指定区分:国宝(建造物)
指定名称:清白寺仏殿(せいはくじぶつでん)
指定年月日:昭和30年6月22日
所在地:山梨市三ヶ所
所有者:清白寺
概要
清白寺は臨済宗妙心寺派の寺院である。
寺伝によると足利尊氏が夢窓疎石を開山として正慶二年(1333年)に創立したと伝え、夢窓疎石の法嗣である清渓通徹が二世となったが、その後の寺歴は資料を失い明確でない。
中興の昭州座元の代、天和二年(1682年)に火災をうけて伽藍、塔頭のほとんどを焼失、この仏殿のみ羅災をまぬがれて、創建時の遺構を今に伝えている。
仏殿の建立年代はその様式より推定されていたが、大正六年(1917年)解体修理の際、組物の巻斗に「応永二十二年」(1415年)の墨書が発見され、その年代が判明した。
仏殿は、鎌倉時代に禅宗をともなって中国から伝えられた新様式に基づく建築で、よく禅宗様の特色を示す。
方三間の身舎の周囲に“もこし”を付けた形式で、このため桧皮葺屋根は二重の外観となる。高く立つ身舎は入母屋造の屋根をあげ、“もこし”は四方に葺きおろしの屋根である。
柱は円柱を用い、粽(ちまき)と称してその上下を急に細められ、柱下には礎石との間に礎盤を入れる。
“もこし”の組物は柱上に三斗を組み、身舎は組物を出物とし、さらに詰組とした賑やかな扱いである。
出入口には花狭間を用いた桟唐戸を入れ、正面両脇二間と両側面には花頭窓を開く。
また波形連子の弓欄間や、頭貫先の木鼻、竪張りにした板壁など禅宗様の装飾的な特色である。石積基壇上に立つ仏殿の内部は、床板を張らず全部漆喰で固めた土間床で、身舎後方中央間の柱を取去り、来迎壁を一間後方に下げてその前に須弥壇を置き、堂内を広くしている。
“もこし”一間通りは化粧屋根裏をめぐらし、身舎柱と海老虹梁で繋がれ、また組物から斜めに持送られた手狭が装置され、繰形が施される。
身舎両側の前寄り二間は虹梁瓶束の構架で柱を省略し、広くするための方法が見られる。
しかし身舎天井は方三間全面に鏡天井を張り、上部空間は禅宗様特有の虹梁大瓶束の構架による立体的な構成を示さない。
また、上方の部材は全面にわたり彩色文様で飾られ、鏡天井には大きく墨画で雲竜が描かれている。
なお須弥壇は堂と同時期の製作で禅宗様の典型である。
この仏殿は、身舎上部の構架を、三手先とせずに出物とした組物、“もこし”の垂木は疎垂木に配するなど簡略化がみられる。
これは正統的な禅宗様仏殿といわれる円覚寺舎利殿(神奈川県)や正福寺地蔵堂(東京都)と比較すると、その規模もやや小さく、手法も簡素となって時代による変化があらわれ、地蔵堂より少し後れた頃の建築と考えられる。
鎌倉から室町時代は、貴族や武士の信仰を得て、各地に禅宗寺院が盛んに建立されたが、その後衰退したため現存する遺構はきわめて少なく、禅宗仏殿の古い様式を伝える一例として価値の高いものである。
[出典:『山梨の文化財国指定編』平成元年:山梨県教育委員会発行]