<有史以前時代>(1998年~2002年)
ビッグアプセットが誕生したのは今から24年前の1998年、世の中では長野冬季オリンピックの日の丸飛行隊に日本中が沸き立ち、サッカーワールドカップフランス大会に日本代表が初出場、初戦はアルゼンチンに軽く0-1でいなされそのまま3連敗、政界では橋本首相の退陣をうけて小渕首相が誕生、エンタメ界では安室奈美恵のCan You Celebrate?が大ヒットした、そんな年だった。メジャーにはその3年前に野茂英雄がチャレンジし大ブームを起こしていたが、まだポスティング制度もなく日本人メジャーが毎年誕生するにはほど遠い時代だ。
中学高校時代、どうしてもピッチャーをやりたくて監督に何度もアピールするもかなえられなかったマダックス末永が35歳を迎えて立ち上がり、自らが毎週投げるために草野球チーム・ビッグアプセットを立ち上げたのだ。
言い伝えによると、ビッグアプセット初戦は荒川河川敷のグランド、招集されたメンバーは桐朋野球部同期を中心としたメンバーだったが、10数年以上野球をやっていないビッグアプセットナインのプレーはぼろぼろ、ゴロもフライも全く捕れず、悲惨な結果に終わったとの言い伝えが残っている。
設立されたビッグアプセットはその後も活動を続けたが、まだネットも携帯も普及していなかった時代、全ては末永が「家電」でマッチメークやグランド確保、さらにメンバー集めなどを自力で切り盛りしていた。その状況では年間おそらく数試合程度を行うことがせいぜいで、しばらくは細々とした活動が続く。
すべては末永ひとりの努力とリーダーシップでかろうじて成り立っていたビッグアプセット、末永が神と崇めていたグレゴリー・マダックスが所属していたアトレンタ・ブレーブスの完コピユニフォームがビッグアプセットの初代ユニフォームとして、いまもその画像が残っている。
この時代のメンバーは末永に加え、現在のコアメンバーでは櫻町、大友、村上、西村、山下がすでに常連だったが、それ以外でも佐藤肇、今井、窪田、楠本、荻野、北村といった往年の名選手たちの名前が記憶されている。
時代は流れ20世紀が終わり21世紀を迎える、2000年にはシドニーオリンピックで高橋尚子の女子マラソン金メダルで盛り上がり、政界では小泉純一郎が自民党をぶっ潰す旋風を巻き起こし首相に就任、2001年には9.11ワールドトレードセンターの大惨事、そして2002年には日韓ワールドカップでベッカム旋風が日本を席捲し、細々と活動を続けていたビッグアプセットもいよいよ文明開化の時を迎えようとしていた。
<2003年>
ビッグアプセット文明開化!ついに公式記録の記念すべき初年度は山下三冠王で華々しくスタート!
戦績: 13試合 4勝9敗
MVP : バズーカ山下
2003年、アメリカがついにイラク戦争の火ぶたを切り、日本の自衛隊は史上初めて戦闘地域に海外派兵を決断、小泉首相の「自衛隊のいくところはどこでも戦闘地域ではない」という歴史に残る名言を残したその年、プロ野球では星野監督率いる阪神タイガースが18年ぶりの優勝で大阪を歓喜の渦に巻き込み、芸能界では上下真っ赤のジャージのおとこが「なんでだろお~」と歌いながらクネクネ踊っていた、そんな時代だ。
5年前の1998年から細々と活動を続けていたビッグアプセット、この年春には米国からコネチカット橋爪が、夏には英国からクラッチ芝田が帰国し即チームに合流、折からの携帯電話の普及もありチーム活動が活性化し始める。
この年の開幕戦は4月19日、上井草スポーツセンターでのエクソダス戦、これがビッグアプセットの歴史に記録されている最初の試合だ。当時の戦評によると、この試合は2-7で敗北、初回ツーアウトからのソロホームランとその後のタイムリーで2点をたたき出した山下の活躍が記録されている。
チームはこの年メジャー参戦したイチローの大活躍であっさりマダックスから気持ちが乗り移った末永がビッグアプセット第2代ユニフォームとしてシアトルマリナーズの完コピユニフォームを導入、このユニフォームでビッグアプセットの公式記録シーズンが名実ともにスタートする。
結局この年は史上初めてすべて公式記録とともにシーズン13試合を貫徹、個人記録とともについにビッグアプセットの歴史に公式な記録が記された。史上初の個人タイトルとしては首位打者に山下、本塁打王に山下とシーズン途中参戦の芝田が満塁ホームラン2本で並びともに2本塁打で同時受賞、打点王には山下と櫻町が並び、山下がビッグアプセット公式記録初年度を三冠王に輝く活躍で、これも歴史上初年度のMVPに輝いた。
現在のビッグアプセットを牽引する塚野兄弟、伊藤、加藤、佐藤達路、石井大和、この錚々たるメンバーがいまだ小学生だったこのころ、ついに40歳を迎え不惑の境地に届こうとするビッグアプセット最年長組が若き血をたぎらせて立ち上げたビッグアプセットの公式シーズン、ビッグアプセットはこうしてこの世にその歴史を刻み始めたのだった。
<2004年>
ビッグアプセットオームページ開設とガンバロウ大会初参戦、
12ケ月フルシーズン稼働が始まり第1期黄金時代へ始動!
戦績: 28試合 12勝14敗2分
MVP : オールマイティ楠本
マリナーズ2年目を迎えたイチローがメジャーリーグシーズン安打記録をなんと84年ぶりに塗り替える快挙が全米と日本全国を沸かせたこの年、日本ではオリックスブルーウェーブと近鉄バッファローズがまさかの合併、1リーグ制に反対する選手会が史上初のプロ野球ストライキを決行するなか、ナベツネの「たかが選手が」発言で日本中が炎上するなか、楽天イーグルスの電撃誕生、またアテネオリンピックを目前に長嶋茂雄が病に倒れ、一方でアテネの快挙で「ちょー気持ちいい」が流行語大賞を獲得した、波乱万丈の2004年。
前の年公式記録がスタートしたビッグアプセットは、前年4月だった開幕戦を1月24日の極寒の石神井公園に大幅前倒し、今につながる12か月フルシーズンがついにスタートした。また4月には茨城県波崎で合宿を敢行、5月と9月にはガンバロウ野球大会に参戦、いずれも一回戦敗退となったが、春合宿や大会参戦など今につづくビッグアプセットの原型ができあがった。
それを可能にしたのが、当時チーム裏方を取り仕切っていた正捕手・佐藤肇が独力で開設したビッグアプセットホームページだ。HPで個人記録の管理を行うことでモチベーションが一気に高まり、また出欠表管理でマッチメークや人員管理の生産性が一気に向上、試合数は一気に28試合に跳ね上がりビッグアプセットがついにフル稼働した年となった。
とはいえ、ガンバロウ大会では春は四谷ROXに2-4、秋はベイダーズに5-8といずれも完敗、まだ大会で勝ち進むほどチーム力は充実していなかった。一方で、急増した試合数に対応すべく末永監督は積極的にチーム増強を図り、独自ルートでスーパーアスリート黒田、その後盗塁王4回を記録する韋駄天アグレッシブ福原、渋いプレーのナイスガイ、ナカータ熊野といった若手選手を一気に獲得、その後2000年代後半のビッグアプセット第一期黄金時代を担う中心メンバーが出揃った。
またこの年10月2日の浮間公園でのNYW Wizards戦ではあの黒須選手が助っ人として早くも登場、同時に招聘された元韓国プロ野球選手・朴さんとともに衝撃のアベック柵越えホームランを放つなど、その後のビッグアプセットの歴史を形作る様々な出来事が起こっていた。
個人記録では前年に引き続き山下が打撃絶好調で首位打者とホームラン王を獲得したが、この年から4番に定着した芝田が打点王を獲得し山下の連続三冠王を阻止、また最多試合・最多打席にピッチャーへの挑戦と獅子奮迅の働きをみせたオールマイティ楠本がMVPに選ばれるなど、チーム力もいよいよ充実したシーズンだ。
HP開設やメンバー増強、楠本のピッチャー挑戦で戦力が充実し年間を通したフル稼働が可能となったビッグアプセット、次なる目線は大会での上位進出だ、と期待は高まる一方、まだこの時点で40代前半だった最年長組も、そうした試練を知る由もなく浮かれたシーズンオフを過ごしているのであった。
<2005年>
チーム力充実で年間40試合突破!打撃陣絶好調で個人シーズン記録続出!
