ブルースは歌詞が面白い~!
僕がBLUESにハマってからもう既に50年近くが過ぎてしまったけど、70才近くなった現在でも、まだまだ飽きる事なく興味が尽きない。
その理由とその楽しみを、日本全国のブルース・ファンの人々に伝えたいという気持ちが益々強まって来ました。
これから先に色々歌詞が出て来ますが、歌詞だけではその情景が充分に伝わらないと思います。出来れば、その曲の音楽、歌声、サウンドなどを耳にしながら、その歌手がどういう事を歌っているのか……を歌詞から探って下さい。
さて、何の曲から紹介しようかなぁ?
やはり、まずは、僕が一番インパクトを受けた人の曲から行こうかなぁ…
この曲に見える光景は、まず
「Baby、お前さんが出て行かなくてもいい、俺が荷物をまとめて出てゆくよ」というセリフに続いて
「Baby、一体どうしたんだい? 以前に比べて妙に冷たいじゃないか」彼女に見離された自分を覚える。
「お前に金をつぎ込んでやったのに、お前はいつも出掛けてしまい夕方までフラフラと外を歩きまわっていたと言う」
そんな日常の断片が語られて、最後に
「Baby、家の明かりを消してくれよ、俺は荷物をまとめて出てゆくからさ」と、もう明かりを燈して俺の帰りを待っていなくていいから、俺は出てゆくんだから……と語りかける。
そんなBluesですな! なんと言うか 彼女に冷たくされて、つれなくて、この先どうなるのかも見えないのに、帰る所もなく、ひとりボッチでさ迷い出る…… そんなBluesと解釈されると思うが、しかし、疑問に思う事があります。
”何故、自分の家から出てゆくのか?”
”何故、彼女を追い出さないのか?”
”冷たくされて不実を責めないでいるのか?”
”何故、そう簡単に行くあてもなく、さ迷う事を選べるのか?”
ハタ!と気付いたのは、僕たち日本人からは全然見えない彼ら黒人達の社会事情にあるのではないか?と思ったので、色々調べてみたら見えて来た事があった。
僕らの世代、特に学生時代に良くある話。両親から離れて大学に通う⇨アパートで一人暮らし⇨好き合う彼女が出来る⇨同棲する⇨ケンカ別れをする⇨大概の男は彼女の部屋に上り込むから暫くは自分の部屋がない⇨また好ましい女を見つける⇨上り込む……
でも、そんな生活は学生時代だけで終わるが、当時(1940~60年代)の貧しい黒人達は成人しても一人で生きてゆかねばならないし、特に男性にとって仕事と言えば短期の肉体労働くらいしかなく、その仕事が終われば収入は無くなる⇨次の仕事を求めて他の街へ
Bluesの歌詞に出て来る、一緒に暮らしている男女のBluesを聞いて、別れの話がそんな社会的な事がバックにある。別れたら二人はどうなる?どんな別れが?という目をくもらせてしまうのだ。
貧しく、差別の厳しい環境に生まれて育ってきた黒人達の生活のあり方や社会状況のバックボーンを知って初めて彼らの生きてゆく事の苦労や厳しさの中での男と女の関係は僕ら日本人からはなかなか理解しがたいものがある。
黒人達の生活のバックボーンの話をしたい。
⭐️男の子が成長して大人になりかかった時期(様々な例があるだろうが)には、早く社会に出て一人で生活できる様に家から出されて、苦しくて厳しい社会に放り出される事が殆どである。
例えば『Little Walter』のライナーノーツを見ると、貧しい両親には多くの子供が居るが、家族全員を食わせてやれなくなって、彼は7才で家から出されて、一人で生きてゆけ、とばかりにサバイバル生活に入っていった様だ。
両親には彼に対する愛があっただろうが、背に腹は代えられず、家を出て一人で生きてゆく様に言いきかせたのであろうが、7才ですよ、7才!
