お経塚の経文石
山梨市七日市場の西原という所に、知足院という寺がある。
この辺りは、今は葡萄や柿の木などが値えられて、峡東地方の果樹地帯となっているが、四、五百年も前に櫟(くぬぎ)や楢(なら)の木が生い茂り、昼なお暗い雑木林の荒れ地であった。
その雑木林を通り抜ける一本の藪道(やぶみち)があった。
村人たちは、「あの藪道を通ると狐に化かされる。」と言い、通行する入もまれであった。
そして、その道をいつしか「狐道」と呼ぶようになった。
ある者は、「狐に化かされた。」とか、「歩いていると、藪の中が急にバッと明るくなって、真っ赤な狐火がついたり消えたりして見えた。」とか、またある者は、「同じ所を二度も三度も同り歩いて、くたくたになってやっとの思いで自分の家にたどり着いた。」と言った。
うわさがうわさを呼び、恐れおののいた。
その昔、笛吹川に近い林の中に、一人の停いお坊さんが住んでいた。
その偉いお坊さんは、毎日勧進に歩いていたところ、多くの村人から、「狐に化かされて困る。なんとか助けて欲しい。」と聞かされたのである。
さて、この停いお坊さんは、困っている村人の難儀をなんとか救ってあげられる良いてだてはないものかと考えて言った。
「私に任せなさい。人々を化かす悪い狐の霊を封じ込めて、村人の苦しみを取り除いてしんぜよう。」
お坊さんは、笛吹川の川原へ行き、丸いきれいな小石をたくさん捨い集めて来た。
それから筆を取り出し、その小石の一つ一つに、自分が毎日唱えているお経の一言葉の一文字一文字を丁寧に書き写しながら祈願し続けた。
そして、満願の日、護摩を焚いて(真言宗の秘法の一つ)、経文を書いたその石を積み上げ、その上に盛り土をして塚を作り、狐の霊を封じ込めてしまったのである。
村人たちは、「霊を封じ込めたりして、また何かの祟りでもあったらどうしよう」と震え上がっていた。
しかし、その後は夜中に藪道を通っても、狐に化かされる事もなく家に帰ることができるようになり、村人た事はたちまち村中に広がって、村人たちは、ちの間からは、「狐に化かされた。」という話は、ぱったり聞かなくなった。
人々は、「あのお坊さんは、本当に偉いお坊さんだ。」と口々に誉めたたえた。
そしてこの塚を、「有り難いお経塚」とか、「狐塚」としてお祀りし、日夜お参りするようになった。
後の世の人々が、耕作のためにその塚を壊した時、けがをしたり病気になったりした者がいて、それを「狐の祟りりではないか」と一言う人さえでてきた。
昭和の初め頃まで、知足院の向こう側の林の中に、小石が沢山あり、小高い山になっていたそうだ。
今は塚の形はないが、雑木林を耕した人が、当時の文字の書いてある丸い小石をいくつも拾い、これを有り難い「経文石」と呼び、昭和の初め頃まではこの石をよく見かけたと伝承されている。