ビッグアプセット規約制定で近代法治国家へ脱皮!
戦績: 41試合 19勝20敗2分
MVP : 巨鯨ビッグ櫻町
「それでも地球は回っている」「刺客」「ひからびたチーズ」「殺されたっていいんだ」刺激的なワードが次々と炸裂した「小泉劇場」こと郵政解散総選挙が日本中を席巻した2005年、ビッグアプセットは大きな飛躍の年となった。
前年にビッグアプセットHPが開設されチーム運営の効率性が飛躍的に向上、また末永ひとりに頼っていた投手陣に楠本が果敢に挑戦、この年は末永とならび年間100イニングを超えるピッチングで投手力が向上したことで、ダブルヘッダーを含む試合数が大幅に増加しついに年間40試合を突破した。
またこの年は役者が揃った打撃陣が絶好調、特に黒田の10本塁打、長打率1.127、櫻町の42安打、51打点、152打席、13二塁打、村上の39得点、38四死球は17年たった現在でも破られていない歴代シーズン最高記録だ。また黒田の10本塁打を筆頭に、櫻町8本、芝田5本、助っ人でたびたび登場した朴さん6本など、チーム本塁打は驚異の44本で、これは歴代2位の2018年の29本を圧倒的に引き離す歴代最高記録だ。そんな中、首位打者・本塁打王の二冠に輝いた黒田を抑え、打点王を含む打撃16部門中8冠に輝く大活躍をみせた櫻町が初のMVPに輝いた。
一方、試合数や参加メンバーが急増し、各メンバーのやる気が各段に高まったことの裏返しとして、チーム運営や試合参加スタンスなどを巡りまだ若かったメンバー間での軋轢もたびたび表面化、「大宮・来て打って帰るだけ事件」「世田谷公園・降格人事事件」「五反田・デビル事件」など、各種事件が社会面を賑わす事態となった。
この事態に立ち上がったのがビッグアプセット顧問弁護士バズーカ山下だ。こうした事件の背景に、チーム創業時以来の創業者末永のやる気と献身にチーム全体が依存している体質があることを見抜き、ビッグアプセット近代化のため山下自ら「ビッグアプセット規約」を草案、「楽しんで勝つことを目的とし、この目的に賛同するメンバーによって自主的に結成された」という第1条をはじめチームの信条やチーム運営の基本ルールが制定された。このビッグアプセット憲法というべき規約制定により、ビッグアプセットは近代法治国家へのステップアップを果たし、また同規約の手続きにのっとり、創業者末永の後をついでオヤブン村上がビッグアプセット史上初の民主的プロセスによって第2代監督に就任、翌年からの第一期黄金時代への扉がこうした開かれたのだった。
<2006年>
村上新体制で近代化されたチームでついにガンバロウ大会初勝利!
第3代ユニフォームも歓声しついに第1期黄金時代が始まる!
戦績: 44試合 20勝22敗2分
MVP : バズーカ山下
プッチーニの「ネッスン・ドルマ」をバックに「イナバウアー!」と叫びながらエビぞりする人間が巷にあふれた2006年、ビッグアプセットはいよいよ第一期黄金時代への前進を始める。
前年末に制定された「ビッグアプセット規約」に基づきオヤブン村上が新監督に就任したビッグアプセット、それまで末永ひとりにチームのすべてを任せていた反省から、村上新体制ではマッチメーク係、審判係、ボール係などの役割分担が行われ名実ともに近代化されチーム運営力も大幅にアップだ。
張りきった村上新監督は早くも1月14日に強豪ゾディアックとの変則ダブルでの開幕戦を敢行、その後も順調に勝ち星を重ね、GWにはニュー鹿南で春合宿を敢行しまだ勝ち星のないガンバロウ春大会に必勝を期して臨んだが、一回戦で大会本部に近いThatsに2-6と完敗しこれで2004年の参戦から大会4連敗。打ちひしがれるビッグアプセットナイン、大宮での失意の打ち上げも盛り上がらず、その流れで向かった2次会の個室でカラオケセットを発見したノビータ大河原がこともあろうに「関白宣言」を熱唱、これに追い打ちをかけられたビッグアプセットナイン、もう永遠に大会には勝てないのではないか、とまで追い詰められたのだ。
しかしここで終わってしまうわけにはいかない、ここで社長兼CEO大友が立ち上がり、大宮鬼門説を払しょくするためにも新ユニフォームを作成することを提案、神保町ミズノでの大友の強気の交渉も功を奏し、上半身は黒地に黄色をあしらった完全オリジナルの新ユニフォームが完成した。
この新ユニフォームがお披露目されたのが9月2日のガンバロウ秋大会初戦、この対BDJ戦でビッグアプセットは末永のタイムリーツーベースを皮切りに、福原、芝田、橋爪などがタイムリーをつるべ打ち、末永が完封勝利で最後は楠本-橋爪-櫻町のダブルプレー完璧にきまり10-0の完勝で通算5戦目にしてついに大会初勝利!サード芝田とファースト櫻町が我を忘れた抱き合う感動の場面を迎えた。
大会初勝利で歴史的呪縛から解き放されたビッグアプセットは順調にシーズンを消化、最終的には惜しくも勝率5割に届かなかったものの充実のシーズンを終えた。個人記録ではバズーカ山下が引き続き打撃好調で首位打者とホームラン王の二冠で2度目のMVPに輝いたが、芝田が打点王を獲得し山下の三冠王を阻止した。またこの年はビーグルスに主力、橋本選手、みずほ証券野球部の4番、飯田選手がチームに参加、強力メンバーとチーム運営力がともに大きく進化、いよいよ翌2007年からの第一期黄金時代を迎える準備が整った。
<2007年>
チーム力充実でガンバロウ大会4回戦進出!大幅勝ち越しで第一期黄金時代到来!
