山梨市指定史跡
田安陣屋跡 Tayasu Jinya (encampment) remains
管理者:稲荷社 他
所在地:山梨市一町田中一一五三番地 他
指定日:昭和五十六年五月二十五日指定
甲斐国には、徳川家の御三卿(田安・一橋・清水の三家)の領地が設置されました。
このうち、山梨市域において幕府から領地を拝領したのは、田安家と清水家でした。
領主田安武元は、江戸幕府8代将軍徳川吉宗の二男で、甲斐では山梨郡28か村、八代郡35か村、計63か村を領し、当初の石高は3万4千石でした。
本陣屋は、延享4年(1747)当地におかれ、以後明治3年までの間、田安領統治の中心となりました。現在、屋敷跡の西側の一部に堀が残り、北東隅の石積の上には守護神の水上稲荷社がまつられています。
また、本陣屋は江戸末期に農民が幕府に直訴を行った「太枡騒動」の舞台となっています。
詳細については、市のホームページ「田安陣屋跡」を参照ください。
この陣屋以外にも、市内には八幡地区に清水家が設置した「清水陣屋跡」があります。
山梨市教育委員会
徳川御三卿
江戸時代の甲斐国(現在の山梨県)には、徳川将軍家の直轄領(天領)のほかに、田安徳川家、一橋徳川家、清水徳川家の3家(いわゆる「徳川御三卿」)の領地が設けられていました。
「御三卿」とは、8代将軍・徳川吉宗らによって創設された、将軍の跡継ぎを輩出することを目的とした特別な家柄です。
彼らは独立した大名ではなく将軍家の親族という位置づけで、江戸城内に屋敷を構えながら各地に領地(采地)を持っていました。
甲斐国にあった御三卿の主な特徴は以下の通りです。
田安徳川家(家祖:徳川宗武)一橋徳川家(家祖:徳川宗尹)清水徳川家(家祖:徳川重好)甲斐国における御三卿の領知支配甲斐国は軍事・経済上の要衝であったため、一円が幕府の直轄地(天領)となっていました。
その広大な幕府領の中に、御三卿それぞれの領地が割り当てられていました。
御三卿は自らの領地に代官を派遣し、年貢の徴収などを行い、領主としての収入を得ていました。
それぞれの陣屋(代官所)が現在の山梨県内の各地域に設置され、幕府の代官と協力しながら支配にあたっていました。