人名や店名などに間違いが有りましたらお許し下さい。
話が前後いたしますが、懐かしく昔話をしている真一郎さんと妹尾です。
2012年 12月22日、大阪塚本『ハウリンバー』近くの小さな店でコーヒーを飲みながら、
そして、店内に流れるクリスマスソングの音量が気に成りながら、お話を聞かせて戴きました。
妹尾:ライブやコンサートのスタッフに成りたいという人が、自ら手を上げてくる訳よ。
何かしら関わってみたかったんやろな。
_:コンサートを見た人に、楽しさが伝わったんでしょうね。
自分も仲間に成って、一緒にやってみたいと思ったのでしょう。
妹尾:一回のコンサートを企画してやるのに、バンド集めるだけじゃなくて、
会場の確保するのと、楽器や機材を確保するのと。
それをまた、好きでやってる人が居って、その一人が科木蓮だった。こいつ、力有ったよな。
真一郎さん:そうですね。
それで、あの頃、東京に有った PA屋が、ヤマハとギンガム。
ギンガムは加藤和彦さんがやってた会社で、大きな力を持ってました。
当時ギンガムは僕らに機材を貸す時と、
大手の芸能関係のコンサートに貸す時とは値段が3~4倍違ごうた。
むちゃくちゃ格安の値段で貸してくれた。
妹尾:タダ同然の値段で貸してくれたな。
真一郎さん:人件費だけは、どうしようもないから払ってくれ、って言われた。
妹尾:機材を運ぶのに、トラックで会場まで、貸す側が届けてくれる訳やから。
真一郎さん:最初の『ブルースパワー』のコンサートの時は、ケンちゃん(科木蓮)も東京に伝手がなくて、
僕と武岡(ウェストロードのマネージャー)で、京都のワタナベ楽器に頼みに行って、PAの機材を
京都から東京に運んで貰ったんだけど、ワタナベ楽器の人が「山野ホール見えたんやけど、入られへん」って
電話かけてきた。道が一方通行ばっかりで『山野ホール』の周りをぐるぐる廻ってたの。
あの時も、殆どタダみたいな値段でワタナベ楽器の人がやってくれた。
妹尾:会場も安かった思うで。
真一郎さん:うん。
妹尾:あの時は『山野ホール』三日間借り切って、いろんなバンドの組み合わせで、やったんだよな。
真一郎さん:この時の『ブルースパワー』コンサートのポスターと別の大きなポスターで、
黒人の女の子が写ってるポスター。
妹尾:うん。あれ覚えてる。
あれは、立川でやったやつ。
真一郎さん:あの黒人の女の子、妹尾くんの知り合いの女の子で、来たの覚えてるわ。
妹尾くんがワーッとしゃべってて。
妹尾:だから『ブルースパワー』の一番最初は立川でやったのよ。
真一郎さん:そのポスターの女の子は、ほんまの黒人そのものの顔してたけど、
その娘が連れて来た、もう一人の女の子は同じ黒人だけど、鼻筋通っためちゃめちゃ美人で、
みんなが、そっちの娘の方に行って、「カワイイ!」とか言い出して。
それが初めてですね。僕らがブルースを長くやり出したのは。
あとは、青山のVAN
妹尾:『VAN99ホール』でのライブイベントをやる切っ掛けは何だったの。
真一郎さん:切っ掛けは、『日本青年館』でやったコンサートを観た『GORO』という雑誌の編集長の島本さんが
VANの人と話をつけてくれはって、VANの人が「うちで、やるか~!」言ってくれはった。
あそこは、ほんまに安くでやらして貰った。
何回かやったなあ。
妹尾:月一でやったよな。
真一郎さん:俺、そやから、毎月、青山のVANの本社に行ってた。
妹尾:まだ、売れる前の『ダウン・タウン・ブギウギ・バンド』が「やらしてくれ~!」って来てさ、やって貰った。
真一郎さん:その後やね、『スモーキン’ブギ』が売れたの。
妹尾:『VAN99ホール』の99はなんだっけ?
99人だか、99円だかだったと思うけど。
VANの石津謙介さんが始めたホール。(客席99席、入場料も99円だったそうです)
このホールが有ったから、音楽や演劇をやる若者達が育ったのだろう。
真一郎さん:あと覚えてるのが、『西部講堂』かな。
妹尾:京大の『西部講堂』やな。
真一郎さん:『ブルースパワー』やった後に、京都の『西部講堂』でオールナイトコンサートをやろうという事になって。
ワタナベ楽器のキヨスさんとタモツさん、武岡とフクダマコト、優歌団のマネージャーとかで企画して始めたんですよ。
確か、最初の『西部講堂』のオールナイトコンサートだったと思うけど、
妹尾くんが司会とか、カウントダウンとか、全部仕切って、やったんだった。
妹尾:そうやったっけ?覚えてないな。
真一郎さん:12月31日の午後3時か4時頃から始まって、1月1日の朝まで、ずっとやってました。
『西部講堂』は京都大学の自治会の物やし、むちゃくちゃタダやし。
三年くらい続いて、最後の年は『キャロル』も来たんかな。
妹尾:『キャロル』も来たの。
_:何ヶ月か後(先日、内海さんに尋ねたところ、来たそうです)
真一郎さん:東京からもバンドが参加していて、それを聞いた内田裕也が「なんで、京都だけで、こんなに盛り上がってるんだ!」って
悔しがって、武岡に「東京でやる!」と言ったらしい。
そして始めたのが、浅草でやってるオールナイト。
妹尾:おいら、演奏する方やから、裏方の動きとか事情はぜんぜん知らんかった。
2013.5.19.