戦績: 38試合 27勝11敗
MVP : ストロングアーム橋本
米国でサブプライム問題が表面化し、翌年のリーマンショックにつながる不穏な動きが世界経済を覆い始め、一方日本では「欧米か!」「そんなの関係ねえ!」というお気楽な文化が花開いていた2007年、ビッグアプセットはついに第一期黄金時代を迎える。
末永・楠本の投手2本柱が完全に噛み合い、山下・芝田・櫻町のクリーンアップが絶好調、ここに前年参加の橋本の打棒が加わり、俊足コンビの福原・黒田、キャッチャー村上は強肩で盗塁を刺しまくり、西村、楠本、熊野、大友、大河原、橋爪といったメンバーが脂ののった活躍をみせるなどチーム力は充実、開幕からいきなり6連勝で一気に波に乗る。
そして前年の勝利で大会の呪縛から解き放たれたビッグアプセットは、ガンバロウ春大会で初戦Mrinesに13-0、2回戦は2004年に初戦で完敗を喫したVadersに末永・橋本のリレーで5-4の僅差で勝ち抜き、そして3回戦は投打の噛み合う全員野球でBackhomeに9-4で完勝、4回戦に勝ち上がり大会ベスト6、準々決勝ではArrowsに食い下がるも惜しくも1-3で敗北したものの、3年間まったく勝てなかった大会での4回戦進出、1年前に「関白宣言事件」で打ちひしがれた大宮の地でビッグアプセットは一気にヒストリカルハイの盛り上がりを見せた。
結局この年は27勝11敗とビッグアプセット史上初の年間勝ち越しを達成するだけでなく、通算勝敗でも勝ち越しに転じた。年間27勝は2018年の32勝には及ばないものの、いまだに20年間で歴代2位の記録だ。個人記録ではフェラーリ黒田が5割という驚異のハイアベレージで首位打者を獲得したが、前年参加のストロングアーム橋本が本塁打・打点の二冠に輝き、大会での大活躍もあって初のMVPに輝いた。またこの年は、まだ高校生だったプリンス谷上が純白の練習用ユニフォームも初々しく初登場、そのままチーム参加となりビッグアプセットの平均年齢も一気に下がり、このまま黄金時代は永遠に続くと思われた。
<2008年>
チーム力充実でガンバロウ大会4回戦進出!大幅勝ち越しで第一期黄金時代到来!
戦績: 36試合 24勝8敗4分
MVP : クラッチ芝田
前年のサブプライム問題発生を契機とした金融危機が進行し、3月にはベアスターンズがJPモルガン救済されそして9月には大手リーマンブラザーズが破綻、金融市場が凍り付き全世界を金融恐慌が襲ったこの年、ビッグアプセットは前年からつづく第一期黄金時代の真っただ中にいた。
投手陣では末永、楠本の2本柱に加え前年参加の谷上がピッチャーとしてデビュー、9勝を上げるなど次代エースに名乗りをあげ、橋本もリリーフ中心にナイスピッチングを見せるなどかつてない充実ぶり。そして打線では山下、芝田、櫻町のクリーンアップが最高潮、この3人が35安打で最多安打に並ぶなど、3人で105安打、106打点を荒稼ぎする活躍、ここに強打の橋本が加わる強力打線で、年間成績は24勝8敗、勝利数こそ前年に及ばなかったものの年間勝率.750はその後2018年に破られるまでの最高勝率でいまも歴代2位だ。
個人記録では年間最多安打を分け合った3人のなかで最も打数の少なかった芝田が首位打者でMVPを獲得、橋本がホームラン王、山下が打点王に輝いた。
しかし盤石にみえた第一期黄金時代のビッグアプセットにも少しずつ変化の波が押し寄せる。7月には監督村上にまさかの大阪転勤命令がでてチームに衝撃が走る。チームは急遽クラッチ芝田を第3代監督に任命、村上の穴を埋めるべくビーグルスから堅守好打の冨永選手を獲得するなど対応に追われる。最年長組が45歳に到達し、攻守に大車輪の活躍だった楠本が福岡転勤で離脱、不動のリードオフマン福原が結婚し参加率が落ち始めるなど、参加栄華を極め「何もいえねえ~」と浮かれていたビッグアプセットにも徐々に影が忍び寄ってきた。
<2009年>
谷上大活躍でガンバロウ大会4連勝でベスト6!次世代ビッグアプセットへ模索はじまる
戦績: 35試合 15勝17敗3分
MVP : プリンス谷上
iPhoneの普及で携帯がほぼスマホに置き換わり、第2回WBCでのイチロー決勝打での優勝に日本中が歓喜し、「最低でも県外」男が率いる政党が政権交代をなしとげた2009年、この年のビッグアプセットのハイライトは春のガンバロウ大会だ。
前年途中から芝田新体制となったビッグアプセット、6年連続となった春合宿で万全を期して春大会に臨み、初戦は青壱スプラッシュに6-1で快勝、2回戦は優勝経験あるTakagiに谷上の最高のピッチングで3-0の完封勝、続くFire戦を初回の先制攻撃で5-3で勝ち進むと、4回戦の強豪Sexy Sexy戦いでは谷上の力投に芝田・村上と谷上・黒田による2度のダブルスチール、3点差の最終回の守りのワンアウト満塁のピンチでショート橋本のダイビングキャッチによるスーパープレーでピンチを脱し感動の勝利、2007年の4回戦進出を上回るベスト6進出の史上最高位に到達だ。
しかし一方、末永の離脱、村上、楠本に加え熊野も香港に栄転、結婚した福原の参加率も落ち始め、また大会大活躍の谷上も肩を痛めるなど、45歳を超えた最年長組中心のチーム力に徐々に暗い影がさしはじめる。コアメンバーの相次ぐ離脱で芝田監督は毎週の人数集めに苦闘するようになり、この年は助っ人12人を含む30選手が出場、またコマ不足となった投手陣を救うため西村が12イニングを投げるなどチーム運営に苦労のシーズン、年間通しても3年ぶりのシーズン負け越しとなってしまった。
MVPには大会での大活躍に加え最多勝を獲得した谷上が輝き、打撃部門では首位打者は橋本、本塁打王に黒田、打点王に山下が獲得した。またシーズン終盤には、すでに助っ人として数試合に出場していたアーロン黒須の入団表明というチーム全員が沸き立つビッグニュースもあり、次世代のビッグアプセット再構築に向け始動するシーズンともなったのだ。
<2010年>
第一期黄金時代は終焉、低迷期に入るも石井・黒須の立教コンビ入団で反撃体制構築へ!
