妹尾:神田に、カントリー&ウェスタン専門のレコード屋さんが有って、しょっちゅう出入りする様に成った。
ここで、本格的なブルースに出会う訳ですよ。
それが、『サニー・テリー』とか『ブラウニー・マギー』とか。
アメリカでは、アマチュアのブルースマンがハモニカ1本だけで演奏したり、
ギター1本だけで演奏してるレコードが一杯出ていて。
それから、まるでリズムだけで歌ってるのとか、もの凄く民族的で、いわゆる商業音楽ではない。
こんなマニヤックなカントリー&ウェスタン専門店で、レコードを買う様になった。
それで、音楽的なブルースに目覚めたの。
当時はブルースとは思わなかったけどね。
それでハモニカが、なかなか面白いなと思ってね。
練習始めたの。
_:その神田のレコード屋さんで買ったレコードはハモニカが入ってたから買ったんですか?
妹尾:面白そうだから買ったの。
_:もしかして、ジャケ買い?
妹尾:そう、ジャケット見て、面白そうだったから。
_:ジャケ買いしたレコードは、どれも良かったですか?
妹尾:うん。
当時は刺激受けたよ。
保守的な生ギター、生楽器、ジャグバンドなんかも面白いし。
こういう音楽は、結構今で云うブルースが多いから。
カントリー&ウェスタンもブルース進行が多いしね。
ロックが好きやったから、ロックバンドのハモニカ入ってるのも聴いたし。
で、最初に本格的にハモニカやろうと思ったのが、『ポール・バタフィールド』を聴いてからだった。
_:ベーシストで、ハモニカ吹いてる人がカッコ良かったというのは?
妹尾:それは高校の時。
だから、高校生の時、ハモニカをかじってたのよ。
_:今と同じブルースハープをですか?
妹尾:うん、そう。今と同じホーナーの。昔は780円だったからね。
でも、全く、やり方解らなかったけどね。
高校生の頃は人前ではハモニカ演奏してない。
自分一人で、ちょっと練習してみた、という感じ。
_:どんな曲を練習していたんですか?
妹尾:レコード聴いて真似してたの。『クリーム』とか『イエス』とかね。
ブルースベースのロックバンドは一杯有ったし、『ジョン・メイオール&ブルースブレイカーズ』とかね。
このバンドに居た『エリック・クラプトン』が作ったバンドが『クリーム』。
『クリーム』のベーシスト『ジャック・ブルース』がハモニカを吹いている事が有って、
「カッコええなあ~」と思ったの。
それは『トレイン・タイム』という曲で、汽車ポッポのハモニカね。
ハモニカが汽車ポッポの演奏している所に、ドラムが ♪タラララ…..♪ って、カッコ良かったよ。
『レッド・ツェッペリン』もハモニカ入ってる曲が有ったし。
そういうロックを知ってから、フォークソングにもブルーグラスにもジャグバンドにもハモニカが入ってる。
こういうレコードを聴きながら、合わせてハモニカの練習をしてたの。
大学3年生の時ブルースバンドを組んでたんだけど、
「フォークソング研究会に存在するのは認めるけど、定期演奏会には出さない。」という規定があったの。
でも、出演予定のグループメンバーが全員風邪引いてダウンしたので、
15分空いてしまったから、やってみるか?と言われた。
僕は3年生で、4年生に成ると就活が忙しくなるので、活動しなくなる。
3年生が現役最後という事も有り、声を掛けてくれたのだと思う。
その時やったのが『マディー・ウォーターズ』のブルース。
で、えらくうけて。
「おい、ブルースってイイじゃん!!」って、みんなが言ってくれた。
_:フォークソング研究会の中にもブルースが好きな人が居たんですか?