それから、どの様に生き抜いたかは語られていないが、13~14才頃には様々な街を流れてシカゴに流れ着いた様だ。
彼はギターも演奏出来て、特にHarpはかなりのものに成っていた様だ。
ストリートのチップで生活(生活ギリギリだろうけど)を凌いでいた様で、映画『キャデラック・レコード』ではシカゴの街角で、多分『ジミー・ロジャース』(G. Vocal)と彼の はHarpでのストリート演奏を『マディー・ウォーターズ』が見つけて、マディーがスライドギターで乱入する場面が描かれている。その時は彼は16~17才の頃であろう、それ以後その映画ではマディーとリトル・ウォルターが一緒に演奏活動してゆく姿を中心に描かれている。特にリトル・ウォルターがかなりやんちゃで我の強い性格であった様に描かれている。
思い出すのは、シカゴの様々なBlues Player達を収録したレコードが有るが、それは『リトル・ウォルター』の『チェス』での活躍する以前の音源が有り、そこでは『リトル・ウォルター』はギターでHarpは吹かず、マディーはサイドギターに徹していて、まるで『Little Walter』のバンドのプロモーションの様子を呈している。
『チェス』発売の『Little Walter』のLPタイトル『Hate to see You Go』のジャケ写真を見ると『Little Walter』の額に大きなキズがあり、3針縫った傷痕がアリアリと見える。サバイバル生活の中で、かなり喧嘩など大変な人生だったんだろうと思える。
映画で描かれた『Little Walter』のきかん坊、他人を信用しない、反抗心の強いイヤなヤツ……マディーがそんな彼をいつも暖かく見守っている……などが描かれている。
そんな『Little Walter』でも演奏力はバツグンで才能が有るのをマディーは認め愛情を注いでいたのが良く描かれている。
特に『Little Walter』が死んだ時の場面はグっと来るものがある。
さて、『Little Walter』の例を取って、ある男がどのように生きてゆかねばならなかったのか? の一例として取り上げて見たが、じゃあ女性は?
⭐️女の子が両親の元を離れて生活してゆくには、どんな道があったであろうか?
男に比べれば、まだ仕事はある程度恵まれて居ただろう。
例え家を出て一人で生活してゆくにも、様々な仕事を掛け持ちしながら、ある程度の収入が見込まれる仕事はあるにはあった。
ベビーシッター。少しはましな生活をしている近所の黒人の家や中流家庭の白人の家の洋服やタオル、シーツなどの洗濯。料理や家の掃除の請負いなどがあり、アパートの家賃を払いながら生きてゆける。
貧しい家に生まれたら学問もなく、仕事といえば最低ランクの賃金ではあるが、なんとか取り入ったり、姿勢を低くして、どうにか生きてゆける。
それに比べたら男は定職には付けず、短期ですぐにお払い箱、そんな仕事も一箇所に居たら見つからなくなるから、仕事が有りそうな情報を求めて各地をさ迷い歩きながらの職探し漂泊の生活である。
⭐️当時、アメリカのどの街にも(特に南部においては)黒人居住区があって、白人達の住む地域とは区別され街の郊外にすまわされていて、周りは殆ど全員黒人達であり、そこに独特な社会の仕組みが自然に出来ていた。
その中の一つが『Single Bar』で、多くの黒人の男女が互いを求めて出会う場(出会い系飲み屋)として人気を集めていた。
そこには『 Juke Box』があり、ある店ではチップ制のライブをやっていたり、酒やダンスで気に入った相手を探しては仲良くなりカップルが出来る。
男は様々な所から流れて来て、短期とは言え何らかの職を得ては、着飾って酒を飲みに来る。
女は誰かとは関係が切れて一人になっていたり(或いは男が居るにも関わらず、もっといい人を見つけようと)すると、一人寝の寂しさを払おうと『Single Bar』で相性の良さそうな素敵な男を見つける為に地元からやって来る。
