黒人コミュニティーとキリスト教の教会
南部の諸州は法的に白人居住区と黒人居住区が、はっきりとした境界で切り離されていた。
これは1960年代に於いても厳然と法的にも守られていた。
そこで思い出されるのは、かの有名は黒人の牧師『マーティン・ルーサー・キング・ジュニア』の『公民権運動」で、世界中に知られている。
白人社会の中でのキリスト教信仰と、教会による道徳的指導は徹底されていたが、やはり各州の政治権力と結び付いており、神の教えの解釈は政治的に利用され、黒人を差別して迫害する事にも利用されて、白人達はそれをまともに正しい事だと恥じる事なく解釈、乱用に目を瞑ってきた。
ところが黒人達が通う教会(これを黒人教会と一般的に言う事が多いが…)では、神は弱い人間、苦しむ人間を見離さず、必ず助けてくれる存在として真実信仰を深めていった。
そして聖書にある様な、神やイエス・キリストの言葉を疑う事なく学ぶ場として集まり、牧師の言葉に耳を傾け、この世の中で人間として正しく生きてゆく方法や倫理を学んでいった。
学歴もなく知識も持ち得ない殆どの貧しい人達は、教会でこの世の生き方を学ぼうとしていた。
ここで、皆さんは教会の音楽『ゴスペル』をすぐに思い浮かべると思う。そして『ゴスペル』は黒人の教会音楽であり、白人教会と白人には『ゴスペル』なるものは存在しないと思い込んでいませんか?
歌詞の内容やサウンドには明らかに違いがあるので、白人『ゴスペル』はないもの… と思っておられるでしょうが……
元々『ゴスペル』という言葉は『福音(ふくいん)』という意味で『ゴスペル』という音楽は、その神の福音を讃え伝達する為の、現代で言う『プロモ・ミュージック』『プロモーション活動』なのです。
これは歴史のはるかに長い白人教会の活動の流れの中で、特にアメリカでは白人の『ゴスペル』は黒人の『ゴスペル』よりも長い歴史がある。良くも悪くも黒人教会の『ゴスペルミュージック』は、白人のゴスペル宣伝活動をそのまま踏襲していったものだと思われます。
だが『プロモ』であるから各教会や地域での作曲が独自性を持っていた為、黒人の『ゴスペル』と白人の『ゴスペル』に違いが出てきたのです。
元々、同じキリスト教なので、初期は双方とも賛美歌が主流で曲も同じ曲を教会で歌っていたのだが、ある時点で教会を出て各地を廻り、その地の民衆に解り易く『神の福音を伝える』曲を作り信者を獲得しようというもので、白人側としては歌詞に文学的な内容や神の教えを盛りこんでゆく…… という流れであった。
黒人側の内容は、毎日の苦しさやしんどさ、悲しい人生などを切々と神に訴え、神にいかに縋って生きてゆこう… だったり、
出エジプトの奴隷として扱われていたイスラエル人達が、いかに苦しい経験の末、ついに独立王国を建てた歴史などを歌にして、同朋の黒人達に『神の福音』を伝え結束を固めていこうと曲を作っていった。その為白人の『ゴスペル』とは歌詞内容やサウンドに大きな違いが出て来た。
その黒人の『ゴスペル』を聴いた皆さんは、その人間の持つ真人?さや強い希望などのパワーを感じるので『ゴスペル』という言葉は全て黒人の音楽と思ったわけでしょう。
この『ゴスペル』音楽が一般的に『ゴスペル』と言われる前は『ニグロスピリチュアルズ』と呼ばれていて、その創始者と言われる『トーマス・A・ドーシー』は牧師になる前に『ジョージア・トム』呼ばれるBlues Singarでした。その後牧師となり沢山のゴスペルを作り『ゴスペルの父』と呼ばれている。
今では『ゴスペル』は音楽的にも歌手の力量も素晴らしく、シャウトを繰り返したりの凄いパワーを持っていますが、根本的に彼らの歌声から見えるのは、誠実、神を疑う事のない姿勢、他人をおもんばかる心などで、それがパワーの源泉になっているのを感じ取れます。
『トーマス・A・ドーシー』牧師の愛弟子に『マヘリア・ジャクソン』が居ます。
彼女は若い時から教会の聖歌隊に所属しながらも『ベッシー・スミス』のBluesに憧れて、よくベッシーの曲を家で歌っていて、マヘリアの歌はベッシーの影響を大きく受けていると言われています。
黒人の牧師には色々なスタイルがあり、資金力の大きいキリスト教会◯◯派の協会から、全国各地の支部の様な教会に牧師は派遣されたり、牧師の資格を取って自分で資金を集めて教会を建てたり、牧師の資格は取っても自分の居場所である教会堂を持てない牧師は、数人の弟子を伴って説述をしたりして宣教活動をしていました。その説述法を『Preach』と言い、そんな牧師を『Preacher』と呼ばれています。教会堂の中ではなく野外の活動です。初期のイエスも何人かの弟子を伴って各地を廻り歩いて説述し信徒を増やしていった。
まず人目を引いて、足を止めて貰うのに音楽は重要で、賛美歌のコーラス、屋外での楽器演奏にはギターやハーモニカが使われて、大衆受けのする『Blues Sound』に載っけて様々な曲が演奏されました。
中には、モロにBlues曲を取り上げて演奏されていたに違いありません。
実際、かなり前の『Preacher』の『Street Live』を録音したレコードを聴きましたが、Bluesそのものでした。
ひとしきり人々の耳を楽しませた後に牧師の説法が始まり、その話が盛り上がって来ると、また、その盛り上がりの中で演奏と歌が始まり…… これはまるで今も皆が良く知る『ゴスペル教会での集会』と殆ど同じ。
ただし、ひとつだけ違う点は教会堂内での音楽は『ゴスペル』のみで、ギターやHarpに依るBlues曲はあり得ない。
しかし説述法で人の耳を傾けさせる為にはBluesを演奏するのも厭わず……
いや!屋外でもギターとHarpしか使えない❗️ ここが僕には ”おもしろい❗️”
つまり、『Blues』という音楽と『ゴスペル』という音楽の「どっちが先❓」「黒人音楽の源は、いったい何処から❓」の大きなヒントが、これに在る‼️ と僕には思えるのです。