妹尾隆一郎が想い出を話している音源が見つかりました。
『想い出話しだよ〜』の元に成った音源です。
収録後すぐに隆一郎がパソコンに保存していました。
隆一郎が生まれてから小学生時代、中学生時代、高校生時代の三つです。
聞き手は私。
隆一郎とこんな風に色々な話しをした事が昨日のように感じられます。
2018年 9月 26日 妹尾菊江
隆一郎が高校時代の想い出話しをしています。
2012年12月8日収録
高校は、大阪教育大学附属高等学校池田校舎。
長い学校名ですね。正式名をインターネットで検索致しました。
ウィキペディアを見ていたら、著名な出身者の中に妹尾隆一郎の名前が有り、ビックリ!
妹尾:高校は中学から上がったので、一般的な受験勉強はしなかった。
中学に入学した頃の成績は凄く良かったんだけど
卒業する頃の成績は凄く落ちて、クラス50人位居て25番位だったと思う。
先生に「君は、このまま附属高校に上がるだけの学力が有るかギリギリの所だ。」と言われた。
それで、中学校内での試験を受けて高校に上がったんだ。
_:中学入学から、そんなに成績が下がってしまったのは、勉強よりも何か凄く好きな事でも有ったんですか?
妹尾:というより、小学校で英語を習っていたので、中学校に入ってからの英語の授業は簡単過ぎて阿呆らしい。
小学校は受験校だったので、全ての学科に於いて先に先に進んでいたから、中学校での授業は既に習った事ばかりで
バカバカしくて勉強しなくなっちゃったの。
中学3年生位に成ってきたら、その力もだいぶ衰えて、その後も勉強しなかったもんだからヤバクなってきちゃったの。
小学校卒業の時は代表で挨拶したから、多分成績は学年で一番だったんだと思う。
小学校の先生には、合格するのがとても難しいといわれている灘中学校も入れると思います。と言われたと
後に親から教えてもらった。
_:中学校も高校も、お父様が決めたんですか?
妹尾:いや、自分で決めた。
一応、灘中も入試の申し込みはしていたんだけど、私立学校より国立学校の方が受験日が早くて1月くらいに合格が決まったの。
灘中も受けるつもりだったんだけど、大阪府属の学校説明会に行ってクラブ活動の見学をしたら「いいなあ!」と思って
親父に「他の受験はやめて大阪府属に行きたい。」と言ったら、親父もOK。
大阪教育大学は学校の先生を養成する学校だから、戦前、小学校の先生をしていた親父は賛成したのだと思う。
その当時、大阪教育大学は結構成績の良い学校みたいだったから。
高校生に成ったら、中学生の時から好きだったビートルズが、もっと好きに成っていって。
FMラジオでジェームス・ブラウンとか聴いたり、
武満徹の琵琶と尺八を使った曲を聴いた時は「これ、凄いなあ!!」と思った。
他にはサム&デイブとか、リズム&ブルースではサム・クックがラジオからよく流れていた。
ロックも聴いてて、ビートルズやローリング・ストーンズ、ハーマンズ・ハーミッツとか、イギリスのバンドが多かった。
いわゆるロックでも、ストーンズはソウルっほくて、ビートルズはポヒュラーっぽかったね。
ジャズのスタンダードも聴いたよ。
アンディ・ウィリアムスとか、ブレンダ・リーの『霧のサンフランシスコ』とかね。
あとは、ローン・グリーンが歌ってた ♪ローレン、ローレン、ローレン、ローレン………♪ 『ローハイド』レコードも買ったし。
そうそう、レコードプレーヤーも買ったんだ。
それで、ソウルとかリズム&ブルースも聴くようになって、アメリカのロックも聴くようになった。
ビーチボーイズとか、ギターの ♬テケテケテケテケ…….♬で有名なベンチャーズが流行して、
どんどんアメリカのロックが出てきた。
中でも好きだったのは、ジミー・ヘンドリックスとかジェファーソン・エアプレインとかマウンテン。
まあ、洋楽はイギリスもアメリカも関係なく、どれもカッコ良くて、よく聴いた。