戦績: 38試合 16勝20敗2分
MVP : フェラーリ黒田
尖閣沖で中国船が海上保安庁巡視船に激突する映像が流出し、トラスト・ミーお気楽内閣が退陣に追い込まれ、ナショナルフラッグ日本航空が経営破綻するなど世の中が騒然とするなか、ビッグアプセットも転機を迎える2010年。
相次ぐ中心メンバーの離脱により、毎週のように人数不足に悩まされ芝田監督は毎週月曜日から助っ人調達に奔走する事態に、チーム力がどうしても安定しないビッグアプセット。ここでチームに刺した光明は前年終盤に入団を表明したアーロン黒須だ。球史に名を残す名選手であるだけでなく、その後の展開を考えると大きなポイントとなったのは、黒須の紹介でこのシーズン途中に立教の1年先輩・スーパーひとし君こと石井の入団だ。
シーズン途中で入団した石井、最初はキャッチャーの触れ込みだったが途中から投手陣に加わり、50イニングを投げ4勝2セーブ、初年度で最優秀防御率に輝く活躍を見せた。なおこのシーズンでは、助っ人ステータスで当時石井Jr.と呼ばれていた石井大和や若巨鯨マグナム鈴木も初参戦しており、その後のビッグアプセットの形が少しずつ見えてきた。
とはいえチーム力はまだ安定せず、前年を上回る31人が試合に参加、2年連続での年間負け越しとなった。しかし黒須、石井の入団やその後のチームを支える石井大和、鈴木の参戦など徐々に次の次代のビッグアプセットへの模索が続く年だった。
個人記録では首位打者・ホームラン王に輝いた黒田がMVPを獲得、またフルシーズン初年度のアーロン黒須が貫禄の打点王となった。
<2011年>
再生の2011年、ビッグアプセットも震災乗り越え3年ぶりのシーズン勝ち越し!
第二期黄金時代に向けて再始動!
戦績: 34試合19勝14敗1分
MVP : クラッチ芝田
「こだまでしょうか、いいえ誰でも」今でも胸が締め付けられる、日本中が人々に決して忘れることができない試練の年、東北の復興に誰もが心を寄せるなか、スポーツ界ではなでしこジャパンがワールドカップ優勝を成し遂げ日本中に感動を与えるなど、2011年は試練、絆、そして再生の年となった。
ビッグアプセットも3月から4月にかけて3週間の活動休止を余儀なくされたが、各選手の生活も無事立ち直り、早くも4月上旬には活動を再開、2年連続負け越しと低迷したチーム力を徐々に立て直すシーズンともなった。
投手陣では入団3年目を迎えた石井が先発・リリーフに大車輪の活躍、谷上との両輪で投手陣をしっかり立て直す。一方打撃陣では監督クラッチ芝田が打撃絶好調、シーズン通じて打って打ちまくり、2005年櫻町に1本及ばない歴代2位の41安打、歴代3位の36打点、打撃16部門中10冠獲得、2003年の山下に続く史上2人目の三冠王で自身2度目のMVPに輝いた。また蒼天監督だったブルーインパルス田中が入団し内外野の層も厚みもました。
大会では春秋ともに2回戦敗退であったが、春大会初戦のイイジャン戦では相手剛速球投手を攻略、延長サドンデスでは絶体絶命のピンチをキャッチャー村上の牽制で脱し最後はジャンケン対決で勝ち進むなど劇的な試合も多かった。またまだ助っ人扱いの石井大和がこの年は3試合に出場、マウンドにも上がるなど次代のビッグアプセットの姿が徐々に形づくられる。
この年もまだメンバー繰りに苦しみ総勢36人が参加する状況だったが、田中、石井大和、そして翌年には鈴木、斎賀の入団も控え、第1期黄金時代を支えたV9メンバーからの世代交代が徐々に進み、日本社会の再生とあわせ、ビッグアプセットも次なる黄金時代への序章が少しずつ始まっていた。
3年ぶりのシーズン勝ち越しを成し遂げ、2008年7月監督交代からの通算成績も勝ち越しが確定した芝田監督はシーズン終了を待って勇退を表明、後任には唯一出馬宣言をした巨鯨ビッグ櫻町が満場一致で就任、いまに至る第2期黄金時代に向けた体制がついに始動する
<2012年>
櫻町超長期政権始動!第2期黄金時代に向け準備万端へ!
戦績: 35試合15勝19敗1分
MVP : スーパーひとしくん石井
日本中が「ワイルドだぜぇ」でオチをつけたがる輩が続出し、京都大学山中教授のiPS細胞が何だかわからずノーベル賞は偉いとみな歓喜し、どじょう内閣が自爆し再チャレンジ安倍第二次政権に向け大きく動いた2012年、ビッグアプセットではその安倍政権を上回る憲政史上最長政権となる櫻町政権が始動した。
この時点では、元来アンチ体制派として数々の奔放な言動で知られた櫻町の政権担当能力に疑問を呈する向きもあり、まさか憲政史上最長政権となると予想する者も少なかったが、初年度からチーム愛前回の新たな形のリーダーシップを発揮、生来の口説き上手テクを駆使し、米国赴任で離脱した黒田の後を受け継ぐ俊足好打のレッドスター斎賀、監督自らが巨鯨の称号を与えた若巨鯨マグナム鈴木、そしてかつての九州六大学のスター、ファンタジスタ大間という最強の補強を敢行、さらにこの年大田スタジアムで対戦した浜田山ダイナマイツの主力・田辺をさっそく助っ人として参戦させるなど、急ピッチでのチームの再建を急ぎ、第2期黄金時代を支える主力メンバーが徐々に揃い始める。
投手陣では球威が落ち始めた谷上にかわり石井がエースの座をとってかわるが、この年はまだ参加試合が進みきらず、規定投球回に到達した石井、谷上のほかに12人の投手がマウンドにあがるなど投手陣がまだ安定しなかった。そのなかには櫻町、芝田、西村、山下、尾崎、黒須といった面々もマウンドにあがったが、今をときめく石井大和、そして小川も助っ人として数イニングを投げている。
メンバーが完全に確定せずシーズンでは負け越しとなったが、ガンバロウ春大会ではベスト8に進出するなどチーム力は復活の兆しを明確に示し始めていた。個人記録では、石井がこの年最多勝、最優秀防御率、最多奪三振の投手三冠で初のMVPとなったが、石井はこの年から投手三冠とMVPをなんと6年連続で獲得することになるのだ。打撃部門ではアーロン黒須が本領発揮の打率5割で首位打者、櫻町が初のホームラン王と打点王の二冠に輝き自らの監督初年度に花を添えたが、この年活躍が目立ったのがガルシアパーラ西村、最多四死球と最多得点とチームに多大な貢献を示しただけでなく、盗塁王を獲得し初の個人タイトルに輝いた。
こうしてV9メンバーからの世代交代を進めつつあるビッグアプセット、この時点ではまだビッグアプセットナインも知る由もないが、次なる第二次黄金時代に向けたステップを着々と進みつづけるのであった。
<2013年>
スーパーひとしくん石井2度のノーヒットノーランでMVP!
