八幡市川打ちばやし・北打ちばやし
八幡地区の市川区、北区に江戸時代より伝わる打ちぱやしがあります。
両方とも、昭和五十九年七月十八日に、山梨市無形民族文化財に指定された、郷上の誇るべき伝統芸能です。
市川打ちばやしは、江戸時代、伊勢神宮の末社であった霞森大神官が本社からお札を預かり、これを束山梨地区一帯に配布する時、神様の通る道すじを清めるため、その便いが打ちぱやしを行なったのが始まりだと伝えられています。
昔は毎年四月三日、現在は十月十五日に行われるようになり、おとなが笛を吹き、子どもが太鼓を受け持って上組と下組に分かれて、それぞれの村境から神社に向かって「打ちばやし」を行ないながら進み、最後に神社に奉納して終わったとされています。
北打ちぱやしは、「天狗打ちばやし」とも言われ、宝永年間に講総代の重兵衛さん達が、伊豆の三崎明神に参して帰り、南村と北村の村境にある荒神崎に祠を作って、戴いてきた御神札を納めました。
これは、その前に両村に大火があって村人たちは二度とこのような恐ろしい思いをしたくない、という切実な防火祈願の心から生まれた信仰だったのです。
そして、天狗さんが祀られ、神霊の降臨を願い、神に感謝する御幸として「打ちばやし」を行いました。
無病息災、家内安全、五穀豊饒を祈り願う年の初めの行事として、毎年一月二十一日、地区内の子ども達によって行なわれています。
昔からの伝承通り、前年中に嫁をとった男が花山車を持ち、次は露払いとして青竹を持つ男二人、三番手は太鼓持ちが二列(石が鼻に鍋墨をぬる金撥、左が鼻にお自粉をぬる銀撥)に並び、必ず少年が務めます。
四番手は裃姿の大人が笛を吹いて続き、最後に前年婿に来た人が柳山車を持ちます。
窪八幡神社の大鳥居の所で整列して出発、横屋町を過ぎると花山車の奪い合いとなり怪我人が続出するので、今は人々に配って渡すようになっています。
市川、北の打ちばやしは、両方とも戦争が激しくなるにつれて昭和十二年頃から中止されていましたが、昭和五十三年に「保存会」が結成され、復活しました。
区内の長老から教えを受け、年間を通じての練習の上に、地区の青少年育成会の指導と尽力があってこそ伝統行事が継承されているのです。
子ども達が、昔の衣装を身につけ、真剣に打ちならす太鼓から響きわたるリズムは、見物人の心をゆさぷらずにはいられません。
青少年の健全な成長のためにも、この美しい相互信頼の絆が絶えることのないよう、平和な世の中に不死鳥のごとく、明るく力強く太鼓を打ち続けてほしいものです。