高校1年生の時、ベンチャーズバンドをやってる高校3年生の先輩がベースを売ってくれると云うので、
親父に頼んで、そのベースを15000円で買って貰って、家でビートルズのレコードを掛けながらベース弾いて歌ってたの。
そして、高校2年生の時に、同学年の連中とバンド組んで文化祭とかに出た。
僕はベース弾いて歌って、ビートルズバンドを組んだの。
ベースは、ジミヘンやジェファーソン・エアプレインはテクニックが難しい。
ビートルズも難しいけど、曲覚えたら一生懸命練習すれば出来るから。
特にジミヘンの曲はぜんぜん出来なかった。だけど歌が好きやからジミヘンをやるバンドでは歌だけ歌ってた。
ジェファーソン・エアプレインをやるバンドでは、後輩の女の子がヴォーカルで、僕はベースだけ弾いてたの。
だから、高校2年生の時には、ビートルズバンドがメインで、
ジミヘン曲をやるバンドとジェファーソン・エアプレインの曲をやるバンドと
他にも、アニマルズの曲をやるバンドもやってたし。
僕の一つ下の高校1年生は最初からロックをやってて、僕と同じ高校2年生はビートルズ、僕の一つ上の高校3年生はベンチャーズ。
_:歳が一年違うだけで、好みのバンドが違うというのが不思議で、面白いですね。
妹尾:こんな風に、僕はいろんなバンドに入って、一杯やってたので、ついに遊び過ぎて
高校卒業の時には、成績が152人中150番位に成っちゃったの(笑?涙?)
_:高校で、学年は違うけれど有名人が居たとか?
妹尾:そうそう、一年下の伊藤銀次。
あと、久保田。この人は別の高校だったけど、文化祭で知り合ったの。後にウエストロードのメンバーに誘ってくれた人。
久保田は、のちに、あがた森魚のバンドでギターを弾いてた。
妹尾:高校生の時、アンプは持っていなかったので、先輩に借りてたの。
宿直室にアンプやドラムセットを置かして貰って、放課後に教室でバンド練習してた。
_:先生達は何も云わないで、むしろ協力的だったんですね。
妹尾:そうなの、本当に。不思議な事に。
音楽室は使わせてくれなかったけど、宿直室にアンプを預かってくれたし、放課後に教室で音出しても文句言われなかったし。
当時は、学校の周りの人家も少なかったけどね。
_:学校放送で音楽を掛けたりしたそうですね。
妹尾:それは、高校2年生の時、放送部に入ってアナウンスしてた。
親父に内緒で買ったパイオニアのステレオアンプを放送室に持ち込んで、
校内放送の線に繋いでビートルズとかのレコードを掛けたの。
朝、みんなが登校してくる時に、ラッパスピーカーで学校中に響かせたりね。
昼休みには「はい、お昼の時間で~す。」とか言って「お弁当食べてる人達聴いて下さ~い!」ってね。
DJやってたの。
_:曲は、自分の好きな曲を掛けていたんですか?
評判はどうでしたか?
妹尾:なかなか評判良かったよ。
学校の先生も文句言わへんし、本当に自由やった。
妹尾:文化祭のたんびに体育館にステージ作って貰って、
スピーカーは、運動会で使うラッパスピーカーにヴォーカルマイクをそのまま繋いで
他の楽器は生で、ドラムもベースもギターも生で。
でも、うるさかったよーーーーー!!
当時、アンプが10W位。今は100W使ってる。
それでビートルズやって、僕はベース弾きながら歌ったの。
英語の先生に「英語が、うまい!!」って褒められて、得意に成ったりしてね。
褒められたのは凄く嬉しくて、今でも忘れられない。
高校3年生に成ったら受験の為、みんなダーッと活動を止めちゃったんだ。
生徒会の役員に誰も立候補しないので、ある頭のいいやつに、
「妹尾くん、立候補しろよ!」と云われて、副会長をやる事に成ったの。
その上、放送部も続けていたから、成績はガタ落ち。
ところが、その頭のいいやつは生徒会長をしながらも京大に入って弁護士に成ったんだよ。
2013.5.18.