芝田2度目の三冠王!チーム力充実でついに第2期黄金時代始動!
戦績: 37試合20勝16敗1分
MVP : スーパーひとしくん石井
あの震災から2年、田中マーくんの24勝0敗という驚異のピッチングが引っ張った楽天イーグルスが涙の日本一、黒田バズーカが炸裂しアベノミクスが始動し、日本中が「じぇじぇじぇ」「倍返しだ!」とお気楽に叫んでいた2013年、ビッグアプセットはついに第2期黄金時代が始動する。
この年は前年に引き続きスーパーひとしくん石井が絶好調、なんどビッグアプセット史上初のノーヒットノーランを2度も成し遂げるという快挙にチーム全体が沸いた。また2011年に引き続きクラッチ芝田が打撃16部門中11冠に輝く2度目の三冠王(ホームラン王は鈴木と分け)という快挙が重なる派手なシーズンとなった。
またこの年は前年助っ人参加していたストロングボディ田辺がついに入団、さらに大友と並ぶ桐朋野球部の黒幕・キャプテン玉利、石井の導きで入団のビッグアプセット史上最も肌が焼けたポルシェ谷戸、そして満を持してのウォームアップいらずのライアン小川と、充実の補強が敢行されチーム力は大幅にアップするとともに時代のビッグアプセットの形がほぼ見えてきた年だ。
ガンバロウ秋大会では8月末から11月末まで3か月にわたる激闘、クラッチ芝田の怒涛のヘッドスライディングホームスチールや、石井の熱投で史上最高位のベスト4まで進出、準々決勝で06年に苦杯をなめた大会与党・Thatsに完封勝ちしこれでいける、と盛り上がったところで、ほぼ同じメンバーに強力助っ人を加えたチームガンバロウが準決勝で待ち受け、これに完敗でベスト4で敗退。史上最高位に到達した充実感とともに、どうしても割り切れない感覚を捨てきれなかったところで、社長兼CEO大友が数々のデータと観察をもとに独自の分析を展開、ガンバロウ大会の成り立ちと仕組がついに明らかになったところで、ビッグアプセットの数々の汗と涙と感動の歴史を刻んだガンバロウ大会との決別をついに決断するに至ったのもこの年だ。
2度のノーヒットノーランを達成し再び投手三冠に輝いた石井が、2度目の三冠王に輝いたクラッチ芝田との接戦を制し連続MVPに輝いた。ガンバロウ大会と決別し、新たな戦力が揃いはじめたビッグアプセット、この翌年からの第2期黄金時代への扉がついに開かれたのであった。
<2014年>
芝田ロンドン赴任・大河原名古屋赴任を乗り越え第2期黄金時代が本格化
戦績: 40戦25勝11敗4分
MVP : スーパーひとしくん石井
女性ファン急増で「カープ女子」が新語・流行語大賞に選ばれ、小保方晴子さんが「STAP細胞はありま~す」と強調、御嶽山が噴火して「あと数日ずれてれば。。」とぞっとした人がいる一方、ちまたでは「レリゴ~~!」とアナ雪主題歌が流行していた2014年、ビッグアプセットは25勝11敗と第2期黄金時代がいよいよ本格化した。
前年、ガンバロウ大会からの決別を決意して、5月にストロングリーグ(エアロックカップ)に参加するがレッドバーニングに敗れて初戦敗退。秋にはエンジョイカップに出場していきなり準優勝をかざり、今に至るエンジョイカップ参加の道を開いた。また11月にはみずほ証券、安信タイガース、東京BBとの4チームでのみずほ統一王座決定戦を実施し優勝を飾るなど新たなトーナメント大会の場を模索したシーズンであった。
メンバーの方は、4月に芝田がロンドン、大河原が名古屋に赴任する試練を迎えるが、スピードスター塚野、アツモリ佐藤が参加。キャプテン玉利の誘いでハートフル安居、アスリート木下も入団してグランドをにぎわせた。
3月には、8日の西武ドームでのビーグルス戦でコネチカット橋爪が桐朋高校野球部を卒業したばかりの長男慎一郎くんと参戦。21日は大宮健保グランドでみずほ証券と芝田の壮行試合を開催し試合後は両チームでの芝田を胴上げ。28日は砧公園で朝田親子が参加し朝田がビッグアプセットで最初で最後となる出場をはたすなど記憶に残る試合が続いた。
また、石井が立花トレーニングコーチの指導で球速120キロに挑み、その様子を放映するBSプレミアム「よみがえりマイスター」(9月放映)の収録で「指導前」としてストロングリーグ敗退時の試合風景と「試合後の団らん」として石神井公園・受楽の飲み会が撮影されたのもこの年であった。
MVPには石井が三年連続・三度目の受賞、MIPは名古屋からほぼ二周に一度の参加ながら、メールとカメラのSDカードを駆使してホームページ維持に貢献した大河原が受賞、GGには新人・塚野智己が首位打者・打点王とあわせて受賞した。
<2015年>
ドクター朝田の逝去を乗り越えて夏・秋のエンジョイカップ連覇!
