物にしているコメディアンという設定の 「こんにちは根岸」シリーズ
道路で走ってくる車に跳ね飛ばされて捨てていかれるシリーズ
売れない役者が一般人などにイジられる「十文字アキラ」シリーズなど、滑舌の悪いやり取りが奇妙にくすぐってくれる。
お笑いを楽しんでいると、よく思う事がある。
ブルースの歌詞によく有る
我々日本人の感覚とはちょっと違う表現の仕方とか、特に ジミー・リードの曲に多い、下町のちょっと元気のいいアンちゃんが世間知らずの方言を言い放つみたいな可笑しさと、まるで共通する様な気がしてならない。
ジミー・リードの曲に登場する主人公は誰かに惚れてしまった男がマジに成れば成る程廻りの連中から見ると可笑しくて笑っちゃうみたいな...
本人だけが気付いてなくて実はみんなの笑い者に成ってるというストーリーが展開する。
ブルースの曲中にある紙芝居みたいなストーリーは、ある点、古典落語に出て来る「熊さん、八っつあん」の可笑しさを感じるのは僕だけだろうか?
いつか、ブルースの曲について思う事を僕なりの解釈できいて貰おうと思っています。
ところで
6月からライブ活動を積極的に開始した妹尾隆一郎です。
『還暦&復活ライブ』に駆け付けて来て下さった皆さん
本当に有難うございました。
これからも元気を出して、活動を続けていきますので
どうぞ宜しくね!!!
Weeping Harp Senoh こと 妹尾隆一郎
2009年 9月 3日(木)
昨日、久し振りに映画を観に行きました。
もう御覧に成った方もいらっしゃると思いますが
そう、あの映画。
『キャデラック・レコード』です。
映画『キャデラック・レコード』は、史実にを元にしたドキュメンタリータッチでシカゴ・ブルースという言葉がブルースマニアの間で定着しているシカゴで第二次世界大戦後に出来たレコード会社『チェス・レコード』の物語です。
登場する人物は、オーナーの レナード・チェス、マディー・ウォーターズ、リトル・ウォルター、ジミー・ロジャース、ハウリン・ウルフ、ヒルバート・サムリン、ウィリー・ディクソン、チャック・ベリー、エタ・ジェームスである。
せめて サニー・ボーイ・ウィリアムスンも登場させて欲しかった。
俳優は、エタ・ジェームス役の ビヨンセ 以外知ってる人は居なかった。
ストーリーの展開は各ミュージシャンが次々とチェス・レコードに登場してくる。
そして録音という場面が出て来て、幾組かのショートストーリーを伴いエピソードが加わる構成となっていた。
マニアには興味深いものであるが、「なぜ?そんなエピソードに?」という背景が解らないので一般の音楽ファンには訳が解らないストーリー展開で僕自身、消化不良を感じる部分が多かった。
やはり、僕にとっては、リトル・ウォルターのエピソードが一番興味を引いた。
登場人物の中で唯一いつもピストルを持ち歩き、すぐにピストルを抜くギャングの様に描かれていた。
とてもショックだったのは "Juke" というハープのインストルメンタト曲が大ヒットして、南部を巡業中 に、偽物を発見し、有無を言わさず射殺してしまう..... 場面。
映画に描かれて居るので、どうやら本当と納得せざるを得ないが、
僕には凄くショックなエピソードであった。
つづく
2009年 9月 16日(水) 『キャデラック・レコード』を観て来た。⒉
母親の死を聞いて心乱しているリトル・ウォルターは「行って葬式をしてやれ。」と言うマディーに、「オレはガキの頃、母に里子に出された。今、ヒットを出しミュージシャンとして上昇中に、この現場を離れるのは嫌だ!!」という様な事を言う。
そして苦しんでいるリトル・ウォルターに落ち着くからと酒を勧めるマディー。
それ以後、リトル・ウォルターは酒乱になる... というお話...
これは僕も昔、外国盤のLPの裏ジャケ解説を自分で和訳して知った事だけど、
「リトル・ウォルターは 7才の時、家族の数が多く両親は子供を食べさせられないので、リトル・ウォルターを家から出した。」と書いてあったと思う。
もし里子に出されたなら、「里親の誰それに預けられ...」と書いてあってもよいと思うのでもしかするとリトル・ウォルターはストリート・チルドレンになって、苦労して成人したに違いないと思った。
リトル・ウォルターのLPで、
タイトルが”Have To See You”のジャケットの顔のアップ写真を見ると、明らかに額に傷跡があり、三針縫ったのがハッキリ解るし、歯も揃っていなかった様な...?