妹尾:僕だけがフォークソング研究会に入ってたけど、他のメンバーは入ってなかった。
いま、四日市で店(トムソーヤ)をやってる伊藤くんがベースで、
ギターが1人(石川祐樹さん)居て、ドラム無しのバンド。
_:『ダルマ・ブルースバンド』ですね。
妹尾:そう、『ダルマ・ブルースバンド』
僕はフォークソング研究会の一員として、フォークソング研究会関連のイベントに参加したりしていたけど、
定期演奏会という、フォークソング研究会の発表会みたいな場には、
正式バンドとして認められていなかったので、出られなかったの。
その時はマディーの曲を3曲やった。
この頃には、もう『マディー・ウォーターズ』を聴いてたって事だね。
『ウェストロード』とも、やっていた頃だし。
いわゆる黒人ブルースをやろう。と云って『ウェストロード』が黒人ブルースに変わっていった、
切っ掛けを作ったのは僕だと思うよ。
_:塩次さんが「ブルースはイイなあ!」とブルースに魅力を感じ
ウェストロードメンバーもブルースにはまっていった。とも聞きましたが。
妹尾:それは、『B.B.キング』だね。
_:大学2年生の頃に、ベースを新入生に渡し、ハモニカの猛練習が始まったんですね。
妹尾:猛練習したかどうかは覚えてないけど。
_:音が漏れない様に布団かぶって、レコード掛けながらハモニカの練習したのは、この時期でしょ。
妹尾:そうそう、猛練習やり始めたのは、マディーとポールバタフィールドが一緒にやってるレコードを聴いてからやね。
大学3年生の定期演奏会でマディーの曲をやってたって事は、その前に一生懸命練習してたって事だから。
_:『ポール・バタフィールド』のハモニカは、マディーとやってるレコードで知ったんですか?
妹尾:その頃、僕は黒人のブルースという認識はないまま、白人のロックブルースをよく聴いてて
「カッコいいなあ~」と思ってた。
そこに『ポール・バタフィールド』が、しょっちゅう出てくるのね。
_:『ポール・バタフィールド・ブルース・バンド』は聴かなかったんですか?
妹尾:浪人時代から知ってたけど、聴かなかった。
あんまり興味なかったから。
何故かというと、その頃はハモニカをやろうと思ってなかったから。
ところが大学生の時には、『マディー・ウォーターズ』が入ってるレコードだから買ったんじゃなくて
『ポール・バタフィールド』とか『マイク・ブルームフィールド』とかの白人ロックミュージシャンが
たくさん入っていたセッションバンドのレコードだったので、カッコいいだろうなあ。と思って買ったの。
そしたら、マディーがメインで、凄くカッコ良くてね。
それから黒人のブルースに入ったの。
ハモニカがメインのシカゴブルース的なのにね。
「こういうブルースいいなあ!!」と思った。
_:まだ、『リトル・ウォルター』は聴いてなかったんですか?
妹尾:知らなかったの。
『リトル・ウォルター』を教えてくれたのは、山口くんという人。
日本にもマニヤックなブルースの研究者が居て、研究会も有って。
日本でブルースが流行ってるとか流行ってないに関係なく、
アメリカの現地から直接レコード買ったりして、
ブルースを研究している人達をとりまとめて、本を作ったのが日暮泰文さんね。
他には、中村とうようさん。
この人達は、ブルースを商業音楽としてではなく民族音楽ととらえている人達で
その仲間の一人に、僕と同年代の山口くんが居たの。
新宿西口に『マガジン1/2』(マガジンハーフ)という店が有って
『レイジー・キム・ブルースバンド』と出てたりしてた頃、山口くんがお客さんで来てくれて知り合った。
彼は黒人ブルースの評論を書く人で、レコード会社から黒人ブルースのレコードを発売する時に、
解説を書いたりする人の一人だった。
山口くんは、バンドでハモニカ演奏して活動するのではなく、ブルースを聴いて評論等を書く文学的ブルースマニア。
だけど、ハモニカうまかった。『リトル・ウォルター』のフレーズを、よくコピーしてたと思う。
「リトル・ウォルターは、ポール・バタフィールドの先生なんですよ。」なんて教えてくれて。
「僕、ブルースの研究してるんだよ。こういうのが有るんだよ。」と
ビクターから出たチェスのレコードを教えてくれた。
『リトル・ウォルター』や『サニー・テリー』や『マディー・ウォーターズ』のベスト版が出た頃だった。
その頃のライブで、ブルースを歌ってギターを弾いて、本当に深いブルースを感じさせるプレイをしていたのが、
『レイジー・キム』(中川公威)。 彼は子供の頃からイギリスやアメリカで暮らした事があり、
黒人ブルースを生で聴いた経験の有る人だった。
『Weeping Harp Senoh』の名を付ける時に
「やっぱりハープは、weeping がいいだろう」と云ったのは『レイジー・キム』でした。
レイジー・キムと山口くんも知り合いだったと思うよ。
当時は、みんな、ちょっとでもブルースに興味が有ると、「おお~い、あのさ~」なんて云って
すぐに友達に成っちゃうんだよ。
それで、情報を交換し合ってね。 「ヘえ~~」とか云ってね。
ものすごく、喜ばしい日々やったね!
2013.5.18.