妹尾:『magazine No.1/2』マガジンハーフという店を知ったのは、レイジー・キム(中川公威)に出会ってから。
彼に連れて行ってもらったのね。1971年か1972年だったと思う。
レイジー・キムのバンドに誘われて、『magazine No.1/2』で演る様になったの。
この店は西新宿の十二社(じゅうにそう)という交差点の近くに有ったんだけど、
Googleで検索しても今は十二社というのはないね。当時からあった熊野神社前が近いかな。
新宿駅西口を出てからずっと真っすぐ行ったら、その頃は高層ビルが京王プラザホテル一個だけだった。
怖いなあ!と思いながら通ってた記憶がある。
_:なんで怖かったのか教えて下さい。
妹尾:なんで怖いか(笑)
地震がきて、高い高いビルが倒れてきたら、360度何処に倒れてきても絶対つぶされると思ってね、
もうビクビクしながら、ビルの近くになるとワーッと早足に成ってた(笑)
絶対逃げられへんと思って(笑)
当時、僕は新宿から電車で一時間くらいはかかる福生(ふっさ)という所に住んでいたのだけど、
キムと『magazine No.1/2』に出る様になってからは、だんだんライブが面白くなってきて、
ライブの後も楽しいもんやから夜遅くまで皆と話し込んだりして。
そんな時はバンドメンバーや友達の家とか、気軽に泊まれる家に泊めてもらったり、
オールナイトの喫茶店で始発電車待つとか、どっかの店で朝までワイワイ飲んでたりした。
その頃は酒飲まへんかったらブルースでけへんと思い込んでたし。
キムがさ、なんでか知らんけど、当時としてはもの凄く深~いブルースやってる様な気がして。
キムはなんでこんなん出来るのかと思って、「天才や!」
キムも酒飲みやったし。
まあ、ブルースとお酒ってさ、あの頃は誰もが絶対合うとしか思えへんかった。
俺は下戸やったけど一生懸命飲んで、無理して飲んでたの。
最初の五分位は立ってられるものの、五分過ぎたら立ってられへん様になって。
たとえば、ワンカップ大関グーッと飲んだりしてね。
_:ワンカップ大関ですか。
妹尾:うん、なんで?.
_:ワンカップ大関はブルースっぽくないと思いますけど。
ライブハウスにワンカップ大関があったんですか?
妹尾:お店のドリンクじゃないよ。 自分で買ってくるのよ。
酒飲みながら演奏してて途中で寝てたりしてたとかね(笑)
「あれ? ハーモニカ聴こえないなあ、と思ったら妹尾ちゃん寝てる!」って云われた。
カッコつけて酒飲んで寝てるだけじゃなくて、もう苦しくてね。
ある時「終電乗るわー」って『magazine No.1/2』出て新宿駅に着いたのはいいけど、
あっと気が付いたら朝方になってて、新宿駅の便所の中でグターと倒れて寝てた事があったし。
苦しくて吐いてたんやね。
それでも、ぜんぜん酒強くなれなくてね。
_:それですぐに、お酒飲むの止めたんですか?
妹尾:いや、止めなかったよ。 10年くらいは飲んでたかな、沢山は飲まなかったけど。
_:でもライブ前は飲まない様にしたんでしょ。
妹尾;もちろん! もちろん演奏終わってからよ。演奏が一番大事だからね。
演奏が終わってから、皆でワーッと騒いでる時に、俺も調子こいて「飲むわ~」って云って。
最初の2~3口は美味しいからね。酒の味は嫌いじゃなかったんで。
でも酔っ払いそうになってきたなあと思ったら、それ以上は飲まない様にしてた。
当時、毎月京都に行ってたから『ウエストロード』の連中を『magazine No.1/2』に誘ったりしてね。
あとは『magazine No.1/2』にどんな人が出てたかな?
『南阿佐ヶ谷ブルースバンド』とか『スイートホーム・シカゴ』
ジャズの人なんかも出てたのかな? でもジャズのライブはあんまり観に行かなかった。
_:井手隆一さんは?
