本堂の中に薬師三尊像を安置していることから「薬師堂」とも呼ばれています。
弘安9年3月16日(1286)の刻銘があり、元寇(弘安の役)の数年後に建てられ、築730年以上になる関東周辺で最も古い木造建造物です。
大きさは24m四方で、幅広の縁側が四周を取り巻いています。流麗な線を持つ檜皮葺き(ひわだぶき)の屋根は落ち着きを見せ、鎌倉時代の建築の力強さがよく現れています。内部は内陣と下陣に分かれ、内陣には須弥壇(しゅみだん)を設けて厨子(ずし)を置き、薬師如来をお祀りしています。
大善寺本堂(国宝・建造物)
指定区分:国宝(建造物)
指定名称:大善寺本堂(だいぜんじほんどう)
指定年月日:昭和30年6月22日
所在地:甲州市勝沼町
所有者:大善寺
概要
大善寺は真言宗智山派に属し、古くは柏尾寺、柏尾山寺などと称した古刹である。
付近の白山山中から発見された康和五年(1103年)の銅製経筒(国重要文化財)の刻銘に「柏尾山寺往生院」と見えるのが資料の初見。
創建以来の伽藍は善美をつくしたと伝えるが、焼失すること数回に及ぶという。
現在の本堂は、文永七年(1270年)の火災後の再建によるもので、弘安七年(1284年)に鎌倉幕府北条貞時が勧進し、甲信二国に棟別十文を徴収して費用に充て、弘安九年(1286年)立柱が行われ、着手以来6年を経て正応三年(1290年)に落成をみた。
これは本堂背面の両隅柱にある「弘安九参月十六日」の刻銘により建立年代が確認できる。
内陣には本尊である平安初期の木造薬師如来および両脇侍像(国重要文化財)を安置し、本堂は別に薬師堂とも呼ばれる。
本堂の規模は、桁行・梁間とも五間で、寄棟造の大屋根をあげて桧皮葺とし、堂の周囲に切目縁をめぐらす。
全体的に木割が大きく雄大な趣をもつ堂宇である。柱は太い円柱で、柱上に実肘木つき二手先の組物を組み、軒支輪を付け、中備には間斗束を置く。
軒は二軒繁垂木とし、深い軒の出をみせる。
全体の構造と様式は和様の名で呼ばれる古い建築様式で造営されるが、頭貫の木鼻には円弧の連なる大仏様の繰形を用い、時代の新様式がはやくも東国に現れた例として注目される。
内部は前方二間通りを外陣、その奥二間通り中央三間を内陣とし、来迎壁の前面に仏壇を設け、本尊を納める厨子を安置する。
この厨子は当初の作でなく文明五年(1473年)に再興されたことが鯱内面墨書により明らかである。
内陣の後方および両側一間通りを後陣と脇陣とそれぞれに分けて呼び、内外陣の境には五間とも引違い格子戸を立て、菱組吹寄欄間をもって厳格な区画を設けた密教本堂の手法を示し、本尊を祀る正堂である内陣、前面礼堂の外陣における空間構成を表現している。
内外陣とも中央二間通りは梁行に二本の大虹梁を架けて柱を抜き、この上に斗栱を組むが、独特の様式をもつ繰形をつけた肘木や挙鼻を用いて特色を見せる。
外陣母屋の天井を鏡天井とし、内陣母屋は構架の技法によって竿縁天井を一段高く設け、そして庇部分の周囲一間通りを化粧屋根裏とする。
いずれも堂内を奥行のある広い空間構成とするもので、内外陣のすぐれた意匠となる。
建物の外観は正面中央三間を出入口として両開き桟唐戸を吊る。
その両脇間に幣軸つき連子窓を設ける。両側前端一間と背面中央一間の出入口のほかはすべて横張りの板壁である。
この本堂は鎌倉時代の密教本堂の代表例であり、伝統的な和様の手法による和様建築の重要な遺構である。
また本県最古の建物として知られる。昭和二十九年(1954年)に解体修理が行われた。
[出典:『山梨の文化財国指定編』平成元年山梨県教育委員会発行]