都会のBlues

妹尾隆一郎の直筆原稿

都会のBlues


これには2つのタイプがあるが、都会のBluesの特徴は『Band』コンポに変化してゆく。つまり『Bass』と『Drum』がリズムを刻み、ギターやハープが主にフューチャーされる。

時代的には第二次大戦後である。

いわゆる『シカゴブルース』の誕生。このサウンドは Blues Fan の皆さんに馴染み深いものであろう。


さて、2つのタイプのうちの一つは、田舎のBlues の内容にバンドのビートが強調されて歌われる(語られる)もので、内容は大きく変わらない。その典型をなすのが『Jimmy Read』だ。


もう一つのタイプは、都市で育った男の黒人達の生活が田舎に比べて大いに向上した事にある。

第二次大戦を乗り越えた北部の重工業の繁栄が男達に定職をもたらした。

田舎のBlues の時代に比べ、男でも女と同等かそれ以上の経済力をもたらした。

そこで、歌詞の内容も大きく変化して来る。

いい例が、『magic Sam』の登場だ。



”I don’t want No Woman”

田舎では男は女に頼るほかは無かったが、都市では男も経済力を付けてくると女と対等にものを言う様子が伺える。

「俺のやる事に文句は言わせない」と言い切れる立場になって来る。

経済的余裕というのは、これ程の力がある。


そこで、こんな曲も現れる。


”I’m Ready”

この曲は、まるで生活を楽しんでいる男達の遊び心が伺えるし、余裕を持って半分冗談気味な感じを含み、必死の想いがない。

この遊び心を現すのに大阪弁がピッタリ❗️と思うので、(ライブでは)大阪のオッサンの言っている風に訳して見た。大阪弁と黒人英語の言葉遊びに共通のモノを僕は見ている。


若い黒人少女をからかいつつ、あわよくば物にしようとするオッサンのスケベー心が僕を笑わせる。(お笑い⇨大阪に通ずる)


ところが、同時代、シカゴでは男が余裕を持ちつつある時でも、田舎ではまだまだ貧困から来る悲惨な状況が続いている。



” The Story of my Life” Guitar Slim

ここに出て来るアラバマ&テネシーは白人の天国、黒人には地獄の地域の代表だ。

母を亡くし父も子供を捨てて出て行った。子供はその現実を受け入れざるを得ない。

父を恨む心の余裕もなく、その日からサバイバルをしなきゃならない現実にじっと耐えて生きて来たのだろう。父親だって好きで子供を捨てた訳ではなかろう。だって職を探すには他の地域を放浪して探さなければならないのだから。


これと同じ状況は都市近郊でも見られる。

音楽のBlues ではないが、小さな子供が誰も助けてくれない中で生き延びなければならない。

そんな典型が、次の曲に見られる。


” Change is gonna Come ” Sam Cook

この中で、『Sam Cook』は

”He winds me up and down on my kneed” と歌っている。

が、この曲を1990年代になってのライブではこの歌詞を次の様に言い換えて歌っていた。あまりに悲惨だったのだろう。

”He said I’m not able” つまり、兄は言った「(なんとかしてやりたいが) 不可能なのだ」と……

” Change is gonna Come ” は”Someday”と同じなのだ。



ともあれ、都市のBlues には、こんな曲もある。

愛を告白するのに、こんな風に言い回しをして女を口説こうとしている男の面白さ。

笑わせてくれます。


”Take out some insurance on me” Jimmy Reed


ほんと『Jimmy Reed』は面白い人だ。

大阪のハウリンバーで僕は毎月末の土曜日に「妹尾とセッションしたいヤツ、この指たーかれ❗️」シリーズを長年続けて来たけれど。店に入ったカウンターの近くに”ジミーリードを聴け”という標語が常に置いてある。「うーーん」と僕はウナってしまった。

「ここのマスター水流(つる)さん❗️ わかったはる~❗️」



シカゴの黒人社会では、かなり余裕のある(以前に比べてだが)生活をしているらしい…… どんどん、そのウワサに引き寄せられる様に南部や中部から黒人達は北部の都市を目指して大移動が始まる。

夢のシカゴへと徒歩、あるいは列車で、あるいはバスで……




“Chicago Baund” Jimmy Rojers


ジョージアの田舎者がシカゴを目指し、メンフィス、セントルイスを経てシカゴに着いた。ここは最高だ。みたいな明るい曲で演奏も力強く、汽車に乗って、調子も良く、また『Little Walter』のHarpが冴え渡る。


(1)ジョージアの田舎者が、彼女の止めるのも聞かず、故郷を飛び出す。


(2)メンフィスではさすがに都会で、田舎者の男には女に見向きもされない。

何年か過ごして居るうちに都会の水にも慣れて、一端のダンディーを決め込んでゆく。


(3)その足でセントルイスに行ってからは、そこそこ冬の寒さにも肌を暖めてくれる女にも出会えたが…… やはり最終目的地は、夢のシカゴへ向かう。意気ヨウヨウと……


(4)シカゴへ行って見たら、これまた想像以上の天国だぁ~

俺はここに骨を埋めるのだ、シカゴ最高❗️


そうなのだ 『Chicago Blues』の誕生だ。

マディーもココテーラーもバディーガイも、皆んな、無けなしの金をはたいてシカゴにやって来て、先駆者のマディーの世話に成りながら『Chess Record』で活動した。


しかし、ほぼ同時期の南部の田舎を見ると、第二次大戦で職業軍人として働いてきた黒人達は戦争が終わって失業すると貧困な南部での生活に喘いでいて、戦前にかなり活動していたBluesMan達は何処に居るのか分からなくなってしまった。

そして、『アラン・ロマックス』によって数多くのBluesManが再発見され、ギターを持たされて録音が始まる。

その代表が『スリーピー・ジョン・エステス』なのは、皆さん御存知であろう。

彼の再発後のLPのジャケットを見ると、古びたガットギターに鉛筆でカポをはめてギターを抱え込んでいる、あの有名なジャケットだ。

そんな時期、南部で大活躍した人が居た。

『Sonny Boy 2(ライス・ミラー)』である。

『キングビスケット』というラジオ番組を定期的に持って、大ヒットを放つ。

そんな『Sonny Boy 2(ライス・ミラー)』は、かなり変わったBlues が得意だ。

彼の曲の内容は田舎を匂わせる。

信仰心の厚い南部の人達に、彼は聖書の言葉を引き出して巧みに女を騙す。


”Unseen Eye” ”99” 果ては浮気を堂々とほのめかす。

”Keep it to Yourself”


こうなって来ると、北部、南部、都市のBlues の垣根は殆ど無くなって来るし、1960年代に入るや、ギターが主流を成し始め、Harpはそれまでの存在感が薄れてくるが、このBlues 全体の隆盛の中で、悲惨な人生ばかりというイメージが、人生を楽しむような様相を呈して来るが、基本的に変わらないのが歌われている言葉が話し言葉であり、自由に自分の気持ちをBluesに託す…… そんな音楽が白人の若者達に大きな影響を与え始め…… これがロックに結びついてゆく事になる。



ヒッピーとロック(1)




このあと、ヒッピーとロックについて書こうとしていたのでしょう。

生前、ヒッピーについて何度も話しをしてくれました。

ヒッピーの格好は、ただのファッションではなく『イエス・キリスト』の姿なのだと教えてくれました。

『想い出話だよ〜』のインタビューにヒッピーの話しを纏めて文章があったはずなのですが、見つかりません。見つかったら公開したいと思っています。

妹尾菊江