妹尾:新宿から電車で一時間は掛かる福生の米軍ハウスに住んでた頃だけど
ライブがどんどん面白くなって『magazine No.1/2』(マガジンハーフ)にちょくちょく遊びに行く様になり
もう、福生に帰るのが嫌になったのね。めんどくさいな、と。
せっかく福生で、お日様と共に起きるヒッピーの生活をしようと思ったのに、また夜の生活に戻っちゃったの。
『magazine No.1/2』に来てたお客さんの中に、下北沢に住んでた科木蓮というのが居て、本名は軽部(ケンちゃん)
『ブルースパワー』や『スプリングカーニバル』のコンサートを企画した頃からの仲間。
彼が「うちに泊まれや~」って云ってくれるのでよく泊めてもらったの。
それで僕も下北沢に親しみを覚えて居着く様になった、いい町やなあと思ってね。
で、とある下北沢の美容院に勤めていた女の子だったと思うんだけど「私、福生に住みたい!」って云うから
「よーし、俺の部屋と交換しよう!」って、大家に内緒で部屋交換して俺は下北沢に住む様になったの。
_:福生の米軍ハウスには伊藤さん(大学時代の後輩で『ダルマブルースバンド』のベース)と二人で借りていたんですよね。
伊藤さんは急にその知らない女の人と住む事になっちゃったんですか?
妹尾:そうそう。
_:あら、そうですか。
下北沢にはそれから長く住む事になるわけですね。
妹尾:そう、長くなるんだけど。
大家に内緒で部屋交換したから、それがばれて追い出されちゃったの。
その後は、たぶん東北沢だったと思う。
_:『ゼム』の店の前を通って帰った部屋ですね。
妹尾:そうそう、『ゼム』と出会う、お道(なんかとても楽しそうに 当時を思い出したのでしょうか)
下北沢の隣の駅の東北沢、の消防所、消防訓練学校があってその学校の近くのアパートに住んだの。
今はもう無くなってるけどね。
で、毎日下北沢に行ってたら、ある日突然、踏切のすぐそばに『ゼム』が開店前日で
ラグタイムとかストンプだったか書いてあったんで、凄く興味持ったの。
すぐに階段上がって二階の店に行って「こんにちは!」って云ったら、店主の夏目さんが出て来て
「明日から営業なんですよ。」って云ったので、「ほんと!ほんなら明日来るわ!」って云って
「ブルースおいてるの?」ときいたら、夏目さんが「はい!」って。
そういう事で始まったのね。
自分では買えないレコードや手に入らないレコードを夏目さんは一杯持ってるわけよ。
だから、もう朝から晩まで『ゼム』に入り浸りでズ~っとレコード聴かせて貰ったの。
それからはもう居候みたいになって。
で暫くして、東北沢のアパートから『ゼム』と同じ階にあった部屋が空いたので引っ越した気がする。
『ゼム』と同じ階で出入り口も同じだったから『ゼム』の住人みたいなもんやな(笑)
ここで、ドイツ-ホーナーのハモニカコンテスト応募の演奏録音をしたんだと思うんや。
近所に住んでたマキ(マキノ)っていうヴォーカルと生ギター弾くフォークソング系フォークブルース
みたいのをやってたマキに誘いかけて「ちょっとハモニカ録音するんやけど手伝うて、コンテスト出すねん」
で、部屋に来てもらって、ちょっと練習して、そして何回か録音して。
あのコンテストは一曲だけ送るんやからね。
_:その録音した曲は、やはり3コードのブルースですか?
妹尾:うん、3コードのブルースを歌なしで、ハーモニカのインスト。
適当に演ったと思う。なんかそれらしき曲に成ったと思う。
_:Aのハーモニカですか?
妹尾:覚えてないなあ、Aのハーモニカっぽいと思うけど。
だいたい生ギターは開放弦が多いから、曲のKeyがEで、Aのハーモニカだな。
_:ドイツ-ホーナーのハモニカコンテストの事は何で知ったんですか?
