小桜韋威鎧兜、大袖付(国宝・工芸品)
楯無鎧
指定区分:国宝(工芸品)
指定名称:小桜韋威鎧兜、大袖付(こざくらかわおどしよろいかぶとおおそでつき)
指定年月日:昭和27年11月22日
所在地:甲州市塩山上於曽
所有者:菅田天神社
概要
この鎧の胴は黒漆塗平札の要所に互の目頭切付の鉄板を一枚交ぜとし、小桜藍染韋で毛引に威し、耳は紫韋、畦目、菱縫は紅韋を施す金具廻し、韋所は牡丹獅子文絵韋を張り、花菱文紅韋の小縁をつけ紫、萌葱、紺、白の色糸で伏組み、化粧板は浅葱小花文菖蒲韋包とし、紅白韋の端喰を出す。
化粧板の八双鋲及び総角付鐶座、据文金物は、鍍金地板に鍍金花菱透座を伏せ、中央に同花菱笠鋲を打った、いわゆる武田菱の本歌である。
蝙蝠付裏は牡丹襷霰地獅子文絵韋を張る。栴檀板、鳩尾板は欠失。
兜は、黒漆塗鉄十枚張八間急勾配の厳星鉢で地星一行に六点、腰巻に一点ずつ、真向の三行には各五点を打つ。
八幡座の孔大きく鍍金玉縁、裏菊、菱葉座を飾り、響孔は左右後中の三孔を穿ける。
眉庇に鍍金魚子地雲文毛彫鍬形台と鍬形を付す、しころは五段で、杉立形に威し、四段をゆるやかに吹返している。
大袖は小札板六段を下げ、水呑緒鐶を表に打ち、冠板の形状が中央稜形の花先形に成っているのは古雅掬すべく、「伴大納言絵巻」に描かれているほかは類例がない。
この鎧は甲斐源氏の始祖新羅三郎義光以来、武田氏の重宝として相伝され「楯無」と号し、信玄の時に甲府の鬼門鎮護のため塩山の上於曽村菅田天神社に納め一門の於曽氏をして監せしめた。
武田氏滅亡の際、家臣田辺左衛門尉がこれを向嶽寺の大杉の下に埋めたが、家康が掘出し、再び同社に納めしめた。
その後、盗難にあい大破したが、寛政三年江戸に於いて復旧修理、さらに文政十年甲冑師岩井某が修補したことが威毛の裏に墨書してある。
[出典:『山梨の文化財国指定編』平成元年:山梨県教育委員会発行]