石森山の巨人「ディラボッチ」伝説
山梨市駅の東方約ニキロ、上石森と下石森の部落境に孤立した小さな丘、石森山がある。
甲府盆地が陥没した時に残された石塁で巨大な石英閃緑岩質の奇岩怪石からなっている。
頂きからは霊峰富士山をはじめ、四囲の連山を見渡せる景勝の地である。
その山の中腹には山梨県文化財に指定されている山梨岡神社の本殿がある。
この神社は景行天皇の四十年に、日本武尊(やまとたけるのみこと)東征の時に勧請(かんじょう)されたと言い伝えられ、事解男尊(ことさかのみこと)、国常立尊(くにのとこだちのみこと)、大国主尊(おおくにぬしのみこと)、速玉男尊(はやたまおのみこと)、伊装再尊(いざなみのみこと)少彦名命(すくなひこなのみこと)などの神々を祭る神社で二間社流造りで、神護景雲二年(七六八年)に造営され、その後、文治、文明、永禄、天和(てんにょ)年間にそれぞれ再建され、現在昭和三十六年復元工事がほどこされ銅板ぶきの姿になっている。この神社は上・下石森部落の氏神であり、山容の神秘性をもつところから、早い時代から人々の信仰を集めたものと思われる。
この石森山にまつわる諸伝説があるが、その代表的なものに次のような話が伝えられている。
甲府盆地の東方、山梨市内に石森山、塩山市に塩の山の二つの山があり、どちらも小山である。
大昔、ディラボッチという、大そう力持ちで、雲をつくような大男がいた。
この男の強力は、山を片手で持ち上げるほどである。
足あとはたたみ八畳(約十三平方メートル)も敷けるほどで、昔、日本の仁王様と唐の伽王(かおう)様との間に生れた入道のような大男であったそうだ。ある時のこと、「二つの山を一夜のうちに運べ」という神様の言いつけで、盆地の南の方の山を一つずつ両方のモッコに入れておがら(麻のくき)の天秤棒で東の方に運んで来た。
ところが石森山の近くまで来ると東の空が白んで夜が明けてきた。
「これは大変だ」あわてたディラボッチは足もとの石につまづいてしまった。
その拍子に、かついでいた天秤棒のおがらはまん中からポキリと折れてしまい、モッコの山はそこへ落としたまま、大男は南の方へ逃げるようにして行ってしまった。
それで前の方のモッコの山は塩の山、後の方は石森山となって盆地のなん中にポツンと残され兄弟分の山となった。
石森山の松林の中には、大きな石がたくさんあるが、ディラボッチの大きな手のあとのついた手つき石や足跡石などが残されている。
それから以後は、石森地区のお百姓さんは、お(麻)を作るとその家の者が悪い病気になったり、一家が死に絶えたり、不幸な出来事が起ったそうだ。
そこでお百姓さんたちは大男のたたりを恐れて、その後はお(麻)を絶対に作らなくなったということだ。
祭神が麻がきらいであるから、もし麻を作れぱ、一家病にかかり死に絶えるなど不吉が起るとされ、山梨岡神社の祭神と結合して神秘化されたものであろう。
又、大男は夜が明けたのでモッコを捨てて行ったと云うが、一般に神事は夜中に始まり、夜明け前に終るという習慣の影響ではないだろうか。
石森山は明治時代までは小粒な水晶や薬用の青蒙石を産出していたそうだが、今は全くない。
現在、やや少なくなったものの松樹がしげり、周囲には遊歩道も整備され、ツツジの名所にもなり、地区の人々の祭りやいこいの場、観光地となっている。