戦績: 40戦26勝11敗3分
MVP:スーパーひとし君石井
中国からの爆買いツアーが全国各地を席巻し、マイナンバー制度が鳴り物入りで始動、5年後に迫った東京五輪ではエンブレム盗作・国立競技場のデザイン変更と何やらその後のドタバタを予感させた2015年、ビッグアプセットはチーム25勝のうちなんと21勝を一人で勝ち取った石井の力投(残り4勝は塚野敦也、小川、佐藤達路、桐生が各1勝)を軸に第2期黄金時代の3年目を勝ち進んだ。
この年特筆すべき出来事は前年から参加のエンジョイカップだ。7月開幕の夏大会では屋根がなく水道もない超シンプルな設備の橋の下球場で暑さを克服すべく、櫻町監督がテントレンタルを決断。これが奏効し、決勝戦では相手チームが4回裏で熱中症のためギブアップを宣言する事態となり優勝の栄冠を勝ち取った。
そして秋の大会の決勝では更なるドラマが出現した。
最終回1点差の場面で佐藤の打球が前進守備のファーストの横を抜けたかと思ったら、ファーストランナーの村上の足にあたりボールデッドを宣告され、結局同点からのジャンケンで敗退し涙を飲む。しかし、試合後、ルールを再度精査した結果、審判の誤審が判明し大会本部と交渉の結果両チーム優勝の大どんでん返し。「勝負はゲタをはいて家に帰っても三晩寝るまでわからない」となった。
一方、秋の決勝戦直前の11月16日、創設メンバーであり、大宮健保グラウンドでの試合等にたびたび応援に来てくれていたドクター朝田こと朝田五郎選手が病いにより逝去するという悲しい出来事もあった。
メンバーでは前年助っ人で参加のアツモリ佐藤、弾丸チャージ敦也が正式入団して選手層に厚みを増した。また、前年初めて対戦したTokyoFightMoneyとはこの年5回対戦し2勝1敗2引き分けと、通算9勝10敗2引分け(2022年末時点)と好敵手として今に至っている。
MVPは当然のように石井、MIPは前任大河原から戦評を引継いで「ボリューム3倍、濃度10倍の渾身の戦評」スタイルを確立した櫻町、GGには国家試験合格、卒業・就職、結婚とこの年目出度い出来事続きの谷上が選ばれた。
<2016年>
神様、仏様、石井様! 石井圧巻の21勝で第2期黄金時代が続く
戦績: 35戦22勝11敗2分
MVP:スーパーひとし君石井
リオオリンピックで安倍マリオが飛び出し、スマホ片手にポケモンを探し回る人々が街にあふれたかと思うと米大統領選ではトランプ、東京都知事選では小池百合子が勝利した2016年、ビッグアプセットは22勝11敗と安定した戦績を残し櫻町監督の就任5年目を飾った。
この年も大車輪の活躍は石井。なんと22勝のうち21勝をあげるプロ野球もびっくりの快記録(残りの1勝は塚野敦也)を樹立。おそらく永遠に破られることはないのではないかと思われる。
参加3年目を迎えたエンジョイカップは9月大会は1回戦で石井が通算三度目のノーヒットノーランでスタートしたものの2回戦で0-1の惜敗、巻き返しを誓っての11月大会では順調に勝ち上がってが準決勝で惜敗。朝8時にスタートし9時17分には終了してしまったこの試合、石井がくやしさの余りグラブをグランドにたたきつける泣き笑いシーンのおまけつきとなった。
また、都立グランド(城北中央公園、羽根木公園 担当:大友)、大田区立グランド(大田スタジアム、萩中公園、東調布公園他 担当:西村)、練馬区立グランド(東台 担当:大河原)の確保が機能して安定したホームゲームを開催できるようになったのも、概ねこの時期だったといえる。
MVPは5年連続の石井、MIPには新入団のアキバキング・(薮下)丸野、GGには前年に続いて谷上が選出されている。
<2017年>
ショータイム大和、さっそうと登場!
戦績:38戦32勝3敗3分
MV’P:スーパーひとし君石井
上野動物園ではパンダのシャンシャンが誕生、森友加計問題で忖度が流行語となった2017年、ここ数年、勝ち星のほぼ全部を石井に頼りきり油断(?)していたビッグアプセットに、正月早々激震が走った。なんとシーズンオフ中、石井が自転車で走行中に自動車との接触事故にあって鼻骨を折るアクシデントが発生。この事態により、開幕戦を塚野敦也→増尾(助っ人)→薮下のリレーで乗り切り、二戦目にはショータイム石井大和が登板。ただし、流石の鉄人石井は開幕戦こそ欠場したものの二戦目ではマスクをかぶり、この試合後何度も実現する黄金の親子バッテリーが誕生することになる。
石井大和はこの年5試合に登板して4勝1敗の成績を残し、投手陣の一角としてのデビューを飾った。
もう一人衝撃のデビューはカツシン富沢だ。出場16試合42打席で規定打席には不足ながら19安打4割5分2厘。これが打者が規定打席に満たない場合でも、その不足分を打数に加算して打率を算出し、なお最高打率となった場合、その打者がリーグの首位打者となる。(公認野球規則9.22(a)) により、規定打席数に達した打者の中で最高の石井を上回り首位打者となるという驚きの「認定首位打者」となった。
更にこの年のエピソードに数えられる忘れられない出来事として、石井他数人がエキストラで参加した野球映画の怪作「レフトフライ」がある。
秋原北胤(ほくいん)氏が監督し、小野寺昭、マギー司朗、和泉元彌が出演したこの映画の上野で行われたプレミアム試写会の舞台では、石井が出演者を紹介し桜町監督が花束を贈呈するというビッグアプセットの歴史に残る場面が見られた。
MVPは前人未踏の25勝を挙げ、首位打者、盗塁王も獲得した石井が6年連続で受賞、MIPは名古屋単身赴任が終了したノビータ大河原、GGにはピッチャー、キャッチャー、内外野の全ポジションで好プレーを連発した弾丸チャージ敦也が選ばれた。
<2018年>
エンペラー伊藤・キング加藤降臨!メンバー充実し快進撃が続く
戦績:38戦26勝9敗3分
MVP:エンペラー伊藤
日産のカルロス・ゴーン会長が逮捕(翌年逃亡)されたかと思うと、「ボーっと生きてんじゃねーよ!」とチコちゃんに叱られたり、カーリング見ながら「そだねー」と納得したりして過ごした2018年、塚野兄弟、石井大和、薮下、富沢に続き、エンペラー伊藤、キング加藤が入団し投打に大活躍。最年長組が55歳を迎える中、ポジション争いを激化させチームに活力をもたらした。
この年は開幕から10試合まで3勝7敗と黒星が先行する苦しい展開であったが、3月に伊藤、5月に加藤が加入したことで一気に投打の歯車が動きだした。
そして、前年の石井大和に加え伊藤の加入で投手陣に厚みが増したことで、久々にダブルヘッダーを三回敢行して結果6戦全勝と大成功。9月には長きにわたって苦杯をなめてきたブルースに初勝利をあげることもできた。
また、夏用のサブユニフォームとして使用していたグレーユニフォームを黒ユニフォームに変えて正式ユニフォームとすることにし、あわせて背番号もリセットしたうえ、櫻町が若手分を加えて選手名鑑が完成した年ともなった。
大会は9月のエンジョイカップに参加、準決勝で引き分けのあとジャンケンで負けて敗退する悔しい結果であった。
11月にはスピードスター智己が小学校での初恋を実らせて友紀さんとゴールイン、チーム全員が祝福するうれしい出来事もあった。
MVPは15勝2敗のエンペラー伊藤が石井の7連続受賞を阻止して堂々の受賞、MIPは脅威の飛距離・打球スピードで魅せたキング加藤、GGは2年連続で弾丸チャージ敦也と若手が独占した。
<2019年>
クラッチ芝田、バズーカ山下復帰でますますチーム充実、初の紅白戦も実施
戦績:20.5勝13.5敗3分(注:紅白戦を0.5勝0.5敗とカウント)
MVP:エンペラー伊藤
元号が平成から令和と代わり、築地市場が豊洲に移転、イチローが引退した2019年、芝田、山下がチームに復帰してますますチーム力がアップ、11月には発の紅白戦を行うことができた年となった。
改元の関係で10連休となったゴールデンウィークの最終日、ローヤーズの監督をつとめていた期間ビッグアプセットに出場できていなかった山下が、監督勇退により久々に登場しそのローヤーズと対戦、同じ5月にはロンドン・ニューヨーク赴任が終わり帰国した芝田が参加、いきなりツーベース・スリーベースを放ちメジャーの格を見せつけてくれた。
大会の方では7月のエンジョイカップに参加するも二回戦で強豪の関電工に完敗、エンジョイカップ初参加から5年、徐々に参加チームが充実して壁が厚くなってきたことを知らされることになった。その後9月のエンジョイカップに応募枠終了でエントリーできず、6年振りにガンバロウ大会への参加するも二回戦で東京信用金庫に敗北を喫した。
そして11月16日、快晴の東調布公園に助っ人山口を加えた20人が集結し、ビッグアプセット発の紅白戦としてチーム石井対チーム伊藤のガチンコ勝負を決行。両エースの投げ合いに加え、大河原が伊藤から一二塁間のヒットを放ち、塚野敦也の打球を塚野智己がさばくも内野安打となるなど、日頃見ることができない場面が続出し、最終回、薮下が石井から逆転サヨナラタイムリーを放つ劇的な展開でチーム伊藤の勝利となった。
三賞の顔触れはMVPが伊藤、MIPが加藤、GGが塚野敦也と前年同様の顔触れとなり充実の一年が終えた。
<2020年>
世界を襲った新型コロナウイルスで98日間の活動休止!