そういう訳で、リトル・ウォルターは7才の頃からハープ奏者としてシカゴの街角でマディーに出会うまで、ストリート・チルドレンとして生き抜いて来たのだと思う。
しかも、当時の黒人にしてみたら、一人前の男の証明として、『ガン(ピストル)』を持つのはステイタスという常識が有ったので、映画の中でもマディーはリトル・ウォルターがすぐガンを抜くと”発射”という言葉を使って制止はすれど取り上げる事はしなかった。
だから、リトル・ウォルターが周囲のミュージシャンから「生意気でメチャ嫌な奴」とか「あんな奴とは二度とゴメンだ」と云われている..... というのは事実でしょう。
しかし、その中で只一人、同じハープ吹きであったビリー・ボーイ・アーノルドは「リトル・ウォルターさんは数百ドルもする車をプレゼントしてくれたり、立派なスーツを買ってくれたりして、僕には優しく接してくれた、いい人だ。」と、やはり何かの LP の裏ジャケの解説に書いてありました。
また、リトル・ウォルターがチェスの会社前の道路で、白人警官に車のボンネットに顔を打ち付けられ暴行を受けている場面は 黒人差別の一つのエピソードなのだろう。
1940年代、50年代のシカゴ市内での黒人差別は、相当激しいものが有り、
あの黒人市民権運動は、
最も激しい差別を法的にも認めて居た南部に於いても成功をおさめつつ有ったマーティン・ルーサー・キングが、次は北部の都市として乗り込んだシカゴでの運動はうまくいかず、一度撤退を余儀なくされた程の差別の激しい都市だった事が思い浮かびました。
つづく
2009年 9月 18日(金) 『キャデラック・レコード』を観て来た。3
映画の最後にクレジット・タイトルが流れている中にキム・ウィルソンの名前を発見。
リトル・ウォルターの演奏部分は彼が録音したものだと判り、リトル・ウォルターが初めてアンプリファイド・ハープにチャレンジした名曲 ”Juke” の 2コーラス目の不都合な部分をそれとなく上手に聴く人には判らない様にアレンジして演奏していたので「ああ、やはりあれはキム・ウィルソンが、うまく処理したんだなぁ~」と僕は妙な納得をしたのでした。
リトル・ウォルターの死に関しても
頭をビンで殴られ血だらけのウォルターがマディーの家に辿り着き、マディーの奥さんの腕の中で息絶える... という場面がありましたが、これは脚色でしょう。
ある夜、路上で喧嘩に成り頭を強く打ったが、そのまま家に帰り、翌朝死んでいるのを発見された。という定説がある。
ハウリン・ウルフのスタジオ録音では、レナード・チェスがサイドマンのギタリストに「お前の音は大き過ぎるから音量をさげろ!」と云うと、ウルフが「ヒルバートは俺のバンドのメンバーだ。バンマスの俺を通して物を言え!!」と噛み付くのを見ていたミュージシャン達は「ウルフはさすがだ! バンドのメンバーをかばい、大切にしている。」と云い尊敬する場面が有るが、この話は有名なエピソードだ。
この頃からチェス・レコードは大いに発展し売り上げを延ばしていく。
そして大勢の女性達を虜にしていく。
ウルフのレコーディングでもスタジオ内にたくさんのキレイドコロの娘達が詰めかけて、その雰囲気を盛り上げていた。
ウルフ役の Vocal も中々の物だった。
つづく
2009年 9月 22日(火) 『キャデラック・レコード』を観て来た。4
チャック・ベリーはさらっと登場して、後半のブルースとヒルビリーの融合から白人のロカビリーの誕生 場面に繋ぎとしての人物として描かれている。
エタ・ジェイムスの役でビヨンセが登場し、最後のチェス・レコードの終焉を迎える頃、
チェス・レコードの発展に寄与したブルースマン達のマディーやウルフは忘れられそうになっていて、収入も落ち込んでいく姿が描かれていくが、イギリスからの若いローリング・ストーンズの面々がレコーディングをしにチェス・レコードを訪れ、あこがれのブルースマンに会えて喜ぶシーンとか、ヨーロッパにブルースミュージシャン達が招待されて全世界にブルースが伝えられていく... といった暗示を短く描いて終わる。
エタ・ジェイムスは不幸な家庭に生まれて、親にも冷たくされ、黒人差別にも苦しんでいた。
そして薬に溺れて... という典型的な姿で描かれて居るが、