そして、ご想像通り、男は女のアパートに転がり込んで同棲が始まる。最初は男も職があるので金銭に余裕があり女に優しいが、職を失うと結局定職のある女の家に居付いて『ヒモ』生活。
”Give You all my money and buy you Diamond & everything”などの歌詞が僕の頭に浮かんで来る。
男は必死に、その女の家の近くで職探しをしても長い間なかなか職もなく、女の情に有り難さを感じながらも自分の不甲斐なさ、男も「女一人を養えなければ男のあらず」のプライドを持ってはいるが、さすがに職探しも上手くゆかず、酒に溺れ、女に頼らねばならない自分が情けなく……荒れた生活。
女も男の立場や仕事のない事も知ってはいるが、荒れた酒びたりの男には愛情もさめて冷たくなる。
その憂さを晴らすべく、街をさまよい、新しい男を求める。
結局、男は女の冷たさに耐えかねて家を出てゆかねば、自分が惨めになるだけ……
だから男が ”Pack my things and Go” なのだ。
でも、ちょっと待て。
このままだと日本に於ける男女関係のいきさつから見ても、あんまり本質的に変わらないじゃないか? と皆さん思うかもしれない。
(1)男が懐の暖かい時(とある街の仕事に有り付き) Barで女と出会い
(2)知らない街で可愛い女と出会って、女のアパートに転がり込む。
(3)対等な関係は男に職が有るうちで、幸せを得れても、
(4)職を失いヒモ生活に浮かれていても、結局頼り甲斐のない男と見下され、冷たくされて、全てを失って、
(5)男は荷物をまとめて出てゆく。(あるいは追い出される)
(6)一人トボトボと、男のプライドをズタズタにされて、野宿の空。
みたいなStoryなら、傷心のBluesやなあ…… と我々にも判るやん!!と思っておられるでしょう。それがBlues、惨めで、悲しいBlues
僕には、ここにもう一つの男の心の動きが見えてくるんだ。
何度も同じ経験を繰り返しながら、いつかきっと俺にも良い時がやって来る。
”But Someday Baby I ain’t gonna Worry my Life any more”
”Sun’s gonna shine, My back door Some day”
など、彼ら男は決して希望を失ってはいない。 なぜ❓
思い当たるフシがある。
昔、日本でも大ヒットしたアメリカのテレビドラマ『逃亡者』
これは白人の世界での話だけど、リチャード・キンブルという医師が幸せな生活から妻殺しの犯人として警察に追われ、住み慣れた街から逃亡。
真犯人を見つけ出すべく様々な街で、キンブル自身あらたな違う人間として住み、誠実に生き生活する。
真犯人に限りなく近づいて、あわやという時になり、また警察に嗅ぎつかれて、またまた逃亡…… と繰り返す物語。
アメリカは大きく広い。
一人の人間が、自分の生活と男としてのアイデンティティを求めて新天地でのやり直しのチャンスをつかむ事も出来る。それもアメリカンドリームの一つである。
もう一度『Jimmy Reed』の”Oh Baby, You don’t have to go”を聴いて欲しい。
僕たちBluesマニアからすると、演奏も歌もHarpも音楽として、やはり最高の部類だ。
しかし、初めて黒人のBluesを聴いた当時の僕にしてみたら、楽器の演奏もヘタに聞こえるしHarpもウマくは聞こえず、やたら単調で…… まして彼の歌は間が抜けていて、まるで素人の歯が抜けたジジイが不明瞭な言葉でフニャフニャと歌っている。『素人のど自慢』でも鐘三つ程度だなぁ、コリャ! と思ったものだし、『the Best of Jimmy Reed』のLP全曲が、全く同じ曲を何回もやっている様に聞こえて「なんじゃ❗️ サギダ~❗️」って印象だったのを覚えている。
ところが今になって聴くと、彼の歌声からはあまり悲しみの響きが感じられないどころか、何やら得体の知れない人間のエネルギーを感じ取る事が出来る。
僕たちBluesマニアは、こんな音楽を『Deep』で『ダウンホーム』なBluesとして、一流のBlues Jimmy を最高の Blues Man の一人として評価している。