妹尾:ハモニカ買いに行った楽器屋さんにチラシ(応募用紙)が有ったの。
カセット録音でのテープで応募すればいいんだと思って。
で、世界大会が有ると書いてあったの。
ところが応募したあと、結果の知らせがなかなか来なくて…
_:賞状を見ると、1974年と75年の2年分が一緒に成ってましたね。
妹尾:うんそう、2年分なのよ。
僕が応募した年は世界大会が開催されなかったと聞いた。
_:楽器屋さんのチラシには世界大会って書いてあったんでしょ。
妹尾:ホーナーのハモニカコンテスト世界大会に応募
_:という事は、世界大会に応募したんですよ。
妹尾:そうだよね。
だけど直接ドイツのホーナーに録音テープを送るんじゃなくて、
日本のモリダイラ楽器に送ったのよ。代理店だからね。
_:国内予選があるとは無かったんでしょ。
妹尾:予選会については何も無かった。
_:モリダイラ楽器に送っても、それはドイツ・ホーナーの世界大会に応募したのだと思いますよ。
妹尾:うんうん、そうだよね。
だけど、もしかしたら、モリダイラ楽器に日本国中からテープが100本送られて来たら
ドイツのホーナーに100本送るんじゃなくて、その前にテープ審査しただろうね。
_:モリダイラ楽器で審査ですか??
妹尾:そう思うよ。
_:当時の日本にハモニカコンテストにブルースハープで応募した人は何人居たでしょう?
絶対に100人は居なかったでしょう(笑)
妹尾:なあ、当然なあ(笑) 2~3人位だったと思うな、有ってもな。
_:その当時、ブルースハープやってた人って誰が居ましたか?
妹尾:アリちゃん(松田幸一)とか… ほとんど分からないね。
僕もビクターからレコード出す前で無名だったし。
_:それとですね、当時の日本にブルースハープ演奏の審査が出来る人が居たとは思えませんね。
妹尾:まあなんせ、気合い入れて録音したと思うけどな、そんな気がする。
_:一日掛けて録音したんですか?
妹尾:そうね、一日掛けてやったね。
でも、そんなに疲れた記憶はないから5~6回録音したんだと思う。
_:マキさんと二人の演奏でしたね。
妹尾:そう二人だけの演奏。マキはバックを務めるだけで、ハモニカコンテストやからね。
テープを送ってから、なかなか連絡が来なかったので「駄目だったのかなあ~」と思ってたら
2年後に賞状と賞金が送ってきたの。
_:モリダイダ楽器から連絡がきたんですね。
妹尾:そう、モリダイラから。
ええ~? とか思って。
モリダイラの人からは「日本で一位になりました。」って言われた様な気がする。
でも、この賞状を見ると、ドイツ語なんだけど、どうも世界大会の一位だね。
_:INTERNATIONALEN 国際的なって書いてありますから世界一位としか思えませんね。
妹尾:可笑しいのがさ名前 Herr KOICHIRO SENNO って書いてある。
モリダイラの人も俺の事ぜんぜん知らないで名前間違えたんだろうね。
_:それにしても、この名前? いったい誰?ですよね。
妹尾:昔、隆一郎を降一郎と間違えられた事が有ったから KOICHIRO はそうだろうね。
僕がモリダイラ楽器に送った時に書いた名前は漢字だけだったから。
モリダイラの人が間違えたんだろうなあ。
しかし、まあ長い間この賞状が残ってたもんだ。 ほんとそう思うよ。
_:本当にねえ。妹尾さん御自分のレコードは一枚も持ってないし、
学生の頃買った貴重なブルースのレコードも一枚もないんですものね。
妹尾:それにしても、コンテストに応募してから、まる2年も待たされたからね。
あとでモリダイラから聞いたんだけど、ホーナーに世界大会やるだけの予算が無かったらしいんだ。
_:賞状にはテープ審査でと書いてありますから、この年はテープ審査のみで決定したんでしょうね。
妹尾:そうだね、テープ審査だけだったみたいだね。
_:モリダイラ楽器の人から「この年はホーナーに世界大会をやる予算がなかったので…」と聞いたのもあって
妹尾さんは世界一位になったとは思わなかったのではないですか。
妹尾:そうかも…
だから、その世界大会が開催されるなら、絶対俺は招待されてドイツに行けるはずと思い込んでたのね。
だから、それを裏切られた感じで、 だから日本一位なんじゃないかと思ったんだ。
_:この賞状が出てくる前までの40年間ずっと日本一位だと思っていたんですね(笑)
妹尾:うん、そうなの。
この賞状の他にも、賞金1万4千円くらいだったと思う、お金も貰ったの。
2014年 5月 4日