安産のお砂と七彦粥
七日市場に、通称「七彦さん」と呼ばれ、安産の神が祭神となっている七日子神社がある。
神殿の下の岩蔵に、直経七十センチ位の大きな石があり、その周りには、風化作用などによって崩れ落ちた白砂がある。
その砂は、「安産のお砂」と呼ばれ、懐妊した婦人がお産の時に一握りのお砂を借りて、床のしたに置くと必ず安産になるという言い伝えがある。
又、一握りの砂の中に小石が入っていれぱ男の子が生まれ、小石が入っていなければ女の子が生まれるともいわれ、産屋明けには、お借りした砂の量の二倍をお返しする習わしである。
大正年代頃までは、この岩蔵の格子戸を明けて、人がやっと通れる位のくぐり戸をかがむようにして入り、お砂を借りに行ったそうだが、あまりにも大勢の人が出入りするので、格子戸も、くぐり戸も壊れはじめたため、破損防止上から形だけとなり、その代りに賽銭箱の前に「お砂箱」が置かれるようになった。
当時は、地元の人より中巨摩の人が多くお参りに来て、お砂を借りて行くので不思議に思って尋ねると、中巨摩には難産の人が多く婦人達が悩んでいたという。
その頃七日市場から嫁いだ人が大変難産だったので、次の子をお産する時に、七日市場の実家でお産したところ安産だった。
七日市場には難産の人は誰一人いない事を人づてに知り、「安産のお砂」を借りに来るようになったのだそうだ。
「お砂」を床の下に置くという事は、七日市場の地でお産をするという意味を持っているため、中巨摩の人達もお砂を借りりに来るようになってからは、難産の人はいなくなったといわれ、現在でも「安産のお砂」を借りに来る人もいるそうだ。
又、お砂箱には今は、河原の砂が入っているのだが、地元の人達にも、お砂をお借りする伝統・習慣が守り継がれている。
又、その昔、当社には古来から「七彦粥」という神事が伝えられてきた。
平安時代は、宮中の方のお産時には「七彦粥」の行事があった事は「長秋記」などによって伝えられている。
甲斐国志はこの縁起について、きんめいてんのうこうごうかたしおひめのみこと欽明(きんめい)天皇の皇后、堅塩媛尊(かたしおひめのみこと)が御懐妊の時、甲斐国に七日、甲斐国七日子の神に祭らせ、又、お産時には「七彦粥」を炊きすすめたところ、安らかに皇女がお生まれになったと伝えられ、それを食べさせると健康で立派な人に育つといわれている。
又、七彦が生まれる前には貢明神が鎮座していて、その明神様に貢という地区で取れた米を備えて宮中にそれを貢ぎ物として差し上げたという伝えもあり、貢明神から発展して、七日子神社となったたといわれ、その近くに「貢」という地名も残っている。