このBluesという音楽は、悲しみや苦しい生活や惨めな経験を歌いながら、決して希望を捨てないで生きて行こうとしている人間のささやかな喜びを感じるのだ。
特に ”Down the Road, I go” の部分に「次の街へ行って、もう一度人生をやり直す❗️」という強い気持ちが込められていて、その決意が歌声やギターのウォーキングベースの音色に現れている。
また、間の抜けた歌声から滲み出るJimmyの明るく和やかで、決して他人に怒りをぶつける事がない誠実な人柄も大きく感じる。
苦しい、貧しい、しんどい人生を受け入れながらも希望を捨てないで生きていこうとする男の人生を感じるのだ。
”あれは去年の今頃やった”
”俺のBabyが100$必要だった時”
”俺は99$しか持ってなかった”
”俺は本当に、あの娘が大切な女だった”
”だって、あの娘は素敵で親切な優しい娘だから”
”でも、すまない、彼女が100$必要だった時”
”俺の手元にゃ99$しかなかった”
”7月29日に、あの娘は病気になっちまった”
”医者は400$請求したが”
”俺の手元にゃ 300と99$しかなかってん”
この曲の我々の持ち得るイメージは
(1)俺の大好きな彼女に、たった1$足りないばかりに、結局役に立てなかった自分の不甲斐なさを嘆いている?
(2)そこがBluesや?
(3)何故たったの1$足りないなら、それくらい、なんとかなったのではないか、そんな話、まるで漫才を聞いているみたいではないか?
何事にも、ちょっと足らない(つまりアホ)男の嘆き。
これは、悲しい、つらい、といったBluesとは違い「笑い話で皆を笑わせて、不運な運命を笑い飛ばそう」というBluesなんだよね❗️
これが僕の見方で、Bluesには、そんな経験の多い同朋たちに「そうなんだよねぇ~ 世の中うまく行かない事ばかりだよねぇ~」と笑い飛ばして、次は頑張ろうっていう事だろうな。
「だからBluesは、やはりエネルギーに満ちてるなぁ~」って僕は思う。
でも、ここで、僕は見つけてしまった❗️
この曲の裏には黒人の誰もが知っている、とある説話がBackにあるのを……
その説話は
マタイ伝に出て来る、キリストの説法。
日本人も知っている”迷える子羊”の話である。
この話は、アメリカの黒人の教会でも多くの牧師が語ってきたものであろうから、黒人の殆どが知っていて、『Sonny Boy』の”99”を聴いた人達はすぐにピンと来たに違いない。
その話しは
ある羊飼いが毎朝100頭の羊を小屋から出して、放牧に連れて行き、帰りに羊たちを集めて帰ろうとしたところ、一匹の子羊が見当たらない。なんとか100匹とも連れて帰りたいが、全部をまとめて連れて帰るにはどうすれば良いだろうか?と……
もし、たった一匹の子羊をあっちこっち探しに行ってる間に、残りの羊たちが、またバラバラになって何処かに行っちまったら、多くの羊を失ってしまわないとも限らない。だから、この一匹だけ諦めて、残りの99匹を無事に連れて帰った方が良いのでしょうか?とイエスに尋ねた。
イエスは言われた。
あなたは、その子羊を必死になって探してあげなさい。その子羊は一人ぼっちになり不安に怯えているだろう。残りの99匹は、今は纏まっているのだから、あなたが連れて帰らなくても、きっと皆で帰って来るに違いないから心配ない。はぐれて心細い子羊を探し出してやれば、家に帰って来るであろう99匹の羊たちと合わせて全員無事に揃う事になる。そうしてあげなさい。と言われた。
これは信者の信仰心の話として有名である。
”迷える子羊”はまだ信仰心は入り口にあって、どうすれば良い信者になれるかの判断に迷っている。残りの99匹は信仰心もあり、多少の事には迷わない。羊飼いとは牧師で、100人の信者のうち一人の信者に迷いがあるなら、あなた(牧師)は、そのたった一人の為に、その信仰心に連れ添ってあげなさい。という説教である。 と僕は聞いている。
だから、この”99”という曲が活きて来ると思っている。