妹尾:彼はレイジー・キムのバンドのピアノ。のちに『デイブレイク』でも最初参加してもらってるけどね。
_:田村博さんも出てたみたいですね。
妹尾:出てたよ、僕が誘ったの。
_:1973年に収録された、限定500枚の『Live in magazine No.1/2』というレコードですが
妹尾:うん。僕はちょっと忘れてたんだけど、お店を閉店する記念にレコーディングしたんだってね。
『レイジー・キム・ブルースバンド』と田村博。『ウエストロード・ブルース・バンド』
あと、トックンだ。ジャズの『沖至クインテッド』のベース。
トックンはブルースが好きで、よくセッションに来てくれてね。
_:『magazine No.1/2』に出演していたミュージシャンは沢山いたみたいですが
レコードに収録されているミュージシャンは少ないですね。
妹尾:昔のLPレコードは、片面20分位ずつで。あんまり入らなかったからね。
6曲しか入ってないんだね。
_:収録日は、1973年4月23日~28日と書いてありますね。
妹尾:たくさん録って、いいやつだけを選んだのかな?
『magazine No.1/2』のお客さんの中に音楽が好きでブルースも好きな、NHKの関係の人達が居て、
機材を無償で提供してくれた記憶があるよ。
録音する為のマイクとか持って来て手伝ってくれたと聞いた。
でもLP盤にするまでの制作費は、お店がお金出したんだと思うよ。
だから、僕らも手売りしたよ。
_:このレコードの演奏を、一ヶ月位前に聴いてみましたが覚えてますか?
妹尾:うん、覚えてるよ。
_:6曲全部、暗~いスローブルースでしたね。
妹尾:そう、あの頃スローブルースが流行ってたんよ。
スローブルースを上手に演れるっていうのを目指してたの。
_:暗いスローブルースこそブルースの真髄、ブルースの中のブルースという感じだったのでしょうか。
妹尾:そうそうそうそう! 泣けるブルース。 思い込みやね。
スローブルースだけがブルースだとは思ってないけど、ブルースの醍醐味というのかな、
スローブルースを御機嫌に演れるミュージシャンに成りたいと思ってた。
そんな目標があったね。
_:キムさんは欧米で本物のブルースを聴いていて、誰よりもブルースをよく知っていた人だったそうですが
彼もスローブルースばかり演奏していたのですか?
妹尾:キムはね、アップの曲はあんまり演らない。
キムはブルースの雰囲気はよく知っているけど、ギターのテクニックは伸ちゃんや山岸の方がよっぽど上手いと
キム自身思っていて、俺(キム)の特徴はねちっこくギターを弾いたり歌ったりする事、
それが取り柄と思ってたと思う。
僕らもキムの演奏を聴いて、ねちっこさとかに度肝抜かれた。
メロディーのないアドリブソロを聴かされて、何するか分からん様なスリルがあった。
どないしたら、あんなアドリブが出来るんやろ? みたいな感じやな。
なんせ、生で現場に接したら、当時の僕らの音楽なんかはペラペラペラッて軽いもんでさ。
_:この『Live in magazine No.1/2』というレコードは、
日本人ブルースのレコードとしては本当に最初の物ですよね。 史上初?
妹尾:そうなると思うね、そういえば。
_:妹尾さんはハーモニカの練習を始めて何年目位だったんでしょう?