危機を乗り越え貫徹したシーズンは塚野敦也の三冠王で幕!
戦績: 24試合14勝9敗1分
MVP : 弾丸チャージ敦也
2020年は世界史にも長く記憶される歴史的な年、あの新型コロナウイルスが猛威をふるい世界中を大混乱に陥れた年となってしまった。
このシーズンも、いつも通り1月25日に羽根木公園で開幕、その後も順調に試合を消化し3月21日のTFM戦にも快勝しシーズン5勝3敗とまずまず順調な立ち上がりを見せていたころ、中国・武漢で発生した新型コロナウイルスが欧米に続いて日本でも感染爆発、そのまま3月末には全国の学校が一斉休校、そして4月には前代未聞の緊急事態宣言が発出され、渋谷や銀座から人が消えた。
当初は数週間で沈静化するかと期待した事態は一向に改善せず、プロ野球開幕も6月にずれ込み、夏の甲子園、2020東京オリンピックもすべて延期・中止となる事態、初体験のリモートワークに四苦八苦するビッグアプセットナインは、いつ野球ができる日が戻るのか、希望を失いかける日々が続く。
シーズンが再開したのは6月27日、緊急事態宣言が解除されるのを待ってビッグアプセットは聖地東台に宿敵ツインリバーズを招き、なんと3か月、98日ぶりの試合を行った。あの東日本大震災でも3週間しかなかったブレークが98日間つづき、野球のない生活を悶々とすごしたビッグアプセットナイン、宿敵ツインリバーズとの接戦に12-11で勝ち、ベースボールの素晴らしさを心から感じる。その感激を、この年から専属記者として戦評担当となったクラッチ芝田は、ヘミングウェイの言葉を引用し「人生は素晴らしい、戦う価値がある」と称えた。
その後、試合前の整列はベンチ前、試合後の打ち上げも自粛、といったコロナ時代の草野球新スタイルにも適応しつつ、慎重な対応でシーズンは進む。エンジョイカップも9月には再開され、ビッグアプセットは3回戦まで勝ち進む。
結局、3か月の活動休止がひびき、このはわずか24試合に終わったが、そのシーズンを彩ったのが三冠王を獲得した塚野敦也だ。
活動休止にも負けずシーズンを通して打撃好調、守備でもキャッチャーや内外野を縦横無尽に守った塚野敦也、シーズン最終戦まで3部門とも加藤とわずかな差でタイトルを争う。タイトル争いは横浜・上瀬谷球場の最終戦に持ち込まれ、ホームランで同数に並び、打点で1点ビハインドの加藤の最終打席はランナー3塁、ホームランで塚野敦也の三冠王阻止、タイムリーでも打点王に並ぶという場面で、粘りに粘った加藤は3-2からきわどいボールを見逃してフォアボール、個人タイトルよりチームを優先する姿勢、山下・芝田につづく史上3人目となった塚野敦也の三冠王を称えると同時に、加藤のあっぱれな姿勢はビッグアプセットナインに感動を呼び、この感動の場面に櫻町監督は、「好球をとらえた敦也を称えつつ 四球を選んだ君の気高さ かくも美し球人の魂」との名句をささげた。
コロナに明けコロナに暮れた2020年シーズン、コロナの余波はいたるところに及び、なかでもビッグアプセットが涙と汗をともにした大宮・あじたろうの閉店はビッグアプセットナインにショックを与えた。一方、こんな年でも明るいニュースも満載、塚野智己、谷上と相次いでジュニアが誕生し、ビッグアプセット3世代がベンチに揃う将来がみえてきた。活動休止期間中には、ノビータ大河原が自宅近くの公園で猛特訓、57年間できなかった塁間スローを成し遂げチームに感動をよんだ。そして塚野敦也は三冠王でMVPに輝き、苦難のシーズンを有終の美でしめくくった。
またこの年、櫻町の「ボリューム3倍、濃度10倍」の戦評に代わって、専属記者がクラッチ芝田に交代、毎試合に格言・名言をタイトルとして付与する新たな戦評スタイルを確立しビッグアプセットに新風をもたらした。
では最後に、この年の戦評タイトルのベスト3を紹介して終わりたい。
「地位は人をつくる」(2/15)
コロナ前の幸せな時代の夢の島、まだシーズン初安打が出ない櫻町が自らを3番に抜擢、するといきなりのマルチヒットでチーム史上初の400本安打を達成した。
「チャンスの女神には前髪しかない」(9/19)
コロナで開催が危ぶまれたエンジョイカップ2回戦、強豪チームの速球投手相手に初回タイムリー4本の集中打で快勝!
「ほら見な、あんな雲になりてえんだよ」(11/14)
秋の日の柴又の河川敷、試合は完敗だったが、試合前から柴又界隈を歩き回ったクラッチは、寅さんの魂と流れる雲に、流れ流れた人生を重ね合わせる。
<2021年>
コロナ禍乗り越え2年ぶりフルシーズン貫徹!オヤジ復権で最年長組が3賞独占!
