狢(むじな)の建長寺さん
昔、一町田中の名主をしていた佐藤某氏の所ヘ、代官所から突然のお触書が届けられた。
「明日の夕方、鎌倉の建長寺の貫主さんが来られ、お泊まりになるので念入りに準備するように」と、そして「犬は厳重につなぐこと、入浴時に流しに来ないこと、食事の時は給仕を下げること」とも書いてあった。
天下に名高い和尚様がおいでになると聞いて名主は有難いことだと思い、万全の準備を整えて待ち望んでいた。
さて、その日になると建長寺の貫主さんはお駕籠(かご)に乗って、ものものしい行列をつくって村へ乗りこんで来た。
見るからに気高い上品なお坊さまで、皆いよいよ有難く思った。
名主の家では、大騒ぎをして精進料理などを出してもてなし、お主婦(かみ)さんがお給仕に出た。
しかし、「お給仕はいらぬ、物を会べる所を人に見られるのがきらいだ。」と言うので、お主婦さんは御前をさがった。
ところが、お膳をさげに行くと飯粒はあたり一面に散らばって見るも汚い会べ方であった。
又、風呂をたいて貫主さんにすすめると、始めは「お湯は嫌いだ。」と言って入ろうとしなかったが、ようやくお入りになった。
名主があとで風呂場に行って見ると、ずいぶん乱暴に風呂桶へ飛び込んだり、洗ったりしたとみえて、壁から天井まで湯が飛び散って、ものすごいさまであった。
又、何をしても終わるとすぐお経を読むのだが、なかなか高く澄んだいい声で、屋敷の外まで間こえてくるのを「あれが建長寺の貫主さんのお経を読む声だ」と皆喜んだり感心したりした。
二、三日過ぎた日のタ方、名主にお礼の印ですと、稲穂に鷹の絵を差し出して何処ともなく旅立って行った。
それから一ケ月も経った頃、妙な噂が伝わって来た。
「建長寺の貫主さんが東海道の宿場で大名の犬にかみ殺されて狢になった。狢が貫主に化けていたが、大に嗅ぎつけられてかみ殺された。」と……。
これは建長寺の縁の下に長年棲んでいた狢が、貫主さんを食い殺し、その袈裟衣を着て化けていたもので、お経の音色はもちろん、何から何まで貫主さんを真似ていたのであった。
飯の会い方の汚いのも、風呂がきらいなのも、みな狢だったからである。
村人たちも「狢の建長寺さん」と一言って、不思議なことだと驚いていたという。
今でも子供達の御飯の会べ方が汚いと、「まるで建長寺さんのようだ」と言うそうである。