27-周辺の変遷

27-1. 井口・小己斐島

広島の地形で変遷がとても分り易い場所として広電宮島線・井口駅の近くの小己斐島があります。江戸時代-明治時代-昭和-平成と見比べるとその変遷が一目でわかりますし昔の人は高台からこんな景色を眺めていたんだと実感することができます。

1797年(寛政9年)

出典: 広島市立中央図書館蔵「都志見往来日記」井ノ口

1897年(明治27年) 山陽鉄道広島~徳山駅開通当時の小己斐島の写真。山が切り開かれ国道と鉄道整備が行われた。この当時の国道は現在の宮島街道(国道2号線)と異なり鉄道の山側にあった。

出典: 郷土出版社編「図説広島市の歴史」

1924年(大正13年) 護岸・埋立前

出典: まっくろクロスケ http://makkurokurosk.blog.so-net.ne.jp/2012-11-18

2015年(平成27年)現在 1966年から開始された広島西部開発事業計画で周囲が造成され埋め立てられた。住人の強い要望で小己斐島は公園として残された。

27-2. 1965年当時の己斐橋、新己斐橋

明治時代から広島市内の洪水を防ぐべく計画されてきた太田川放水路。2018年で完成50年目の節目だと広島TVで放送があった。その番組中に己斐を知る貴重な映像がありました。木製の己斐橋を土煙をあげて走る広電バス、新己斐橋ができる前に福島町から斜めにかかっていた電車の専用鉄橋など。中国新聞の旧資料や写真・当時の地図からそうであった事は知っていたものの映像で実際に走っている状況が放送されとても驚いた。

手前下は現在の広電・西広島駅。左の鉄橋が1912(大正元年)~1965年頃まで利用された己斐鉄橋。右の工事中の橋が完成まじかの新己斐橋。己斐鉄橋であるが西広島駅と福島町を当時直線で結んでいた。

当時の雰囲気がよくわかる。

これは同じ時期の福島町~己斐を結ぶ己斐橋。バスが走っている右側が福島町側。この橋も何度も大洪水で流された歴史がある。その当時をしのばせる木製の橋。

左奥の街並みが己斐、橋を渡りきるとその奥に明治時代に敷設されたJR山陽本線と踏切がある。

太田川放水路、着工は1927年(昭和2年)で完成が1967年(昭和42年)。江戸時代~昭和初期まで繰り返し発生した大洪水を防ぐ切り札として設計された人工放水路。数百年に及ぶ防災への取組の結果が集約され、お陰で大洪水を影を潜めた。※この写真は番組タイトル。

出展: 広島テレビ テレビ派,完成50年、太田川放水路 2018/2/1放送