文化財の宝庫・窪八幡神社
窪八幡神社は、韮崎市の武田八幡神社とともに武田氏の氏神として敬われてきた古い神社です。
貞観元年(八五九年)、清和天皇の御命令により九州宇佐八幡宮から御霊が移され、笛吹川の中島、大井俣に祀られたのが始まりで、その頃は大井俣神社と呼ぱれていたそうです。
その後、康平年間一○五八年~一○六四年)に源義家が奥州での戦い(前九年の役一○五一年~一○六二年)から帰る時、弟の新羅三郎義光が、現在の場所である窪に移したため、窪八幡神社と呼ばれるようになったと伝えられ、そのため武田氏の深い崇敬を受神社に祀ってある神は、応神天皇、仲衰天皇、神功皇后で、武田氏によって度々再建修埋されましたが、神社の本殿、拝殿、摂社若宮八幡本殿など十一件が、重要文化財に指定されています。
また神社の境内には一二○一年に、武田信満が作ったと言われる普腎寺と言う別当寺がありましたが、明治維新の廃仏毀釈により措しくも取り壊されてしまいました。
しかし、この寺の御本尊であった普賢菩薩像は、甲府市中央四丁目の芦川重三氏宅に安置されています。
窪八幡神社の本殿は、室町中期の建物で武田信溝により再建されたものと言われ、昭和二十六年七月に解体修埋が完成しましたが、三間社流れ造りの三殿が十一間ひと続きの屋根の下に納められているのが特徴です。
本殿の前に建てられているのが拝殿ですが、細長い建物で本殿に比べ落ち着いた美しさを見せています。
これは弘治三年(一五五七年)、信玄が祈願成就のために再建したと言われています。
また、摂社若宮八幡本殿は、仁徳天皇が祀られておりますが、(仁徳天皇は、神社に祀ってある神と縁が深いので摂社といわれている)これも三間社流れ造りで、応永七年(一四○○年)に武田信満が建てたと言われ、神社本殿より十年早く建造されました。
拝殿は、天文五年(一五三六年)に信虎が建てた入母屋造りの社殿で、神社拝殿より二十年早く建造されました。
神殿は総門とも呼ばれ、永正八年(一五一一年)に信虎が再建したと伝えられています。
鳥居は、信虎が天文四年(一五三五年)、四十二才の厄よけに建てられましたが、両方の柱の前後に控柱をつけた木造両部鳥居で、神額には大井俣神社と書かれてあり、日本で一番古い木造の鳥居と言われています。
鐘楼は、いつ建てられたのか、はっきりは判かりませんが、武田信玄が拝殿を再建した時修理されたようです。
そして、昭和五十七年に再び修埋され、その時、鏡も新しく取り付けられましたが、この建物は、神仏習合の姿を残しており、とても歴史的価値の高いものです。