妹尾:「俺ハーモニカやるわ~」って 練習始めたのが1970年頃だから3年目位だと思う。
_:3年目位で、ここまでの演奏が出来る様になっていたんですね。
このレコードの演奏、実はあまり期待しないで聴いたんですが、
最初の部分、妹尾さんが話してる後ろで演奏してるのが、とてもいい感じなので、びっくりしました。
もっともっと下手なのかと思ってましたが、以外でした。
あの演奏はキムさん達ですね。
妹尾:うん。井出隆一
_:ピアノは田村博さんのピアノの音だったと思いますが
妹尾:あっ、そうか。そうだそうだ、田村さんだ。
_:40年前でも、田村さんのピアノはやっぱり田村さんのピアノの音なんですよね。
妹尾:ギターはレイジー・キムだね。
_:あのレコードの演奏の中では、最初のバックの演奏が私は一番好きですね。
妹尾:そうね。
僕らもね、そういうのを目指してたのは確かなのよ。
むこう(アメリカ)のね、ライブハウスのレコードをいろいろ買ったらね、
歌手が喋ってる間、後ろで小ちゃくね、ブルースを演奏してるの。スローブルースを演っててね。
ほんで話が終わったら、いきなりトン!と歌に入るのね。
そういうカッコ良さを演出したいと思ったからね。
学びたいと思ったね。キムは欧米生活の経験があって、本物のライブを聴いてよく知ってたからね。
_:妹尾さんも日本語で歌ってましたね。
妹尾:うん、そう。あの頃はね。
_:ハーモニカのアンプはヴォーカルアンプを使っていたんですね。
マイクもヴォーカルマイクでしたね。
妹尾:そう、ヴォーカルマイク、ソニーの『エレクトリック・コンデンサー・マイク』
アンプは、『ヤマハ200Wヴォーカルアンプ』って書いてある。
その頃は、音が割れりゃいいと思ってたの。感度が高いマイクが割れ易いから。
で、当時はギターアンプに突っ込んでやる事は知らなかったから。
ヴォーカルアンプ使った方が、音がちゃんとポーン!と出るし。
_:ギターアンプよりですか?
妹尾:ギターアンプだと、すぐハウリング起こすし。
というより、その頃は昔シカゴで使っていたハーモニカ用の特別なマイクが有る事を知らなかったの。
ハーモニカのマイクもヴォーカル用マイクだと思ってたし。
僕が使ってた『エレクトリック・コンデンサー・マイク』は出力が小さいの。
だからギターアンプに突っ込んでも小さい音しかしない。
それでボリューム上げるとキーンとすぐハウルしね。
そうするとヴォーカルアンプを使った方がマッチングする訳よ。
このヴォーカルアンプは僕の私物だったから『magazine No.1/2』が閉店した時に車に積んで
京都の『拾得』に持って行ったの。重いからライブの度に運ぶのは面倒だから、
まだヴォーカルアンプが無かった『拾得』に置きっぱなしにしたのね。
当時の『拾得』は生でフォークギターと生歌でマイク使わないライブをちょくちょく演ってたみたいで
「自由に使っていいから」と云ってアンプを置かせてもらったの。
_:昔は『拾得』で定期的にライブ演ってたんですね。
この頃、この何十年か、ライブしてませんね。
妹尾:あの頃は年に何回かは、やってたと思うよ。
ウエストロードとか他にも京都に知り合いのミュージシャン仲間はいっぱい居たしね。
_:レコード『Live in magazine No.1/2』の演奏を聴いて、御自分のハーモニカはどうですか?
妹尾:(大声で)そんなもん。誰にも聴かれたくないよ!!
(大笑い)
_:恥ずかしい?
妹尾:恥ずかしい!
あぶら汗が出る、気恥ずかしい。
こういうの世の中に出回って欲しくない。
(大笑い)
_;持ってる人はコピーして、いろんな人に渡さないで欲しいですね。
妹尾:そうそうそう!!
ばらまかないで欲しい!
_:そういえば、演奏者が間違って書いてありましたね。
妹尾:間違ってるね。ホトケとキムが反対に成ってたね。
_:それにしても、ハーモニカの練習を始めて3年目でこれだけの演奏が出来てるというのは驚きです。
何しろブルースハープの情報が少ない時代ですし、自己流で四苦八苦の練習でしたでしょうからね。
まあ、恥ずかしいという気持ちも良く分かりますが、りっぱ、りっぱ。
そうそう、日本でアンプ使ってブルースハープのの演奏した人は妹尾さんが初めてではないですか。
妹尾:そやな。
これでも当時としては、上手かったんやろうなあ。
2014年4月25日