名曲の”At Last”が生まれた背景は描かれて無く、ただ時代の流れの中で、ブルース→ジャズやソウルへ変化していく音楽の象徴として描かれて居るだけの様に僕には思えた。
エタの登場あたりから、リトル・ウォルターは自分がやりたい様に演奏させて貰えない不満を持ちながらも、会社の言う事に従ってゆくのを余儀なくされていた。
ブルースの衰退を象徴する場面のひとつだ。
さすがに僕は悲しかった
何と云っても、ウォルターが息を引き取ったあと、マディーがトイレで声をあげて泣くシーンはグッときてしまった。
この映画のタイトルは『キャデラック・レコード』だが実際は『チェス・レコード』の歴史を描いたものなので、プロローグはレナード・チェスのストーリーから始まっているが、まだ南部の田舎で農業をして生きていたマディーの家を訪ねて録音する場面から始まっていれば、もっとカッコイイ映画に成ったと思う。
『クロスロード』という映画も、ロバート・ジョンソンがギターを持ってホテルに入り録音をする... そんな場面から始まり、導入部として観客を引き込むインパクトを与えていた。
このマディーを最初に録音したアラン・ロマックスという人は白人のブルースファンの一人でも有り、確か『アメリカ公文書図書館』の依頼で、アメリカ南・西部の農村に深く入って、農民の演奏するブルースを民族音楽として採集する活動(フィールド・ワークと呼ばれていたと思う)をしていた。
その活動のひとつで有るマディーの録音は1941年にされたと成っていて、日本のブルースレーベルで有名な P-Vine(ピーヴァイン)からも CD化され発売されている。
マディーのインタビューとスライドでロバート・ジョンソンの曲を数曲、録音している。
念の為、このフィールド・ワークは アラン・ロマックスともう一人(名前は忘れてしまったが...)の仲間と二人が中心と成って行われた事は有名ですね。
スリーピー・ジョン・エステスもこの二人に再発見されたのだったかな?
あの有名なレコードのジャケット、スリーピー・ジョン・エステスは盲目でサングラスをかけ、鉛筆をギターのカポ代わりにしているのは衝撃だった。
ひょっとすると、ダミ声で、アメリカ・インディアンの打ち掛けをチョッキの様に羽織って、ピアノの弾き語りや、ギター(スライド入り)の弾き語りのフィルムを残しているブッカ・ホワイトも フィールド・ワークで再発見された人のひとりなのだろう。
ブッカ・ホワイトは、CBSソニーのニューロックシリーズに、いきなり出現してビックリした!!
『100万ドルのブルースギター、ジョニー・ウインター』の次くらいに、生ギターの弾き語りでダミ声だけのLPで登場したから、インパクト大だったのを覚えている。
先程、フィルムの話が出たが、このブッカ・ホワイトのフィルムを知ったのは、僕がブルースハープを演奏するにつれ、どんどんブルースマニアに育っていった80年代以後の事でしたが、その一連のフィルムにはサン・ハウスのフィルムも有りました。
どれも観客は居らず、廻りには映像スタッフ及び録音スタッフが居るのみで、本人達は今でいうADの合図にうなずいて演奏を始め、終えると「終わったよ」みたいに視線を送る... という、すごく事務的な進行で.....
これはきっと図書館に資料として納めるスタジオ録音に他ならなかったのだろう。
ともあれ、このアラン・ロマックスのフィールド・ワークから物語りが始まった方がインパクトが濃かったものと惜しまれる。
しかし、マディーがギターを携えて、真っすぐな線路を北へ歩いていく後ろ姿。
シカゴの街のストリートで生ギターを弾いていると「都会でそんなギターを弾いたって駄目さ!!ここは田舎じゃないんだから!!」とバカにされる。
上を見ると、女性が二階の部屋からアンプを使える様にしてくれて、強烈なスライドギターを弾くマディーの廻りには、街の人達が楽しそうに集まって来る...
我々ブルースファンには嬉しい場面が満載だ!!
映画のほとんど半分は、マディー、ウォルター、ウルフなどの シカゴ・ブルース・サウンドが... スタジオ内での録音の様子などの再現...
特にリトル・ウォルターのエピソードが一杯で「ヤッパリ、シカゴブルースって、カッコエエ~!!!」と大声で叫びたく成る程、嬉しい映画だった。
確かにマニアのハートをくすぐる映画では有りました。
チャンスが有ったら、ぜひ観てください。
おわり