妹尾隆一郎の自筆原稿
妹尾隆一郎
1949年に生まれた僕は、祖母中心に育てられ、幼少期を過ごして来た。音楽的な面で非常に強い影響を受けた。祖母は芝居好きで、僕がまだ幼稚園に通う以前から、毎晩添い寝をしてもらっていて、祖母は布団に入ってから9時45分になると、ラジオを消して「さあ、寝ようか」という毎日を過ごしているうちに、三味線の絶妙なバチ捌きやメロディーがストーリーを大いに盛り上げる素晴らしい演芸に子供ながらに感動したのを覚えている。僕の音楽の原点は『浪花節』であった。
『BLUES』との本格的な出会い
僕の高校時代(1960年代)は日本でも盛んに洋楽が持て囃され、ありとあらゆる英米系の、過去には存在しなかった(と当時の日本では思われていたに違いない)、新しい音楽が次々に湧いて出て来ていた。つまり洋楽とは英語で歌われる音楽であった。
ごく一部の日本人だけが、多分『Jazz』などの関連から『BLUES』という音楽の存在を知っているだけで、当時の日本では『BLUES』を聴く事など出来ようもない状態であった筈にも関らず、計らずも僕は、偶然にも僕は大学在学中に神田の『カントリー&ウェスタン』専門店で『フォークウェイズ』というレーベルから発売されていた『サニー・テリー』の独奏や『ウォッシュボードサム』の独奏などを知らずに『 BLUES』の原点と言える音源を、それが『BLUES』というものだとも思わず手に入れていた。その素朴で強烈なエネルギーに訳も分からず魅了されていた。
というのも、僕は又しても偶然大学では『フォークソング研究会』に入部していて、ウッドベースを担当。その部の性質上、僕のバンドは『ブルーグラスバンド』でトラッド中心に練習していたのだ。