戦績: 40試合14勝25敗1分
MVP : クラッチ芝田
コロナ禍が終息の展望を持てないまま年を越し迎えた2021年、しかし米国では大谷翔平が「リアル二刀流/Showtime」で全米を熱狂させ、日本でも東京オリンピックが無観客ながら1年遅れで開催、夏にはワクチン接種が始まるなど、ポストコロナへのうねりが始まった。
1月30日にいきなり東台のダブルヘッダーで開幕したビッグアプセットもフルシーズン完走に向けて気合十分のスタート、相変わらず試合後の飲み会もままならず、野球だけを頼りに生きる日々がつづく。
春になっても断続的に緊急事態宣言やマンボウが発出される事態はつづき、5月には東京都が都内のグランドを閉鎖するという暴挙にでたが、ビッグアプセットは大宮健保を確保し小池百合子の県境を超えるなとの警告を受けながしシーズンを続行、執念のシーズンは続き順調に試合を消化する。
そんななか、ビッグアプセットが決死の覚悟で継続するシーズンを彩る、2つのちょっとした出来事が起こる。
まずチームの大黒柱であるスーパーひとしくん石井、7月のエンジョイカップが敗者復活準決勝敗退で終わったあたりで、石井はふらりとどこかに旅に出てしまった。当惑する櫻町監督だが、きっと寅さんのように流れ流れてみたいと思ったんだろう、と静観の構えをとるが、頼みの石井大和も欠席がちになり、チームに危機感が走るが、ここはライアン小川が連投でチームを支え、真夏の萩中公園では西村がサイドスローの新投法で完投するなど真夏のチームを支える。その後石井はふらりとチームに戻り、シーズン終盤戦でまたチームの活気が戻った。
もうひとつの事件は、ある日突然、ビッグアプセットホームページがアクセス不能となったことだ。折しも某メガバンクが度重なるシステム障害で叩かれていたタイミングでもあり、全てのチーム運営をHPに依存していたビッグアプセットに緊張が走る。結局復旧はならず、ノビータ大河原が新HPをゼロから時間をかけて開設、シーズン終盤にはかろうじて平常運営に戻すことができた。
シーズンは石井の旅立ちや、塚野兄弟、加藤、佐藤達路などの若手主力の参加率があがらなかったこともあり、チームは2012年以来9年ぶりの年間負け越しとなってしまったが、一方でその状況で健闘したのがオヤジ軍団だ。
久しく内外野のユーティリティプレーヤーと屋根裏解説で活躍していた村上が、このシーズン途中から正式に正捕手に復帰、持ち前の強肩も復活し2007年以来14年ぶりのゴールデングラブ賞に輝き、またHP復活に大活躍した大河原がMIPを獲得。
打撃タイトルでは、櫻町が王貞治に次ぎ野村克也と2位タイの7度目の打点王、ホームラン王には5年ぶり2度目の丸野(当時薮下)、そして大激戦となった首位打者争いでは、高打率で終盤サブマリンとして潜伏した大間、初の首位打者に執念を燃やす櫻町、終盤脅威の追い上げをみせた丸野を振り切って、芝田が最後は丸野を3厘差でかわし、8年ぶり4度目の首位打者を獲得し、MVPに輝いた。
最後にこの年の戦評ベスト3 :
「いいかい、男は外に出ると7人の敵がいるっていうけど、ぼくの場合はグランドに出ると8人の敵がいるんだよ」(4/10)
大宮健保で決行した超強豪関電工とのダブル、2試合完投した石井大和は、2試合目に力尽きたオヤジ守備陣が崩壊し、思わず東尾修の名言を吐く。
「人生は後ろ向きにしか理解できないが、前にしか進めない」(7/10)
エンジョイカップ2回戦、一打逆転サヨナラの場面で3塁ランナーの大河原が内野フライで謎の激走、常に前進する大河原の人生に納得するしかなかった。
「宿命のライバルとして、そして友として」(7/31)
創業者マダックス末永を始め数々のビッグアプセットのかつての名選手を擁するビーグルスとの萩中公園でのナイター、櫻町・末永の宿命の対決で櫻町は通算100二塁打を達成、野球が取り持つ友情を再確認だ。
<2022年>
7年ぶりエンジョイカップ完全優勝!フルシーズン45試合で史上最多試合達成!
個人記録も華やかな充実のブラボーシーズン!
戦績: 45試合26勝17敗2分
MVP : スーパーひとしくん石井
トリプルコーク1440、クァッドアクセル、K点超えヒルサイズ、などで盛り上がりまくった冬季北京オリンピックが終了したとたん、こともあろうにロシアが隣国ウクライナに侵攻、コロナ禍の終息が見え始めるなかで世界の分断が続き、佐々木投手の完全試合、村神様の史上最年少三冠王、安倍元首相の衝激的な暗殺、カタールワールドカップのブラボーな健闘など、国内外が騒然としつづけた2022年、ビッグアプセットは充実のシーズンを迎える。
開幕から天気にも恵まれて順調に試合を消化するビッグアプセット、その最初の盛り上がりは6月にやってきた。
ビッグアプセット史上初めて、平日招集をかけた櫻町監督、その真意を測りかねながらも平日昼間に千葉県野田に15人が集結、そこで遭遇したまさかの超大物ゲストとエンペラー伊藤のガチ対決にビッグアプセットナインも大興奮、その興奮は深夜の野田郊外の中華料理での打ち上げまで続き、「Baseball is a beautiful sport」の言葉を胸に刻む一生の思い出となった。
そしてこのシーズン最大のクライマックスが7月のエンジョイカップだ。1回戦グリーンイーグルス戦は石井の通算150勝と櫻町の通算400打点のダブル達成で快勝、2回戦Myats戦は1点を争うシビれる試合で最後はエンペラー伊藤のサヨナラヒットで撃破、そしてダブルとなった準決勝では芝田の走者一掃タイムリーツーベースで呪縛を解く大勝、そして決勝では石井の力投と石井大和のダメ押しタイムリー、加藤のグランドスラムで圧倒し激的な優勝!感無量の櫻町監督の巨体が大宮健保の空に舞った。
エンジョイカップ優勝をクライマックスとするシーズンは、年間通して天気にも恵まれ、2006年の44試合を16年ぶりに塗り替える史上最多の45試合を貫徹、終盤にはチーム内クラスター発生による試合中止というハプニングもあったが、1998年のビッグアプセット創業から四半世紀となる記念のシーズンを充実した内容で終えた。
個人タイトルでは、伊藤が圧倒的打撃で首位打者とホームラン王に輝いたが、丸野が最終戦で執念の逆転で打点王となり伊藤の三冠王を最後に阻止、投手部門では石井が16勝と久々のふた桁勝利で最優秀防御率との投手二冠、盗塁王も獲得した石井がMVPに輝いた。
また伊藤の長打率10割は、2005年の黒田に次ぐ史上2人目の長打率10割超え、一方大河原は自身の持つシーズン三振記録を17年ぶりに更新する49三振と、個人記録も派手なシーズンとなり、「ブラボー!」の叫び声とともに25周年の記念シーズンが完結となった。
「恐れず、ひるまず、とらわれず」(2/19)
結果を恐れず、剛速球にもひるまず、数々の細かいアドバイスにもとらわれず、ノビータ大河原はバットを振り続けた。
「Baseball is a beautiful sport」(6/16)
説明不要の名場面、野球の神様を感じた平日のフィールド・オブ・ドリームス。
「シャンパンだけが人生!」(7/16)
シャンパンだけが人生なんだよ、キラキラしているこの瞬間、この素敵な時間のためにぼくたちは生きてるんだよ(by テニスボーイ)